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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2010/09/08(水)   CATEGORY: 未分類
旱天の慈雨
 いつ果てるとも知らない真夏日が本日の雨によってやっと打ち切られた。
 今朝、雨の音がした時は幻聴かと思ったが、それが本当の雨だと知った時は本当にうれしかった。しかし、午後になると台風くずれの土砂降りは半端なく、ぬけてしまったタルの水のよう。昨今のご時世と同じく天候も極端で、程度とかバランスとかいうもんがわかってない。
 
 台風銀座だった高知に去年に引き続き今年も台風は上陸しないのに、今日は何と観測史上はじめて北陸に台風が上陸した。もともと台風の通り道にある地域は、それを織り込み済みの生活をしているけど、北陸の人はなれない台風に困っていることだろう。気候変動は一つの地域の産業構造も変えてしまうかもしれない。

 いや、北陸ばかりではない。このままこの極端な天候が定着すれば、日本の俳句文学はカイメツである。だって四季が夏と冬しかないから、季語が半分不要になるし、そもそもこんな天気に文学的に詠嘆できるかい。

 かつて、日本の四季は十二単の裾のグラデーションのようにおだやかにセンスよくかわっていったので、歌に詠もうか、という気にもなったのである。なのに、昨今の猛暑とゲリラ豪雨では狂歌か川柳しか作りようがない。

 だいたい、この夏の東京の気温はデリーを上回ることもしばしばだったので、サンスクリットの韻文読んだ方がしっくりくる(ちなみに、チベットは文学においては仏典を通じてサンスクリット文学の影響を受けているので、少々チベットの文化にあわないことがあっても、サンスクリット文学の修辞世界を受け入れている。)。

 サンスクリット文学はあっついインドではぐくまれたので、修辞が日本とはずいぶん違う。雲が生まれ、雷がなり、雨がふり、クジャクたちが喜んで羽をひろげることはみな吉兆とされた。西洋で雷が神の怒りとみなされるのとは対照的だ。

 ちなみに、インドでは太陽(スーリヤ)はもちろん世界の他の地域同様あがめられるが、涼しい夜になってそらに浮かぶ月(チャンドラ)はさらに愛され、人の名前になり、いろいろな文学のテーマにもなっている。暑いが故にそうなるのだろう。
 
 毎日毎日三十四度になるものだから、夕方になって三十度になると涼しい~とか感じている自分もかなりおかしくなっている。国文のIセンセイが「ボクが子供の頃は三十度を超えたらニュースになってましたよ」と言うとおり、明らかに今の気候はヤバい。

 隣の一人暮らしのおばあ様も、「今度孫が結婚するんだけど、あの子の子供たちが成人する頃にこの世界あるのかしら」とか厭世的なことをいってる。それなりの長さ生きてきた人たちほど、昨今の気候の異常さをリアルに肌で感じている。

 この強欲をストップできない精神性ゼロの文明を放置しておけば、ますます気候変動は進み、人類のカウントダウンは確実にはじまる。自業自得の生き方をしてきた人たちはともかく、僧院文化を護っているチベット人とか、自然界の生き物たちがまっさきにこの気候変動に影響を受けて苦しんでいるかと思うと、やりきれない。

 最近思うことは、もし来世があるのなら、この広い宇宙の別の星で知的生命体が不在の、できたら、鳥類が進化の頂点にある星にうまれたい。今生で仲のよかった人とか良縁のあった人とかも、セットで転生してみんなで、その星で鳥になって楽しく暮らす。

 チベットで仏の浄土を瞑想する時に、何もない「空」から花が咲き乱れ、水鳥があそぶ池に彩られた美しい大地を観相する。浄土のイメージは花と鳥。
 そこにはほ乳類っていないんだよね。
 きっとそういう星があるから、チベット人もそういう観相をしたんだと思う。
すいません、仕事がつまっていて逃避的になってます。
 
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