夏の終わり
ゼミ生のMが大学院の試験もうかったしと耳長族に会いにボルネオに行く(なんでや)。
去年カルマパと一緒にマナリ近くの峠で心中しかかったあのMである。
昨日の晩「明日はインドネシアに船でわたります。」みたいなことをローマ字で書いていたら、その明日、すなわち今日だ。
サモア大地震勃発。
私の頭の中の世界地図ではサモアはボルネオの近くにあったので
オーマイガッ! と、すぐに「生きとるか」メールを送信。
そしたら生存証明のメールがきた。
とりあえず、よかった。よく見たらボルネオとサモアは遠かった。
と安心したのもつかの間、同日午後七時、
スマトラ島沖地震勃発!
今度はモロ・インドネシアである。
しかし、彼のいる港と震源地は海域が違うのでたぶん大丈夫。
彼には立派なチベット学者になってもらうまでは死んでもらっては困るのだ(私利私欲)。
帰ったら勉強しろ。勉強しろ。勉強しろ。もう旅行行くな!
何が耳長族だよもう。
というわけで、
夏休みにすますはずだった仕事はまだ本一冊分まるまる残っている。あと一ヶ月ほしい。この季節、大学ですれちがう先生方の顔はとにかく暗い。
で、人生に疲れたのでシュールリアリズム(なんでや)。
今から85年前の1925年、『シュールレアリズム革命』の見開き一ページの右手に「ダライ・ラマへの上奏文」左手に「ローマ教皇への決裂」がのせられた。
アンドレ・ブルトンを始めとするシュールリアリズムの詩人たち複数の連名であったが、文作はトーシツアルトーがした。
現在から見るとチベット仏教に対する理解がかなりトンデモなんだけど、現実社会から逃避したいという気持ちが今の自分の気持ちにぴったりなので、引用。
ああ、偉大なるラマよ、私たちは貌下のこのうえなく忠実なしもべです。ヨーロッパ人の汚れた心でも理解できるような言葉で、私たちに猊下の光明を与え、照らしてください。必要ならば、私たちの〈心〉を変えてください。もはや〈人間の心〉が苦しむことのない、完璧なる頂上だけに向かう心を、私たちに与えてください。
習慣から自由な〈心〉、まさしく〈心=精霊〉のなかで凍結した心を、私たちに与えてください。あるいは、より純粋な習慣、つまり猊下と同じ習慣―それが自由のために有効ならば―を持った〈心〉を与えてください。
私たちは、ごつごつした教皇、文学屋、批評家、犬どもに包囲されています。べったりと世俗的に考え、癒しようがないほど目先のことだけを考える犬どもに、私たちの〈心〉は囲まれでいます。
ラマよ、私たちに教えてください。身体を物質的に浮揚させる方法、もはや世俗に囚われない方法を。
私たちが言おうとしている、魂の透明な解放、〈心=精霊〉のなかにある〈心〉の自由がどのようなものか、ああ、許容できる教皇よ、本当の心を持った教皇よ、猊下はよくご存じのはずだからです。
ああ、内面の頂点にいる教皇よ、私は内面の眼で貌下を見つめるのです。私が貌下に似ているのは、内面からなのです。この私、衝動、考え、唇、人体浮揚、夢、叫び、思考の放棄あらゆる形態のあいだに宙づりになり、もはや風しか望まないこの私(一九二五年四月、『シュルレアリスム革命』)。
いやー、やっぱ西洋の知識人てひよわだわ。
これを本当にダライ・ラマが読んでいたら、「人に頼るな。奇跡にたよるな。自分の問題は自分で解決しろ。」とかいうだろうな。
て、書いたらもと文学青年からシュルレアリズムは現実逃避でなく、幽玄の美をめざしたんだ、もっと深いんだ、とツッコミがはいる。きっとそうなんでしょう。
でもね、あのフランス人のチベット僧マチウ・リカールは子どもの頃からアンドレ・ブルトンを始めとするフランスの芸術家知識人が家庭に出入りして側近くでかれらの言動をみききしていたらしいけど、彼らの才能はともかく人柄はとんでもないっていってたよ。
まあ彼らはその「深い」さでは救われなかったのですね。たぶん。
もうみなさんご存じでしょうが「ダライ・ラマ法王東京講演」日程です。
【法話】
2009年10月31日(土) 14:00~16:00 (開場 12:00)
法話「さとりへ導く三つの心と発菩提心」(ラムツォナムスムとセームキェ)
Three Principle Parts and Generating the Altruistic Mind Enlightenment
於: 両国国技館
【講演】
2009年11月01日(日)13:00~16:00
東京講演 「地球の未来」への対話 -仏教と科学の共鳴-
於: 両国国技館
2009年11月03日(火・祝)13:30~16:00
四国特別講演「自分を幸せにする生き方」(日本語・手話通訳付き)
於:愛媛県武道館
2009年11月05日(木)13:30~16:00
沖縄特別講演「平和と慈悲のこころ」(日本語通訳付き)
Peace and Compassionate Mind
於:沖縄県立武道館
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
http://www.tibethouse.jp/
去年カルマパと一緒にマナリ近くの峠で心中しかかったあのMである。
昨日の晩「明日はインドネシアに船でわたります。」みたいなことをローマ字で書いていたら、その明日、すなわち今日だ。
サモア大地震勃発。
私の頭の中の世界地図ではサモアはボルネオの近くにあったので
オーマイガッ! と、すぐに「生きとるか」メールを送信。
そしたら生存証明のメールがきた。
とりあえず、よかった。よく見たらボルネオとサモアは遠かった。
と安心したのもつかの間、同日午後七時、
スマトラ島沖地震勃発!
今度はモロ・インドネシアである。
しかし、彼のいる港と震源地は海域が違うのでたぶん大丈夫。
彼には立派なチベット学者になってもらうまでは死んでもらっては困るのだ(私利私欲)。
帰ったら勉強しろ。勉強しろ。勉強しろ。もう旅行行くな!
何が耳長族だよもう。
というわけで、
夏休みにすますはずだった仕事はまだ本一冊分まるまる残っている。あと一ヶ月ほしい。この季節、大学ですれちがう先生方の顔はとにかく暗い。
で、人生に疲れたのでシュールリアリズム(なんでや)。
今から85年前の1925年、『シュールレアリズム革命』の見開き一ページの右手に「ダライ・ラマへの上奏文」左手に「ローマ教皇への決裂」がのせられた。
アンドレ・ブルトンを始めとするシュールリアリズムの詩人たち複数の連名であったが、文作はトーシツアルトーがした。
現在から見るとチベット仏教に対する理解がかなりトンデモなんだけど、現実社会から逃避したいという気持ちが今の自分の気持ちにぴったりなので、引用。
ああ、偉大なるラマよ、私たちは貌下のこのうえなく忠実なしもべです。ヨーロッパ人の汚れた心でも理解できるような言葉で、私たちに猊下の光明を与え、照らしてください。必要ならば、私たちの〈心〉を変えてください。もはや〈人間の心〉が苦しむことのない、完璧なる頂上だけに向かう心を、私たちに与えてください。
習慣から自由な〈心〉、まさしく〈心=精霊〉のなかで凍結した心を、私たちに与えてください。あるいは、より純粋な習慣、つまり猊下と同じ習慣―それが自由のために有効ならば―を持った〈心〉を与えてください。
私たちは、ごつごつした教皇、文学屋、批評家、犬どもに包囲されています。べったりと世俗的に考え、癒しようがないほど目先のことだけを考える犬どもに、私たちの〈心〉は囲まれでいます。
ラマよ、私たちに教えてください。身体を物質的に浮揚させる方法、もはや世俗に囚われない方法を。
私たちが言おうとしている、魂の透明な解放、〈心=精霊〉のなかにある〈心〉の自由がどのようなものか、ああ、許容できる教皇よ、本当の心を持った教皇よ、猊下はよくご存じのはずだからです。
ああ、内面の頂点にいる教皇よ、私は内面の眼で貌下を見つめるのです。私が貌下に似ているのは、内面からなのです。この私、衝動、考え、唇、人体浮揚、夢、叫び、思考の放棄あらゆる形態のあいだに宙づりになり、もはや風しか望まないこの私(一九二五年四月、『シュルレアリスム革命』)。
いやー、やっぱ西洋の知識人てひよわだわ。
