Long Liveオ・バ・マ!
とある出版社におつとめしている卒業生に頼まれていた本をやっと脱稿した。この前、終わったといったのは「本論を入稿した」という意味であり、本当に終わったのは今日。しかし、次の仕事がつまっているので全然達成感なし。
自分にご褒美(なんかもの悲しいこの言葉って)と思ってビール(小)くらい飲もうかと思うが、最近つきあいの時しかお酒を飲まなくなった結果、すっかり弱くなってしまい、お酒=褒美にならんのでやめる。あー自分でいってて辛気くさい。
今度私の本を出しくれる卒業生は卒業してもう六年くらいたつのだけど、去年突然連絡をくれて、「今年四月から●×出版社につとめました。もし可能なら先生の本を出したいんですけど」とメールがきた。とりあえず久しぶりだしあってみるかと思って会ってみたら、ものすごく日に焼けている。
まだ入社して間もないから、きっといろいろな本屋さんに営業かけさせられて外回りの営業日焼けだろうな、転職したての新しい職場もなじむのは大変だろうな、といたく同情し、「うん、やる」っていっちゃった。で、それから何度か打ち合わせとかで会ううちに、日焼けは趣味のサーフィンによるものと判明(笑)。あのときの同情を返せ。
まあ、本はとても面白いものに仕上がったので、できあがったらこのブログでも紹介しますね。
で、ボルネオから生きて帰ってきたMが、「オバマさんノーベル賞とったのにブログ沈黙していますね」とメールしてくる。彼の性格から察するに「あれだけオバマさんアゲてたのに、ダライ・ラマに対する表敬訪問延期しただけでもう嫌いになったんかい」と言外にいってる気がしたので(ちょっとはそう思ったけど 笑)、気を取り直して、
オバマさんノーベル平和賞受賞、おめでとうございます。
彼の受賞に対する批判の大半は「平和をまだ実現していない」「アフガンでは戦線拡大したやんけ」ということであろうが、後者はたしかに問題であるが、前者については批判の根拠とはなりえないと思う。
その理由を述べるために20年前にさかのぼってみましょう。
20年前の1989年、ベルリンの壁が崩れ、東欧の民主化が劇的に進んだあの年、ダライ・ラマ14世がノーベル平和賞を受賞した。
その時の朝日新聞の社説は例によってすごかった。おおざっぱにいうと
「ダライ・ラマにノーベル賞あげると中国が怒る。中国が怒ったら平和がなくなる。ノーベル平和賞が対立の原因をつくるのはいかがなものか」
なんでしょう、このどうしようもなさは。だって朝日のいっていることはこういうことなんですよ、奥さん。
ある雪の国に聖王が住んでいました。そこに東の国から乱暴な王が軍隊を率いて攻め込んできました。聖王は民が傷つかないように、王位を捨てて南の国に逃げました。乱暴な王は雪の国を自分のものにしてしまいました。
聖王を愛する雪の国の民は、東の国の王の支配を嫌い、多くの民が聖王のあとをおって南の国に逃げました。聖王はその民に向かって、「敵を恨んではならない。もっとも恐ろしいのは国を奪われることよりも人としての心を失うことである。国を失ったことによりみなは強くなった。自分がタフになれたことは乱暴な王が国を奪ったおかげ、忍耐を修行させてくれたと感謝しなさい」と言い聞かせた(ジャータカ中に「長寿王の忍耐」という似たエピソードがある)。
そして世界中をかけまわって資金をあつめ、難民たちの生活を支え、それどころか、自分のもっている心を安定させるテクニックを一人でも多くの人とわかちあおうと世界に向かって教えを説き始めた。世界の人々はこの聖王のたぐいまれなる人格に感銘を受け彼の中に真の人のありかたを見いだした。
一方、雪の国を支配する粗暴な王は、自分の行いの正統性のなさを重々承知していたため、ひたすら過剰防衛となり、エゲツナイ同化政策を敢行し、聖王の訪問する先々の国にありとあらゆる圧力をかけて聖王を邪険にするように命令しました。
