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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2009/07/30(木)   CATEGORY: 未分類
孟嘗君とゆかいな仲間たち
 今日からゼミ合宿。わがゼミの合宿は懇親を目的としているので、あまりカタイことはやらない。つか、グダグダである。

 学生ながら会社経営の経験もある異常にやり手のゼミ生K太くんが幹事をつとめる。彼がその異常なヤリ手ぶりにより、往復バスで送迎、お宿はリニューアルしたてのぴかぴか二食付き、しかも、ご主人が観光スポットまで我々を送迎してくださるというサービスもついて、二泊三日でしめて2万5千円という破格の値段ですんだ。

 どうしてこんな安くできたのか怖くて聞けない。で、出発時間になってもドバイ(某ゼミ生の愛称)がこない。メールに返事もなく、電話にも応じないため仕方なく出発するが、後で聞くと出発日を二日間違えていたという。
 
 この子は四年生。半年後には社会人になるというのに、ええんかいな。ドバイはあとで新幹線でおいついてきた。

 何はともあれ、バスは文学部キャンパス前から一路、群馬にむけて出発。
 宿は群馬と栃木の県境で昔だったら秘境の片品村。
 実は神のゼミ長Eジくんが今職場が群馬なので、仁義を切るために電話をする。
 したら、Eジくん「今ちょっと手が離せません」
 後で聞いたら、館林でおきた竜巻の取材中。そりゃ手が離せんわ。
 
 去年、猛暑の中、長野の棚田を歩かせたら、タイヘンに評判が悪かったので、今年はやっぱ夏は川遊びだね、ということで河にいく。宿のご主人につれていってもらったスポットは、もののけ姫にでてきそうな美しい森に、河。河の温度が低く、外気温が上昇してきたため、川霧がたちのぼり、そのうつくしき様はまるで高級旅雑誌のグラビアのよう。記念ウプ

川霧

 しかし冷夏で雨でかつ標高1500mであるため、河遊びには水量がちと多すぎ、かつ、ちべたすぎる。

 宿のご主人が、なるべく騒いでて下さいね。動物が近づきませんから、というので、K田くんにもののけ姫のテーマを歌ってもらう。

 宿の温泉は源泉掛け流しでサイコー。ふと見ると、浴槽の縁に、白い石で何かの言葉が書かれている。見ると

 FREE TIBET

ええ子たちや(涙)。記念うぷ。
フリチベ
 夜は「CIAとチベット」を見せるが、朝が早かったせいか、暗くするとみな寝る。そして飲み会タイム。ご主人のご好意でのみ部屋を作っていただく。K太の手腕によって貸し切りであるため、毎年恒例「他のお客さんにごめんなさい」状態にならなくてすむ。ありがとう、宿のオジサン、そしてK太。

二日目。金精峠を越えて、日光入り。今年我がゼミは古寺仏研究会の元幹事長と、仏教青年会の元幹事長という、四万人早大生の中でも頂点をきわめた仏教オタクが二人もいる。最強の陣容である。

 古寺仏研究会の元幹事長が仏像について語る時、それはまるで美少女について語るアキハバラのオタクのようであり、仏教青年会の元幹事長は日光山のそこいらの坊主よりも日本仏教に詳しい。学生でありながら会社を起こして何千万もかせいでいるK太といいい、うちのゼミは何と芸達者な学生が多いことか。自分、孟嘗君か
 
  
 徳川家康はその遺言により、死後一年間は久能山に祭られ、一年後にここ日光にうつされた。久能山の参道と霊廟をつなぐ線は、日本一の霊峰富士山を通ってここ日光に向いている。一般に久能山に一年間いたのは、自分の死後西国大名が蜂起することを鎮めるためであるとし、江戸の真北の日光にいることは、自分が開いた政権の根拠地を北極星の位置から護り続けるためと解釈されている。

 というわけで、天海大僧正の墓前にぬかづき、東京に災害(地震・テポドン)が起きないように祈る。徳川家康公の墓前では、願いが叶うという叶え杉という巨大な杉があったので、「チベットが自由になりますように」と祈る。