これを本当にダライ・ラマが読んでいたら、「人に頼るな。奇跡にたよるな。自分の問題は自分で解決しろ。」とかいうだろうな。
て、書いたらもと文学青年からシュルレアリズムは現実逃避でなく、幽玄の美をめざしたんだ、もっと深いんだ、とツッコミがはいる。きっとそうなんでしょう。
でもね、あのフランス人のチベット僧マチウ・リカールは子どもの頃からアンドレ・ブルトンを始めとするフランスの芸術家知識人が家庭に出入りして側近くでかれらの言動をみききしていたらしいけど、彼らの才能はともかく人柄はとんでもないっていってたよ。
まあ彼らはその「深い」さでは救われなかったのですね。たぶん。
もうみなさんご存じでしょうが「ダライ・ラマ法王東京講演」日程です。
【法話】
2009年10月31日(土) 14:00~16:00 (開場 12:00)
法話「さとりへ導く三つの心と発菩提心」(ラムツォナムスムとセームキェ)
Three Principle Parts and Generating the Altruistic Mind Enlightenment
於: 両国国技館
【講演】
2009年11月01日(日)13:00~16:00
東京講演 「地球の未来」への対話 -仏教と科学の共鳴-
於: 両国国技館
2009年11月03日(火・祝)13:30~16:00
四国特別講演「自分を幸せにする生き方」(日本語・手話通訳付き)
於:愛媛県武道館
2009年11月05日(木)13:30~16:00
沖縄特別講演「平和と慈悲のこころ」(日本語通訳付き)
Peace and Compassionate Mind
於:沖縄県立武道館
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
http://www.tibethouse.jp/
知識人たちのチベット
この連休、上野でフリー・チベットチラシを配ってくださった方、ありがとうございました。チラシを受け取ってくださった方の中から、一人でもチベットについて知って下さる方がでてくれば、それだけチベット文化が存続する可能性が高まります。
六十年前国際社会の「無関心」がチベットを滅ぼしたが、今度は「知ること」によってチベットは救われる。
インド独立の父ガンディーですら、若い頃はロンドンでイギリス人になろうとしていたが、ロンドンでインド文化への高い評価をしって、自国文化の素晴らしさにめざめて、後半生はルンギー一丁である。
中国がチベットで行っている同化政策はたしかにヤバイが、先進各国の知識人がチベット文化の価値を鼓吹しつづけることで、道義的に勝利し続けることで、いつかは必ず結果はでる。この利他の文化を失うことは、人類にとってすごいマイナスになるので、人類への貢献ともなる。
というわけで、今、出版社にはいった某卒業生のたのみで「西洋人はいかにチベットと出会い、チベットがいかに西洋に舞い降りたのか」みたいな本を書いている。そのため隠者状態で一日のうち接する人は鳥と猫だけ(人じゃないだろ!)。
そろそろ覚りが開けそうです。
でいろいろ調べていて気がついたのだけど、西洋社会でチベット仏教を理解し、支持しているのは、もっとも知的な層。精神的に貧困な人にはチベットとかダライ・ラマとかは向いていない。
それはチベット仏教が高度に知的でかつ倫理的な体系であるため、倫理的なものに興味のない人、ある枠組みの中でしかものが考えられない硬直化した人にはそもそも理解できないから。
若き日ダライ・ラマは西洋の文化、とくに科学に強い興味を示し、仏教思想が長い伝統の中で得てきた意識や存在に関する哲学が、物理学や生化学、心理学などの説明とどこまでかみ合うのか、また、どこまで検証できるのかについて知りたがった。
キリスト教は聖書の文言を科学はむろんのこと他のジャンルの思想と比較・検討することに消極的であったことを考えると、ダライ・ラマの柔軟性は際だっている。そして、ダライ・ラマはそれからも多くの著名な科学者たちと対話していく中で、多くの点について科学と仏教思想が矛盾しないことを見いだし、さらに、宇宙や世界の形などについて仏典と科学が矛盾する点については、あっさりと仏典の記述を捨て、科学的な世界観を受け入れた。
ダライ・ラマのこの柔軟な知性と合理性は、チベット仏教がもともとあらゆる角度から徹底的に議論をつくして思想を形成する伝統からでてきている。仏教では、意識や存在のあり方を観察する場合も、あらゆる点で矛盾の生じないような論理的な論証が要請される。つまり、科学者も仏教者も実在に対するアプローチ法はほとんど変わらないのだ。
ダライ・ラマはさらに、ビジネスマン、エコノミスト、俳優、アーティスト、王族、など様々なジャンルの人々との対話を通じて、西洋社会へのあらゆる分野における知見を広め、同時に対談相手を敬服させ魅了していった。1992年には、これらの人脈の集大成ともいえるノーベル賞受賞者を始めとするそうそうたる名士たちが、チベット百人委員会 (committee of 100 for Tibet)を構成して、チベット人の行う非暴力闘争を支持し、チベット問題を啓発する活動を行っている。
仏教という伝統的な思想の体現者でありながら、科学者や哲学者とも対等に語り合う先進的な知性を兼ね備えたダライ・ラマは、今も洗練された知性をもつ階層にファンを増やし続けている。
こうして、ダライ・ラマは、工場で作られる大量生産品や、一瞬に消費されるチープな消費財とはまったく逆の、時間をかけて作り出される上質で洗練された文化のアイコンとなった。
これまでこのブログでも紹介してきたように、ダライ・ラマがヴォーグの特別編集長、アップルの広告、チャールズ皇太子の熱帯雨林プロジェクトといった、先進的で知的な層に向けての広告に登場し続けているのはそのせいである。
もう一つ興味深い例を挙げよう。
2008年、北京オリンピックで中国がチベット問題に神経をとがらせていた際、日産自動車はリチャード・ギアをCMに起用することを取りやめた。ギアがハリウッドでもっとも熱心にダライ・ラマのサポートを行っていたからである。
しかし、イタリアのフィアット社はあえてギアを起用し、そのうえその映像の中でチベットを支援することをはっきり表明した。CMでは、ギアがハリウッドの中国人劇場(笑)の有名なセレブの手形広場前から自分の手形を踏んづけて、フィアットのランチアにのって走り出すと、いつのまにか車窓からポタラ宮が見えチベットについたことを知る。ギアはランチアからおりてチベットの少年僧とともに雪の上に手形を残す、というものである。
フィアットは中国から得られる目先の利益よりも、チベットの高潔な理念を支援することによって得られるものを選ぶ、という姿勢を示して高級車ランチアのイメージを巧みにアップさせたのである。と同時に、この映像にはもっと深い意味が隠されている。ハリウッドからチベットへの移行は虚栄から深い精神性への移行、石の手形からはかなく消える雪の上の手形への移行は、なんでも石に刻んで後世に残したがるごり押し西洋文明から、なにごとも依存性の中にあるがゆえに実体はないとするチベット思想へのシフトを示している。どうだ、ここまで読み取れた人は、立派なフリー・チベット・ファイターだ!
こう考えてみると、日本でフリー・チベットが先進各国でもっとも遅く現れはじめたのは、日本人の一部にようやく欧米並みの「自分に厳しい自立した自我をもちながら、かつ、世界に関わる」知性がようやっと生まれて始めてきたということかしら。
まあ硬直化した思考で相変わらず、農奴だ封建領主だいうてはる人は今もいるけど、どこの国でもあのタイプの人は一定数いますから。合掌。
このブログに来て下さる方はみな意識が高いので、できるだけチベットのことを何もしらない素人さんに来ていただこうと、朝日カルチャーさんに集客をお任せしたら、現時点で10人(笑)。なのでもう素人さん集めるのは諦めました(前置きながっ)。
朝カルで上野のチベット展の解説します
時 10/10, 10/24, 11/7(土) 15:30-17:00 全3回
場所 朝日カルチャーセンター横浜(横浜駅ルミネ)
興味のある方、詳しくはここクリック!
