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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2010/03/08(月)   CATEGORY: 未分類
歴史を政治の道具にすな
じつは帰路、北京空港で落とし物をして、成田の手荷物受け取り場にあるJALカウンターに遺失物届けをだした。で、待てど暮らせど連絡がこないので、いつまで待てばいいのかを聞くためにJALに電話をする。ネットで探したフリー・ダイヤルにまずかけると、「この電話は一月●×日をもって利用されなくなりました。有料の電話番号を教えます」という。
 JAL破綻したので、もう無料で顧客サービスなんてできなくなっているのである。
 で、その有料の電話とやらに電話すると、今度は「60秒十円のナビダイヤルにまわします」とかいわれ、「そちらが希望するサービスの番号を押して下さい」というんだけど、その番号の案内がなく、どうしていいかわからないでいると、「入力が不正確です」とか合成音声に言われて(そもそも入力できないわい)、挫折。

 したかないので、またJAL本体に電話をして、そこからやっと荷物受取所の番号を聞き出す。

 で、なんかカウンターの調子だとあまり積極的に探していない雰囲気。まあ会社つぶれかかっているしね。私一人の遺失物のために北京空港で動いてくれる職員とかいないんだろうね。

 ナショナルフラッグは地に落ち、日本はいずこへと流れていくのか・・。つか落とすなよ、自分。

 今年年頭のおみくじで「このみくじにあう人ははじめは物事思うようにならねども、中頃より変じて末は大きにしあわせよし。」とでたけど、今までのところ、たしかに年明けからパソコンは壊れるわ、出発の日の朝刊にとある研究者の入国拒否問題があるわ、学生からは「西太后」と蔑称されるわ、ロクなことがねー。

 「中頃より変じて」とあるが、
 「中頃っていつから? いつからなの?」

 と八百万の神を小一時間問い詰めたい。

 北京で東陵にいったのは3月2日だったのだが、その前の日、NHKの「世界遺産への招待状」において奇しくも「わが魂は皇帝とともに 明・清の皇帝陵墓」が放映された。その再放送が4日にあってこれをK嬢からの電話でしりギリギリ録画できた。

 この番組がそういうコンセプトなのか相変わらず専門家をまったく間にはさまず、現地の人とのやりとりの中からつくられている。しかしこの前の五台山よりはましな感じがした。

・まず雲南地域の金絲楠木がレポートされる。この木は腐りにくいので、宮殿のはりや柱に用いられたという。

・そして、この木を使った明の皇帝陵を南京と北京の十三陵とともに紹介。郷土史家が「皇帝の権威を示すためだけに起こされた大土木工事、多くの人々がその犠牲になった。」というエピソードが次々と紹介され、人民中国の封建社会を否定するプロパガンダがこれでもか、と炸裂する。

・これで終わるかと思いきや、清朝の話になるとがらっとコンセプトが変わる。清朝の皇帝は北京の東と西に順番にふりわけられて埋められたのだが、そのうち西陵の泰陵の墓もりをしている一人の満洲人にスポットがあてられる。

・彼はこの陵墓の中に築かれた配殿の一つの中で生まれ、育ち、子供を育て、政府からのやっすい給料をもらいながら、この皇后墓を守り続けていた。清朝の皇室は満洲人だったので、彼はこの同じ民族出身の皇族の墓をまもる仕事に誇りをもっており、長男が跡を継ぐといってくれているが、まだまだ仕事を任せる気はないという。極寒の夜間でも何度もおきて愛犬とともにお墓をみまわる仕事は大変だが、彼の顔は満足感に満ちている。

 この表情は漢人郷土史家が、人民史観に基づいて同じ漢人である明の皇帝をボロクソにけなしていたこととは対照的であった。この番組のタイトルが「わが魂は皇帝とともに」であることからも分かるように、番組制作者はプロパガンダをくりかえす漢人郷土史家よりも、この一満洲人管理人の生き方に共感を感じている。この満洲人はいい顔をしている。