 常行堂の格子の向こう側から、古寺仏研究会の元幹事長が顔を出して格子をつかんで

 「先生、先生、これアムネスティ」とギャグをとばす。

 無実の罪で牢屋に入れられている独裁国家の政治犯たちを救おうというアムネスティのキャンペーン・ポスターのマネである。
森

 常行堂の格子でこういうことを思いつくとは、普段ゼミ生にどういう教育をしているのか知れるというものである。

 夜の飲み会は引き続き昨日と同じのみ部屋で行われた。入り口には酒代400円を入場料として徴集するK太が仁王のようにふんばっている。

 飲み会の最中、明日に試験を控えているため先に早稲田にもどったH君とK君から、明日に備えて勉強のため満喫に入ったとの連絡が入る。

 ちなみにこの試験をうけるためO君は合宿を全欠席したのだが、翌日のミクシの日記に「〔試験〕もうだめぽ」とか書いていた(笑)。

 いろいろな意味で逸材揃いのゼミである。

 翌日、宿のご主人が我々を見送って下さる際に、我々の集合写真(もちろんチベット旗をもって撮影)を額にいれて贈呈してくれた。

 K太があそこまで値切って、よくもまあご主人、ここまでサービスして下さるものである。菩薩である。サービスよし、設備よし、温泉よし、ご主人よし、の「妙宝の湯ちぎら旅館」にみなさんもどうぞ!

 
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DATE: 2009/07/25(土)   CATEGORY: 未分類
秘宝でアクション!
とあるゼミ生の実家が麻生太郎の選挙区にある。
彼は子供の頃、スーパーは「アソー」という名前だと思っていた程、彼の地元ではアソー財閥がのしている。

で、今、彼の故郷、すなわち麻生さんの実家あたりが記録的な豪雨に見舞われているという。
そういえば、自民党政権が下野し細川政権が誕生した94年?(93年というツッコミ入る)も、たしか記録的な豪雨があったような

 今回も天が政権交代を告げているのか。

 まあかりに政権交代となっても、鳩山由紀夫さんは97年に来日したダライ・ラマ法王と臆せず会見し根性みせてくれたし、チベット問題を考える議員連盟の、元代表牧野聖修も、現代表の枝野さんも民主党なので、チベット問題的には、影響は軽微かも。つまり、ダライ・ラマ法王が来日の際、ビザがでなくなる、などの問題はたぶん起きない。

 今年の秋はもう一つ楽しみなことがある。九月末から十月初旬にかけて、アメリカを訪問するダライ・ラマ法王に、菩薩オバマさんが会見したいと接触してきたようだ。
 きっと某国の建国60執念、もとい、周年の祝いに平和の花を添えてくれるね。
 また、ダライ・ラマ法王はワレサもと大統領との深い絆から、ワルシャワの市民権も授与されるそうです。
 法王は生まれ故郷に帰れなくなって半世紀たちますが、法王には第二の故郷がたくさんできつつあります。

 はい、お知らせ。

 九州で行われていたチベット展がこの秋、上野の森美術館にきます。
で、この展覧会は二十年前の展覧会よりはプロパガンダ色がうすくなっているのですが、ダライ・ラマとか、ここ六十年間の歴史とかはすっぽぬけているらしいです。

 六十年前の1950年、中国共産党軍はチベットに侵攻してきて、1959年にはダライ・ラマが亡命した後には、チベット全土で僧院や寺を壊しまくって、その中にある貴重な仏像、壁画を壊し、仏典をもやし、ついでに僧侶も殺しました。

 この展覧会が、この60年間に一切ふれず、さらに、ポタラ宮の本来の主であるダライ・ラマ14世について一言も触れないというのは、チベットを紹介するにはちょっと野心的かも。

 中国からの美術品を使ったチベット展と言えば2005年にアメリカに巡回した際には、広告代理店にのせられてこの展覧会を見にきた有名人の言動が、twitterやfacebookでさらされて笑いものになったりしたらしいです。

 ついこの前九州国立博物館でも、講師に呼ばれた椎名誠氏が、思いっきり、この空白について語りまくって、観客の啓蒙にあたったそうです(ちなみに、博物館の入り口でチベットの写真展をやっていた漢人の写真家がドンビキしていたそうです 笑)。

 わたしはこれまで、チベットの僧院が、お坊様が、共産党に、あーされた、こーされた、今もこーされた、とかいうことを意識してあまり言わないようにしてきました。これは厳然たる事実であるけれども、人の感情をかき立てるので、単細胞な人がこの真実の歴史を聞いて「チベットのため」にとかいって、毛沢東のミイラでも爆破しにいったら、チベット問題の平和的解決がかえって遠のくからです。

 それに、ついそれを口にしたら、毛沢東の前半生を評価する生徒から「先生はチベット人が共産党にひどいことをされた、というけど、それって、日本兵が南京で中国人を虐殺したと中国が騒ぐのと同じことじゃないですか」と言われたりもしたし。

 でも、このお気楽な展覧会を見て、チベットの歴史が分かったような気になる人がでてきてもやはり困るし、その美術品をみて、「まあ神秘的、鉄道も通ったことだしチベット行こうかしら」なんて気分になった日本人がチベットにどっと押し寄せたりしたら、漢人がまたラサにに大量移住してチベット文化が消滅しちゃうので、それも困ります。

