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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2009/11/18(水)   CATEGORY: 未分類
「生きる」
 いろいろな意味ですごいメールを頂戴しました。
メールの主のNさんは四人兄弟だったが、母上が子供の頃に蒸発し、父上はそのあと精神的に不安定になり、自殺未遂を繰り返し。Nさんの言葉を借りると
父はそのままICUから精神病棟に入れられ、実家は荒廃。兄妹はグレるヒマもありませんでした。
当時流行った「積み木崩し」な世界や、今流行の「引きこもり」がとっても羨ましく思います。
あれは結局帰る家、甘える相手がいて成り立つのかと思います。
」と、とにかくさんざん苦労をされた。

 そして、後にその蒸発したお母さんがガンを発症したことがわかり、その介護を長女であるNさんがすべて引き受けることとなる。介護疲れのあげく自殺した清水由貴子の場合は、母親が女で一つで彼女と妹を育てていて、介護するにしても「してあげたい」という気持ちが多少はあったであろうが、Nさんの場合は自分を捨てた母親の介護である。その心情や察するに余りある(他の兄弟は逃げた)。Nさんの大変はこれにはとどまらない。彼女は結婚して、お子様にも恵まれたのだが、そのお子さんには障害があった。その介護疲れからNさんも心臓病を発症。

 そのようなNさんがチベットに出会い「何かしたい」という気持ちになって里親制度に協力して下さるという。

 彼女のメールで興味深かったのは、Nさんがチベットにひかれた理由として、お坊さんの「教え」は難しいので理解できている自信はないが、「お坊さんたちの生き方」に感銘を受けたから、という件である。

 西洋人が、チベットを支援しようと思う契機となった時、あげる理由はまさにこの「彼らの人としてのあり方」に対する尊敬の念である。チベット文化がいかに普遍的かがここからも分かる。

 Nさんの苦難は自分の病、お子さんの障害を初めとして一気に解決できる問題ではない。ダライ・ラマがよくおっしゃるところの、「何か問題があった場合、解決できるなら全力で対処せよ、しかし、何も対処のすべがないなら、思い悩んでも仕方ない」という場合の、後者である。

 こうなったらダライ・ラマもおっしゃるように、シャーンティ・デーヴァの「忍耐」の章を修めるしかないであろう。そのような意味でも、Nさんが最初にであったチベットの法話がこの「忍耐」の章であったというのも何かの縁であろう。

 チベットと出会うことによって少しでもNさんの心が軽快になっていくことを願ってやまない。

 以下にメールを引用します。〔〕内は私の補い、・・・は本文の省略。二本のメールをまとめて一本にしていますが、基本的には本人の言葉は触っていません。

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私とチベットの出会いは20年ほど前になります。
高校の同窓生にヒマラヤ料理のお店があるから行ってみない?と誘われたのがキッカケでした。カレーがおいしく、店の壁にはささやかに、でも誇らし気にダライラマ法王と一緒に写った写真が額に飾られていました。

 店長さんは気さくなおじちゃんだったので、女三人あれこれたわいない話をし、何気に「法王さまとお会い出来るなんてすごいですね~、私も会ってみたいなあ」と話したような。・・ その後、チベットはぼんやりと意識の彼方にありました(すみません)。
 そして、時は飛び、今から2年半ほど前。
 私の住む町にも〔ギュトー寺のお坊さんたちの巡業〕チベット・スピリチュアルフェスティバルが来てると知り、息子を連れてお邪魔したのが丁度中日だったような・・・

 チャド・リンポチェ、ゲシェ・タシと愉快な仲間たち(10人のお坊さん)と、あのヒマラヤ料理店の店長さんJさんに再び出会い、私は「自分の中にあると思っていたもの」をぶっ壊されたような衝撃を受けました。

 リンポチェは入菩提行論の「忍耐」の章のお話をなさっていましたが、当時の私には(いや、今もだ)理解出来る訳もなく、何に感動したのか?と言われたら
「彼らの生き方」そのものとしか答えようがありません。

