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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2010/02/27(土)   CATEGORY: 未分類
分断を癒す
 三年ゼミ生のK山くんがツイッターで、「センセ、映画『インビクタス』いいですよ。見て感想きかせてください」と言うものだから
 私「おお、行ったろうやないか」
 というわけで、見に行きましたインビクタス。
 ちなみに、なぜこのような会話がなされたかというと、自分非暴力の歴史を講義していて、そこで南アフリカについても扱っていたから。

 自分の南アの講義には、デンゼル・ワシントン主演の「遠い夜明け」(Freedom Cry)、マンデラの九十才記念につくられたジョセフ・ファインズ主演の「マンデラの名もなき看守」のハイライトは解説されるわ、ピーター・ガブリエルのBekoが流れるわ、私の授業はホワイト・リベラルまるだしである。やーねー。

 なので、クリント・イーストウッド監督、モーガン・フリーマン主演、マット・デイモンもでているとあれば、ホワイト・リベラル思想が満載と思われるため「インビクタス」を見に行くわけである。

 時代は1995年、マンデラが初の黒人大統領に就任した時点からはじまる。彼が大統領につく前の南アにおいては悪名高いアパルトヘイトが行われていた。

 アパルトヘイトとは、入植してきた白人が南アの政治・経済をにぎり、先住民の黒人たちは居留地に隔離し、その居留地を「外国」ということにして、彼らに移動の自由を与えず、白人と有色人種との混血も法的に禁止していた。

 なんでそんなことするかというと、民主主義で選挙やると圧倒的多数の黒人が政権とってしまうから。一割の白人が広大な敷地の豪邸にすみ、黒人はスラムの居留地から白人の世界に働きにでてメイドや庭師や単純労働について暮らしていくのである。ははは。

 で、結局欧米の経済制裁にたえられず、1991年だっけ? にデクラーク大統領が23年間監獄にほりこんでいた黒人の指導者マンデラを釈放して、アパルトヘイトを廃止して、黒人と手打ちして、1995年にマンデラが大統領についたわけである。

 余談であるが、アパルトヘイトの最中でも日本は「名誉白人」として南アと取引ばんばんしていました。今もビルマとしているし。日本人の多くはこういう時、理念よりも秩序が大事、無学な黒人の群が政権とるよりも、白人とおつきあいする方がらくだわ、と思うみたいね。でもね、それって時代劇で悪代官とか悪大名とつるんでいる御用商人、越後屋の役回りを国際社会でやっているということを忘れないでね。

 ビジネスがやりやすいか否かで政治をしゃべる人を見ると、「そういうことは人前でいっちゃいけないんだよおおおお。」といつも思う。よく考えて、あなたは倫理より金が大事って公言してるのと同じなんだよ。そういうことは威張っていうことじゃないんだよ。

 話を戻します。モーガン・フリーマン演じるマンデラは、とても知的な男。なんたってこの人23年の囚人生活で囚人仲間を知的に教育し、最後は無学な看守までファンにしたという経歴の持ち主。人の心をつかむのがうまい。

 まず、就任の日に、大統領府の白人の職員たちが荷物をまとめて去ろうとしているのをみて、「もし私があなたたちに報復しようとすると思っているのであれば、そのようなことはありません。新しい国を作るためにみなさんの力を貸して下さい」と頼む。

 あまつさえ、自分のSPに元公安の白人を指名する。公安はついこの間まで黒人をガチで殺しまくっていた白人支配の牙城である。今の中国と同じで南アでは投獄された黒人の死亡率が異常に高い。表向きは病死とされているが、本当の原因は拷問である。

 つまりマンデラは自分の身が白人と黒人のSPに守られていることを国民にみせることによって、新しい国は白人と黒人が協力して作るものであることを示そうとしたのである。普通だったら、元公安のSPなんて毒盛られそうで怖いところを、SPにしちゃうところが、マンデラのブレイク・スルーなのである。

 で、その年、南アはラグビーのワールドカップの主催国であった。南アのラクビーチーム、ボカは一人の黒人を除いてオール白人。応援するのも白人なので、黒人はボカを自分たちの国のチームと考えることができず、ボカの対戦相手を応援する。チームも弱くて士気は最低。

 このような状況を見たマンデラは、このよっわいチームをなんとかすることにより国民に元気をつけさせようとする。

 勝ちに乗じた黒人たちは、このラグビー・チームのユニフォームやシンボルをアパルトヘイトを象徴しているとして、新しい国のものに改めさせようとするが、マンデラはその決議の席にのりこんで、白人と黒人の対立をあおるようなことはやめるように説き伏せ、結果、僅差で変更は取り消しになる。

 ちなみに、こうやってマンデラがラグビーのために奔走するといくつかの公務は欠席するはめになる。こんな時、すっぽかされるのが日本と台湾なのには笑った。これは欧米がアパルトヘイト時代に経済制裁に加わらなかったアジアの国々にイヤミをいっているに違いない。水戸黄門がでてくると越後屋はお仕置きされるのである。