 というわけで、この展覧会の主催者にちょっと考えてもらおうよ、というインターナショナルな抗議行動が起きてまーす。和訳ページは

http://www.seichi-tibet.com/

ちなみに、いずれにせよこの展覧会は実施されるでしょう。その際には、この60年のことを知っての上で、また、チベットの歴史におけるダライ・ラマの位置づけもわかっての上で、この展覧会をみにいく分には、問題ないことと思います。

 フリチベTシャツでもきて見に行ってあげてください。
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DATE: 2009/07/21(火)   CATEGORY: 未分類
日本てイケてるかも
日曜日の晩は横浜のフランス料理屋、アクア・オリビンに行く。
前にきたのは三月で、たった四ヶ月ぶりなのにあたりは一変していた。

駅をおりたら人がいる(笑)。
ここは県庁の最寄り駅で官庁街なので土日は人がいなかった。

 で、アクア・オリビン。ここ美味しくて、ギャルソンもカンジがいいのでもっと人が来てもいいのに、後ろが海、前が県庁という立地から、いつも客は私たちだけ、あるいはもう一組だったのに、今回はお店にちゃんとお客がいる。

じつはここ数年、アクア・オリビンと海の間にあった倉庫がだんだんにとり壊され、赤レンガ倉庫が見えるようになり、大桟橋がみえるようになり、公園ができていくなー、とは思っていた。で、その公園がとうとう完成したので(六月一日開園)、アクア・オリビン周辺に多くの人が流れるようになったのだ。

ギャルソン「お食事はいかがでしたか」

私「いつも通り美味しかったです。私ね、思ったのですけど、料理が美味しくて、雰囲気がよくても、やっぱ人の動線がないとだめなんですね。つまり、自助努力にプラスアルファが大切なことがよく分かりました。」というと

 ギャルソンに大受け。

 客としての立場からいうと、前の方が静かでよかった。今なんて後頭部にいるオバハン集団の話し声がうるさい。前はギャルソン独り占めだったのに。

 でもまあ、お店が存続することが第一だから、いっかー。

食後、店のすぐ後ろにあるできたばかりの公園、象の鼻パークを歩く。
案内板をみると、何とここは横浜港のグラウンド・ゼロとな。

 今まで「日本近代の始まりの地」で食事していたんだ。気がつかなかった。

 公園をてらす照明の一つ一つに横浜港に関係する人物の絵がすりこまれている。横浜開港150周年を記念してこの公園はできたみたい。照明は時間によって色が変わるようで、今はムラサキ。大観覧車やバベルの塔、もとい、ランドマークタワーの夜景が美しい。

 アクア・オリビンの嬉しい変化をみてて思ったけど、チベット支援者はよくがんばっているし、チベット文化も護るべきものだし、それであともう一押しのプラスアルファがあったらチベットもブレイクするんだよな~、と言ったら、ダンナが、去年から今年にかけてずいぶんブレイクしたよ。という。

 そういえば、87~89年の蜂起、01年のカルマパの亡命、08年のオリンピック蜂起、これらが適度に間隔をあけて波紋をひろげたので、その波及効果で大きな波が生まれ、たった一年で日本にもずいぶん多くのチベット支援者が生まれたのだった(先進国でもっともブレイクが遅かったけど 笑)。

 ダライ・ラマ法王がご高齢をおして毎年日本を訪れるのは、中国の圧力をものともせずビザを出せる国力があるのがアジアでは日本くらいという事情もさることながら、来日するたびにおっしゃっているように、あらゆる意味でアジアで日本の占める位置が重要だからなのである。

 私は猊下がこうおっしゃるたびに、チベット問題について何もできない自分の無力さや、中国怖さに腰砕けの日本のマスコミや政治家たちのことを考えて、猊下が日本を評価するのは過大評価だと思っていた。今までは。

 しかし、今年一月アメリカで菩薩オバマが大統領に就任し、アジアのはじめての訪問国を日本と定めた時、私は法王の言葉もあいまって、日本て客観的にいってやっぱ重要な立ち位置にいるんじゃないかと思った。

 私はオバマさんのこれまでの理想主義的な言動を鑑みて、「アジアで日本を一番に訪れたのは、日本をアジアでもっともマトモな国と評価してのこと」と思ったが、日本のマスコミ(と西洋のマスコミの一部)は、

 「これからアメリカは中国を重視するので、日本が僻まないためよっただけ」と浅ましい発言を繰り返した。私がダライ・ラマ法王の日本を評価する言葉に僻んでいたように。
 でも、マスコミがどうとらえようと、オバマさんが日本をいの一番に訪問した理由はやはり、日本の安定した社会とか(首相が何度かわっても国が変わりなく動いているって 笑)、経済力とか、教育の高さとか様々なものを評価したからだと思う。

