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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2009/10/21(水)   CATEGORY: 未分類
10月31日への道
 今朝の朝日の朝刊の秋のイベント紹介に「聖地チベット展」についての紹介がのっていた。笑った。なぜなら、何か微妙に批判者を意識した内容になっているから。
まず、今回の展覧会がチベット好きからウケてない、ポイントを整理してみよう。

(1) 無意識のうちに"中国"を美化。


 展覧会の興行主が中国からの批判を怖れて自主規制したため、近代以後の歴史がすっぽりぬけおちている。しかし、共産党政府以前の中国王朝(元・明・清)はみなチベット仏教を大切にしていたため、歴史リテラシーのない人が見ると「中国って昔からチベットを大事にしているのね。」と見えるようになっている。
 事実は逆。中国共産党は1950年のチベットへの軍事侵攻以後、僧院を完全破壊し、僧侶をすべて還俗させ、チベット文化を否定しつくした。80年代以後は観光政策のために形だけの僧院復興を許しているが、僧侶に社会主義愛国教育を強制しーの、僧院の活動にありとあらゆる制限をかしてじゃましまくりーので、まったくチベット仏教界の尊敬を受けていない。そして一番の問題は過去の問題ではなく、今現在それをやっているということ。
(2) チベット文化の説明が不完全。

 大半の展示物が、ポタラ宮とノルブリンカ、すなわち歴代ダライ・ラマの宮殿であったところから供出されているにもかかわらず、それについての説明がむわったくない。ダライ・ラマのいないチベット史って、誰かがいってたけど、「チャーシューののってないチャーシューメン」なのに。
 一方、数的には供出数の少ないサキャやミンドゥルリンや熱河の外八廟(この表現古い 笑)の説明はコラムまでつくってある。何かすごくバランスがとれていない。展示品も日本人が選んだということになっているけど、それにしては、中国との関係を示すものが多く、チベット自体のそれぞれの宗派の歴史や地方色などを表す展示品がない。

(3) 仏像を美術品として展示する違和感。

 チベットにいったら、みな必ずお寺に入っても、お寺自体を参拝する場合でも、時計まわりの巡礼路にそって歩く。そして仏様にはカター(スカーフ状の絹の白い布)が捧げられ、由緒ある仏様はカターに埋まる。しかし、今回の展覧会は〔まだいってないけど〕これらの仏様たちに供養の対象としての敬意は払われていない。巡礼路もない。展示品はただ「美術品」になっている。宗教心を失って久しい日本人のレベルにあわせて展示しているのかもしれないが、美術品として仏様を見ても「チベット文化を知る」ことにはならないんじゃない。

で、今日の朝日新聞はこんなこと書いてました。

 
 ポタラ宮の秘蔵品も 聖地チベット展 

 よく耳にするのに、意外と知らないチベット。その文化を紹介する「聖地チベット展」が東京・上野の森美術館で開かれている。インドやネパール、青海省などにつながる山あいの地で独自の発展をとげたチベット仏教。展示されているのはその精華を伝える約120点で、世界遺産ポタラ宮の秘蔵品も数多い。
 チベットのシンボルといえるポタラ宮は17世紀、ダライ・ラマ5世がかつての王宮跡地「マルポリの丘」に建造した。以後、歴代のダライ・ラマは宮殿に居住し、宗教活動と政治の中心地となってきた。
 宮殿内部には歴代ダライ・ラマをまつる霊塔があり、約7万点の仏像、仏画、工芸品などと6万点もの経典類が保管されている。一部は観光客に公開されているが、入場者数は厳しく制限されている。
 宮殿に集められた作品群は、制作された時代も土地も様々だ。今回の出展品でも、5世紀に作られた「釈迦如来座像」は中国北魏のスタイル、11~12世紀に作られた等身大の「弥勒菩薩立像」などは東北インドで作られている。チベット様式の仏画を刺繍した掛け軸「グヒヤサマージャ座像タンカ」は、明の永楽帝から贈られたものだ。
 一方で展覧会には、ミンドゥリン寺やサキャ寺など由緒ある古寺からの出品も少なくない。チベットでは、仏像はふだん祈りの対象として錦の衣をまとって安置されている。その姿をじっくり鑑賞できるのは展覧会ならではだ。

 まず、二行目でチベット文化が「インドやネパール、青海省などにつながる山あいの地」と言うことで「中国が勝手にひいた自治区線より広大な文化圏があることを知ってます」アピール。

 それからダライ・ラマ五世がポタラ宮を築いたこと、歴代ダライ・ラマが宮殿に居住したことを述べることによって、「ダライ・ラマを無視していない」ことをアピール。でもダライ・ラマがここから追われたこと、そのあとお寺や文化財が壊されたことを書く勇気はない。