六十年前国際社会の「無関心」がチベットを滅ぼしたが、今度は「知ること」によってチベットは救われる。
インド独立の父ガンディーですら、若い頃はロンドンでイギリス人になろうとしていたが、ロンドンでインド文化への高い評価をしって、自国文化の素晴らしさにめざめて、後半生はルンギー一丁である。
中国がチベットで行っている同化政策はたしかにヤバイが、先進各国の知識人がチベット文化の価値を鼓吹しつづけることで、道義的に勝利し続けることで、いつかは必ず結果はでる。この利他の文化を失うことは、人類にとってすごいマイナスになるので、人類への貢献ともなる。
というわけで、今、出版社にはいった某卒業生のたのみで「西洋人はいかにチベットと出会い、チベットがいかに西洋に舞い降りたのか」みたいな本を書いている。そのため隠者状態で一日のうち接する人は鳥と猫だけ(人じゃないだろ!)。
そろそろ覚りが開けそうです。
でいろいろ調べていて気がついたのだけど、西洋社会でチベット仏教を理解し、支持しているのは、もっとも知的な層。精神的に貧困な人にはチベットとかダライ・ラマとかは向いていない。
それはチベット仏教が高度に知的でかつ倫理的な体系であるため、倫理的なものに興味のない人、ある枠組みの中でしかものが考えられない硬直化した人にはそもそも理解できないから。
若き日ダライ・ラマは西洋の文化、とくに科学に強い興味を示し、仏教思想が長い伝統の中で得てきた意識や存在に関する哲学が、物理学や生化学、心理学などの説明とどこまでかみ合うのか、また、どこまで検証できるのかについて知りたがった。
キリスト教は聖書の文言を科学はむろんのこと他のジャンルの思想と比較・検討することに消極的であったことを考えると、ダライ・ラマの柔軟性は際だっている。そして、ダライ・ラマはそれからも多くの著名な科学者たちと対話していく中で、多くの点について科学と仏教思想が矛盾しないことを見いだし、さらに、宇宙や世界の形などについて仏典と科学が矛盾する点については、あっさりと仏典の記述を捨て、科学的な世界観を受け入れた。
ダライ・ラマのこの柔軟な知性と合理性は、チベット仏教がもともとあらゆる角度から徹底的に議論をつくして思想を形成する伝統からでてきている。仏教では、意識や存在のあり方を観察する場合も、あらゆる点で矛盾の生じないような論理的な論証が要請される。つまり、科学者も仏教者も実在に対するアプローチ法はほとんど変わらないのだ。
ダライ・ラマはさらに、ビジネスマン、エコノミスト、俳優、アーティスト、王族、など様々なジャンルの人々との対話を通じて、西洋社会へのあらゆる分野における知見を広め、同時に対談相手を敬服させ魅了していった。1992年には、これらの人脈の集大成ともいえるノーベル賞受賞者を始めとするそうそうたる名士たちが、チベット百人委員会 (committee of 100 for Tibet)を構成して、チベット人の行う非暴力闘争を支持し、チベット問題を啓発する活動を行っている。
仏教という伝統的な思想の体現者でありながら、科学者や哲学者とも対等に語り合う先進的な知性を兼ね備えたダライ・ラマは、今も洗練された知性をもつ階層にファンを増やし続けている。
こうして、ダライ・ラマは、工場で作られる大量生産品や、一瞬に消費されるチープな消費財とはまったく逆の、時間をかけて作り出される上質で洗練された文化のアイコンとなった。
これまでこのブログでも紹介してきたように、ダライ・ラマがヴォーグの特別編集長、アップルの広告、チャールズ皇太子の熱帯雨林プロジェクトといった、先進的で知的な層に向けての広告に登場し続けているのはそのせいである。
もう一つ興味深い例を挙げよう。
2008年、北京オリンピックで中国がチベット問題に神経をとがらせていた際、日産自動車はリチャード・ギアをCMに起用することを取りやめた。ギアがハリウッドでもっとも熱心にダライ・ラマのサポートを行っていたからである。
しかし、イタリアのフィアット社はあえてギアを起用し、そのうえその映像の中でチベットを支援することをはっきり表明した。CMでは、ギアがハリウッドの中国人劇場(笑)の有名なセレブの手形広場前から自分の手形を踏んづけて、フィアットのランチアにのって走り出すと、いつのまにか車窓からポタラ宮が見えチベットについたことを知る。ギアはランチアからおりてチベットの少年僧とともに雪の上に手形を残す、というものである。
フィアットは中国から得られる目先の利益よりも、チベットの高潔な理念を支援することによって得られるものを選ぶ、という姿勢を示して高級車ランチアのイメージを巧みにアップさせたのである。と同時に、この映像にはもっと深い意味が隠されている。ハリウッドからチベットへの移行は虚栄から深い精神性への移行、石の手形からはかなく消える雪の上の手形への移行は、なんでも石に刻んで後世に残したがるごり押し西洋文明から、なにごとも依存性の中にあるがゆえに実体はないとするチベット思想へのシフトを示している。どうだ、ここまで読み取れた人は、立派なフリー・チベット・ファイターだ!
こう考えてみると、日本でフリー・チベットが先進各国でもっとも遅く現れはじめたのは、日本人の一部にようやく欧米並みの「自分に厳しい自立した自我をもちながら、かつ、世界に関わる」知性がようやっと生まれて始めてきたということかしら。
まあ硬直化した思考で相変わらず、農奴だ封建領主だいうてはる人は今もいるけど、どこの国でもあのタイプの人は一定数いますから。合掌。
このブログに来て下さる方はみな意識が高いので、できるだけチベットのことを何もしらない素人さんに来ていただこうと、朝日カルチャーさんに集客をお任せしたら、現時点で10人(笑)。なのでもう素人さん集めるのは諦めました(前置きながっ)。
朝カルで上野のチベット展の解説します
時 10/10, 10/24, 11/7(土) 15:30-17:00 全3回
場所 朝日カルチャーセンター横浜(横浜駅ルミネ)
興味のある方、詳しくはここクリック!
上野美術展ふたたび
前のエントリーも見落とさないでね!
先のエントリーで某教授の情報に基づき、
今回の美術展は「中国政府はカンケーなくて、日本の先生が選んだ」みたいなことと書いたら、さる筋から新たなる情報が入りました。
それはこのようなもの。
中国の美術品を管理する部局である国家文物局は、この美術展のために、お寺から美術品をいつ返すとも言わずにごっそりもちだし、拒否できるようなフンイキではなかったとのこと。
僧院では仏像は日夜お坊さんや巡礼に供養されている。今なお生きた信仰の対象なのだ。それをいきなりごっそり持って行かれて、見せ物にするのだから、いいわけない。しかも拒否権もないときたら、フェアとはいえない。
というわけで、「仏様のかり出しは紳士的に行われていない」とのさる筋からの情報に基づき、前回のエントリーの「中国政府カンケーない」という点改め、より深いレヴェルでは「カンケーしています。」
そこで白雪姫の豆知識。
もし今後チベットの美術を日本に紹介したいという奇特な方がいらっしゃるなら、ニューヨークのルービン美術館、ソウルのハジョン美術館、パリのギメ美術館はチベット美術の名品がそろってます。ここからお借りすれば、チベットの僧院でいま崇められているものに手をつけなくてすみます。もちろん選定の際にはチベットの研究者にお願いする。それから、カタログの執筆者にはもちろんチベットの美術をご専門にされている先生方や、チベット人に執筆していただくと、こうすればチベット文化が理想的な形で日本に紹介できますね。
一般論ですが、ほとんどの研究者は、こういう企画ものにはほとんど意見聞かれることありません。せいぜいが仕上がってからチェックお願いします、です。みなさんお忙しいので、自分たちで絵を描いて、形つくって、何か言われないように最後だけ専門家にたのんでチェック、ということなのだと思いますが、それではやはり理想的な作品はしあがらないと。
それで思い出したけど、すごいむかーし、大丸で「大チベット展」(主催: 毎日新聞社・毎日コミュニケーションズ, 後援: 外務省・文化庁,協力:国立民族学博物館・東北大学文学部)というのを中沢新一氏がプロデュースしたが、これはすごかった。会場にはチベットの仏壇が再現されていて、チベットのお坊さんが定時に法要を行うのだ。
展示はうろ覚えだけど東北大学から借りうけた河口慧海の将来品その他であった。ナマのチベット僧の迫力ある読経をきいて、チベットの入り口に入るか入らないかの学生だった自分はずいぶん衝撃を受けたことを覚えている。これはいまはなき北村甫先生からの又聞きだから正確な情報でないかもしれないけど、この展覧会で中沢新一氏は先生であるケツンサンポ氏にずいぶんなお布施をさしあげられたとのこと。
すんばらしい。チベット人のためになり、かつ生きたチベットが伝わってこその「チベット展」。
そういうわけで、いよいよ上野の森でチベット美術展が始まります。
美術館初日に、ダライ・ラマ法王事務所の代表も参加してのピースウォークがあるとのこと。詳細はっときますわ。
開催日:2009年9月19日(土)
スケジュール:
集合 11:30(簡単な主催者挨拶、諸注意、ゲストご挨拶)
出発 12:00
到着・解散 12:30
集合場所:台東区竹町(たけちょう)公園 東京都台東区台東4-21-1
最寄り駅:JR御徒町駅、東京メトロ日比谷線仲御徒町駅