 オリンピックの年にやはりNHKの世界遺産紹介番組で清の皇帝が築いた庭園頤和園を扱った時(このエントリーみてね)、頤和園の廊下の梁に、金に対して抵抗した漢人、岳飛が英雄として描かれていることを引いて、清は金と同じ満洲人によって建てられて、ナショナリズムを考えたら、岳飛を英雄として扱わなかったはずである。しかし、清朝皇帝は、この頤和園に岳飛を描くことによって、立派な行いをした人は民族に関係なく称揚するという姿勢を示す太っ腹であったことを紹介していたが、あれもいいまとめ方であった。清朝皇帝は自らがマイノリティであったため、多種多様な文化を尊重し共生させるすべにたけていたのである。

 「権力は銃口によって作られる」とかいって、他民族を武力で制圧して数の論理で同化させようとしている現王朝とはおお違い。

 ちなみに、現王朝の歴史学は体制維持のための道具と化しております。
 参考までに、今朝の朝日の朝刊でもどうぞ。

(風)北京 国民に届かない歴史研究 市川速水(2010年3月8日 朝刊)

 中国にとって歴史は体制の道具に過ぎないのか。先日公表された初の「日中歴史共同研究」を前に考え込んだ。
 2006年末に日中10人ずつの学者が会合を始めた時、少なからず期待があった。中国の戦中史は抗日運動が中心で、戦争被害を強調する歴史だった。戦後は、日本が中国の復興に尽くした援助や友好政策を過小評価した。日本側にも、戦争の加害責任を軽んじる風潮が残る。
 歴史家ががっぷり組んだらどんな歩み寄りが見られるのか。そう思い報告公表前から論文執筆に携わる中国の学者を何人か訪ねた。すると逆にもやもやが膨らんでいった。
 執筆者の一人、社会科学院の栄維木氏は言った。「研究は関係改善のメカニズムだ」。小泉純一郎元首相の靖国神社参拝などで悪化した関係の打開策として浮上した共同研究で、その後関係は修復したので発表前から役目は終えていた――そう受け取れた。
 それを裏付けるように、中国側は日本に戦後の論文を公開しないよう求めた。南京虐殺の「犠牲者30万人」説が揺らぐのを恐れる当局は「犠牲者数に様々な見方がある」との日本側論文を報道しないよう国内メディアに命じた。
 中国のある学者は討論の途中で「我々は政治家ではないから30万という数字に縛られず自由に論じる」と語っていたが、実際は数字にこだわる当局の言いなりだった。
 はっとしたのは、社会科学院の陶文ショウ氏が「歴史認識の主流を反映させなければならなかった」と語った時だ。日中戦争が侵略だったとの見方に疑義を挟むのは主流ではないという意味だ。が、ともすれば相手の主張を排除する都合の良い言葉に化ける。
 同時に、権五キ(クォノギ)・韓国元副首相から聞いた言葉を思い出した。歴史家でもある権氏は「主流」を末代の評価に堪える普遍的価値として用い「ニクソン元米大統領が中国との緊張を緩和したのは、世界の主流を考えたから」「毛沢東を正面から捕らえた主流の本は中国にもない」と語った。主流とは批判を恐れず、かつ率直に批判を受け入れる骨太な度量なのだと力説した。
 そんなことを考えながら共同研究の発表を迎えた。馬朝旭・外務省報道局長は「論文は学者個人の観点で書かれたもの」と素っ気なく述べた。
 すべて制御して異論は表に出さず、個人的な仕事と断じる。幾重にも封じられた研究は中国民衆に届かなかった。
 権氏はこうも言った。「自国の歴史が常に偉大だったという史観に立てば、主流となるまともな歴史書は生まれない」。共同研究は続くが、真の「日中史の主流」を追求する作業をいつか見たい。


今、朝鮮学校の教育内容が話題になっている。朝鮮学校は北朝鮮から資金援助を受け、金日成と金正日の肖像画が飾られ、「ミサイル実験は人工衛星」とか教えているという。これが天皇陛下のご真影を掲げて、日本を神の国とし負け戦を連戦連勝と国民に報告していた、戦前の日本の愛国教育とどう違うのか、私にはわからん。

 朝鮮学校におかねだせといっている人は、戦前の日本のあの教育も認めるのだろうか。頭うだっとるな。
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