長田さんとトーク
しかし、よく考えてみたらヘンな学者である、自分。
講演とかは普通の学者でもやるだろうが、ミニシアターでのトークって、普通文化人がやるもんじゃない?
相方の長田さん(I Love Tibet主宰)とはもはやいつが初対面かも覚えていない昔からのおつきあい。こんな二人のダラダラ内輪話を聞きたがる人がいるというのも時代が変わったのか、チベットが悲惨ということか。
まあ、コアなチベットファンが増えたのだろうと好意的に考えることとする。
客席にはコアなフリー・チベットさんたちに、キム・スンヨン監督に、可愛い卒業生たちの顔が並ぶ。夜遅いのにありがとう、みなさん来てくれて。
このアップリンク、この春からずっとチベットに力を入れてくださっている。アップリンクは話題作を扱うので新聞とかにもよくとりあげられていて、映像を選ぶ目は確かである。しかし、ここの社長がとにかくすごい。
何がすごいかって、もう巨漢で身なりにかまわなくてサンダル履きで、私の知り合いは上映中に彼が入ってきたら、
「この人何かテロでもするんじゃないか」と気になって仕方がなかったとか。
私が「社長さんだよ」というと呆れかえっていた。
その社長さんに会うのが楽しみだったのだが、いない。で、アップリンクのKさんに
「社長さんどちらですか」と聞くと
kさん「社長いまヤクザ役で映画にでるためウクライナにいってます」
ヤクザ役ですか(笑)。
今回のイベントは1998年制作のポールワーグナー監督風の馬のdvd化記念。権利買い取るのに結構お金かかったとか。たしかになんかお金なさそうな監督だったもんな。だってこの映画、セブンイヤーズインチベットとかクンドゥンとかと同じ頃撮影されていて、前者はアルゼンチン、後者はモロッコにセット作ったのに、ポールワーグナーは中国共産党治下のラサでゲリラ撮影だもんね。ははは。
このトークショーがDVD化のさいに要した資金の穴埋めに多少は貢献できるといいけど。
長田さんはまず、この風の馬の主人公ドルカをつとめたダドゥンの話からはじめる。本土ではやるチベット語の歌は、チベット語の修辞学でよく解釈すると抵抗歌だったりするけど、ダドゥンは恋人の名前をいれて歌う歌に、テンジンギャムツォ(ダライ・ラマの名前)をいれて、恋人を思う歌にことよせて、ダライ・ラマを思う歌を歌ったりしていたので、チベットにいられなくなってしまい、亡命して、本編の主人公さながらの人生を送っているという。
それから、映画の中で拷問で死にかかっている尼僧の証言をビデオにとってアメリカ人旅行客が国外に持ちだそうとして失敗する。現実はあそこまで悲惨な映像ではないにせよ、たとえば去年の蜂起映像などもさまざまな形で本土チベットから持ち出されている。成都のネットカフェとか、出張にかこつけてとか、とにかく本土チベットからでて海外に送信するのだ。昔はフィルム没収されたらアウトだったけど、今はネットで瞬時に海外に送信できるので、画像の流出が比較的楽になった。
トークのあとに流したTHRCD(たぶん綴り違う 笑)が作成した2008年チベット蜂起の時系列の記録映像(uprising in 2008 50分ネットで見られます)も、そうして送られた映像とBBC(イギリス国営放送)の流した映像から構成したものである。
で、言論の自由のない国(中国)でチベット人にどんなインタヴューしたって返ってくる答えはホンネでもないし、無難なものになるに決まっているのに、日本のマスコミってそれを文字通りとらえて「チベットの今」とかいって流すよねー、あれって結局中国政府の政策を追認しているようなもので、あれ〔海外のジャーナリストが命はって取材しているのに〕ぬるいよねー、という話をする。
「聖地チベット展」だってあれ、チベット問題について何も国際的な見識のない業界人がお金もうかりそーっとその場ののりではじめたものだし、それがどういう波紋をよぶかについてまったく思い至らない。危機探知能力ゼロ。悪意がない分始末におえないよねー、てなノリで話した後、人間掲示板と化し、今後のチベット・イベントの予定をしゃべりまくる。
みなそれぞれの分野でがんばっている。