コース:竹町公園→春日通→多慶屋前→御徒町駅前→上野広小路(上野松坂屋前)→
天神下交差点右折→池之端1丁目→上野恩賜公園
到着地:上野恩賜公園(到着後流れ解散となります)
ゲスト:ラクパ・ツォコ(ダライ・ラマ法王日本代表部事務所代表)
主催:「聖地チベット-ポタラ宮と天空の至宝」展に抗議する国際連盟
先のエントリーで某教授の情報に基づき、
今回の美術展は「中国政府はカンケーなくて、日本の先生が選んだ」みたいなことと書いたら、さる筋から新たなる情報が入りました。
それはこのようなもの。
中国の美術品を管理する部局である国家文物局は、この美術展のために、お寺から美術品をいつ返すとも言わずにごっそりもちだし、拒否できるようなフンイキではなかったとのこと。
僧院では仏像は日夜お坊さんや巡礼に供養されている。今なお生きた信仰の対象なのだ。それをいきなりごっそり持って行かれて、見せ物にするのだから、いいわけない。しかも拒否権もないときたら、フェアとはいえない。
というわけで、「仏様のかり出しは紳士的に行われていない」とのさる筋からの情報に基づき、前回のエントリーの「中国政府カンケーない」という点改め、より深いレヴェルでは「カンケーしています。」
そこで白雪姫の豆知識。
もし今後チベットの美術を日本に紹介したいという奇特な方がいらっしゃるなら、ニューヨークのルービン美術館、ソウルのハジョン美術館、パリのギメ美術館はチベット美術の名品がそろってます。ここからお借りすれば、チベットの僧院でいま崇められているものに手をつけなくてすみます。もちろん選定の際にはチベットの研究者にお願いする。それから、カタログの執筆者にはもちろんチベットの美術をご専門にされている先生方や、チベット人に執筆していただくと、こうすればチベット文化が理想的な形で日本に紹介できますね。
一般論ですが、ほとんどの研究者は、こういう企画ものにはほとんど意見聞かれることありません。せいぜいが仕上がってからチェックお願いします、です。みなさんお忙しいので、自分たちで絵を描いて、形つくって、何か言われないように最後だけ専門家にたのんでチェック、ということなのだと思いますが、それではやはり理想的な作品はしあがらないと。
それで思い出したけど、すごいむかーし、大丸で「大チベット展」(主催: 毎日新聞社・毎日コミュニケーションズ, 後援: 外務省・文化庁,協力:国立民族学博物館・東北大学文学部)というのを中沢新一氏がプロデュースしたが、これはすごかった。会場にはチベットの仏壇が再現されていて、チベットのお坊さんが定時に法要を行うのだ。
展示はうろ覚えだけど東北大学から借りうけた河口慧海の将来品その他であった。ナマのチベット僧の迫力ある読経をきいて、チベットの入り口に入るか入らないかの学生だった自分はずいぶん衝撃を受けたことを覚えている。これはいまはなき北村甫先生からの又聞きだから正確な情報でないかもしれないけど、この展覧会で中沢新一氏は先生であるケツンサンポ氏にずいぶんなお布施をさしあげられたとのこと。
すんばらしい。チベット人のためになり、かつ生きたチベットが伝わってこその「チベット展」。
そういうわけで、いよいよ上野の森でチベット美術展が始まります。
美術館初日に、ダライ・ラマ法王事務所の代表も参加してのピースウォークがあるとのこと。詳細はっときますわ。
開催日:2009年9月19日(土)
スケジュール:
集合 11:30(簡単な主催者挨拶、諸注意、ゲストご挨拶)
出発 12:00
到着・解散 12:30
集合場所:台東区竹町(たけちょう)公園 東京都台東区台東4-21-1
最寄り駅:JR御徒町駅、東京メトロ日比谷線仲御徒町駅
コース:竹町公園→春日通→多慶屋前→御徒町駅前→上野広小路(上野松坂屋前)→
天神下交差点右折→池之端1丁目→上野恩賜公園
到着地:上野恩賜公園(到着後流れ解散となります)
ゲスト:ラクパ・ツォコ(ダライ・ラマ法王日本代表部事務所代表)
主催:「聖地チベット-ポタラ宮と天空の至宝」展に抗議する国際連盟
ダライラマ亡命までの21日間
先週の末、NHKのアジアンスマイル枠で「チベット子ども村の祈り」が、BS海外ドキュ・ンタリー枠で、「ダライ・ラマ亡命までの21日間」が放映された。
これまでNHKのチベット特集といえば、中国特派員の暴動中継か、中国の官製ツァーにのっかって中国がのぞむままの映像をとらされたようなもんばかりだった。
7月14日に放送された「きょうの出来事」でもチベットが特集されたけど、それはトホホな内容であった。
まず、タイトル「中国のもう一つの火種・チベット公開メディア・ツアーの狙いとは」
で番組ホームページから要旨
先週起きた新疆ウイグル自治区の暴動で浮き彫りになった中国の民族問題。それを先取りするように去年3月に民族問題に端を発して大規模な暴動が発展したのがチベット自治区だ。これまでチベット自治区の取材は厳しく制限されていたが、暴動から1年以上経った先月、中国政府は外国メディアに対するプレスツアーを実施した。各メディアには必ず当局の担当者が付き、当局が準備した対象だけを取材させるという多くの制約の中で、暴動の起こった寺院や、学校、観光地、チベット人が働く工場などを公開した。この時期海外メディアにチベットを取材させた中国政府の思惑は何か、メディアツアーからかいま見えるチベット自治区の現状はどうか、現地から伝える。出演:川上明人(上海支局記者)
この要旨だけをみると、大変だったんだなあ、と同情するけど、番組内容はたんに中国政府が選んだ訪問先につれていかれて、彼らが選んだ人にインタヴューした、という"官製ツアー"の報告。
うろ覚えだけど、缶詰工場では「社長」のチベット人がでてきて、「この最新の缶詰工場では~を作っていて、チベット人~人の雇用が生まれています」とか言ってるし、
新しいアパートに入ったチベット人のおばあさんが「政府に快適な家をつくってもらいしました」とか喜んでいるし、
お寺にいってお坊さんが「あの暴動を起こした人は一部の反動主義者です~」言ってたり、なんか「北朝鮮の七日間」みたいな映像ばかり。
もちろんNHKもナレーションでせいいっぱい抵抗するけど、そういうのってリテラシーがないと届かない。たまたまチャンネルあわせた視聴者は
「中国が未開のチベットの地にたくさん投資をしてチベットの人は喜んでいるのね」と見えても仕方ない造りになっている。
とにかく気持ち悪い番組だった。
しかし、先週末の「ダライ・ラマ亡命までの21日間」(オルタス・ジャパン製作)は違った。
番組冒頭で、中国の中央テレビが製作したここ60年のチベット支配を正当化した番組が流れ、次に、アメリカが製作した、中国のチベット侵略を告発した古いフィルム「失われた国から来た男」(Man from a Missing Land)が流れた時は、中国の反帝国主義とアメリカの反共の空中戦がテーマかよ、と一瞬がっかりしたが、そのあとはもう少しまともだった。
ダライ・ラマのお兄さんとCIAとの関係とか、1959年のダライ・ラマ亡命の日を存命中の関係者に証言させたりとか、ワシントンの冷戦博物館が集めた資料から当時のソ連と毛沢東の間にかわされた会話とかがとりあげられてた。、
ダライ・ラマのお兄さんとCIAの関係については『CIAとチベット』というドキュメンタリーがあるし、1959年の亡命直前、ダライラマが譚将軍にあてた手紙の中で、譚将軍が疑念を持たないよう蜂起した民衆を反動主義者とよんで安心させていたこととかは、中国の外文書店からでた宣伝文書集『チベット問題』で知っていたので、とくに目新しいことはなかった。
でも、1949年の毛沢東・ミコヤン会談で、毛沢東がミコヤンに、「アメリカとチベットがいたるところで"いちゃついている"。注意深くやらねばならない」とチベットという一つの文明をつぶすことを何の良心の呵責もなく語っていたこと
1959年の毛沢東・フルシチョフ会談でフルシチョフが「ダライ・ラマをなぜインドに逃がした。ヤツには棺がふさわしい」とか言い放ったとか、
1959年にダライ・ラマが亡命した直後、中央政府が「ダライ・ラマは反動主義者に拉致されたと宣伝せよ」とか命令したとか、
あまりにも薄汚い話ばかりしているのでで身の毛がよだった。
そしてダライ・ラマの亡命後、ポタラ宮の上に赤旗が翻る当時の映像が流れる。
このシーンは、独自の文化と体制を有していた一つの文明が、赤旗に象徴される共産党の暴力によって征服されたことを雄弁に示すものであった。
そして次のシーンでは、「時は現代、チベット人にとってダライラマのいるところがチベットである。チベット難民達はここインドのダラムサラで50年間チベットの文化をまもってきた」
とちゃんと今のチベットの状況を正確に伝えてくれた(これまでだと西蔵自治区の話はしても、ダライラマやダラムサラ事情についてはガン無視だった)。
さらに、CIAに関係していたダライラマのお兄さんについても
「ダライ・ラマはラマ(高僧)ですから一切知らせませんでした。諜報活動は汚れ仕事です。汚れ仕事は俗人がやることです。」という台詞をちゃんと残していて、視聴者がCIAやチベットゲリラとダライ・ラマを関連づけないような配慮を行っている。
ダライ・ラマの亡命当初からの発言と行動を知っている人なら誰でもそれを疑う人はいないが、確かに何も知らない視聴者への配慮は必要である。
すばらしい。オルタス・ジャパン!
