政治演説会初参加
日曜日、人生初めて政治家の立ち会い演説会にいってみる。実は私の選挙区には拉致議連の事務局長にして、去年チベットが蜂起した時にインドまでチベット人の運動を視察にいってくれたM原氏がいる。で、「チベット問題についても光をあててね」とお願いするためにいったのだ。
私の人生初はすべて「チベットがらみ」で行われてきた。
前世だな。
女性が政治の集会でかけるなんて大正時代だったら即逮捕、よく知らないけど、イスラーム圏だったら今でも逮捕かも。ちょっとドキドキしながら会場に入ると、若いとはいえないが超高齢まではいかない人たちがほとんど。意外にも年配の女性の数は多い。たぶん女性のお客さんとしては私が一番若かったのではないか。
で、結婚式場と同じで、演説会の入り口では、M原さんが支持者に頭下げている。時間ギリだったので、あまり人もおらず、私は例によってマゴイのように歩み寄り、名刺をわたし、「去年はチベットのためにインドまでいってくださってありがとうございました」と感謝し、たまたま家にあった自分の論考ののった『東亜』をわたし、「時間のある時でいいですからごらんください。チベットをお願いします」と頼む。
私はいろいろなところで、チベット人に「チベットのために発言して下さり、ありがとうございます」と感謝される。そのたび嬉しいより先に「私のようなものに感謝するくらい人材に困っているのか、あーあ、ちゃんとやらなきゃなー」とだるーい使命感を感じる。
なので、私にこう言われたM原氏も、きっと使命感を感じたはず。いや、感じてくれないと困る。
演説会は一時間くらいで、どの演説もまあまあ面白く、うちの教授会よりもメリハリがきいていて、結構面白かった。で、フジの報道カメラも入っていた。
その演説で、M原氏曰く、わたしは官僚制を否定するわけではない、官僚の暴走をとめたいのだ、今の自民党は官僚という暴走馬にのって制御ができなくなっている御者状態。という。で、その暴走の一例として、島根県が竹島の日を制定した時、外務大臣、副大臣、とにかく外務省からその式典にきてくれるようにお願いしたところ、外務省は誰もよこさなかったという。大臣は来たかったかもしれないが、事なかれの官僚がとめたのだろう、という。
で、ガス田問題について国会で質問した時も、外務省は、わたしたちは国際的なルール(中間線が決定していない領域では資源開発をやらない)に基づいてやっている、を繰り返すばかりで、ルールに従わない中国に対して何も動かない、このような官僚の事なかれな姿勢がいかん、と言う。
で、応援演説を行っている都議会議員の名前忘れたも、M原氏が、利権と無縁であるが故に、カネがない。さらに、彼が拉致のことでずっとがんばってきたけど、これははっきりいって票に結びつかない、でも三人の子供をもつ親として、もし自分の子供が拉致されたら、という気持ちから働いてきたのだ、とカネでなく、理念で動くクリーンさを紹介。全体の印象としては論理的に首尾一貫しており、人物もいいカンジ(まあ酒井法子の件もあるしちょっと見のカンジ良さなんてあてになりませんがね)。
歴史を研究していると、たとえば清朝と一言いっても、現場、内閣、皇帝と様々なレベルがあり、現場や内閣の中でも様々な意見を持つ人がおり、一つの政策を決定する過程でも、次々と起きる事件に応じて、人がそれぞれに反応して状況は刻一刻と変わる。だから、史料がたくさん残っている近現代史を研究すると、ある国やある国の中の集団に、親~派、とか、反~派とか、レッテルはって単純化できないことにすぐに気づく。
事件も政策も、様々な人、様々な状況がまじりあって生まれる化学反応のようなものなのだ。
で、何が言いたいのかというと、とにかくどのように政権が動いてもチベット問題をほかされないように、地道に自分の選挙区の政治家にチベット問題を訴えていこうとおもった次第。こういう前向きな小さな努力の積み重ねが、世の中を少しずつでも良くしていけばと思う。