 その根拠は7月11日オバマさんがサハラ以南の初の訪問国としてガーナを選んだこと。なぜ彼が父親の出身地のケニアでなく、ガーナを選んだのかというと、独裁と腐敗の蔓延するアフリカの中でも、ガーナは奇跡的に民主選挙を実現していて、まあまあ汚職も少なく、援助でなく自助で国がまわっているからだという。

 そういえば、日本て一応、ある程度は伝統を保持したまま近代化をなしとげ、民主国家だし、教育がいき届いていて、言論の自由なんて売るほどあるし(笑)、情報統制も記者クラブ制をのぞけばまあしてない方だし、 他のアジアの国に比べれば格差もましなほうだし。

 だから、日本人もガーナの人みたいに、ヨーロッパの人たちみたいに、素直にオバマさんの来日を喜べばよかったのだ。ネガティブな思考に囚われていたら、ネガティブな未来しかこない。つか、聞き苦しい。

 日本人は今までカネカネとカネを配って人に言うこと聞かせてきたただけで、いってみりゃ今中国がアフリカでやってることと同じことやってきた。カネつながりでは感謝なんかされないし、本当の意味での友好国なんてできないのに。

 これからの日本は、カネを配らなくとも、内容でまわりに尊敬されるような国になっていかないと。こういうピンチの時こそ体質改善のチャンス。いい加減、日本も自滅型からチェンジして、アジアにクリーンで平和ボケな民主国家としての存在感を示していかないと。独裁国家が幅をきかせてしまう。

 というわけで、ささやかながら、自分のできる事すなわちフリチベ原稿をこの夏、がんばって書きま~す。一人でも多くの人にチベットを好きになってもらい、協力してもらうために。

 チベットを知ることは日本の民度をあげること。
 これからは、中身で勝負だ、ニッポン!!
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DATE: 2009/07/17(金)   CATEGORY: 未分類
東京と地方の格差
 おかげ様で月刊誌の原稿、やっと月曜日にだしました。再校も送ったので、もうすぐでることと思います。あとは本二冊分の原稿と論文二本だけです・・・
はーはっはっはは、はあ~っ。
 
 日曜日のウイグルデモはライブでみてたら盛況であったようで、重畳。ブルーの東トルキスタン旗が林立してとてもキレイ。

 時々アクセントのようにチベット旗がはためいてて美しい。

 ライブ映像で流れる「フリー・ウイグル、フリー・チベット」コールに思わず和す。

 わたしは結構言霊を信じている。
 フリー・チベット、
 こう口にすれば、それはもう約束された未来。
 
 私は奇跡とは、いわゆる超能力のたぐいではなく、マトモな人が日々こつこつと積み重ねていくものが、ある日ふとたちどまって振り向いてみたら、すごいところまで到達していた、みたいなものだと思う。

 半世紀前、チベットが失われてチベット人がディアスポラしたあの時、難民たちの大半は現実を認めることを拒否り、すぐにチベットに戻れると思っていた。
 しかしダライ・ラマ法王だけが現実をみていた。

 その翌年には親を失った子供たちの学校、今のTCVの前身をつくり、難民となった僧侶たちが勉強をつづける場としてインドに僧院を建立しはじめた。

 みな「縁起悪い、まるでここに永遠に住むことになるみたい」と眉をひそめたが、猊下は正しかった。中国政府が全チベットで僧院を破壊しつくしたからだ。チベット人はそれからまじめにやりだした。後がないからである。もちろん還俗するような坊さんもいるけど、全体としてはまじめにやっていた。

 で、半世紀たった今、ゲルク派の本山級の僧院はだいたいインドに再建され、チベット語によってチベット文化によってチベット人の子供を育てる学校は、そろそろ大学までできる勢い。

 で、とっくになくなっていたはずの「チベット」という国は、いまもなお我々の中に「あるべきもの」としてとてもリアルに存在している、日本人である、アメリカ人である、韓国人である、世界中のフリチベさんたちの中においてチベットは他のどんな国よりもあるべきものとして存在する。

 これこそまさに現代の奇跡。


 で、本題。 ラジオドラマ「失われた地平線」を聞こうと思ったらMDラジカセの電源コードがどこ探してもない。

 そしたら京都にいたダンナがチューナーを買ってきてパソコンで放送内容を落としてくれるという。

 ダンナは上京区にある部屋で買ってきたチューナーをパソコンにさした。設定画面がでてきて、スキャンをしはじめた。しかし、受信可能な周波数が一つもでない。NHKは左京区にあるはず。

