FC2ブログ
白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2009/06/09(火)   CATEGORY: 未分類
還俗の悲哀
みなさん、誕生日メールありがとうございました。

 みなさまの清い心により私のドス黒い心もいささかなりと浄化されたような気がします(え? 気のせい?)。じつはチベットの暦で今月はサカダワ月といい、仏さまがお生まれになり、覚りを開き、なくなられた月。一年で一番チベット人の巡礼熱がもりあがる月で、とくに満月の日にした善業はすごくキクそうなので、その日は心穏やかに、まじめに勉強しました。

 ところで、六月三日の人民網に気になるニュースが流れました。あの『チベット 奇跡の転生』(ヴィッキー・マッケンジー)の主人公であるウーセル君(スペイン人)がチベット僧の転生者としての生活を捨てる、とフランスのル・モンド紙に語ったとのこと。

 このウーセル君は大乗仏教保護財団の設立者であるチベット僧トゥプテン・イェシェー師の生まれ変わりとして育てられてきた。難民キャンプに暮らしていたトゥプテン師のテントに、ロマノフ王朝の末裔であるジーナ・ラチェフスキーが訪れて教えをこうたことからはじまる、チベット仏教の西洋伝播の歴史はあまりにも有名である。
 
 トゥプテン・イェーシェー師がなくなった後、西洋人の弟子たちは師の再臨をのぞみ、弟子のスペイン人夫婦の間に生まれた男児が、その転生者と認めらた。

 この男児はウーセルというチベット名がつけられ、インドのチベットの僧院で生活していた。しかし、ここ数年大乗仏教保護財団のホームページには「ウーセル君の近況は本人の希望よりのせられません」みたいな内容が記されていたので、たぶんウーセル君、チベット僧の転生者としていきるのが辛くなってきたんだろうーなー、と思っていたら、案の定これである。

 大会社の跡取りの座を嫌って出奔した御曹司状態やな。

 なぜ中国が喜んでこのニュースを流すのかというと、中国政府は子供の出家とか、子供を転生僧の生まれ変わりとして認定することは、子供の人権を踏みにじることだ、と主張しているため、その主張を裏付けるものとしてこの件を利用するため(さもしい、つか中国が人権を語るのって 笑)。

 わたしはその社会の構成員が必要と思って生み出した制度は、命にかかわるような、あるいは人の良心をまげるような非人道的なものでない限り、その社会の外にいる人間が批判するべきではないと思う。

 そもそも我々の社会にだって、大会社の社長の長男に生まれてその跡を継がねばならない人とか、職人の家に生まれて小さい頃から、親に学歴なんかいらんからわたしの後をつげと言われ続ける子やら、同じジレンマを抱えている人はいる。

 周りが期待するような者になる努力をするか、それをふりきって保証のない未来に突き進むか、どの社会にもこういう立場の人はいるもので人権問題とまではいえまい。

 今の世の中は、何でも選べますから、ウーセル君もこれから自分の好きなように人生を歩んでいくことでしょう。それが幸せなものになるかどうかは本人の能力と意思と選択次第ですが。そいえば前世のトゥプテン・イェーシェー師も初期のお坊さん難民としてはめずらしく、外の世界に対する好奇心が旺盛で、さまざまな形式を無視していった人だった。だから、ウーセル君がこういう顛末になってもまああの前世ならありうるか、と前世からつきあいのある人は思っているのではないか。

 ウーセル君はスペイン人だからまあありうる話だけど、チベット人のお坊さんでも成年に達して好きな女性ができると、結婚するために還俗するなんてことはままある。しかし、チベット仏教では一度還俗した人はもう一度僧院に戻ろうとしても戻ることはできない。残りの人生はずっと俗人として過ごすこととなる。

 貧しいとはいえ三度のごはんが保証され、社会的にも安定した身分である僧院生活とは異なり、外の世界は厳しい。食べていくためには何でもやらなければならない。時には「ああ、あのままお坊さんをやっていたら今はどうだっただろう」「静かに瞑想したり勉強したりしたい」みたいな考えもアタマをよぎるかもしれない(とくに老後)。

 そう、自由は必ずしも人を幸せにしない。欲望を充足させること、怒りを野に放つことは一時の感覚的な幸せを運んできても、永続する幸せを保証しない。俗世の幸せの耐久時間は本当に一瞬。
 
 何にせよ、仏教は古来チベットの基幹産業なのだから、そこそこ優秀なアタマをもっているなら、還俗しない方がやりがいのある人生を過ごすことができよう。若い頃は勉強して修業して、中年になって名前があがったら、弟子を育て、世界中の施主に法を説く。ダライ・ラマ法王も十五で即位し、二十四で国を失いド修羅場の中で見事に成長していった。

 転生のあるなしは置いといて、これも人格者を作り上げる一つの文化と言えよう。

 若いうちには遠い覚りの境地よりも、手のとどく幸せが輝いて見えるかも知れない。しかし、そこで簡単に後者を選ぶと、前者は手に入らない。含蓄がありますな。

 ウーセル君が自由の代価につぶされないことを祈る。
[ TB*0 | CO*12 ] page top
Copyright © 白雪姫と七人の小坊主達. all rights reserved. ページの先頭へ