 で、大統領の女性秘書官に「今は黒人が多数派です。白人に気を遣うことはないのでは」と問われると、マンデラは「今もなおこの国を動かしているのは白人だ。彼らの助けなくしては、国は動かない。」と答える

 で秘書官が「じゃあそれは政治的な計算(political calculation)ですか?」と聞くと、マンデラふふっと笑って
 「いや人間的な計算さ(human calculation)」と答える。この言葉の持つ意味は徐々に見えてくる。

 そいでマンデラはラグビーの主将のマット・デイモンを大統領府に招いて、自分が牢獄で勇気をもらったというヴィクトリア朝期の詩をたくす。

 それが、「インビクタス」。内容がこれまた泣ける。


 私は今ぼろぼろである。状況も絶望的である。だけど、神は私に「負けない魂」をくれた。それを神に感謝したい。私の頭は血だらけだけど、まだはいつくばッてはいない。私は自分の運命の主人である。私は自分の魂の船長である


 ええわあ。マンデラはこの詩によって、牢獄にあっても、自分は獄につながれていようとも、魂は自由であること、自分の主人は自分であることを再確認していたのである。

 ちょっと断っておきますが、これロードショーなので全部記憶で書いてます。つまり、いい加減なので、正確に知りたい人はちゃんと見に行ってください。

 で、マット・デイモンはマンデラの知的な人柄にふれて、いままでの自分がもっていた、黒人に対する偏見を改める。そして、マンデラの意をくんで、貧しい黒人の子供たちにラグビーを教えにいったりする内に、ボカは徐々に南アの白人だけではなく、黒人にも愛されるチームになっていく。

 選手たちも、最初はやる気ナッシングだったのだが、だんだん変わってくる。そしてチームの士気が上がり、なぜかワールドカップで勝ち進んでいき(開催国で時差がないからかな 笑)、強いと自然と国中の声援をあびるようになってくる。
 
で、とうとう優勝しちゃうのである。
その瞬間、黒人も白人も一緒になってだきあってその勝利を喜ぶ 。
 マンデラの「人間的な計算」が正確に機能したのである。
 長年にわたるアパルトヘイトによって生まれた白人と黒人との間の分断をマンデラはラグビーを通じて癒し、一つの国にしようとしたのだ。
 まさに「分断を癒す」(Healing divide)。同名の財団をリチャギが運営していたわね。
 分断した互いが罵り合うのをやめて、互いを排除しあうのをやめて、互いの独自性を認めて平和に共存すること、黒人と白人に一つに国に属しているという感覚を持たせること。そうすることによって、黒人には白人に対する報復をやめさせ、白人には新しい国家の運営に協力させ、混乱が起きないようにマンデラははかったのである。

 で、エンディングもやってくれます。

 ここでは、ワールドカップの主題歌、「世界は一つ」が流れる。メロディーはあのジュピター。この名曲をポップスにしたのは平原綾香が最初かと思ったら、ぜんぜんこっちの方が早いし、内容もええ。

 この曲は、異なった信条、異なった肌の色があろうとも、それぞれを尊重しながら連帯する世界、「一つの世界、一つの心」を歌ったものである。

 ここでいう「一つの世界」は二年前のクサレ●京オリンピックの漢人スローガン「一つの世界」とはまったく似て非なるものなので、頭の煮えやすい方は気をつけてね。マンデラの一つの世界と、胡錦涛の一つの世界の違いがよく分からない人は、もっと教養をつんで自分の心を見つめてください。



 World in Union 連帯する世界

There's a dream 夢がある
I feel so rare, so real めったにないことだし、でも現実になると思う。
All the world in union  それは、全世界が連帯すること
The world as one 一つになること。
 
Gathering together みなで集まって
One mind, one heart心を一つにし、ハートを一つにする。
Every creed, every color あらゆる信条も あらゆる肌の色も
Once joined, never apart いったん連帯したら、もう離れることはない。

Searching for the best in me 私の中にあるもっともいいものを探しながら
I will find what I can be 私は自分がそうなれることに気づく。
If I win, lose or draw そうしたら、勝っても、負けても、引き分けになっても
There's a winner in us all みんなが勝者。

It's the world in union 連帯する世界
The world as one 一つの世界
As we climb to reach our destiny われわれは運命に向かってのぼっていこう
A new age has begun 新しい時代が始まる。

We face high mountains 高い山をこえねばならない。
Must cross rough seas 荒れた海をわたらねばならない。
We must take our place in history われわれは歴史を考えねばならない。
And live with dignity そして尊厳をもって生きねばならない。

Just to be the best I can 可能な限りいい人間になること。
Sets the goal for every man それはすべての人にとってのゴール。
If I win, lose or draw そうしたら、勝っても、負けても、引き分けになっても
It's a victory for all すべての人は勝利する。

It's the world in union 連帯する世界
The world as one 一つの世界
As we climb to reach our destiny 我々は運命へと昇っていく。
A new age has begun 新しい時代が始まる。