聖王は粗暴な王が自分に対してどのような罵詈雑言をなげつけようとも、行く先々でどんな不条理な扱いを受けようとも、日本に入国するときにイミグレーションに並ばされようともまったく気にすることがありませんでした。そして、エゴを抑えるべきこと、他者を尊重すること、一人一人の心の武装解除こそが集団の武装解除につながると、説き続けました。
はい、このような聖王こそまさに平和賞にふさわしい方だと思いませんか。
聖王の言葉は多くの人に希望と気づきを与え、その意識を変えてきた。それが平和賞の受賞理由となっているのであり、彼の責任ではない「今目の前で実現していない平和」を持ち出して受賞にケチをつけるのは、ましてや、粗暴な東の国の王のゴキゲンをとるために受賞にケチをつけるとは「平和賞の意味をほんとにわかっているのか」と小一時間といつめたい。
非暴力の中道思想は目の前の暴力に対しては無力でも、長い目でみれば社会の体質改善を促し、長期的には平和に貢献する思想である。ガンディー(ノーベル賞を三回辞退)も、キング牧師も生きている間に完全な平和は実現できなかったけど、彼らが偉大な聖者であったことはよほど顛倒したものの考えをする人以外は認めるところであろう。
彼らが生きている間に平和を実現できなかったのは、もちろん彼らの責任ではなく、事態がこじれすぎていて、彼らの理念がいくらすばらしくとも、それを実行できるだけの環境がととのわなかったというだけのことである。彼らの行動自体はどこからみても正しい。
非暴力思想は保守派からは過激と言われ、過激派からはぬるいと言われ、両サイドから攻撃をうける孤独なスタンスなのである。オバマさんも今、両サイドからたたかれているが、この両サイドからたたかれていることが彼が中道であることの証ともいえる。何より彼は命をはっている。
対立している人たちの間に入り、対話をよびかけることはその両サイドからうらまれる損な役回りで、文字通り命がけである。ではオバマさんはなぜ自分の命を危険にさらしてまで対話を説くのか。「ならずもの国家は相手にせん、ごたごたいうとミサイルぶっぱなすぞー」といってれば少なくとも共和党の支持は得られてアメリカ経済がはたんしようが、世界が混迷しようが命は全うできるのに。
それはオバマさんが非暴力中道こそが真理であるとよく分かっているから。暴力による暴力の抑止は結局は暴力に帰結するのみであることは世界史が証明している。暴力の連鎖を終わりにするためには、それこそ対立する双方の指導者、その国民一人一人の意識の改革を行うしか解決の道はない。それには人々に希望を持たせるような、言葉とパワーをもつ人の存在が必要である。キング牧師やガンディーやオバマはまさにそのような言葉をもつ人たちであった。高潔な人は真理のためには自分の命をも捨てることができるのである。
その自己犠牲の献身によっても賞せられてしかるべきだと思う。
冷戦を終わらせたレーガンも受賞していないのに、なぜオバマがもらう、とのコメントが某卒業生よりついたが、冷戦はレーガンの力で終わったのではなく、ソ連の経済の破綻とゴルバチョフの英断によっておわったのである。しつこいようだけど、レーガンはゴルバチョフが1986年1月15日に行った核廃絶構想を10月11日のレイキャビクの首脳会談で却下したのである。これだけみてもこの男、平和賞の名に値しないことは明かである。
ゴルバチョフもサハロフもノーベル平和賞の受賞者にはみな共通する真理への献身と知的な「品格」がある。ヨーロッパの諸国は概してオバマさんの受賞に好意的なエールを送っている。でオバマさんの受賞に対して微妙な発言をしているのは、イラン、アメリカの共和党、日本などのこれまた微妙な国家群である。
命をかけて人類のために献身している人を「理想主義者」といって冷笑するような人には少なくともノーベル賞をかたる資格はない。この賞は自己を犠牲にしても愛を信じる菩薩たちに与えられるものなのである(そうでない年もあるけどね)。
