自分の心と向き合う勇気
ペルセウス流星群をみて首をいためたり、専門論文を書いたり、近所の橋からビルの間にあがる多摩川の花火をみたり、お台場いってガンダムみたり、電線の上を匍匐前進するハクビシン三匹をみて驚いたり、昨日は学校いってひさしぶりにゼミ生の顔をみて、一緒にカップ麺を食べたりしていたら、八月もいつのまにか後半である。
「専門論文~」以外の部分は小学生の夏休みである。
これではいかん。まとまった時間のあるうちに仕事せねば。
このブログの読者さんから、『週刊文春』の阿川佐知子の「あの人に会いたい」コーナーで、リチャギが出ていたとお知らせ頂きました。「やりたくない」という犬のために映画の制作が大変だった、みたいなメイキング談ももちろん語られていましたが、後半、リチャギのチベット語りがあり、これはたぶんチベット仏教を理解する能力のある人は共鳴できる部分大とみたので、以下摘録しました。
阿川 なぜ仏教にそんなに共鳴できたんですか。
ギアニつ答えがあります。一つはカルマで、私は前世に絶対仏教に関係があったと思う。それが今の信仰と結びついている。
阿川 へえ。
ギアもう一つは、今までいろんな霊的なものを探し求めてきたけれども、他にはなかった答えが仏教にはあったんです。それは非常に正直な教えであることと、人間の心を見つめる勇気があること、人間がこの世でする経験はすべて自分の責任だという教えがあること。そこにすごく共感したんです。
阿川 仏教徒として、日々やっていらっしゃることはおありですか。
ギア 毎日一時間、座禅を組みます。
阿川 毎日ぃ?
ギア あなたは楽器をやりますか?
阿川 ピアノとギターを少しだけ。
ギア 一日一時間、ギターを練習するだけでも、三十年、四十年統ければうまくなりますよね。心も同じなんですよ。一日一時間、自分自身と向き合って心を見つめる時間を持つ。それを長い月日続けていくと、どんな進歩があると思いますか。
阿川 神様になっちゃう(笑)。
ギア それほど怒らなくなるんです。今、人間にとって怒りがどんなに悪いことを呼んでいることか。
阿川 夫婦喧嘩もしない?
ギア もちろんします!(笑)
阿川 アッハッハ。よかった。
ギア でも、前とは違うんですよ。妻とも子どもとも仕事のパートナーとも喧嘩する。そういうときに瞑想すると、怒りの度合いがすごく低くなる。心が落ち着いていると、怒りに自分が呑み込まれなくなるんです。怒っていても、その自分と距離があって、「ああ、怒っているな」って自覚するから。
阿川 私も自覚はするんですよ。でも、呑み込まれちゃうんだな(笑)。
ギア 私も昔はコントロールできなかった。そこを修行していくんです。練習ですから毎日やるといい。
阿川 座禅は何年ぐらい続けていらっしゃるんですか。
ギア 三十六年間やっています。
阿川 ワ~ッー じゃ、もう全然文句言わない人になっちゃいましたね。
ギア 言います。まだまだ学ぶべきことは多い(笑)。でも、ダライラマでも文句おっしゃいますよ(笑)。
阿川 そうなの?‥ ダライ・ラマさんには何回もお会いになってるそうで。
ギア私の人生で一番幸せなのは彼と会っていることですね。
阿川 私、テレビでダライ・ラマさんのインタビューを観ているだけで涙が止まらなくなった。お顔を見ているだけでも、なんかこう…・…
ギア 私の見てきた中であんなに自己を捨てている人は彼しかいません。究極のセイント(聖人)です。
阿川 中国にひどいことをされても、非難の仕方が違いますよね。
ギア もっと大きなピジョンで考えてらっしゃるから。中国がああなったのはそういう歴史があったからだ、「今やっていることはあなた方にとって不幸な未来をもたらしますよ」ということまで読んだ上で、彼らを見守っている。その寛容さが素晴らしい。
阿川 ほお。
ギア 大人が悪いことをしている子どもを見て「ああ、そんなことしたら自分に跳ね返ってくるんだよ」と思うでしょ。私は彼がそういうふうに中国を見ているように思います。それだけ心も頭もハートも大きい。ラマ(チベッ卜仏教の高僧)はそういうすごい人たちですね。
阿川 ギアさんもだんだんそこに近づいていらっしゃるように見えます。
ギア いやいや、あそこまで辿り着くにはながーい道のりがあります。でも、そこに向かう正しい道に立っているということは分かっています。
阿川 そうですか。
ギア『HACHI』にも禅への思いが入っているんですよ。私はハチ公をヨーガ行者みたいなものだと解釈しているんです。駅前で黙って無心で主人の帰りを待っている。それ以外何も考えていない。あれは瞑想しているお坊さんみたいなもの。HACHIが示している忠誠心は人間同士の愛とは違う次元の愛なんですよ。そこが一番感動するところじゃないですか。
-------------------
あそこまでいくのは長くかかるだろうけど、少なくとも自分は間違った道を歩いていない、この感覚をもてることはとても幸せなことだと思う。
ダライ・ラマの行動とか心に接すると、普段きれいとは言えない自分の心の中でも、とても美しい部分が反応するのがわかる。たしかにあそこまでいくのはムリでも、皆が自分の心と向き合い、その問題点を理解し、少しずつでもその問題点を克服しようとすれば、世の中の紛争の大半は起きなくてすむ。
かつ、よく考えてみれば分かるが、紛争の根本的な解決法はこれしかない。
「専門論文~」以外の部分は小学生の夏休みである。
これではいかん。まとまった時間のあるうちに仕事せねば。
このブログの読者さんから、『週刊文春』の阿川佐知子の「あの人に会いたい」コーナーで、リチャギが出ていたとお知らせ頂きました。「やりたくない」という犬のために映画の制作が大変だった、みたいなメイキング談ももちろん語られていましたが、後半、リチャギのチベット語りがあり、これはたぶんチベット仏教を理解する能力のある人は共鳴できる部分大とみたので、以下摘録しました。
阿川 なぜ仏教にそんなに共鳴できたんですか。
ギアニつ答えがあります。一つはカルマで、私は前世に絶対仏教に関係があったと思う。それが今の信仰と結びついている。
阿川 へえ。
ギアもう一つは、今までいろんな霊的なものを探し求めてきたけれども、他にはなかった答えが仏教にはあったんです。それは非常に正直な教えであることと、人間の心を見つめる勇気があること、人間がこの世でする経験はすべて自分の責任だという教えがあること。そこにすごく共感したんです。
阿川 仏教徒として、日々やっていらっしゃることはおありですか。
ギア 毎日一時間、座禅を組みます。
阿川 毎日ぃ?