で、作品の締めの部分では、ダラムサラの難民収容センターにいる亡命者の話であった。去年三月デモに参加して中国軍に撃たれて、一年地下に潜伏して最近亡命してきた人である。
青年の腕に残るなまなましい銃創のアップ。
そして青年の「中国はチベットに信仰の自由があるといいます。でもダライ・ラマ法王にお会いすることも、それどころか法王さまの写真一枚飾れないんですよ。どこに信仰の自由があるんですか。」との
言葉。
いやー、時代は変わりました。
NHKがこんな直球を投げてくれるとは。
欲を言えば地味なBSでなく、NHKスペシャルでやってほしかった。
細かい見所を言うと、チベット政府やダライ・ラマ側の映像が流れる時には、フィリップ・グラス作曲のあのクンドゥンの名サントラが流れ、1949年の中国の建国の時、また、1951年に中国がチベット併合を明記した十七条協約をむりやりダライラマに調印させるとか、中国とかソ連とかゴリゴリしているシーンではものすごく不穏な音楽が使われているところが、制作者の意図が分かりやすくでてて善かったです。
真実を伝えてこそ、報道。
NHKさん、ありがとう。ええもん見せてもらいましたわ。
これまでNHKのチベット特集といえば、中国特派員の暴動中継か、中国の官製ツァーにのっかって中国がのぞむままの映像をとらされたようなもんばかりだった。
7月14日に放送された「きょうの出来事」でもチベットが特集されたけど、それはトホホな内容であった。
まず、タイトル「中国のもう一つの火種・チベット公開メディア・ツアーの狙いとは」
で番組ホームページから要旨
先週起きた新疆ウイグル自治区の暴動で浮き彫りになった中国の民族問題。それを先取りするように去年3月に民族問題に端を発して大規模な暴動が発展したのがチベット自治区だ。これまでチベット自治区の取材は厳しく制限されていたが、暴動から1年以上経った先月、中国政府は外国メディアに対するプレスツアーを実施した。各メディアには必ず当局の担当者が付き、当局が準備した対象だけを取材させるという多くの制約の中で、暴動の起こった寺院や、学校、観光地、チベット人が働く工場などを公開した。この時期海外メディアにチベットを取材させた中国政府の思惑は何か、メディアツアーからかいま見えるチベット自治区の現状はどうか、現地から伝える。出演:川上明人(上海支局記者)
この要旨だけをみると、大変だったんだなあ、と同情するけど、番組内容はたんに中国政府が選んだ訪問先につれていかれて、彼らが選んだ人にインタヴューした、という"官製ツアー"の報告。
うろ覚えだけど、缶詰工場では「社長」のチベット人がでてきて、「この最新の缶詰工場では~を作っていて、チベット人~人の雇用が生まれています」とか言ってるし、
新しいアパートに入ったチベット人のおばあさんが「政府に快適な家をつくってもらいしました」とか喜んでいるし、
お寺にいってお坊さんが「あの暴動を起こした人は一部の反動主義者です~」言ってたり、なんか「北朝鮮の七日間」みたいな映像ばかり。
もちろんNHKもナレーションでせいいっぱい抵抗するけど、そういうのってリテラシーがないと届かない。たまたまチャンネルあわせた視聴者は
「中国が未開のチベットの地にたくさん投資をしてチベットの人は喜んでいるのね」と見えても仕方ない造りになっている。
とにかく気持ち悪い番組だった。
しかし、先週末の「ダライ・ラマ亡命までの21日間」(オルタス・ジャパン製作)は違った。
番組冒頭で、中国の中央テレビが製作したここ60年のチベット支配を正当化した番組が流れ、次に、アメリカが製作した、中国のチベット侵略を告発した古いフィルム「失われた国から来た男」(Man from a Missing Land)が流れた時は、中国の反帝国主義とアメリカの反共の空中戦がテーマかよ、と一瞬がっかりしたが、そのあとはもう少しまともだった。
ダライ・ラマのお兄さんとCIAとの関係とか、1959年のダライ・ラマ亡命の日を存命中の関係者に証言させたりとか、ワシントンの冷戦博物館が集めた資料から当時のソ連と毛沢東の間にかわされた会話とかがとりあげられてた。、
ダライ・ラマのお兄さんとCIAの関係については『CIAとチベット』というドキュメンタリーがあるし、1959年の亡命直前、ダライラマが譚将軍にあてた手紙の中で、譚将軍が疑念を持たないよう蜂起した民衆を反動主義者とよんで安心させていたこととかは、中国の外文書店からでた宣伝文書集『チベット問題』で知っていたので、とくに目新しいことはなかった。
でも、1949年の毛沢東・ミコヤン会談で、毛沢東がミコヤンに、「アメリカとチベットがいたるところで"いちゃついている"。注意深くやらねばならない」とチベットという一つの文明をつぶすことを何の良心の呵責もなく語っていたこと
1959年の毛沢東・フルシチョフ会談でフルシチョフが「ダライ・ラマをなぜインドに逃がした。ヤツには棺がふさわしい」とか言い放ったとか、
1959年にダライ・ラマが亡命した直後、中央政府が「ダライ・ラマは反動主義者に拉致されたと宣伝せよ」とか命令したとか、
あまりにも薄汚い話ばかりしているのでで身の毛がよだった。
そしてダライ・ラマの亡命後、ポタラ宮の上に赤旗が翻る当時の映像が流れる。
このシーンは、独自の文化と体制を有していた一つの文明が、赤旗に象徴される共産党の暴力によって征服されたことを雄弁に示すものであった。
そして次のシーンでは、「時は現代、チベット人にとってダライラマのいるところがチベットである。チベット難民達はここインドのダラムサラで50年間チベットの文化をまもってきた」
とちゃんと今のチベットの状況を正確に伝えてくれた(これまでだと西蔵自治区の話はしても、ダライラマやダラムサラ事情についてはガン無視だった)。
さらに、CIAに関係していたダライラマのお兄さんについても
「ダライ・ラマはラマ(高僧)ですから一切知らせませんでした。諜報活動は汚れ仕事です。汚れ仕事は俗人がやることです。」という台詞をちゃんと残していて、視聴者がCIAやチベットゲリラとダライ・ラマを関連づけないような配慮を行っている。
ダライ・ラマの亡命当初からの発言と行動を知っている人なら誰でもそれを疑う人はいないが、確かに何も知らない視聴者への配慮は必要である。
すばらしい。オルタス・ジャパン!
で、作品の締めの部分では、ダラムサラの難民収容センターにいる亡命者の話であった。去年三月デモに参加して中国軍に撃たれて、一年地下に潜伏して最近亡命してきた人である。
青年の腕に残るなまなましい銃創のアップ。
そして青年の「中国はチベットに信仰の自由があるといいます。でもダライ・ラマ法王にお会いすることも、それどころか法王さまの写真一枚飾れないんですよ。どこに信仰の自由があるんですか。」との
言葉。
いやー、時代は変わりました。
NHKがこんな直球を投げてくれるとは。
欲を言えば地味なBSでなく、NHKスペシャルでやってほしかった。
細かい見所を言うと、チベット政府やダライ・ラマ側の映像が流れる時には、フィリップ・グラス作曲のあのクンドゥンの名サントラが流れ、1949年の中国の建国の時、また、1951年に中国がチベット併合を明記した十七条協約をむりやりダライラマに調印させるとか、中国とかソ連とかゴリゴリしているシーンではものすごく不穏な音楽が使われているところが、制作者の意図が分かりやすくでてて善かったです。
真実を伝えてこそ、報道。
NHKさん、ありがとう。ええもん見せてもらいましたわ。
ギュメ大僧院こぼれ話
インド学仏教学学会に来て下さった方ありがとうございました(ここクリック。)。オカメインコのごろう様とひきとったばかりの子猫るりJr.の世話があるため、私は失礼させていただきました。いろいろな方が来て下さったとの話をきいて、お会いしたかったなあと思いました。すみません。
さて、その学会が終わった後、一行はロイホに向かった。みながドリンクバーにいって平岡センセとダンナが二人になったところで、平岡センセはダンナにダライラマご直筆の病気平癒のルンをくださった。
何年か前に病気のガワン先生のために、ダライラマ法王がその時滞在されていたバンガロールのホテルで、備え付けの便せんにその場で書いたものだ。
東京に帰ってきたダンナ、テクストを読んで私にルン(テクストを音読することによってその力をつたえる儀礼)を授ける。
私「ダライラマ法王→平岡先生→ダンナ→イシハマって、史上最短のルンの相承だな。」
ダンナ「正確にはガワン先生がこの偈のルンをダライラマから頂戴した時、平岡センセが横にいて流れルンをもらったわけ」
私「で、サンスクリット語で書かれているけどこのマントラの意味は?」
ダンナ「聞いてない」
というわけで、平岡先生に直電。
で、その意味が
オン ペルテンラモ女尊よ。私のあらゆる病と障りを止めてください。
オン ペルテンラモ女尊よ。私の長寿と智慧と徳を増してください。
説明しよう。一行目が息災(悪いこととめて)で、二行目が増益(善いことふやして)の形式に則っているのであーる。
私「何でペルテンラモにお願いするんですか」
平岡センセ「歴史学者とは思えないオコトバですな。ダライラマ猊下の護り本尊は・・・」
私「ああ、ペンデンラモでしたね」
平岡先生「ダライラマ法王が亡命される時も肌身離さなかったタンカは、ダライラマ二世の描いたペルテンラモだってご存じですよね。ガワン先生がまだお若い頃、体を壊された時、ダラムサラに呼ばれてこの猊下の大事にされているペルテンラモのタンカを頭上において加持されたことがあるんですよ」
私「ダライラマ二世はラモラツォ(女神の湖)を開いた方だから、自分が見たペルテンラモを書いたんでしょうね」