で、演説会の終了間際、東南海の地震がくる。その明後日の朝も駿河湾を震源とする大地震がくる。今年の秋は荒れそうですな。
私の人生初はすべて「チベットがらみ」で行われてきた。
前世だな。
女性が政治の集会でかけるなんて大正時代だったら即逮捕、よく知らないけど、イスラーム圏だったら今でも逮捕かも。ちょっとドキドキしながら会場に入ると、若いとはいえないが超高齢まではいかない人たちがほとんど。意外にも年配の女性の数は多い。たぶん女性のお客さんとしては私が一番若かったのではないか。
で、結婚式場と同じで、演説会の入り口では、M原さんが支持者に頭下げている。時間ギリだったので、あまり人もおらず、私は例によってマゴイのように歩み寄り、名刺をわたし、「去年はチベットのためにインドまでいってくださってありがとうございました」と感謝し、たまたま家にあった自分の論考ののった『東亜』をわたし、「時間のある時でいいですからごらんください。チベットをお願いします」と頼む。
私はいろいろなところで、チベット人に「チベットのために発言して下さり、ありがとうございます」と感謝される。そのたび嬉しいより先に「私のようなものに感謝するくらい人材に困っているのか、あーあ、ちゃんとやらなきゃなー」とだるーい使命感を感じる。
なので、私にこう言われたM原氏も、きっと使命感を感じたはず。いや、感じてくれないと困る。
演説会は一時間くらいで、どの演説もまあまあ面白く、うちの教授会よりもメリハリがきいていて、結構面白かった。で、フジの報道カメラも入っていた。
その演説で、M原氏曰く、わたしは官僚制を否定するわけではない、官僚の暴走をとめたいのだ、今の自民党は官僚という暴走馬にのって制御ができなくなっている御者状態。という。で、その暴走の一例として、島根県が竹島の日を制定した時、外務大臣、副大臣、とにかく外務省からその式典にきてくれるようにお願いしたところ、外務省は誰もよこさなかったという。大臣は来たかったかもしれないが、事なかれの官僚がとめたのだろう、という。
で、ガス田問題について国会で質問した時も、外務省は、わたしたちは国際的なルール(中間線が決定していない領域では資源開発をやらない)に基づいてやっている、を繰り返すばかりで、ルールに従わない中国に対して何も動かない、このような官僚の事なかれな姿勢がいかん、と言う。
で、応援演説を行っている都議会議員の名前忘れたも、M原氏が、利権と無縁であるが故に、カネがない。さらに、彼が拉致のことでずっとがんばってきたけど、これははっきりいって票に結びつかない、でも三人の子供をもつ親として、もし自分の子供が拉致されたら、という気持ちから働いてきたのだ、とカネでなく、理念で動くクリーンさを紹介。全体の印象としては論理的に首尾一貫しており、人物もいいカンジ(まあ酒井法子の件もあるしちょっと見のカンジ良さなんてあてになりませんがね)。
歴史を研究していると、たとえば清朝と一言いっても、現場、内閣、皇帝と様々なレベルがあり、現場や内閣の中でも様々な意見を持つ人がおり、一つの政策を決定する過程でも、次々と起きる事件に応じて、人がそれぞれに反応して状況は刻一刻と変わる。だから、史料がたくさん残っている近現代史を研究すると、ある国やある国の中の集団に、親~派、とか、反~派とか、レッテルはって単純化できないことにすぐに気づく。
事件も政策も、様々な人、様々な状況がまじりあって生まれる化学反応のようなものなのだ。
で、何が言いたいのかというと、とにかくどのように政権が動いてもチベット問題をほかされないように、地道に自分の選挙区の政治家にチベット問題を訴えていこうとおもった次第。こういう前向きな小さな努力の積み重ねが、世の中を少しずつでも良くしていけばと思う。
で、演説会の終了間際、東南海の地震がくる。その明後日の朝も駿河湾を震源とする大地震がくる。今年の秋は荒れそうですな。
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