 おかしいと思ったダンナはパソコンをかかえて外にでてみた。すると雑音は多いがなんとか聞こえる。そのまま歩いたら小さな公園にでたので、ベンチにすわってアタマの上にアンテナをのせて蚊に刺されながら、15分の放送時間を雑音ばりばりの音で録音し抜いたという(笑)。

 私「なんでアンテナを頭の上にのせるわけ。鬼太郎か!! 恥ずかしいよ」

 ダンナ「少しはアンテナの位置が高くなるじゃない。それにアンテナってただ置くよりも人が触れた方が電波ひろうんだよ」

 私「ホントかあ??」

で、ダンナ東京に帰ってきて、その日も放送時間がきた。

 ダンナ「家の中だと電波が拾いにくいから、いざとなったらそこの三階建ての屋上にいくか」

 私「うざっ」

しばらくして

 ダンナ「ええええええ」

 私「どしたの」

 ダンナ「ためしにチューナー入れた見たら、部屋の中なのに、アンテナただ置いただけなのに、自動でスキャンしたら七局も周波数が拾えた。で、雑音も入ってない。」

 私「これが東京と地方の格差?」

というわけで、東京以外の方はご苦労様です。

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DATE: 2009/07/13(月)   CATEGORY: 未分類
失われた地平線(らじお)
1937年?にイギリスの小説家ジェームズ・ヒルトンが記した
『失われた地平線』がラジオドラマになります。
シャングリラはこの小説に描かれたチベットの理想郷です。
シャングリラでは人は年を取りません。
この情報、卒業生が教えてくれました。
卒業しても先生の嗜好をちゃんと覚えててくれるなんて、なんて素晴らしいコなんでしょう!!
そういえば、将軍様膵臓ガンって噂がかけめぐってます。
それを聞いた時、なんだかとつぜん

「余命一ヶ月の将軍様」
という言葉がアタマに浮かびました。
理由はありません。

*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜

NHKーFM 青春アドベンチャー
『失われた地平線』(全10回)
【放送日】
7月13日(月)~7月17日(金) 22:45~23:00(1-5回)
7月20日(月)~7月24日(金) 22:45~23:00(6-10回) 原作:ジェームズ・ヒルトン
訳:谷登志雄
脚色:谷登志雄
選曲:水津雅幸
演出:保科義久
技術:小林清
音響効果:久保光男 原大輔

http://www.nhk.or.jp/audio/prog_se_future.html

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DATE: 2009/07/11(土)   CATEGORY: 未分類
ウイグルの「魂の叫び」
原稿の締め切りがすぎているのに書けない。文筆の神降りてこないので、こういう時は書いてもムダなのだ(じゃあなぜブログは書いてるのかなんてツッコミは無用)。

 アルファ波がでるのを待っていると、ダンナから

「怠けていることは喜びかもしれないが、重苦しい状態である。幸せになるためには何かをしていなければならない。マハトマ・ガンジー」

 というメールが届く。何がいいたいんじゃ。

 で、本題。ウイグル人と漢人の争いは民族対立の最悪パターンに陥った。
互いが互いを共に天を戴けないものとし、自分から出て行くか、相手を追い出すか、ヤルかヤられるかという最悪の憎悪の悪循環に陥っている。

 敵対するグループのうち片方が武装すると、残る一方も同じレベルにまで武装する。しかしこれを繰り返していけば、相互の不信感はつのり、武装がいきついた頂点で双方ぶつかりあい、自滅をする。

 言うまでもないが、銃をもって武装したものは銃によって殺されても文句はいえないし、
 スコップや棍棒で武装した者は、スコップや棍棒で殴られても文句はいえない。

 自分の身を守るはずの武装が、じつは自分の身を危険にさらすものでもあるのである。
 右の頬をうたれたら、左の頬をさしだせ、上着をとられたら、下着もさしだせ、という山上の垂訓は人としての品格をまもると同時に、究極の護身術たりうる。

 しかし、今回のウイグルの状況は「左の頬もぶんなぐられ、下着も強奪されるような状態」である。少数派のウイグル人はウルムチから大挙して逃げ出し、数の上で圧倒的にまさる漢人が自警団をくんで、目についたウイグル人をフルボッコ。

 「ウイグル人をたたきのめしてやるんだ」
 「警察は有効な対処をできなかった、自分の身は自分でまもる」といい、武装して徒党を組んでウイグル人の居住地を襲いにいく漢人の映像は、中国政府のもっとも取られたくない映像であり、連行された夫を、息子を帰してくれ、と叫ぶ、ウイグルの女性たちを、どつきまわす武装警察の姿は、おそらくは、中国政府がもっともみられたくなかった場面であろう。
 