 作品紹介はこの人たちの仕事だから置いておくとして、最後の「仏像はふだん祈りの対象として錦の衣をまとって安置されている。その姿をじっくり鑑賞できるのは展覧会ならではだ。」にいたって大爆笑。「美術品」として展示したことをなんかいいわけしているみたい。専門家ならそういう細部もみたがろうけど一般の人はカターに埋まって仏壇にある姿をみた方がよほど感銘を受けると思うけど。この記事は一般向けだよね。

 まあ、倫理や道徳がすっぽぬけ、ただひたすら自分のことばかりを追求する現代日本において、ダライ・ラマがすっぽぬけ、仏像が美術品になる展示会が開催されるのも考えてみたら、当然のことなのかもしれない。

 この展覧会とリンクして銘記すべきは、11月はじめに来日されるダライ・ラマ法王の講演は、沖縄・四国ともにチケットは売り切れたのに、東京の10月31日のみ残りがあるという。なぜならその日はダライ・ラマ法王が仏教を講話されるから、日本人には難しすぎるみたい。日本にはコンビニよりも寺の数があると言われているのに、日本人はどちらかというと仏教徒が多いはずなのにこの惨状。

 情けない。ダライ・ラマ法王のあの高潔な人格はチベットの僧院生活から生まれてきたものなのに。今更何を嘆いても仕方ないが、日本人本当に明治維新以後、経済的発展とバーターにいろいろなものを失ってきた。

 私は阿修羅王を美術館でみるなんて情けなくてできなかったけど、大半の人は何も感じずそれができる。シカン展、インカ展、エジプト展、みな過去の文明ですよね、で、阿修羅展、聖地チベット展って、もう終わった文明のあつかいか。まだ生きとるわ。仏教わ。


さて、法王の仏教講話チケットを完売させるためにここから解説はじまります。10月31日の猊下の講義はここにあるテクストが解説されます。

http://www006.upp.so-net.ne.jp/yfukuda/Tibet/lam_gtso_rnam_gsum.html

この短い文はチベット人が仏教に入門してから覚りにいたるまでの道をものすごく煮詰めて書いたもの。

 チベット仏教において繰り返し述べられる教えは、「すべてのものは自分の自身の力ではなりたっておらず、必ずなにものかによっているため(縁起しているため)、本質、実体といったものはない(空である)。したがって、実体のないものにとらわれて怒ったり、執着したりしたらあかんで」ということ。
 
 これはものごとが「ない」という虚無論でもなく、唯一絶対神を認めるような実在論でもない(テクストの中で否定されているでしょ)。

 「生活感覚ではあるようにみえる」んだけど、「その実体を探し求めてもないじゃん」という意味での「ない」なのだ。そして、いの一番に否定されるべきは「自分」である。日々変化し続け、とらえがたい自我というものに、「自分」という実体を感じてしまうことから、怒りや執着が生まれ、周りとのトラブルを生む。しかし、自分を分析してみると、そこには何ら実体のないことに気づく。

 自分の感じている苦しみが、誰かのせい、ではなく、自分自身の悪い心の性質であることに気づくとき、「自分」を抑えることが、幸せになるために必要であることに気づく。そのために「他者」の存在は重要である。鬱になってひきこもっている人の重大なカンチガイは、自分にひきこもればひきこもるほど、自分が肥大して苦しみが増していくという点だ。自分のことではなく、他者のことを思うことができるよにうになると、人は本当の意味で幸せを観じることができる。

そのような自我を解体し、他者を思う気持ちで満たされた意識が、大乗でいう覚りの境地(菩提)であり、仏様はその覚りの境地の具現者なのだ。

 チベットの僧院ではこういう仏様のようなすんばらしい人格をつくるために、お坊さんたちは毎日さまざまな瞑想を行っている。この僧院生活をマスターした高僧はみなダライ・ラマみたいな人格になっていくのである。だから、人類に幸せをもたらしてくれるテクニックを実践する人々として僧侶は尊敬をうけ、そのような人々の修行の場として僧院は人々に守られてきたのだ。

 仏教は迷信や狂信からもっとも遠い「賢者の宗教」としてここ百五十年間グローバルに高い評価をうけつづけている。チベット文化を理解した人はみなチベットの僧院社会の存続を強く願っている。そのような仏教のすばらしさは「聖地チベット展」よりは、10月31日のダライ・ラマ法王の仏教講話でよく分かると思うので、チベット仏教と縁を結びたい方、参加しましょう。
 しつこいようだけど、当日までに↓を読んで勉強してね。

http://www006.upp.so-net.ne.jp/yfukuda/Tibet/lam_gtso_rnam_gsum.html

※注 ちなみに、仏教の理想とする人格とオマエはまったく逆ではないか、というツッコミが入るかと思いますが、そういう人には「わたくしはまだ修業ができておりません」とお答えすることにしています。
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