自分にご褒美(なんかもの悲しいこの言葉って)と思ってビール(小)くらい飲もうかと思うが、最近つきあいの時しかお酒を飲まなくなった結果、すっかり弱くなってしまい、お酒=褒美にならんのでやめる。あー自分でいってて辛気くさい。
今度私の本を出しくれる卒業生は卒業してもう六年くらいたつのだけど、去年突然連絡をくれて、「今年四月から●×出版社につとめました。もし可能なら先生の本を出したいんですけど」とメールがきた。とりあえず久しぶりだしあってみるかと思って会ってみたら、ものすごく日に焼けている。
まだ入社して間もないから、きっといろいろな本屋さんに営業かけさせられて外回りの営業日焼けだろうな、転職したての新しい職場もなじむのは大変だろうな、といたく同情し、「うん、やる」っていっちゃった。で、それから何度か打ち合わせとかで会ううちに、日焼けは趣味のサーフィンによるものと判明(笑)。あのときの同情を返せ。
まあ、本はとても面白いものに仕上がったので、できあがったらこのブログでも紹介しますね。
で、ボルネオから生きて帰ってきたMが、「オバマさんノーベル賞とったのにブログ沈黙していますね」とメールしてくる。彼の性格から察するに「あれだけオバマさんアゲてたのに、ダライ・ラマに対する表敬訪問延期しただけでもう嫌いになったんかい」と言外にいってる気がしたので(ちょっとはそう思ったけど 笑)、気を取り直して、
オバマさんノーベル平和賞受賞、おめでとうございます。
彼の受賞に対する批判の大半は「平和をまだ実現していない」「アフガンでは戦線拡大したやんけ」ということであろうが、後者はたしかに問題であるが、前者については批判の根拠とはなりえないと思う。
その理由を述べるために20年前にさかのぼってみましょう。
20年前の1989年、ベルリンの壁が崩れ、東欧の民主化が劇的に進んだあの年、ダライ・ラマ14世がノーベル平和賞を受賞した。
その時の朝日新聞の社説は例によってすごかった。おおざっぱにいうと
「ダライ・ラマにノーベル賞あげると中国が怒る。中国が怒ったら平和がなくなる。ノーベル平和賞が対立の原因をつくるのはいかがなものか」
なんでしょう、このどうしようもなさは。だって朝日のいっていることはこういうことなんですよ、奥さん。
ある雪の国に聖王が住んでいました。そこに東の国から乱暴な王が軍隊を率いて攻め込んできました。聖王は民が傷つかないように、王位を捨てて南の国に逃げました。乱暴な王は雪の国を自分のものにしてしまいました。
聖王を愛する雪の国の民は、東の国の王の支配を嫌い、多くの民が聖王のあとをおって南の国に逃げました。聖王はその民に向かって、「敵を恨んではならない。もっとも恐ろしいのは国を奪われることよりも人としての心を失うことである。国を失ったことによりみなは強くなった。自分がタフになれたことは乱暴な王が国を奪ったおかげ、忍耐を修行させてくれたと感謝しなさい」と言い聞かせた(ジャータカ中に「長寿王の忍耐」という似たエピソードがある)。
そして世界中をかけまわって資金をあつめ、難民たちの生活を支え、それどころか、自分のもっている心を安定させるテクニックを一人でも多くの人とわかちあおうと世界に向かって教えを説き始めた。世界の人々はこの聖王のたぐいまれなる人格に感銘を受け彼の中に真の人のありかたを見いだした。
一方、雪の国を支配する粗暴な王は、自分の行いの正統性のなさを重々承知していたため、ひたすら過剰防衛となり、エゲツナイ同化政策を敢行し、聖王の訪問する先々の国にありとあらゆる圧力をかけて聖王を邪険にするように命令しました。
聖王は粗暴な王が自分に対してどのような罵詈雑言をなげつけようとも、行く先々でどんな不条理な扱いを受けようとも、日本に入国するときにイミグレーションに並ばされようともまったく気にすることがありませんでした。そして、エゴを抑えるべきこと、他者を尊重すること、一人一人の心の武装解除こそが集団の武装解除につながると、説き続けました。
