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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2010/05/26(水)   CATEGORY: 未分類
自分の足で立つ「本物の人」
 NHKの衛星でCool Japanとかいう番組やっていて、スタジオに呼ばれたガイコクジンたちが彼らから見て日本人が特殊と思うことについて論じていた。

 全体がどのような構成か分からないが、私が見た場面では、「日本人は街頭インタビューに応じる人が少ない。一方、外国人は積極的に発言する」というものであった。確かに、銀座をフラフラしている日本人は三分の二が街頭インタビューを断り、ガイコクジンはぼぼ全員がインタビューに応じていた。

 スタジオにいたイタリア人も、「もしイタリアで街頭インタビューしたら、みんな自分の意見を言おうとして人が集まりすぎて、マイクは一歩も進めなくなる」と。

 で、インタビューを拒否した日本人にその理由を聞くと「恥ずかしいから」。逆にインタビューに応じた外国人たちにその理由を聞くと、「小さい頃から自分の意見をはっきりいうように教育されてきたから」「能動的に社会にかかわるのは義務だから」「哲学や歴史の時間でディベートを学んできて、意見を表明し対話することについて学んできたから」とかいっていた(うろ覚えだけど)。

これ見ていろいろな意味で何か腑に落ちた。
 日本人はそもそも「自分の意見がない」のである。ちなみに日本でも自分の考えというものはあるが、これはマイ・ブームとか、自分基準とか、自分の嗜好を指しているに過ぎず、こんなものはどこの世界の人もプライベートにもっているもので、人前でおおっぴらに言アゲするようなシロモノではない。

 私が言っているのは、ある公のテーマについて「人の批判を前にしても自分の意見を主張しとおせるような見識を持っているか」という点である。そのような意見を言える日本人ってたぶんあまりいないんじゃないだろうか。

 日本は島国だし国土がせまいので、隣の人と争わないようにすることが遺伝子にしみついている。結果、何事につけても白黒つけることなく、問題は常にズブズブに対処され、恥ずかしいことをしていてもそれを恥ずかしいと思うこともなく、逆に立派な行いをする人がいても、それがほめられ顕彰されることもなく、恐ろしいまのでの悪平等で世の中を動かしてきたのである。

 普遍的、客観的価値を追及するよりも、場のフンイキ、大多数の意見というものが優先するため、近視眼的に目先の判断を重ねまくり、気がついたら戦争に突入していたり、気がついたらカネの亡者になっていたりしてきたのである。周りに流されてから動くので、周りが悪けりゃ悪い判断もするし、周りがよければよい判断もする。それらの判断の集積が結果としいて節操なく、筋が通らなくなることは言うまでもない。

 「恥ずかしいといって自分の意見を言わないのは、謙譲の美徳である。ツバを飛ばして自分の意見をいう人って何かこわい~」とかのたまう人が時々いるが、それはまだママに抱っこされた子供のいうこと。いい大人がいう台詞ではない。

 また「恥ずかしいから何もいいません」というのを謙譲の美徳とカンチガイするヒトがいるが、それは違う。謙譲というものは、譲る何かがあって、語る何かをもっていてはじめて意味を持つものである。人前で語るものが何もない、ということは、自信をもって表明できる意見が何もない、ということであり、そういう人には謙譲などという言葉を使用する資格はない。

 謙譲という言葉が意味を持つのは、ダライ・ラマ、クラスになってからである。法王は中国に対しても、人間のあり方についてもきちんとした意見を持ち、それはこの五十年間深化することはあってもブレたことはない。彼の意見はつねに理性的であり、彼の意見に論理的に反駁を加えることができた人はいない。なのに、ダライ・ラマはどのような人を相手にしても、無礼きわまりない人でも、無知な人でも、自分を心の底から尊敬している人でも、だれ変わりなく腰が低く、謙譲である。ダライ・ラマがきちんとした「人」であり、さらに言えば比類ない人格者であるがゆえに、その謙譲が美しいのである。

 日本人が今までのとおり仲良くムラ(自分、家族、会社、民族、国)を営んでいくのは一向にかまわない。しかし、その場合でも、自分のムラの論理を、倫理とか良識からはずれないところで構築していかないと、所詮そのムラという名前の共依存グループは崩壊する。もし自分のムラを護りたいのだったら、そのムラの論理をつねに自己本位のタコツボにはまっていないか、純粋かつ穢れのないものかをチェックしていく必要がある。そのような論理をかかげるムラ集団こそ、他者から尊重され、また自らも自分に誇りがもつことができ、その構成員を幸せにすることが可能だからである。
 
 そのために必要なことは、「倫理と道徳を逃げずに教える」「論理的にものを考える方法」「自分の考えをきちんと他人に伝える方法」をやっぱ若いうちから教育することである。

 ちなみに、自らの伝統を守りながらもきちんと尊重されている成功したムラ社会として、チベット難民社会をお手本にしよう! (ちなみに、チベット難民社会にもしょうもないおちこぼれはいます。あくまでもこれは理想形のチベット社会のこと)
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