ウイグル人は人的被害を被り、漢人は人的被害と同時に、国際社会に低い民度をさらすという醜態をまたも演じてしまった。双方傷は深い。

 賢い人間は緊張が高まった時、さらに緊張を高めるような行動は慎み、緊張を解く努力をする。

 某アルピニストの方が奇しくも最近このようなことを日記に書いていらした。

 わしヒンズークシュの山中で、アフガンゲリラの真っただ中にあって、彼らのテリトリーに入ってしまったことに気づいた。このままキャンプしたら夜襲に会うのは目に見えていたので、こちらからアジトを訪ねてハグして挨拶してまわった。そしたらその夜、本当にわしのキャンプは盗賊の夜襲に会った。しかしゲリラの面々が銃撃で追い払ってくれた。

 そういえば、この後、もっと面白いことがあった。
帰国してそのまますぐ博多の屋台に入ったら、屋台のオヤジが包丁持って震えていた。客の鼻髭ヤーサンが「刺してみー」と仁王立ちだった。一軒だけ空いた屋台だと思ってのれんをくぐったらこれだ。けっこうやばい状態だった。こっちはアフガン帰りなので真っ黒で髭ボーボー。ヤーサン「なんだお前は」とこっち見た。どうしようかと一瞬考えたが、アフガン作戦にした。ハグしたのだ。「なんなんだお前は」といいながら一瞬に気が変化した。

 このアルピニストの方のような危険回避能力をもつ日本人にはなかなか少ないだろう。なにしろ日本は島国だしコミニュケーション能力低くても生きていけるからね。欧米にいくと、エレベーターでのりあわせたり、カウンターでいっしゅんふれあうような関係でも、相手がいちいち作り笑いして挨拶するのに疲れるものだが、異なった文化、民族、がふれあう場合には、「私はあなたに敵意をもっていません」これを示すのはとにかく重要。

 とにかく笑って。
 

 ダライ・ラマ法王は「敵は自らに忍耐を教えてくれるから、自らの師と思って感謝しろ」、とチベと人に教え、「中国人の仕打ちに対して、怒りを持つな、あなたたちが戦うべきは心の中の怒りだ」と説いてきた。このダライ・ラマの教えは、チベット人の人的被害を最小限に抑え、かつ誇りを失うことなく生きてこれた。
 
 ウイグルにはイスラーム思想はあるが、ダライ・ラマにあたる精神的な主柱もなければ、導き手もいない。彼らの状況はあまりにも悲惨。というわけで、見るに見かねたフリチベさんたちがウイグル人サポートにのりだしたようで、SFT(ニューヨークに本部をもつチベット学生組織)がウイグル応援署名つのってます。↓ 英語わかる方どうぞ。

http://actionnetwork.org/campaign/uyghurs

 明日(7月12日)ウイグル応援デモが渋谷であるみたい。ここ数年、民主化勢力、法輪功、ウイグル、チベット、南モンゴルと中国政府の被害者がなんだかんだで共闘しはじめた。

 哀しい共闘である。

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DATE: 2009/07/05(日)   CATEGORY: 未分類
チベットの母語る
日曜日、ダライラマ法王の妹君ジェツゥン・ペマさんの講演(チベット里親支援グループKIKUさんの主宰)を聞きに行った。

ジェツゥン・ペマさんはチベット難民の子供たちの教育機関、「チベット子供村」(TCV)の校長先生を長年にわたりつとめられた方で、チベット難民たちは彼女を「チベットの母」と呼び愛している。

チベットの主な産業は「人格者を作ること」であるが、この人格者をつくるための教育は伝統的には僧院社会で行われていた。しかし、ダライ・ラマ法王亡命後は、失われていくチベット文化を維持し、かつ国際社会で通用する人材をつくるためにTCVが設立され、俗人に対する人格教育も模索され続けてきた。

 妹君のご講演を一言でいうと、
「TCVでは、ダライラマ法王を筆頭として、先生や寮母さんや、周辺のお坊さんたちがみなでこぞって、大人の人格の見本を示して、子供たちを知育ばかりでなく、徳育で導き育んでいる。とにかく人格をつくる教育が何より大事」ということ。
 で、どのような人格には育むかはしつこいようだけど『ダライ・ラマ 幸福論』(角川春樹事務所)を読んでね!