 ちなみに、南アの現実は厳しく、失業率、犯罪率が高止まりなままのは周知のとおり。今の大統領なんて本当にトホホで、南アが今後どうなるのかは微妙である。南アはその悲惨な歴史のツケを今払っている。しかし、歌詞にもあるように、「勝っても、負けても、善い人間になろうとする努力をやめない限り、みなは勝つ」のである。諦めた時が本当の敗北なのである。善い人間になることを諦めて、犯罪に走っているような愚民を教育して、南アよ、善い国になってくれい。
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DATE: 2010/02/23(火)   CATEGORY: 未分類
貧困なチベット・イメージ
民主・石井氏「鳥取、島根は日本のチベット」

2月22日21時30分配信 読売新聞
 民主党の石井一選挙対策委員長は22日、都内で開かれた川上義博・同党参院議員(鳥取選挙区)のパーティーであいさつし、「鳥取県とか島根県と言ったら、日本のチベットみたいなもので、少し語弊があるかもわからないが、人が住んでいるのか。牛が多いのか。山やら何やらあるけど、人口が少ない所」と述べた。

 川上氏が夏の参院選に向けて鳥取選挙区の候補者を発掘したため、保守地盤の鳥取での活動を評価した発言とみられる。しかし、会場からは「失礼だ」との声もあがった。


 ふざけんな、ゴルァ。

 石井さん、あなた明らかにチベットを「辺境」の意味で使っていますね。

 あなたにとって、チベットってただ人口の少ない土地って、それだけ? なにそれ。 
 あなた、チベットではどれだけ高度な哲学が発達しとるのかしってます?

 チベットの僧院に入って七歳の出家したての子とディベートしてごらんなさい、あんた五分でまけるから(タイムラグがあるのは通訳が入るから 笑)。
 
 あなたチベットの何も知らないでしょう。
 なのに、軽々にチベットに否定的なイメージをもたせて、さらには日本のある地域にレッテルをはるとは、二重の意味で失礼ですよ。

 特定の地域、人間集団(民族、社会階層、人種、ハダの色 etc)、これらに否定的なレッテルをはるなんて、まともな政治家ならやらないこと。

 かつては大新聞などでも過疎地域を「日本のチベット」と表現していたが、ここ数十年はその表現はさすがにマズイと使わなくなっている。

 そもそも諸外国におけるチベット・イメージは、雄大な自然、不老人のすむシャングリラ、利他の文明、神王ダライ・ラマの君臨する聖地など、否定的なイメージは微塵もない。

 この石井という政治家、スタンフォード大学で政治学を学んだというけど、これ本当かね?
 多種多様な民族によって構成されるアメリカでは、それこそ、特定の地域、人間集団に否定的なイメージをはることは絶対しない。政治家がやったらまじめに命取りである。この人がアメリカで何をしていたのか調べてみたら面白いかもよ。

 この人が「政治主導」を掲げている党の構成員であるというところが、この国の悲劇である。
 役人の支配を倒すのも結構だけど、政治家にそれにかわる能力があるんかいな。みんな政治家選ぶときもっと考えようよ。
 「かわいすぎる●×さん」とか「オリンピック選手」とか「諭吉を地元にもたらす」とかそんな基準で票を投じちゃダメ。
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DATE: 2010/02/21(日)   CATEGORY: 未分類
ボサツ・ミート・ボサツ
職場の入試が終わった。この期間受験生も大変だろうが、教師も大変。ちかれた。しかし、ダライ・ラマ、オバマ会談ニュースを報告。

 アメリカ下院議長のナンシー・ペロシ氏が、バラク・オバマ大統領がダライラマ法王と会談を持ったことを賞賛した(2010/2/19 phayul)。

木曜日にホワイトハウスでバラク・オバマ大統領とダライ・ラマが会談をもったことを、アメリカ下院議長のナンシー・ペロシ氏は賞賛する声明をだした。

「私は平和と非暴力のチャンピオンであり、尊厳、正義、あらゆる人間性に対する尊敬を体現するダライ・ラマ法王とアメリカ大統領が会談したことを賞賛したい。」

「ダライ・ラマ法王は智慧と慈悲の源であり、かつ、すべての人が生まれながらに担っている高潔な義務の力強い代弁者であり、地球上の人権を求める人々の力である。」

「オバマ大統領とダライ・ラマとの会談をもって、アメリカ合衆国とチベットの人々の間に存在する友情と密接な絆はあらたな章に入ることになる。アメリカ人として、我々は法王とチベットの側にたち、世界中の人々が自由に生きる権利を推進し、保護し続けなければならない。」

●ダライ・ラマは特別な構文をワシントンにもたらした
 2010/2/18 EST
 いろいろあったダライ・ラマ、オバマ会談が終わった直後に、ダライ・ラマはワシントンのホテルの外で突然の記者会見を開き報道陣に挨拶し、真珠のごとき智慧の言葉を賜った。しかし、それは報道陣の頭を時にはかきむしらす難解なものであった。

レポーターが「あなたの信念に対して中国政府が執拗な抵抗を示す事に失望したか」と問われるとダライ・ラマは笑いながらこう答えた。「重要なのは真実です」

「これは、いつ正義が実現するのかというような問題ではありません。価値あるものがある。だからそれを実現しようというもので、この目的が私の生きている間に実現するかどうかは問題ではありません」
 ダライ・ラマの幸せを祈る数百人のチベット人が集まり、チベット旗や祈りの旗をふりながら「ダライ・ラマのご長寿を!」「オバマさん、ありがとう!」などのスローガンを叫んだ。
 中国はまもなくして「強い不満」と「断固とした抗議」の意を表明した。

