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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2010/07/28(水)   CATEGORY: 未分類
母語を失うということ
 同僚にチベット人と結婚した方がおり、教授会でたまたま席がとなりあったので、「息子さん元気?」とか聞いてみたら、その方が、「息子には妻の郷里でラマにつけてもらったチベット名があるのだが、私は漢字の当て字しか分からない、妻はチベット語はしゃべれるけど、書くことはではない」というので、教授会資料にチベット文字で彼の息子さんの名前をつづり、その部分だけ切り取り「これでいいと思うけど、この夏郷里にもどったらラマに確認をとってくれ」と渡す。

 彼の奥さんが特殊なのではない。

 今やどれだけの多くの本土チベット人が、チベット語の読み書き能力を失っているだろう。チベット文字は発音とスペルの差が大きいので、しゃべるからといって書ける訳でなく、かつ、ちょっと教養があっても、綴りを正確にできる人は少ない。

 日本で学力のない学生が漢字が書けなくてカタカナを多用する文章を書くようなあんな感じ。日本の学生は単なる学力不足だが、チベット人の読み書き能力の低下は漢語社会の拡大によって、チベット人が公的な場面でチベット文字を使用する機会を失ってしまったからである。

 スリランカ独立の父、アナガリカ・ダルマパーラによると、彼は小さい頃はデイヴィッドとイギリス名で呼ばれ、学校や公共機関で用いられていた言葉もすべて英語だったそうな。ガンジーの自伝中にも、ロンドン留学中に、自分がインドの言葉ができないことを恥じたという件があるので、母語の読み書き能力は怪しかったのだろう。

 植民地になるということはそういうことなのだ。

 チベット語の読み書き能力は、じつはもう本土のチベット人僧侶と、難民チベット人とガイジン学者が、ほそぼそと支えているという状態なのだ。

 そいえば、世界放浪中の院生Mが外国のゲスト・ハウスでチベット文字のテクストを読んでいると、同い年のイギリス人が、

「それチベット語?ボクもダラムサラで仏教を学んでいるんだ」と話しかけてきた。で、二人でそのテクストを読んでみたら、イギリス人の方が読めたのだそうな。院生Mによると、イギリス人の方が仏教に対する教養があるからだろう、とのこと。

 どんな言語でもそうであろうが、アルファベットが読めて辞書がひけたら、その言語が読めるというものではない。

 たとえば、我々は日本語を母語とするが、日本語で書かれていても、理系の論文や、難解な哲学はその背後にある知識がないと読めないのと同じである。

 チベット文化はとくにあらゆる面で仏教と関係しているので、仏教に対する知識、それによって築かれたチベット文化に対する理解がなければ、正確に読めるはずもない。

 昨今中国からチベット語文献の漢訳が多数出版されており、多くの若手学者たちはこの漢訳を用いて研究するが(情けない!)、この漢訳には言葉の説明、その背後にある文化的な諸状況にたいして1つも解説を行っていない、ただのベタ訳である。そのため当然のことながら、特殊な意味をもつ言葉も漢訳されると同時には普通名詞となってその意味は消滅し、そこから何か論を立てることなど望みようもない。

 院生Mはこの春、チベット語の綴りを覚え、辞書がひけるようになった時、
「チベット語簡単じゃーん」
と言って私のこめかみに青筋を浮かせたが、今や1つの言語とその言語が表す文化を理解することが「簡単」と言えるようなもんでないことに気づいたはずである。

 ところで、院生Mとそのイギリス人がチベット国旗をはさんで記念写真をとっているが、このチベット国旗、Mが日本から持ち込んだものだろうか? 頼むから、それもって本土に行くなよ、逮捕されるから。彼の旅行が進むにつれて、この国旗を伴う記念写真が増えそうな予感。
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