 もうちっと詳しく言うと、
 教師が生徒に一方的に語りかけるような教育を行っても、生徒が納得しなければ、理解しなければ、聞き流していれば、意味をなさない。

 で、子供たちに教育内容を知識としてわからせるだけでなく、心から納得させ理解させるための一例として、「平和地帯をつくる」という教育法は印象的であった。

 ダライ・ラマは1988年に、欧州議会で、「チベットを〔スイスのようなバチカンのような〕平和地域(アヒンサー地域)にする」ことを提唱している。TCVではそれを言葉だけのものにしないために、敷地の中に「平和地帯」を作っている。で、喧嘩をしているような子供がいたら、その「平和地帯」に行かせる。

そこは岡の上にあって、そこにたって小鳥の声をきき、花を見て、壮大な日没を見ているうちに子供も自己の内面と向き合うこととなり、心が静まっていく。

 こうして非暴力の子供たちが育っていくのである。お見事!

で、サービスで質疑応答をのせときますね。

(1) 問 TCVにはイジメや不登校の問題がありますか?
答 あります。でもぬるいものです。寮母さんとかが気を配っていますので、ひどくなりません。

(2)問 おちこぼれはいますか
答 もちろん、勉強をしたくないという子はいます。そういう子には何をしたいのか聞いて、彼らがやりたいことを見つける手助けをします。社会にでていって、TCVの良さがわかって勉強したくなったら、帰ってきなさいといってます。

(3) 問 豊かな日本では子供は感謝をしりません。どうしたら感謝させることができますか。
答 感謝を期待しないことです。子供は賢いからよく見ていますよ。子供のためにやっていることは子供につたわって自然と子供の心に感謝の気持ちが生まれてくるでしょう(これって暗に感謝されないのは、お前が感謝されるようなことやってないからだといってるようなもんで笑った)。

(4)問 家族が重い病気に罹り、悲しくて苦しいです。どうしたらいいですか。
答 苦しみを消すのは難しいです。信頼できる人に打ち明けると、その問題が軽くなります。私たちの社会ではお坊さんに相談したりします(日本の社会には信頼できる人格者がいない。さあどうする)。

(5)問 子供が悲しんでいるときにどうやって慰めたらいいですか。
答 まず子供の言うことを聞いて、そしてその苦しみが自分だけのものでないことに気づかせてあげることです。

(6)問 TCVでの教育を終えてチベットに帰った子供たちは迫害を受けますか?
答 1979年に最初の亡命子供を受け入れてから14000人が国境をこえてTCVに入りましたが、このうち4000人近くが親のいる本土チベットへ戻りました。彼らは厳しい状況に直面することになります。国境を越えると警察につかまり数日間拘留されます。ふるさとに帰っても監視がつき、老いた親がいるだけです。インド帰りは公職につけないことになっていますので、仕事もなく、自分でツァー・ガイドとかを始めるしかありません。

(7)問 Other before self(自分より他者のことを思いなさい)を座右の銘とするTCVの子供達に共通する性格は?
答 助け合いの精神です。失業した人に仕事を融通したり、病気になった人の面倒をみたり、後輩の里親になったり、つねに助け合っています。

(8)問 欧米型でない日本独自の支援の仕方はあるでしょうか。
答 もう日本では2000人の方が里親になっており、大変感謝しています。その里親の方々がチベット問題を周りに話してくれることもありがたいです。こうした市民の意見が政府を動かしていくのだと思います。

(9)問 TCVの教育を日本で導入するには、まずどうしたらいいでしょうか。
答 校長先生や学校を運営している人など、まずトップの方が「価値ある人間をつくるTCVの教育を「いいものである」と理解し、納得して頂くことが大切です。そこからすべてが始まります(そりゃそうだ。校長先生がまず人格の見本にならなきゃ始まらない。でも大変だこりゃ)。
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DATE: 2009/07/01(水)   CATEGORY: 未分類
丑三つ時の怪奇現象
★傷ついたハトが社会復帰?するまでの物語をアップしました。ごろう様のとさか写真もあります。
http://ishihama.tibetan-studies.net/okamenomori/gorochan/pigeon.html

 明け方、チャイムの鳴る音で目が覚めた。何度も何度もしつこく鳴る。時間をみたら午前三時。雨戸をあけて「なんですかー」と怒鳴るが、門の前には誰もいない。門扉は二十センチほどあいていた。

 しばらくするとまたチャイムが鳴り始めた。

 業を煮やすが、午前三時、雨がシトシトふっており、とても外にでて確認する気にはなれない。

 だって、この場合考えられることは、

1.チャイムが梅雨の湿気で異常接触状態になってなりつづけている。
2.誰かがが死にかけてて幽体で私に会いに来た。
3.誰かが死角に隠れて棒か、手だけのばしてチャイムを押している。

 
 しかしうるさいのでほっておくわけにもいかず、今度は一階におりて、玄関正面の窓をあけてチャイムのある位置を確認してみる。するとさっきは二十センチほどあいていた門扉が閉まっている!