はい、このような聖王こそまさに平和賞にふさわしい方だと思いませんか。
聖王の言葉は多くの人に希望と気づきを与え、その意識を変えてきた。それが平和賞の受賞理由となっているのであり、彼の責任ではない「今目の前で実現していない平和」を持ち出して受賞にケチをつけるのは、ましてや、粗暴な東の国の王のゴキゲンをとるために受賞にケチをつけるとは「平和賞の意味をほんとにわかっているのか」と小一時間といつめたい。
非暴力の中道思想は目の前の暴力に対しては無力でも、長い目でみれば社会の体質改善を促し、長期的には平和に貢献する思想である。ガンディー(ノーベル賞を三回辞退)も、キング牧師も生きている間に完全な平和は実現できなかったけど、彼らが偉大な聖者であったことはよほど顛倒したものの考えをする人以外は認めるところであろう。
彼らが生きている間に平和を実現できなかったのは、もちろん彼らの責任ではなく、事態がこじれすぎていて、彼らの理念がいくらすばらしくとも、それを実行できるだけの環境がととのわなかったというだけのことである。彼らの行動自体はどこからみても正しい。
非暴力思想は保守派からは過激と言われ、過激派からはぬるいと言われ、両サイドから攻撃をうける孤独なスタンスなのである。オバマさんも今、両サイドからたたかれているが、この両サイドからたたかれていることが彼が中道であることの証ともいえる。何より彼は命をはっている。
対立している人たちの間に入り、対話をよびかけることはその両サイドからうらまれる損な役回りで、文字通り命がけである。ではオバマさんはなぜ自分の命を危険にさらしてまで対話を説くのか。「ならずもの国家は相手にせん、ごたごたいうとミサイルぶっぱなすぞー」といってれば少なくとも共和党の支持は得られてアメリカ経済がはたんしようが、世界が混迷しようが命は全うできるのに。
それはオバマさんが非暴力中道こそが真理であるとよく分かっているから。暴力による暴力の抑止は結局は暴力に帰結するのみであることは世界史が証明している。暴力の連鎖を終わりにするためには、それこそ対立する双方の指導者、その国民一人一人の意識の改革を行うしか解決の道はない。それには人々に希望を持たせるような、言葉とパワーをもつ人の存在が必要である。キング牧師やガンディーやオバマはまさにそのような言葉をもつ人たちであった。高潔な人は真理のためには自分の命をも捨てることができるのである。
その自己犠牲の献身によっても賞せられてしかるべきだと思う。
冷戦を終わらせたレーガンも受賞していないのに、なぜオバマがもらう、とのコメントが某卒業生よりついたが、冷戦はレーガンの力で終わったのではなく、ソ連の経済の破綻とゴルバチョフの英断によっておわったのである。しつこいようだけど、レーガンはゴルバチョフが1986年1月15日に行った核廃絶構想を10月11日のレイキャビクの首脳会談で却下したのである。これだけみてもこの男、平和賞の名に値しないことは明かである。
ゴルバチョフもサハロフもノーベル平和賞の受賞者にはみな共通する真理への献身と知的な「品格」がある。ヨーロッパの諸国は概してオバマさんの受賞に好意的なエールを送っている。でオバマさんの受賞に対して微妙な発言をしているのは、イラン、アメリカの共和党、日本などのこれまた微妙な国家群である。
命をかけて人類のために献身している人を「理想主義者」といって冷笑するような人には少なくともノーベル賞をかたる資格はない。この賞は自己を犠牲にしても愛を信じる菩薩たちに与えられるものなのである(そうでない年もあるけどね)。
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