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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2009/12/29(火)   CATEGORY: 未分類
アポ・ガワンジクメ死去
12月23日に北京でアポ・ガワンジクメ氏(99)がなくなった。

 この人物は1936年に26才で旧ダライ・ラマ政府の下で働き初め、1950年にはラルにかわってアムド(東チベット)総督に任命され、同年アムドになだれこんできた中国軍に戦わずしてチャムドを明け渡し、1951年にダライ・ラマ14世の同意なく17条協定の調印を行った人物として知られている。

 その後も中国政府の支配下にあるチベットにおいて要職をつとめ、ドキュメンタリー映画『達頼喇嘛』(アカデミー賞監督スコセッシが1997年に製作したダライ・ラマ14世の自伝映画「クンドゥン」に対抗して中国政府が製作したダライ・ラマを封建領主とするプロパガンダ映画)にもバリバリ登場している。

 アポ氏の生涯の詳細はGoldsteinのA History of Modern Tibet 1913-1951、ツェリンワンゲルのA Witness to Tibetan Historyなどをみてね。

 こんなアポさんですから、 当然、中国メディアはアポ氏を祖国(この場合の祖国は彼らのいう多民族国家中国を指す)への貢献者として死亡記事を流しました。しかし、一方のチベット亡命政府もアポ氏は「パンチェンラマ同様、チベットの言語と文化をまもった愛国者(この場合愛すべき国はチベットを指す)」と称え、旧チベット政府の官僚の死を悼んでいます。

 パンチェンラマが1989年になくなった時もそうであったが、亡命政府は中国共産党の制圧下にあって行動にも言論にも制約を受けていたチベット人の要人を悪く言うことはない。とにかくいいところを見つけて随喜する。パンチェンラマは実際あの環境下でよくがんばっていたし。

 実は20代の頃、中国蔵学研究中心(北京にあるチベット学研究センター)の記念学会でアポ氏とお会いしたことがある。この学会については何年か前にもちょと触れた

 この学会のパーティ・ゲストとして呼ばれていたのがアポ氏。おじいさんがきて一人一人と握手をしていたので、とれあえず握手したら、後で聞いたらなんとあのアポさんとな。余談だけど、この学会の出席者はほとんとが中国の意をくんだ発言をする学者たちで、欧米からきたわずか十数人の学者はプロパガンダ学会にどんびきして固まるうちに、互いに仲良くなった。

 で去年。チベット学者が中国政府に対してチベット政策を改めよ、と呼びかけたあの文書に署名した学者たちは、この時の学会にでていたメンバーがかなりかぶっている。プロパガンダとは、信じ込んでそのまま影響をうける人もいるだろうが、それがウソであることを知っている人はかえって奮い立つことを忘れてはならない。真実はウソよりもつねに強いのだ。

 というわけで、アポ氏と握手をした貴重な体験を懐かしく思い出しつつ、物持ちのいい自分はその時の学会でもらったお土産をまだもっていたので、公開。伝統的なチベットの筆記用具はいいとして、ショルダーバッグに「中国ラサ」って書いてあるのがお茶目である。
miyage

 09年ももう終わり。よいお年を、そして来年もチベットをよろしくお願いいたします。
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