平岡先生「ラモラツォってあの「アカマの湖」ですか?」
私「そう」
説明しよう。ラモラツォとはペルテンラモの霊力を宿す湖として知られていて、未来をうつすので、現ダライラマ14世の捜索隊もこの湖にうつった「アカマ」の三つの文字と金色の屋根の映像を手がかりにダライラマ14世にたどりついたのであーる。
平岡センセ「じつはガワン先生の護り本尊もペルテンラモ女尊なんですよ。それについてはおもしろい話があるんですわ。ぷくく」
私「なになになに」
平岡センセ「昔ギュメがチュメリンにあった時、近くに大きな川があってギュメに行く時はそれをわたらなければならなかったんですわ。で、ある時坊さんを満載した船がひっくりかえって、でも、その中にいた結構偉い坊さんの一人が超能力使って全員無事だったんですわ。でもね、ギュメは密教学堂だけど、人前で超能力使ったら寺から追放される掟があるんですわ」
私「ハリー・ポッターのホグワーツ魔法学校と同じ規則ですね、わかります」
平岡センセ「で、その時のギュメの管長が、護り本尊がちゃんと仕事していないから、偉い坊さんが寺を出なければならなくなった、と怒って、ペルテンラモをギュメから追放したんですわ。」
私「どうやって。」
平岡センセ「その夜ギュメのお堂から泣く泣くでていく女の人が目撃されたそうですわ」
私「ふーん」
平岡センセ「そんでもういらないって川にすれてられたペンデンラモのタンカが流れ流れて下流で拾われてガンデン大僧院のチャンツェ学堂の護り本尊になったんですわ。で、ガワン先生はチャンツェの僧だから、猊下と同じペルテンラモが護り本尊なわけです」
私「その話どこに書いてあるんですか。」
平岡センセ「ギュメの僧ならみな知ってますわ。チャンツェ学堂がこの話を裏書きしているかはしりません」
で、もう一ついただいたのが今年4月24日にこれまたダライラマ法王がダラムサラのテクチェンリン(大乗寺)の居殿で著された「ガワン先生の生まれ変わりがはやくこの地に生まれますように」という短い偈。
いかが翻訳。
私たちが今から仏の境地にいたるまでの間に
今積んでいる善、これから積むであろう善のすべてが
この地に聖なる方の最高の生まれ変わりが
速くお出ましになる原因となりますように。
という偈。
灌頂を受けていない人でも、ガワン先生がもう一度生まれてきてほしいと思う方はどなたが唱えてもいいそうです。
さて、その学会が終わった後、一行はロイホに向かった。みながドリンクバーにいって平岡センセとダンナが二人になったところで、平岡センセはダンナにダライラマご直筆の病気平癒のルンをくださった。
何年か前に病気のガワン先生のために、ダライラマ法王がその時滞在されていたバンガロールのホテルで、備え付けの便せんにその場で書いたものだ。
東京に帰ってきたダンナ、テクストを読んで私にルン(テクストを音読することによってその力をつたえる儀礼)を授ける。
私「ダライラマ法王→平岡先生→ダンナ→イシハマって、史上最短のルンの相承だな。」
ダンナ「正確にはガワン先生がこの偈のルンをダライラマから頂戴した時、平岡センセが横にいて流れルンをもらったわけ」
私「で、サンスクリット語で書かれているけどこのマントラの意味は?」
ダンナ「聞いてない」
というわけで、平岡先生に直電。
で、その意味が
オン ペルテンラモ女尊よ。私のあらゆる病と障りを止めてください。
オン ペルテンラモ女尊よ。私の長寿と智慧と徳を増してください。
説明しよう。一行目が息災(悪いこととめて)で、二行目が増益(善いことふやして)の形式に則っているのであーる。
私「何でペルテンラモにお願いするんですか」
平岡センセ「歴史学者とは思えないオコトバですな。ダライラマ猊下の護り本尊は・・・」
私「ああ、ペンデンラモでしたね」
平岡先生「ダライラマ法王が亡命される時も肌身離さなかったタンカは、ダライラマ二世の描いたペルテンラモだってご存じですよね。ガワン先生がまだお若い頃、体を壊された時、ダラムサラに呼ばれてこの猊下の大事にされているペルテンラモのタンカを頭上において加持されたことがあるんですよ」
私「ダライラマ二世はラモラツォ(女神の湖)を開いた方だから、自分が見たペルテンラモを書いたんでしょうね」
平岡先生「ラモラツォってあの「アカマの湖」ですか?」
私「そう」
説明しよう。ラモラツォとはペルテンラモの霊力を宿す湖として知られていて、未来をうつすので、現ダライラマ14世の捜索隊もこの湖にうつった「アカマ」の三つの文字と金色の屋根の映像を手がかりにダライラマ14世にたどりついたのであーる。
平岡センセ「じつはガワン先生の護り本尊もペルテンラモ女尊なんですよ。それについてはおもしろい話があるんですわ。ぷくく」
私「なになになに」
平岡センセ「昔ギュメがチュメリンにあった時、近くに大きな川があってギュメに行く時はそれをわたらなければならなかったんですわ。で、ある時坊さんを満載した船がひっくりかえって、でも、その中にいた結構偉い坊さんの一人が超能力使って全員無事だったんですわ。でもね、ギュメは密教学堂だけど、人前で超能力使ったら寺から追放される掟があるんですわ」
私「ハリー・ポッターのホグワーツ魔法学校と同じ規則ですね、わかります」
平岡センセ「で、その時のギュメの管長が、護り本尊がちゃんと仕事していないから、偉い坊さんが寺を出なければならなくなった、と怒って、ペルテンラモをギュメから追放したんですわ。」
私「どうやって。」
平岡センセ「その夜ギュメのお堂から泣く泣くでていく女の人が目撃されたそうですわ」
私「ふーん」
平岡センセ「そんでもういらないって川にすれてられたペンデンラモのタンカが流れ流れて下流で拾われてガンデン大僧院のチャンツェ学堂の護り本尊になったんですわ。で、ガワン先生はチャンツェの僧だから、猊下と同じペルテンラモが護り本尊なわけです」
私「その話どこに書いてあるんですか。」
平岡センセ「ギュメの僧ならみな知ってますわ。チャンツェ学堂がこの話を裏書きしているかはしりません」
で、もう一ついただいたのが今年4月24日にこれまたダライラマ法王がダラムサラのテクチェンリン(大乗寺)の居殿で著された「ガワン先生の生まれ変わりがはやくこの地に生まれますように」という短い偈。
いかが翻訳。
私たちが今から仏の境地にいたるまでの間に
今積んでいる善、これから積むであろう善のすべてが
この地に聖なる方の最高の生まれ変わりが
速くお出ましになる原因となりますように。
という偈。
灌頂を受けていない人でも、ガワン先生がもう一度生まれてきてほしいと思う方はどなたが唱えてもいいそうです。
チベット美術展はじまる
上野の森の美術館で9月19日からチベット密教美術展が始まる。
そのせいかどうか、大学にチベット展のカタログが届いていた。差出人をみると、S先生。お会いしたことはないが、このカタログの巻頭に全体を総括するような形でチベット史の流れを総論で書いている。
カタログに同封されていたS先生のご研究が「雲崗 石窟再考」であることが示すように、S先生はチベット史の研究者ではなく、中国も古代・中世の仏教美術を専門にされている方である。
返礼として、私もチベット美術について論文を書いていないわけではないので、乾隆帝を描いたタンカについての拙稿(英文 笑)をお送りしようと思う。チベット問題の拙稿も入れて(笑)。
上野でのこの美術展をめぐっては今のところ、自然発生的にいくつかのグループがそれぞれのアクションを考えているみたい。
まず、文芸系アプローチ。チベット芸術フォーラムというグループさんが、会場向かいの東京都美術館でチベット文化の講演会をシリーズでやっちゃおうというもの。初回はダライラマ法王事務所の代表もゲスト出演してます(詳細はここクリック)。
次は、ガテン系アプローチ。「パルデンの会」さん主宰で、会場の入り口前の天海上人の毛髪塔の近くで、チベット旗たてて、啓蒙ビラを配っちゃおうというもの。街宣ぽくならないことを祈る(詳細はここクリック)。
それから、欧米系アプローチ。これは「聖地チベット-ポタラ宮と天空の至宝-」展に抗議する国際連盟さん主宰で、主宰者に対して展示内容にダライラマが亡命するにいたった経緯とその後の中国政府の文化破壊活動を明示せよ、と書面で要求するなどの行動を起こしている(詳細はここクリック)。
いやあ、市民運動ってほんっとーに面白いですねー(淀川長治風)。
以下、新たな情報に基づいて9/9に書き換え。さらにその後の情報によって9/17付けで新たにエントリーを書きました。
この展覧会はじつは中国政府のプロパガンダはカンケーなくて、民間の広告会社の企画で始まったのだという。その広告会社に勤める中国の人が、仲のいい民間の先生(チベット研究者ではナイ)と組んで、作品のいくつかを選定するなどしたため、この展示品は中国政府ではなくその先生の見立てである。
カタログをつくる際にも、もちろん誰の圧力もないまま日本で編集したので、チベット研究者の小野田先生も一文をよせている。
九州博物館に続いて北海道にも椎名誠さんは呼ばれたらしいし、美術展の主宰者も批判をかわすためにずいぶん考えている。
で、ワタクシにこの情報を下さった先生は、「中国政府の圧力を受けないよう気を遣ってきたのに、今回のアクションで寝た子を起こすことにならないといいのですが。何にせよチベットの文化が日本で紹介されるのはいいことですよ」と心配されていた。