 ダライ・ラマはオバマ政権がダライ・ラマの努力を公的に支持することを喜び、その支持が実際にどう機能するかについては「時が答えをだすだろう」と述べた。

 ダライ・ラマはトレードマークのくすくす笑いとともに「政治のフィールドではオバマ氏は私より目上だが、精神的なフィールドでは私が上だ。わたしは大統領と国務長官にこう言ったよ」

 ダライ・ラマは「チベットは経済的な観点から中華人民共和国の一部に留まるべきだ」としながらも、「チベット独自の文化遺産は維持されるべきだ。情報統制を含む北京政府の子供っぽい政策は、世界でもっとも人口の多い国を非現実的な期待をもつものにしてしまった。」と中国に対しては厳しい言葉を用いた。

 そして、中国は超大国になろうとしており、その際にソ連という悪い例を手本にしているとも付け加えた。

 「アメリカは超大国だが、開かれた社会だ。民主的で、独立した司法もある。このような超大国は人々の信頼や安心をもたらしてくれる。中国は人々に幸福、満足、安心、やすらぎをもたらす超大国になるべきである」


というわけで、観音菩薩ダライ・ラマとアメリカ大統領オバマ菩薩との会見がめでたくも18日に実現した。この会見は、ノーベル平和賞受賞者どうしの会見という意味でも、米中関係がビミョーな時に、チベット側につくことをはっきり宣言したという意味でも重要であろうが、何より、

オバマさん、あんたいい業(カルマ)を積んだよ。

フェイス・トゥ・フェイスで会うことによって、ダライ・ラマは精神的にオバマさんにいろいろな意味での影響を与えたことであろう。この業が熟して結果がでる時、それが今生か来世かは分からないけど、きっといい結果がでる。

法王がおっしゃるように結果はすぐにでないかもしれない。しかし、価値があることを実現すべく努力すること、それが重要なのだ。

非暴力・不服従という戦い方は、それを理念やビジョンに掲げた聖者が、自らの信条に同調するものを増やしながら、最終的に巨悪を改心させていくものである。これは、たとえていえば、代替医療のようなもので、人類の体質を包括的に漸次向上させていき、病にかかりにくい体をつくっていくことに貢献する。

一方、正義を掲げた軍隊が巨悪を倒すのは、西洋医学の手術のようなもの。うまくいけば病巣をえぐりとって劇的に病気が治癒することもあるが、体力が弱って別の病がひきおこされる危険、または、体力がおちて死んでしまうという結末もありうる。

オバマ、ダライ・ラマ会談はまさに前者。代替医療として人類にきいてくる。

なので、この会談がすぐに何を生み出すかよりも、それが長期的に人類史に与える影響について考えた方がいい。

報道陣はまさに目先のことばかりみているから、ダライ・ラマの発言がわけわかんなくて「頭をかきむしる」ことになるのだろう。
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DATE: 2010/02/17(水)   CATEGORY: 未分類
愛とメダル
 今日のエントリーは何かを論じるというよりはつぶやきに近い。
 
● 昨晩、ダンナ様に「最近地震がないけど、もしあったらすぐ起きてお鳥様たちを鎮めてよ。私は喘息あるので騒いでいる小鳥の部屋には入れないから」といったら

 なんと今朝早く、千葉県東南沖で震度三の地震があり、ごろう様(オカメインコ♂)たちがパニックをおこした。

 しかし、ダンナ様がめずらしく飛び起きてお鳥様を鎮めてくれたので、流血の事態は防げた。
 去年の年末の地震ではごろう様は左の羽を三本痛めたので、今回は上出来である。
 いつもは寝る前にあんなことはいわないので、自分軽めの予知能力があるのかもしれない。
  もしあるとしても、自分が大切に思っている範囲内の生き物に限定であろう。ハイチ地震の時は毛ほども予感がなかったから。つか世界中の災害にいちいち反応していたらウツになるわい。
 
● さーて世の中はオリンピック一色。NHKのニュースもオリンピックのライブ中継でカットされている。しかしこれでいいのか、伝えるべきニュースは本当にないのか。何にせよ、ダライ・ラマ法王のワシントン訪問だけはちゃんと伝えてほしい。もしNHKがやらなくてもパユルを用いてここで解説しちゃうもんね。

 オリンピックは本来、殺し合いをスポーツの競いあいに変えるという理念を持つため、古はオリンピック期間中は交戦国同士でも停戦したという。

 しかし、二年前の腐れ北□オリンピックの開会式の日にはロシアがグルジア(南オセチア)に侵攻するは、ド外道な開催国はチベット人を弾圧するわ、今回もアメリカはアフガン戦をばりばり続けていてタリバンナンバーツーを拘束するわで、停戦の美風は失われている。