 これで3.の可能性がぐっと高くなった。だって、1.の場合、なぜ午前三時にチャイムが突然毀れるのか、また、どうして間歇的に連続してなったり、とまったりするのか説明がつかない。また、2.の場合にしても、ユーレイにしては上田秋成的な謙虚さとか、小泉八雲的なはかなさがまったく感じられない。

 とにかくこんな夜中にウルサイんだよ。

で、3.の場合。体をかくしてチャイムだけをつついてならしているような人と午前三時に対面したくもない。結局三時二十九分にチャイムのコンセントをみつけて抜いて静かになった。

 しかし、問題が根本的に解決したわけでないので、夜が明けるまで寝ずに警戒。

 ケーサツに電話をして不審者を捜してもらおうかとも思ったが、不審者の姿を確認したわけでもないし、万一うちのチャイムの内部がシロアリにでもくわれていて、毀れて鳴っている場合、恥をかくだけなので見送った。

 今晩はチャイムの電源をきって、戸締まりきちんとして重武装して寝ることとする。

後日談、その二日後、チャイムがなった晩と同じように雨がふった。そしたらやはり雨がふりだして数時間後、チャイムが突然連続してなりだしました。
結論としては、古くなったチャイムが湿気で異常をおこしたもののようです。
 おさわがせして、すいませーん。

ダン・ブラウン原作で『ダヴィンチ・コード』の続編『天使と悪魔』を例によって川崎のシネコンに見に行く。

 ダン・ブラウンの作品てなにげに、記号学者ウンベルト・エーコのミステリーの大衆版。
ウンベルト・エーコは学者さんらしく、犯罪現場は中世の修道院、謎解きは修道士、ラテン語やら象徴やら記号やらを小説の随所に効果的にだしまくって、スコラ哲学までえんえんとやりまくり「理解できないやつはついてこなくていーぞー」の重い濃い、そしておもしろい作品であるが、 ダン・ブラウンの作品はひたすらアメリカンに軽く、ポップで、舞台は誰でも知っている名所旧跡、謎解きの主人公はハーバート教授のロバート・ラングドン(トム・ハンクスがやってます。ロバートが象徴学者で大学教授ってあたりで、ウンベルト・エーコがモデルかあ?)。テーマもいつもとってもわかりやすい。


 そのテーマとは狂信と背信の間にあるホンマの信仰、科学と宗教はじつは対立していなくて、同じ世界を別の言葉でかたっているのだ、みたいな中道のものの見方である。

 だから、登場するキャラは善玉と悪玉などというわかりやすい区別はなく、以下、ネタバレになりますが、後半カメルレンゴに扮したユアン・マクレガーが、反物質の大爆破からバチカンをまもるため、一人爆発物もってヘリで上昇していくシーンにはその犠牲的精神(SACRIFICE)に涙しますがが、あの時流した自分の涙にものすごくハラがたちますよ。あとで。


 日本人は欧米の映画作品をみると「単純な善悪の二項対立」とか、「宗教は争いのもと」みたいなイメージをもちがちだが、たとえばこの「天使と悪魔」にしても、作品をよく見てみると、そういうアホな両極におちいったサブキャラを描きつつも、主人公、この場合はラングドン教授は非常に理性的でありつつも信仰のある人物として描かれ、そのことから作者もこの中道をめざしていることが分かる。

 「欧米流」を批判的に語る人々は、「欧米とは善悪の二項対立のもとにすべてを二分し、世の中にローラーをかけてのしていくメイワクな存在」と規定し、「アジアはもっと曖昧なの。自分たちの好きなようにやらせて」、みたいな考え方をよくするが、じつはこの考え方こそまったくもって自分では気がつかないうちに西洋と東洋をそれぞれにレッテルはってきめつける二分法におちている。

 欧米だって、じつはつねに二項対立をこえた中道をめざしているんだけど、往々にしてうまくいかないだけ。ことの善悪の判断をまったくせず、銭勘定だけを考えて動き、自己をまったく省みないアジア的な我々がほめられたもんでも、中道でもないことは言うまでもない。

 科学も宗教も同じものを別の言葉で語っているのであり、対立するものではない、これはダライ・ラマのよくおっしゃっていること。

 ハリウッド映画にしろ、オバマ大統領の発言にしろ、アメリカというだけで、批判しまくる人たちはまず、彼らがいわんとほっしていることをきちんと理解してうけとめてから、その批判に値するかを考えてもらいたいと思う。

 ホンモノとはじつは情熱、激情、とは離れた、静かでクールで知的なものなのである。
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