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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2010/08/11(水)   CATEGORY: 未分類
人の囀りって・・・
 ツイッターの使い方を全然理解しないうちに、フォロワーが増えてきて、いやあ、こまった、こまった。わけわからん。ははは。

ぶっちゃけた話、実は自分、ケータイもったのだって今年の三月なのである。しかも、厳密に言えば「持たされた」もの。

 今まで、どうしてもケータイが必要な場面ではダンナ様のケータイを借りていたのだが、そのダンナのケータイをご丁寧に外国で落としてしまった。そしたら、ダンナ様がある日、「これから落とすのなら自分の落としてね」とショップで一番安いケータイを私にもってきた。
 
 その時、ちょうどキャンペーン中だったのか、ショップが、白い犬がくっついたトイレットペーパーかけをくれて、今も装着されている。

この犬、振動を感じると、北大路きんやの声で「その手でさわるな」とかしゃべったりして(じゃあトイレットペーパー入れになんかなるな 笑)、「ああ、これが噂にきくおとうさんか」と我が家がついに孫正義に陥落したことが実感された。

 しかし、このケータイ、メールを受ける設定も、ネットにもつなぐ設定も何もかもわからんので、単なる「でんわ」。しかも、外出の際にもってでるのを忘れるため、「ケータイ」ですらない。名付けて「家におきっぱ電」もっと言えば常時「充電死んでます電」、つまりケータイという定義にはあてはまらない。

 しかし、呼び出し音だけは我が家の愛鳥ごろう様の雄叫びにカスタマイズした。

 こんな人間がいきなりツイッターである。

 なので、わけわからん。あ、でも、私にこれまでツイートしてくださった方々、ちゃんと読んでます。ツイッターで自分のサイト検索して(きっと他のやり方があるんでしょうね 笑)。でもどうやったら表示するかとか仕方とかわかんないんですよね。ははは。

 でも、ブロックの仕方だけはまっ先に覚えた(笑)。

 うちのゼミでもツイッターをやっている子は、飲み会の最中とかでもケータイとりだして書き込みをしている。こういう実況がいいんだろうけど、ナマの人間が回りにいる時くらいは目の前の人間と交流しろよ、と思う。

 小さな子供や老親を抱えて孤立しがちな女性、何か問題を抱えて不安な人、共通の話題でもりあがりたい人同士には、ツイッターは空間をこえて「大丈夫」「「私もだよ」と共感の輪でつながることは精神衛生にいいであろう。

 これなら、140字でできる。
 
 しかし、ものを考える時、研究をする時は、ツイッターは不要。ランケーブルは抜かないと思考に集中できないし、何か考えがまとまりかかってきたら、今度は生身の人間との会話が思考をまとめるのに役に立つ。人に説明することによって、自分の考えもまとまってくるからだ。そして何かを明らかにしても、典拠や論拠をあげて体系的に説明するためには140字は短すぎる。

 その日よんで心動かされた名言でもあげようかとも思ったが、これどんどん沈んでいくからメモにもならないし、間に俗っぽい言葉がはいるとムードが壊れる。運営会社が倒産したらこのデータ自体もすっとぶだろうし。記録を残すという機能としてはあまり有用でない。

 まあ、直感的にいって、ホームページ>>>ブログ>>>>ツイッター>>>と、この流れ、やっぱ頭を使うよりは、情緒化、アホ化の極みに向かっているような気がする。

 我が家の窓辺には毎日、日の出と日没の時、様々な鳥がつどっていっせいにさえずる。これは朝と夕方、鳥たちは群であつまって互いに「一日がはじまるねー」「今日もおわったねーおつかれー」とかコミニュケーションをとりあっているのである。私は鳥が大好きなので、この囀りをきくと本当に和やかな気持ちになる。

 しかし、人の囀りであるツイッターは、たしかにみながさえずっているが、そこに参加している人には、個があるのみで、群としての一体感も、安定感もない。コミニュケーションをさらしているといっても基本は一対一である。お互いの顔も見えていない。

 はっきりいうと、人の囀りは鳥の囀りに比べるとヤンデル。
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