 世界中が比叡山焼き討ちの織田信長状態である。朝青龍ばかりか世界が伝統に敬意を表していない。
 

● 昨日しったんだけど、フィギュアのペアのロシア代表の川口悠子選手ってオリンピックでるためだけにロシア国籍を取得したんだってね。
 
 私はペアの相手と結婚して国籍とったのかと思ったけどどうもそうでないみたい。愛によって生まれた地を捨てて異国に嫁ぐのはなんかすごくアリだけど、メダルほしいから国を変えるってなんか微妙に共感できない。

 たとえていえば愛には自己犠牲の美しさがそこはかとなくあるが、メダルって何かこうちょっとその逆というか、カネとか名誉とか自尊心とかそんなものを感じる。日本の男が華奢で彼女を四回転半まわす腕力がないからこんなことになったのだろうが、だからといって国籍まで捨てるとわ、まあでも異国に飛び込んでスケートと結婚したのだと思えばこれも自己犠牲を伴う愛の一つ。外野があれこれ言うものじゃないね。

 でも個人的には井上怜奈/ジョン・ボルドウィンペアの物語の方が心がなごむ。あのアフラックのがん保険のコマーシャルにでていた女の子である。

 彼女、二十歳くらいで父親をガンでなくし、自らも二十代前半でガンに罹患する。それでもスケートを続けるためアメリカで闘病し、ペアの相手から氷上のプロポース。欧米人ってこういう演出好きだね(笑)。

 で、二人は結婚して幸せなんだけど、今回ギリギリでオリンピックにでられなかった。でも、そのコメントがよかった。「これからは二人の間に生まれた子供にスケートを教えていきます。」

 同じようにスケートのために国籍を変えた話だが、こちらはは文句なしにええ話や。だって二人は幸せなんだもん。

 川口選手の話がいまいちひっかかるのは、オリンピックにでるためだけに国籍を捨てて、でもメダルがとれなくて彼女がいま後悔していないかと誰もが心配になるからだろう。

 まあ、彼女のガッツがあれば次のオリンピックで金メダルとって、ロシア人のイケメンと結婚することだろう。逆境は成長のチャンス。

 ダライ・ラマ法王も言っておられる。つらい体験は人格成長のチャンスになる。絶望からは何も生まれないと。国をうしなっても世界中の人に愛されている彼ならではの言葉である。川口さんが心の底から笑顔になれる日を待ちたい。

 
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DATE: 2010/02/12(金)   CATEGORY: 未分類
目覚めよ日本の知識人
ごろうちゃんページアップしました(ここクリック)。神秘的な愛のおまじないを伝授してるよ!

今週の日曜日、14日はチベット暦のロサル(信念もとい新年)である。チベット暦は太陰太陽暦で旧暦とは微妙にずれるのだが、今年は旧暦の正月とたまたま重なっている。
 チベット社会では新月の新年一日から満月になる十五日まで、一年で一番もりあがって、すべての命あるもののためにお祈りをし、僧侶の昇級試験が行われ、法王のお釈迦様の前世譚講義が行われる。

 51年前のチベット人蜂起もムンラムの熱気さめやらぬチベット暦正月15日後に起きている。

 さて、光源寺のご住職から封書が届く。

 光源寺(最寄り駅南北線本駒込駅下車徒歩結構すぐ)は江戸名所図絵にも登場する駒込大観音で名高い浄土宗の古刹である。先代のご住職が早大仏教青年会ゆかりの方でもあることから、知己を結ばせて戴き、その後、ご住職が「ためしてガッテン」にでていたことを偶然テレビでみて、ブログに書いたこともある。

 そう、光源寺のご住職はためしてガッテン公開実験によってお墨付きをうけた人格者である(詳しくはこのエントリーを見てね!)。

 ご住職は私が光源寺に参詣する前から私のことを『ダライ・ラマの仏教入門』の訳者としてご存じであり、ダライ・ラマ法王の講演会にも出向かれるなどチベット・ファンである。そのせいか私が伺った折りにも非常に温かく迎えてくださった。

 光源寺はその境内で一年に一度、ボランティアの集まりで構成されるほおずき市が開催されており、また、境内を劇団の興行に貸し出したりもしている。このことからも分かるように、光源寺はご住職が人格者なばかりか、昔ながらのお寺の機能(芸能や市によって人の集まる場をつくる)を保つ希有な寺でもある。

 そのご住職のお手紙に曰く、

「当山の近くに住む女性が〔デレグ・リンポチェ解放の〕アクションをしたいとおっしゃったので、喜んで了承しました。この女性は〔北京〕オリンピックの際にも、一人で当山門前にローソクを並べ、中国への抗議をしたガッツのある静かな方です(後略)」

 美しきかな。

 デレグ・リンポチェについてご存じない方、以下簡単に説明。

 デレグ・リンポチェは、1950年に東チベットのリタンに生まれて、1980年代にダラムサラにいきダライ・ラマの講話を聞き、南インドの再建デプン代僧院ゴマン学堂(あのゴマン学堂!)で六年間勉強した。
 そのあと、奇特にも本土チベットに戻り、中国に破壊された僧院の再建にあたったり、チベット人のための小学校を開いたりしているうちに、その令名は高くなっていった。
 