今回の美術展でどのようにチベット問題をアピールできるか、と支援者の方たちが話しあいしていた中で、私が面白いと思ったアイディアは、チベットのお坊さんに砂マンダラを書いてもらう、というもの。お寺から運び出されて、美術館の中でガラスケースにはまって見せ物になっているマンダラや仏像よりも、その場でチベットのお坊さんが入魂しながら書いていく砂マンダラは魂がこもっているし、きれいなので、多くの人がのぞきにきて、ついでにチベットのお坊さんの話も聞いてくれるかもしれない。そして、その方がお寺がだされてガラスケースに入った美術品を見るよりも、はるかにチベットが分かるはずである。
「中国は ●×~」とか声高に叫ぶと、人にひかれるけど、砂曼荼羅だったら、人が自然とよってきて、自然と話を聞いてもらえる空間ができる。
でも、砂マンダラを作れるようなお坊さんを一月拘束するのは時間もお金もかかってまあ実現はムリ。
悲しい話だけど、いまやチベット人は砂曼荼羅つくったり、チャムをおどったりして、僧院を維持する資金を集めているので、ただでお坊さんにきてもらうのはまあムリ。
こういう時、資金も政治力もないチベット人は悲しい。まあ、金も力もなくとも、事実はこちらに味方しているので、それこそがまさにチベットの強みである。神仏はきっとこちらの味方。
まあそういうわけで、上野の森でチベット美術展が始まります。
そのせいかどうか、大学にチベット展のカタログが届いていた。差出人をみると、S先生。お会いしたことはないが、このカタログの巻頭に全体を総括するような形でチベット史の流れを総論で書いている。
カタログに同封されていたS先生のご研究が「雲崗 石窟再考」であることが示すように、S先生はチベット史の研究者ではなく、中国も古代・中世の仏教美術を専門にされている方である。
返礼として、私もチベット美術について論文を書いていないわけではないので、乾隆帝を描いたタンカについての拙稿(英文 笑)をお送りしようと思う。チベット問題の拙稿も入れて(笑)。
上野でのこの美術展をめぐっては今のところ、自然発生的にいくつかのグループがそれぞれのアクションを考えているみたい。
まず、文芸系アプローチ。チベット芸術フォーラムというグループさんが、会場向かいの東京都美術館でチベット文化の講演会をシリーズでやっちゃおうというもの。初回はダライラマ法王事務所の代表もゲスト出演してます(詳細はここクリック)。
次は、ガテン系アプローチ。「パルデンの会」さん主宰で、会場の入り口前の天海上人の毛髪塔の近くで、チベット旗たてて、啓蒙ビラを配っちゃおうというもの。街宣ぽくならないことを祈る(詳細はここクリック)。
それから、欧米系アプローチ。これは「聖地チベット-ポタラ宮と天空の至宝-」展に抗議する国際連盟さん主宰で、主宰者に対して展示内容にダライラマが亡命するにいたった経緯とその後の中国政府の文化破壊活動を明示せよ、と書面で要求するなどの行動を起こしている(詳細はここクリック)。
いやあ、市民運動ってほんっとーに面白いですねー(淀川長治風)。
以下、新たな情報に基づいて9/9に書き換え。さらにその後の情報によって9/17付けで新たにエントリーを書きました。
この展覧会はじつは中国政府のプロパガンダはカンケーなくて、民間の広告会社の企画で始まったのだという。その広告会社に勤める中国の人が、仲のいい民間の先生(チベット研究者ではナイ)と組んで、作品のいくつかを選定するなどしたため、この展示品は中国政府ではなくその先生の見立てである。
カタログをつくる際にも、もちろん誰の圧力もないまま日本で編集したので、チベット研究者の小野田先生も一文をよせている。
九州博物館に続いて北海道にも椎名誠さんは呼ばれたらしいし、美術展の主宰者も批判をかわすためにずいぶん考えている。
で、ワタクシにこの情報を下さった先生は、「中国政府の圧力を受けないよう気を遣ってきたのに、今回のアクションで寝た子を起こすことにならないといいのですが。何にせよチベットの文化が日本で紹介されるのはいいことですよ」と心配されていた。
今回の美術展でどのようにチベット問題をアピールできるか、と支援者の方たちが話しあいしていた中で、私が面白いと思ったアイディアは、チベットのお坊さんに砂マンダラを書いてもらう、というもの。お寺から運び出されて、美術館の中でガラスケースにはまって見せ物になっているマンダラや仏像よりも、その場でチベットのお坊さんが入魂しながら書いていく砂マンダラは魂がこもっているし、きれいなので、多くの人がのぞきにきて、ついでにチベットのお坊さんの話も聞いてくれるかもしれない。そして、その方がお寺がだされてガラスケースに入った美術品を見るよりも、はるかにチベットが分かるはずである。
「中国は ●×~」とか声高に叫ぶと、人にひかれるけど、砂曼荼羅だったら、人が自然とよってきて、自然と話を聞いてもらえる空間ができる。
でも、砂マンダラを作れるようなお坊さんを一月拘束するのは時間もお金もかかってまあ実現はムリ。
悲しい話だけど、いまやチベット人は砂曼荼羅つくったり、チャムをおどったりして、僧院を維持する資金を集めているので、ただでお坊さんにきてもらうのはまあムリ。
こういう時、資金も政治力もないチベット人は悲しい。まあ、金も力もなくとも、事実はこちらに味方しているので、それこそがまさにチベットの強みである。神仏はきっとこちらの味方。
まあそういうわけで、上野の森でチベット美術展が始まります。
台湾の世論調査(by民進)
8月31日締め切りのやや専門家むけ啓蒙本の原稿を数時間おくれて一日午前にだす。そいで2日に同じく31日締め切りのこの秋開かれるデリーの学会の英文要旨を二日遅れでだす。
専門の論文も一本ほぼ仕上がる。あとは、デリーの学会で発表するテーマの研究のつめと、本二冊分の原稿(和文)だけ。
やってもやっても終わらんな。はーっはっはっはっ。
さて、たいわーん、わーん(コワレてる 笑)。
よく知ってるとある留学生さんからのメール
先生、今日から、ダライラマ陛下が台湾の災難の超度儀式を行うため、台湾を訪問しているんですね。
yahoo台湾でダライラマ陛下に関する記事を読んで、中国人(台湾人・本土人)っておかしいと思い頭に来ました。
なぜ、宗教を政治化して、自分たち(台湾人)らの政治問題(中国と独立するか、統一するか)にダライラマ陛下の人道的な訪問を利用するんですか。
中国もおかしく、先に政治化するのは自分たちですよね。宗教的訪問で、人道的な訪問であるとダライラマ側は言っているのに、それを政治的に解釈して
騒いでいるのがなんかばかばかしくて、台湾の記事を読んでて、研究頑張ろうって改めて湧き上がる何かがありました。
(中略)
私、今まで台湾に対してよい感情をもっていたのですが、今回の対応を見てガッカリしました。宗教を政治化して騒ぐのが、まるで中国と同じように見えます。
で、その留学生に教えてもらった台湾ヤフーの記事。翻訳してみましたが、私中国語苦手なんで(笑)フィーリングで訳しました。正確にしりたい人はソースをみて。
世論調査:50%が「馬英九はダライラマに会うべし」と答え、80%が「ダライラマに対する抗議デモは不適当」と答える
2009/0902 14:20 記者 康仁俊 台北報道
民進党中央はダライラマに関する世論調査を発表した。その調査によると、67.2%の民衆が「ダライラマが台湾を訪れたのは祈りのためで、災害にあった人々を思いやる旅である。政治的なものではない」に賛成した。
また、52%の民衆が「ダライラマが台湾を訪問すると両岸関係(中国と台湾関係)にマイナスの影響がある」という考え方に反対し、39.9%の民衆がこれに賛成した。
民進党はこう示した。50.7%の民衆が「民進党のシンパがダライラマを台湾にお迎えしたことは政治目的であり、故意に馬英九に難題をつきつけた」という言説に反対し、37.0%がこれに賛成した。その中でも民進党の支持者は74%がこの種の言説に反対した。国民党と民進党の中間にいる層の49%が反対、31%が賛成した。
ダライラマの台湾訪問の行程中に、部分的に抗議デモがあったことについて77.7%の民衆が「ダライラマに対する抗議は不適当である」とし、「適当である」としたのはわずか13.2%であった。つまり、国民党の支持者であっても八割近くが「ダライラマに対する抗議行動を不適当」と見なしていたこととなる。
世論調査は五割近い(48.6%)民衆が「馬英九総統はダライラマと会うべきだ」としており、「会うべきでない」としたのは36.3%だった。その中でも37%の民進党の支持者は「馬英九はダライラマと会うべし」としており、国民党の支持者の中では、50%が「会うべきでない」とし42%が「会うべき」と答えた。どちらの党の支持者でもないものは38%が「会うべし」、36%が「会うべきでない」とした。
ダライラマが記者会見、及び桃園での講演を取り消したことについては、51.1%の民衆が「これは中国が台湾政府に対して圧力を加えた結果である」と信じており、36.8%が「そうは信じない」と答えた。その中で民進党支持者は78%が「信じる」と答え、どちらの党の支持者でもないものは46%が「信じる」と答え、33%が「信じない」と答えた。
〔ああ疲れてきた〕
このたびの世論調査は民進党の中央が8月31日、9月1日の両日にわたり20才以上の有権者に訪問調査して出したものである。
ソース↓
http://tw.news.yahoo.com/article/url/d/a/090902/17/1qbj3.html
というわけで、自分がまーったく信心が理解できないで、死者をいたむなんて気持ちが理解できないからといって、わざわざ慰問にきてくださったダライラマに抗議デモかけるなんて、台湾の一部の方はずいぶん不安定になってきているんですね。