チベット支援は、いろいろな人が行っている。ここは自由の国なのだから、いろいろな政治的な立場からなされていいし、文化を維持することに興味がある人はお寺支援してもいいし、教育に興味のある人は学校支援してもいいし、基本的にそれぞれの立場から興味のある分野で活動をしていけばいいと思う。
どの行動も尊いし頭がさがる。
前提として、支援者は、よき社会人であることが望ましいと思う。よき社会人とは定職をもち自立し、家族や友人となごやかに暮らし、その人自身が何らかの形で社会に貢献していることを意味する。そうでないと、いくら正論いっても「自分の不安感や不満をチベット人の弾圧されていることに重ねて、ぶつけているだけじゃない」と言われてハイ終わりだから。
よく言われる話だけど、日の丸が問題なのではなく、日の丸をもつ人の品格が問題だという、あれと同じ。
よき社会人は、様々な考え方をもつ人々に取り囲まれながら安定的に暮らしているわけだから、他人の意見をきき、自分も意見をいい、それを調整していくという問題処理能力があり、支援の場においても非常に有能なのである。感情に左右されず、異論を尊重し集団を運営していく、これはやっぱよき社会人でないとムリです。
何か支援をするということは自分がいかなるものであるかを問われているということでもある。自分のことも始末できない人が、他人にあれしろこれしろいっても説得力ないでしょ。
ちなみに、歴史はあらゆる社会運動はすべからく消滅する運命にあることを教えてくれる。運動の末路はつねに外部からではなく、内部対立からくる自滅である。彼らが批判している対象によってではなく、自分自身の病弊によって倒れるのだ。
その中で、チベット支援は五十年、消滅どころか、徐々に支援の輪を広げて現在に至っている。これは、支援者の質が総じて高く、かつチベット文化が「守るべきものである」という認識が広がってきている証拠である。
普段は静かにこういう地道な交流会、勉強会を続け、いざという時(笑)にはじければいいのであって、組織防衛とか運動を続けることを自己目的化しない方がかえって運動自体は存続する。
私のことを「見て、知って」という女(男)がまったくもてないのには理由があるのだ。
講演とかは普通の学者でもやるだろうが、ミニシアターでのトークって、普通文化人がやるもんじゃない?
相方の長田さん(I Love Tibet主宰)とはもはやいつが初対面かも覚えていない昔からのおつきあい。こんな二人のダラダラ内輪話を聞きたがる人がいるというのも時代が変わったのか、チベットが悲惨ということか。
まあ、コアなチベットファンが増えたのだろうと好意的に考えることとする。
客席にはコアなフリー・チベットさんたちに、キム・スンヨン監督に、可愛い卒業生たちの顔が並ぶ。夜遅いのにありがとう、みなさん来てくれて。
このアップリンク、この春からずっとチベットに力を入れてくださっている。アップリンクは話題作を扱うので新聞とかにもよくとりあげられていて、映像を選ぶ目は確かである。しかし、ここの社長がとにかくすごい。
何がすごいかって、もう巨漢で身なりにかまわなくてサンダル履きで、私の知り合いは上映中に彼が入ってきたら、
「この人何かテロでもするんじゃないか」と気になって仕方がなかったとか。
私が「社長さんだよ」というと呆れかえっていた。
その社長さんに会うのが楽しみだったのだが、いない。で、アップリンクのKさんに
「社長さんどちらですか」と聞くと
kさん「社長いまヤクザ役で映画にでるためウクライナにいってます」
ヤクザ役ですか(笑)。
今回のイベントは1998年制作のポールワーグナー監督風の馬のdvd化記念。権利買い取るのに結構お金かかったとか。たしかになんかお金なさそうな監督だったもんな。だってこの映画、セブンイヤーズインチベットとかクンドゥンとかと同じ頃撮影されていて、前者はアルゼンチン、後者はモロッコにセット作ったのに、ポールワーグナーは中国共産党治下のラサでゲリラ撮影だもんね。ははは。
このトークショーがDVD化のさいに要した資金の穴埋めに多少は貢献できるといいけど。
長田さんはまず、この風の馬の主人公ドルカをつとめたダドゥンの話からはじめる。本土ではやるチベット語の歌は、チベット語の修辞学でよく解釈すると抵抗歌だったりするけど、ダドゥンは恋人の名前をいれて歌う歌に、テンジンギャムツォ(ダライ・ラマの名前)をいれて、恋人を思う歌にことよせて、ダライ・ラマを思う歌を歌ったりしていたので、チベットにいられなくなってしまい、亡命して、本編の主人公さながらの人生を送っているという。