ギア あなたは楽器をやりますか?
阿川 ピアノとギターを少しだけ。
ギア 一日一時間、ギターを練習するだけでも、三十年、四十年統ければうまくなりますよね。心も同じなんですよ。一日一時間、自分自身と向き合って心を見つめる時間を持つ。それを長い月日続けていくと、どんな進歩があると思いますか。
阿川 神様になっちゃう(笑)。
ギア それほど怒らなくなるんです。今、人間にとって怒りがどんなに悪いことを呼んでいることか。
阿川 夫婦喧嘩もしない?
ギア もちろんします!(笑)
阿川 アッハッハ。よかった。
ギア でも、前とは違うんですよ。妻とも子どもとも仕事のパートナーとも喧嘩する。そういうときに瞑想すると、怒りの度合いがすごく低くなる。心が落ち着いていると、怒りに自分が呑み込まれなくなるんです。怒っていても、その自分と距離があって、「ああ、怒っているな」って自覚するから。
阿川 私も自覚はするんですよ。でも、呑み込まれちゃうんだな(笑)。
ギア 私も昔はコントロールできなかった。そこを修行していくんです。練習ですから毎日やるといい。
阿川 座禅は何年ぐらい続けていらっしゃるんですか。
ギア 三十六年間やっています。
阿川 ワ~ッー じゃ、もう全然文句言わない人になっちゃいましたね。
ギア 言います。まだまだ学ぶべきことは多い(笑)。でも、ダライラマでも文句おっしゃいますよ(笑)。
阿川 そうなの?‥ ダライ・ラマさんには何回もお会いになってるそうで。
ギア私の人生で一番幸せなのは彼と会っていることですね。
阿川 私、テレビでダライ・ラマさんのインタビューを観ているだけで涙が止まらなくなった。お顔を見ているだけでも、なんかこう…・…
ギア 私の見てきた中であんなに自己を捨てている人は彼しかいません。究極のセイント(聖人)です。
阿川 中国にひどいことをされても、非難の仕方が違いますよね。
ギア もっと大きなピジョンで考えてらっしゃるから。中国がああなったのはそういう歴史があったからだ、「今やっていることはあなた方にとって不幸な未来をもたらしますよ」ということまで読んだ上で、彼らを見守っている。その寛容さが素晴らしい。
阿川 ほお。
ギア 大人が悪いことをしている子どもを見て「ああ、そんなことしたら自分に跳ね返ってくるんだよ」と思うでしょ。私は彼がそういうふうに中国を見ているように思います。それだけ心も頭もハートも大きい。ラマ(チベッ卜仏教の高僧)はそういうすごい人たちですね。
阿川 ギアさんもだんだんそこに近づいていらっしゃるように見えます。
ギア いやいや、あそこまで辿り着くにはながーい道のりがあります。でも、そこに向かう正しい道に立っているということは分かっています。
阿川 そうですか。
ギア『HACHI』にも禅への思いが入っているんですよ。私はハチ公をヨーガ行者みたいなものだと解釈しているんです。駅前で黙って無心で主人の帰りを待っている。それ以外何も考えていない。あれは瞑想しているお坊さんみたいなもの。HACHIが示している忠誠心は人間同士の愛とは違う次元の愛なんですよ。そこが一番感動するところじゃないですか。
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あそこまでいくのは長くかかるだろうけど、少なくとも自分は間違った道を歩いていない、この感覚をもてることはとても幸せなことだと思う。
ダライ・ラマの行動とか心に接すると、普段きれいとは言えない自分の心の中でも、とても美しい部分が反応するのがわかる。たしかにあそこまでいくのはムリでも、皆が自分の心と向き合い、その問題点を理解し、少しずつでもその問題点を克服しようとすれば、世の中の紛争の大半は起きなくてすむ。
かつ、よく考えてみれば分かるが、紛争の根本的な解決法はこれしかない。
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