と書いたら、台湾通のゼミ生から、抗議行動したのは先住民で、彼らは台湾政府にも本土中国にも敵意もってますよ、と言われた。で、ニュースみたら
ダライ・ラマ:地味な訪台 台風被災者「政治利用するな」 - 毎日jp(毎日新聞)
2009年9月3日 19時53分 更新:9月3日 20時57分
【台北・大谷麻由美】台風8号の被災地慰問を目的に台湾を訪れているチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は4日、6日間の日程を終えてインドに戻る。滞在中は被災者と対中融和政策を進める馬英九政権への配慮から「非政治的な活動」を強調したが、先住民族の被災者から「我々を政治利用するな」と抗議を受け、活動規模を縮小する地味な訪問となった。
ダライ・ラマは8月31日、土石流で大きな被害を受けた高雄県小林村に入ったが、宿泊先のホテル前では先住民族の被災者約30人が「ダライの政治は必要ない」と書かれた横断幕を広げて抗議した。大半がキリスト教信者の先住民族にとって、台湾野党・民進党が招請したダライ・ラマの訪台は複雑な感情を引き起こした。
ダライ・ラマは滞在中、▽記者会見を中止▽高雄市での講演会の規模を1万5000人から1200人に縮小▽台湾北部での講演会中止--と予定の変更が続いた。
つまり、ダライラマの台湾訪問を政治問題化して騒いでいる方々は、本土人・台湾人・先住民と三様だという情報をここに加えておきます。
個人的な感想を述べれば、抗議行動をする人が、キリスト教であろうと、イスラーム教であろうと、毛沢東はであろうと、慰問に訪れた人に対して抗議行動を行うことは礼を失していると思う。
ダライラマは他宗教についてそれぞれの宗教によって救われている人がいるから、どのような宗教(それが無宗教の毛沢東崇拝であっても 笑)でも尊重すべきだという立場であり、仏教への改宗をしたがる人にも、ムリに改宗する必要はないとまで言う方です。
そのような人に政治や宗教のレッテルをはって、抗議活動をすることは、その人の品性が問われるだけ。
いずれにせよ、ダライラマはその抗議デモみても「民主主義だ、すばらしい」といって笑ってらっしゃった。
人間性大きいわー。
余談だけど、台湾のダライラマ訪問ニュースみてたら笑える一言が。
「チベットの薬が百病を治すって?? そんなことないよ、NO NO NOとおっしゃってダライラマ呵々大笑」
ていうニュースがあって、ああ台湾の人はダライラマの一挙手一頭足に注目しているんだなあ、と感心。
とある奇特な方がダライラマ法王の台湾公演(英語で話して中国語の通訳付きの)動画のリンクをつくってくださっています。こらんください。台湾人の熱気があふれてます。
専門の論文も一本ほぼ仕上がる。あとは、デリーの学会で発表するテーマの研究のつめと、本二冊分の原稿(和文)だけ。
やってもやっても終わらんな。はーっはっはっはっ。
さて、たいわーん、わーん(コワレてる 笑)。
よく知ってるとある留学生さんからのメール
先生、今日から、ダライラマ陛下が台湾の災難の超度儀式を行うため、台湾を訪問しているんですね。
yahoo台湾でダライラマ陛下に関する記事を読んで、中国人(台湾人・本土人)っておかしいと思い頭に来ました。
なぜ、宗教を政治化して、自分たち(台湾人)らの政治問題(中国と独立するか、統一するか)にダライラマ陛下の人道的な訪問を利用するんですか。
中国もおかしく、先に政治化するのは自分たちですよね。宗教的訪問で、人道的な訪問であるとダライラマ側は言っているのに、それを政治的に解釈して
騒いでいるのがなんかばかばかしくて、台湾の記事を読んでて、研究頑張ろうって改めて湧き上がる何かがありました。
(中略)
私、今まで台湾に対してよい感情をもっていたのですが、今回の対応を見てガッカリしました。宗教を政治化して騒ぐのが、まるで中国と同じように見えます。
で、その留学生に教えてもらった台湾ヤフーの記事。翻訳してみましたが、私中国語苦手なんで(笑)フィーリングで訳しました。正確にしりたい人はソースをみて。
世論調査:50%が「馬英九はダライラマに会うべし」と答え、80%が「ダライラマに対する抗議デモは不適当」と答える
2009/0902 14:20 記者 康仁俊 台北報道
民進党中央はダライラマに関する世論調査を発表した。その調査によると、67.2%の民衆が「ダライラマが台湾を訪れたのは祈りのためで、災害にあった人々を思いやる旅である。政治的なものではない」に賛成した。
また、52%の民衆が「ダライラマが台湾を訪問すると両岸関係(中国と台湾関係)にマイナスの影響がある」という考え方に反対し、39.9%の民衆がこれに賛成した。
民進党はこう示した。50.7%の民衆が「民進党のシンパがダライラマを台湾にお迎えしたことは政治目的であり、故意に馬英九に難題をつきつけた」という言説に反対し、37.0%がこれに賛成した。その中でも民進党の支持者は74%がこの種の言説に反対した。国民党と民進党の中間にいる層の49%が反対、31%が賛成した。
ダライラマの台湾訪問の行程中に、部分的に抗議デモがあったことについて77.7%の民衆が「ダライラマに対する抗議は不適当である」とし、「適当である」としたのはわずか13.2%であった。つまり、国民党の支持者であっても八割近くが「ダライラマに対する抗議行動を不適当」と見なしていたこととなる。
世論調査は五割近い(48.6%)民衆が「馬英九総統はダライラマと会うべきだ」としており、「会うべきでない」としたのは36.3%だった。その中でも37%の民進党の支持者は「馬英九はダライラマと会うべし」としており、国民党の支持者の中では、50%が「会うべきでない」とし42%が「会うべき」と答えた。どちらの党の支持者でもないものは38%が「会うべし」、36%が「会うべきでない」とした。
ダライラマが記者会見、及び桃園での講演を取り消したことについては、51.1%の民衆が「これは中国が台湾政府に対して圧力を加えた結果である」と信じており、36.8%が「そうは信じない」と答えた。その中で民進党支持者は78%が「信じる」と答え、どちらの党の支持者でもないものは46%が「信じる」と答え、33%が「信じない」と答えた。
〔ああ疲れてきた〕
このたびの世論調査は民進党の中央が8月31日、9月1日の両日にわたり20才以上の有権者に訪問調査して出したものである。
ソース↓
http://tw.news.yahoo.com/article/url/d/a/090902/17/1qbj3.html
というわけで、自分がまーったく信心が理解できないで、死者をいたむなんて気持ちが理解できないからといって、わざわざ慰問にきてくださったダライラマに抗議デモかけるなんて、台湾の一部の方はずいぶん不安定になってきているんですね。
と書いたら、台湾通のゼミ生から、抗議行動したのは先住民で、彼らは台湾政府にも本土中国にも敵意もってますよ、と言われた。で、ニュースみたら
ダライ・ラマ:地味な訪台 台風被災者「政治利用するな」 - 毎日jp(毎日新聞)
2009年9月3日 19時53分 更新:9月3日 20時57分
【台北・大谷麻由美】台風8号の被災地慰問を目的に台湾を訪れているチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は4日、6日間の日程を終えてインドに戻る。滞在中は被災者と対中融和政策を進める馬英九政権への配慮から「非政治的な活動」を強調したが、先住民族の被災者から「我々を政治利用するな」と抗議を受け、活動規模を縮小する地味な訪問となった。
ダライ・ラマは8月31日、土石流で大きな被害を受けた高雄県小林村に入ったが、宿泊先のホテル前では先住民族の被災者約30人が「ダライの政治は必要ない」と書かれた横断幕を広げて抗議した。大半がキリスト教信者の先住民族にとって、台湾野党・民進党が招請したダライ・ラマの訪台は複雑な感情を引き起こした。
ダライ・ラマは滞在中、▽記者会見を中止▽高雄市での講演会の規模を1万5000人から1200人に縮小▽台湾北部での講演会中止--と予定の変更が続いた。
つまり、ダライラマの台湾訪問を政治問題化して騒いでいる方々は、本土人・台湾人・先住民と三様だという情報をここに加えておきます。
個人的な感想を述べれば、抗議行動をする人が、キリスト教であろうと、イスラーム教であろうと、毛沢東はであろうと、慰問に訪れた人に対して抗議行動を行うことは礼を失していると思う。
ダライラマは他宗教についてそれぞれの宗教によって救われている人がいるから、どのような宗教(それが無宗教の毛沢東崇拝であっても 笑)でも尊重すべきだという立場であり、仏教への改宗をしたがる人にも、ムリに改宗する必要はないとまで言う方です。
そのような人に政治や宗教のレッテルをはって、抗議活動をすることは、その人の品性が問われるだけ。
いずれにせよ、ダライラマはその抗議デモみても「民主主義だ、すばらしい」といって笑ってらっしゃった。
人間性大きいわー。
余談だけど、台湾のダライラマ訪問ニュースみてたら笑える一言が。
「チベットの薬が百病を治すって?? そんなことないよ、NO NO NOとおっしゃってダライラマ呵々大笑」
ていうニュースがあって、ああ台湾の人はダライラマの一挙手一頭足に注目しているんだなあ、と感心。
とある奇特な方がダライラマ法王の台湾公演(英語で話して中国語の通訳付きの)動画のリンクをつくってくださっています。こらんください。台湾人の熱気があふれてます。
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