 したら、2002年12月2日、中国政府はデレグ・リンポチェが爆破事件に関与したと逮捕してさらに死刑判決までだした。デレグ・リンポチェは一貫して無罪を主張していること、ダライ・ラマの教えを受けた高僧が爆破事件なんかに関与するかよ、というわけで、世界中で彼を救うためのキャンペーンが行われた。
 
 その甲斐あって、2005/1/26、中国政府は減刑に応じたものの、いまだリンポチェは獄中にある。で、彼が開いた小学校は今や漢人の養鶏場になっているそうである(詳しくはチベット式のこのペーじ見てね)。
 
 去年も彼の解放を求めるデモがアムドで行われるなど、東チベットの人々も獄中のデレグ・リンポチェの健康をみな心配している。

 というわけで、2/20(土)に光源寺の山門外にてデレグ・リンポチェの解放を求める〔私が聞いたところでは一人〕署名活動が行われるそうです。物品の販売や寄付の依頼はしないそうで、雨天中止だそうです。

 近くにお住まいの方、署名に来て下さいね~。近くなくてもきてね。テンジン・デレグ・リンポチェで検索してネットで署名も可ですよ。

 しかし、デレグ・リンポチェのこの件にしても、中国政府がチベットで行っている武力支配にしても、日本の新聞も学者もみな静かだね。欧米の人権団体にはデレグ・リンポチェはよく知られているのに。

 最近朝日新聞とかが、戦中の治安維持法に基づく最大の言論弾圧事件「横浜事件」の再審の話題を大々的にとりあげている。

 日本が敗戦までに行った数々のみっともないことを今になって思い出すことは悪いことではない。日本が再び過去の過ちを犯さないためにも記録に残すことは重要である。

 しかし、今の日本、それこそ言論の自由は売るほどある。
 どのくらいあるかというと、元ミャンマー大使が、自らはミャンマーに中小企業の投資を促すNPOの長とかやっているくせに、「自分は軍事政権にも民主勢力にも荷担しない中立である」と強弁し、アウンサン・スーチー氏をおとしめるような発言を週刊新潮でするほどである。

 この国の言論は今や底が抜けたという表現がぴったりなくらい自由である。

 政治家がNHKの番組の構成に口を出したとか出さないとかで言論の自由が侵されたとかいうとるけど、マスコミが中国を報道する際に行っている報道規制の方がよほど深刻だよ。

 「言論の自由」を重要であると思うのなら、今、現在、言論の自由が弾圧されている人々のためにも発言するのが筋ではないか。

 平和平和とのたまう方も、すでにこの上なく平和な日本で観念的に平和を叫び続けるよりも、核を持っている上に毎年毎年軍事費を上積みしつづけ、力によって諸民族を恫喝し続けている隣の国に向かって、発言し善導すべきではないか。

 隣におかしな人がいなければ日本だって武装する必要はないのである。

 今の中国共産党あり方が末期の国民党政府とどう異なるのか私にはようわからん。

 日本の学生運動は過去にあの国の革命を礼賛し、チベットの人々を見殺にした。このことを今少しでも後悔している人がいるなら、日本国内で言論の自由や平和を叫ぶよりも、あちらの国に実際に体を運んで、草の根で環境問題、人権問題、道徳教育、民族自決などを説きに行ってくれい。
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DATE: 2010/02/08(月)   CATEGORY: 未分類
ナショナリズムの陥穽
朝青龍が引退をしたことにモンゴル人が大怒り。その論調は限りなくナショナリスティック。
「日本は思い通りに朝青龍を使い捨てにした」
「日本人は伝統的なスポーツの頂点にガイコクジンがいるのが気に入らないのだ」。
日本にもひいきを引き倒す大衆が一定数いるが、モンゴルも同じだな。

 朝青龍が外国人だから問題になったのではありません。嘘をつく、酒癖が悪い、暴力的、そこが問題になっているのです。問題すりかえないで。

 朝青龍はモンゴルでは英雄なので引退後はモンゴルの大統領もねらえる、とのことだが、嘘ついて公務を休んだり、泥酔して人をなぐったり、他人の国の文化を踏みにじる人が、大統領になってそれがモンゴルにとっていいことなのか。

 隙だらけになってどことを言わないが隣の国に制圧されるよ。

 こういう騒動を見ていると私は昔を思い出す。昔といっても歴史家なので自分が専門とする18世紀である(笑)。

 18世紀初頭、ダライ・ラマ七世を御輿に奪い合って、青海ホシュート、清朝(満洲人)、ジュンガル三者が争った。ホシュートとジュンガルはチンギスの血筋ではないがモンゴル系の言葉をしゃべる部族である。結局1720年に、青海ホシュートと清朝が連合して、ダライ・ラマ七世を即位させて状況が落ち着いた。その時、清朝は伝統的にダライ・ラマの大施主の座にいたホシュートをたてて、青海ホシュートの誰がチベット王(王といってもチベットではダライ・ラマの下)の地位にふさわしいかを現地の官僚に観察させた。