 実は私の息子は今年養護学校小学部1年生になりました。お察し頂けると思いますが、健常とはほど遠い障害児です。

こんな私たちなのに、本当に彼らは温かく迎えてくれました。

 若いお坊さんたちは制作途中の砂絵を間近で見せてもらったり、「ぼくがこの子を見ているから、お母さんは〔チャド〕リンポチェの話を聞きに行ってらっしゃい」と息子をお坊さんの控えの間に連れてって遊んでくれたり・・・しかも自然なんです、全てが。はっきり言いますと、日本人でここまでする人、見たことありませんでした。
今もいないです。

 彼らの病気や障害を特殊に見ない視線も、同じ病院に通っていても何かと線を引きたがる日本人ばかり見てきた私には、目からはウロコでした。

 そのときの灌頂〔の本尊〕は薬師如来さまでした。イベント途中でお話するようになった、カソリックのおばさまから「あなたたちに丁度良いから、受けてみたら?」と誘われて、あんまり深く考えずに、でも「これはありがたいことだ」と漠然と感じながら〔灌頂を〕受けました。

 フェスティバルが終わり、私たち〔親子〕には再び訓練・通院の生活が始まり・・・折しも北京オリッピックの開催を前に騒がしくなり、20年程前チベットを知ったときとは違う感覚が中で騒ぎ出しました。・・・彼らと出会ったのも何かの縁だし、私たちに出来ることをしよう。

で、したことと言えば、息子が通っていた肢体不自由児通園施設の出席ノートの表紙に、ばーん!とダライラマ法王&ポタラ宮のイラストを描いたこと(隅に小さくお坊さんたちと一緒に写った写真も添付)。母子同伴の通園施設だったので、お母さんたちは勿論、先生たちも毎日それを目にすることに・・・生まれて初めて買った携帯電話のストラップをフリチベ仕様にしたこと。
我ながら地味な意思表示だったですが・・・
お金がないので図書館でしつこく法王さま関連の書籍を借りまくりました。
息子の介護と私の脳みそのキャパを言い訳に、同じ本を何度も読んでもいつも
フレッシュな自分が悲しいのですが、とりあえず細々と続けています。

そして、・・・今月頭に法王さまの謁見を賜る機会を賜りました。
・・・勿論極秘裏にです・・・
法王さまは、知能的にも底辺を彷徨う息子に、不勉強で無学な母親のところへ、まさしく「降りて来てくださった」仏様でした。

緊張のあまり、カタを差し出すのも忘れた私。法王さまは構うことなく子どもの頬を触って微笑みかけ・・・その瞬間、全てをお察しになったのでしょうね。すっくと姿勢を私の方に向き直すと、右手の人差し指をいつものように上を指差してチベット語で何やら話し始めました。

〔通訳の方によると〕「(こういう子どもが生まれてしまったのも理由がある、と前提に話されたような・・・)こういう話を聞かされるのは辛いかもしれないが、カルマを受け入れなさい。チャンドラキールティー、シャンティディーヴァの「入菩提行論」を実践なさい、とおっしゃってます」

法王さまは肩を貸してくださいました。
借りた肩でオイオイ泣いてしまった私に、法王さまは私の頭を引き寄せ、額を額をくっつけてしばし沈黙し・・・余りのサプライズに目を開けることが出来ず、でも周囲のSPさんたちが固まっている雰囲気は肌に痛いほど感じました。

・・・息子がこの体で生まれてくれなかったら、2年半前のスピリチュアル・フェスティバルにも参加しなかったでしょう。
法王さまのことも遠い国のお話程度だったかもしれません。
北風と太陽よろしく、太陽を知らないまま、私は未来永劫憎悪の呪縛から放たれることはなかったのだろうな、と思います(いや、今も煮えることはありますが)。

何と申しましょうか、息子がスペシャルな体で生まれてきたことも、人生一見「ええ?」と思えることにも実は感謝なのですね(いや、こう思えるのにも激しい内部時差があるのですが)。
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