それから、映画の中で拷問で死にかかっている尼僧の証言をビデオにとってアメリカ人旅行客が国外に持ちだそうとして失敗する。現実はあそこまで悲惨な映像ではないにせよ、たとえば去年の蜂起映像などもさまざまな形で本土チベットから持ち出されている。成都のネットカフェとか、出張にかこつけてとか、とにかく本土チベットからでて海外に送信するのだ。昔はフィルム没収されたらアウトだったけど、今はネットで瞬時に海外に送信できるので、画像の流出が比較的楽になった。
トークのあとに流したTHRCD(たぶん綴り違う 笑)が作成した2008年チベット蜂起の時系列の記録映像(uprising in 2008 50分ネットで見られます)も、そうして送られた映像とBBC(イギリス国営放送)の流した映像から構成したものである。
で、言論の自由のない国(中国)でチベット人にどんなインタヴューしたって返ってくる答えはホンネでもないし、無難なものになるに決まっているのに、日本のマスコミってそれを文字通りとらえて「チベットの今」とかいって流すよねー、あれって結局中国政府の政策を追認しているようなもので、あれ〔海外のジャーナリストが命はって取材しているのに〕ぬるいよねー、という話をする。
「聖地チベット展」だってあれ、チベット問題について何も国際的な見識のない業界人がお金もうかりそーっとその場ののりではじめたものだし、それがどういう波紋をよぶかについてまったく思い至らない。危機探知能力ゼロ。悪意がない分始末におえないよねー、てなノリで話した後、人間掲示板と化し、今後のチベット・イベントの予定をしゃべりまくる。
みなそれぞれの分野でがんばっている。
チベット支援は、いろいろな人が行っている。ここは自由の国なのだから、いろいろな政治的な立場からなされていいし、文化を維持することに興味がある人はお寺支援してもいいし、教育に興味のある人は学校支援してもいいし、基本的にそれぞれの立場から興味のある分野で活動をしていけばいいと思う。
どの行動も尊いし頭がさがる。
前提として、支援者は、よき社会人であることが望ましいと思う。よき社会人とは定職をもち自立し、家族や友人となごやかに暮らし、その人自身が何らかの形で社会に貢献していることを意味する。そうでないと、いくら正論いっても「自分の不安感や不満をチベット人の弾圧されていることに重ねて、ぶつけているだけじゃない」と言われてハイ終わりだから。
よく言われる話だけど、日の丸が問題なのではなく、日の丸をもつ人の品格が問題だという、あれと同じ。
よき社会人は、様々な考え方をもつ人々に取り囲まれながら安定的に暮らしているわけだから、他人の意見をきき、自分も意見をいい、それを調整していくという問題処理能力があり、支援の場においても非常に有能なのである。感情に左右されず、異論を尊重し集団を運営していく、これはやっぱよき社会人でないとムリです。
何か支援をするということは自分がいかなるものであるかを問われているということでもある。自分のことも始末できない人が、他人にあれしろこれしろいっても説得力ないでしょ。
ちなみに、歴史はあらゆる社会運動はすべからく消滅する運命にあることを教えてくれる。運動の末路はつねに外部からではなく、内部対立からくる自滅である。彼らが批判している対象によってではなく、自分自身の病弊によって倒れるのだ。
その中で、チベット支援は五十年、消滅どころか、徐々に支援の輪を広げて現在に至っている。これは、支援者の質が総じて高く、かつチベット文化が「守るべきものである」という認識が広がってきている証拠である。
普段は静かにこういう地道な交流会、勉強会を続け、いざという時(笑)にはじければいいのであって、組織防衛とか運動を続けることを自己目的化しない方がかえって運動自体は存続する。
私のことを「見て、知って」という女(男)がまったくもてないのには理由があるのだ。
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