 その報告書が残っているのだが、これが大笑い。リストにあがる人とにかくみな酒癖が悪い。乱暴で、その描写がいかにも細かいのなんのって。で結局清朝皇帝
「ホシュート王家の誰にまかせても不安」
ということで、地域の安定のためにホシュート排除することを決め、かくして1723年にホシュートは清朝に制圧されて清朝内部に組み込まれたのである。

 歴史に「もしも」はタブーだが、ホシュートに一人でもまともな人がいたら、清朝皇帝は伝統に則ってホシュートにチベット王の座を返したろう。

 モンゴル基準では酒飲んで豪快に暴れ回るのがアリだとしても、それで国際社会を乗り切れるかっつーと、はなはだ疑問。ちなみに、中国よ、アンタにも、なにもかも自己中心的に考えて他者を排除する中華思想があるが、これも国際社会で通用しないよ。

 つか、通用した瞬間に世界が終わるわ。

 国際的に通用する、人種も国境も宗教もなにもかもこえて通用するアジアのリーダーと言えばダライ・ラマ法王である。ダライ・ラマがいかに普遍的であるか、昨今のネタとしてはハイチ地震に対する法王の対処があげられる。

 ダライ・ラマ法王はハイチ地震の被災者に対して哀悼の意を表し死者のために祈りを捧げ、さらに、20万スイスフランを国際赤十字社および赤三日月社を通じて寄付した。

 赤十字とはご存じ1901年の最初のノーベル平和賞受賞者であるアンリ・デュナンによって創設された、敵味方、国籍関係なしに治療をする国際医療機関である。二つの大戦を通じてノーベル平和賞該当者ゼロの年がつづいた時も、国際赤十字は二度も受賞をしている。また、日本では皇后様が名誉総裁を務めていることからも分かるように赤十字は非常に毛並みのいい歴史ある人道団体である。

 で、十字マークはキリスト教のシンボルなので、イスラーム諸国で活動する医療団体はイスラームのシンボル三日月を赤くして、赤三日月社という。つまり、ダライ・ラマがこの二つの機関を通じて寄付するということは彼の宗教・文化に対する偏りのなさをよく示している。

 じつは、法王はこの地震に限らず、世界中のありとあらゆる災害の被災者に対してメッセージを発している。そればかりではない。独裁政治の被害者である劉暁波、アウンサン・スーチー氏らに対しても自分は味方であるとはっきり態度を表明し、宗教、国家、人種、体制の違いをこえて普遍的な愛を発信してきた。

 特定の国や民族の利益を声高に叫ぶナショナリズム、特定の宗教の立場から他者を攻撃する宗教原理主義、特定の境遇にある集団の権利を叫ぶ人々、これらの人々は自分の延長にあるものに対して権利を主張しているであって、他の人々の幸せはよくて無関心、悪くて敵対するようなスタンスをとる

 ダライ・ラマもチベット難民社会も我々が陥りがちなこのようなエゴの陥穽にまったくおちていない。チベットの文化がいかに愛すべきすばらしいものかこれ一つとっても明かであろう。

 聞くところによるとハイチは国はあるものの19世紀初頭の独立以来ずーっと紛争続きである上、今回の地震が首都を直撃したため、国家の体をなすことすら難しい状態だという。そいえば、前に北の将軍様のご長男、キムジョンナムが東京ディズニーランドに遊びに来た際に(笑)携帯していたパスポートがドミニカ共和国だった。このドミニカ共和国ってハイチの陸続きの隣。ドミニカもハイチもこんなカンジでほいほい偽造バスポートを出すので不法移民の中継国となっている。

 震災直後、老人や女子供をどつきとばしてハイチの男たちが支援物資を奪い合っている映像を見て、「うわっこの国だったら、チベット難民社会の方がはるかに秩序もあるし人間性も豊かだわい」と思ったが、法王がハイチに寄付するのを見てさらにその感を強くした。

 法王は難民である。

 ご自分の民も困っておられるのに、さらに弱いものがいると聞けば手をさしのべるのである。それを行う法王に対して難民社会も「人にやる金があるならオレたちにまわせ」とかエゲツナイことを言ったりしない。法王を心から敬愛しているし、法王のつくった学校で「自分より他人をまず思え」というモットーを子供の頃から教えこまれているからである。

 若い男が女子供をどつきとばしているところをみると、ハイチでは教会も学校も国民の教育に成功していない。ハイチには国民の手本となって善行を行うような人もいないのだろう。この事件で思い出すのが、2002年に北朝鮮の若い夫婦と幼い娘が日本総領事館に駆け込み亡命を図ろうとした事件。一部始終は領事館の監視カメラが記録していた。これによると、奥さんと小さな娘が中国の警察につかまって子供は火が付いたように泣いていたのに、父親は後も振り返らず自分一人だけ領事館にダッシュで駆け込んでいった。

 この場合、子供を抱いて走るのはダンナの役だろう。また、女房子供がつかまって泣き叫んでいたら戻って戦うのが父親のつとめだろう。よくほっとけるな。これみて「ああ、北朝鮮って本当にひどい国なんだなあ」と思った。

 でも日本だって程度の差こそあれ、自分のことしか考えない人はいるだろう。だから、それの陥穽に陥らないように、人がやっててみっともないと思うようなことを自分がしていないか、常に自己ツッコミをいれながらチェックする。そして、人がやっていてすばらしいと思うことは、いつかは自分もそうできたらと思えるようにする。

 そうすることの積み重ねが、諸方に通じる人格を作り上げ、その集合体としての日本が、世界から愛される国、尊敬される国になることにつながっていく。

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DATE: 2010/02/03(水)   CATEGORY: 未分類
馮さん故郷に帰る
 ハイチ地震救援のため、あの名曲We are the worldが再びリメイクされる。思えばアフリカ飢餓救済のために24年前、あの曲がマイケル・ジャクソンによって作られて四半世紀。21世紀のWe are the worldは古い参加者プラス新たな参加者を加えて歌われる。

 バンクーバー五輪の初日にテレビで流れるそうで、今から楽しみ。オリンピックはやはり、ナショナリズムよりもヒューマニズムがよく似合う。

 さて、中国の人権活動家、馮さんがめでたく上海に帰国することと相成りました。知らない人はいないだろうが、念のために解説すると、彼は去年何度も中国への入国を上海の当局に阻まれており、それに抗議するために日本にも入国せず成田の入管に九十日もの間、籠城していたものだ。

 つまり、九十日間もの間フロにも入らず、夜はベンチで寝て、昼は窓のない入管スペースで抗議の立てこもりをしていたわけ。これを聞いた時、オッサンにしかできない抗議法だと思った。女性だと90日フロに入らない時点で、「90日フロに入らない女」というイメージが先行し、取材者もそちらに気を取られて、主張内容への関心が相対的に下がるだろう。  

 で、馮さんのことを中国領事館は無視し、日本も早く立ち去ってください、みたいな公文書を毎日手渡すへたれな対応をしていたのだが、彼の意志は固く、さらにツィッターで自分の状況を発信しつづけたため、全世界から日用品、食料、義援金が集まり、BBCにワシントンポスト、香港フェニックスなどが取材に殺到した。
 馮さんのツイッター見ていたら、客室乗務員のおねえちゃんが、いろいろ温かい食事をもってきてくれたり、多くの旅行者が支援者から渡された品々を彼に届けつづけていた。かくしてこの90日の籠城は可能となったのである。

 入管はあの世とこの世の境であり、どこの国にも属さない領域。ネットの世界もマスコミも同じようにボーダレス。そして、ヒューマニティーも国や人種や階層を超える。この馮さんの身を捨てた抗議はこのボーダレスな空間を通じて多くの良識のある人々の心を動かしたのである。

 ここに至って、さすがに日本も動かないわけにいかなくなる。で、先月二十二日に民主党の牧野聖修議員が馮さんを訪問、そのあと話がついたようで、本日二時彼は日本に入国して、中国への帰りのチケットを買いなおし、春節前には老母のいる上海に帰ることになるそうな。重畳。

 牧野さんは古くからのチベット支援議員でチベット問題を考える議員連盟の長をつとめていた方である(落選期間をのぞく)。おそらくは牧野さんの訪問がどこかを動かした結果であろう。政治家の名前はその行動の一つ一つで作られていく。今回の件は牧野さんの名を非常に挙げたと思う。

 チベットを支援することはそれが彼のような議員さんであっても、俳優さんやアーティストであっても、じつは実利的なメリットはほとんどない。議員さんだったら票につながるわけでなし、俳優さんだったらそれで人気があがるわけでなし(それどころか日中共同製作とかいう番組では外される 笑)。
 それに相手はあの中国だから不愉快な思いをすることは決定。

 だから、それでもチベットを支援しよう、中国の人権活動家を支援しようという人は、奇特なのである。

 また、馮さんもえらい。90日もの籠城は生半可な意志でできるものではない。彼のツイッターに書かれていたことだけど、去年の大晦日、彼の九十になる母親はお兄さんの家に一時帰宅していて、彼のケータイに母親が出た。母親は馮さんが成田の入管で籠城していることを知らない。年が年だけに心配はかけられないからだろう。そのあと、入管の電気がすべて消えて一人になったという書き込みを見て、このオッサンは本当にタフだと思った。

 自分のことだけを考え、我を通すためだけに生きている人からは、人もモノも遠ざかっていく。しかし、人のためになることで自己を犠牲にする人のまわりには、自然と人が集まり、モノがあつまり、意識の高い人々の善意の輪ができる。馮さんの場合は中国公民の権利とか、中国の民主化とかのために戦う意識が、この過酷な籠城を耐えさせたのであろう。

  あ、人権とかチベットのために動くことは何のメリットもない、と言ったけど、あったわメリット。福島香織さんもおっしゃっていたけど(あ、年賀状ありがとうございました)、知名度が上がると当局に一服盛られる危険性が下がる (笑)。あと逮捕された時にもゴーモンされることもたぶんない。人の目のあるところに犯罪はないのである。でも、言っててむなしい・・・

写真は馮さんのツィッターから「最終日の記念撮影」

ふうさん

 
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