SFT副代表来学
最近、ゼミ生にぐちいったり、弱音をはいたりし続けてきた結果か、ゼミ生がまったく自分を教師として尊重しなくなってきている。
困ったことだが、そもそも大学の先生って教育者じゃないんだよね。大学の先生は理論上、教員免許もってなくたって、極端な話最終学歴小学校だってなれる職業(自分は違うけど)。つまり、大学の教員は研究者としてのトレーニングは受けてても、教育者としてのトレーニング受けていないのだ。だから、統治能力のある先生は生来そういうものをもってうまれたか、後天的に取得したかなのである。
何にせよ、もうこうなったもんは仕方ない。死人・けが人・犯罪者がでないことだけ気を配ってのりきっていこう。
金曜日、ニューヨークに本部をおくフリー・チベット学生組織(SFT)の副代表テンジンドルジェ氏を授業にお招きする。
最初、2007年に彼がチョモランマのベースキャンプで行った抗議活動のDVDをみて、そのあと、彼がパワーポイントで中国が入ってくる前、チベットが独立した政府をもっていたことを示す歴史、1950年からはじまるチベット人の絶望的な抵抗の話をする。
そして、「中国政府はチベット人の提示する勇気と真実が怖いから、歴史を真実をねじまげようとして、チベットは昔から中国の一部であった、というストーリーを捏造している」とし、それに対してチベットが自立した政府組織をもっていたことを示す過去の品々(チベット政府発行のパスポート、切手、貨幣、1938年のNational Geographicの世界の国旗にチベット国旗がのっている図etc.)などを示した。
「日本ではデモに参加してもデモが終わった何時間後には家に帰ることができる。チベット本土ではデモに参加するということは、死を覚悟すること、あるいは、残りの人生を刑務所の中で過ごすことを意味する。」
「日本やアメリカは中国に対してチベット問題について強く発言できない。それはたとえばアメリカはネイティブ・アメリカンの土地をイギリスからの植民者が奪ってつくった国である。そこで中国はアメリカに、「もしチベット問題を云々いうなら、白人もアメリカから出て行け」と言われる。
また、日本は中国をかつて植民地にしかけた経緯があるので、中国政府を批判しづらい。しかし、私はこういいたい。過去に私は間違いを犯しました。だから、あなたも同じ過ちを犯してはならない、こういうふうにいえば相手の心に響かないでしょうか」
そして最期に
「わたしたちは事実に基づいて、非暴力によって文化と宗教を護る戦いをしてきました。もし私たちの戦いが勝利して、非暴力によってチベットに自由が実現したら、人類の歴史は変わります。力のあるものがムリを通すような時代が終わり、人類の文明は一歩前身するのです」
パチパチパチ
Kくん通訳ありがとう。センセは本当に英語苦手なんだよ(笑)。
で、そのあと●城庵でソバを食べる。テンドルさんは、「中国は経済力を武器にアジアやアフリカやあらゆる地域に、自分の言うとおりに動くように圧力をかけている。わたしたちがギリシアで平和的な抗議活動したら逮捕された。民主国家ですら中国のいいなりになっている。彼らは帝国化の道を歩んでいる。誰かがとめなければ」という。
その通り。平和と倫理の体現者を弾圧し続けても、中国の国家イメージはいっこうに改善しませんよ。もちろんアメリカや日本が過去の過ちを認めて、同じ過ちを犯さないように相手に進言するのはいいことだが、それだけではたりん。まず、中国の被害者意識をあおりたてるだけの教育を何とかするように、国際社会ははたらきかけにゃいかん。
隣国で行われている、被害者意識をあおり、加害者をにくませる感情的な歴史教育について、某教授は「ある程度は仕方ないんじゃないか」みたいなことをおっしゃていた。しかし私はこう思う。敵を憎むことによって特定の集団の結束をはかることは、何かの契機にその特定の集団が仮想敵に対して戦争をおこす火種をつくることである。戦争の火種をつくるような教育がまともといえるだろうか。
特定の他者に対する憎しみを拡大再生産するような教育がまともな教育といえるだろうか。
ゼミ生M「センセー、そういえば胡●涛きたの丁度去年の今頃じゃなかったでしたっけ」
私「そうねー、明日で丁度一周忌だねー。一年たつの早いねー」
Kと日本SFTのO君はチベットサポートのためのビジネス案を語り合っている。
私「あ、この前話したベンチャー社長はこのKくんよ。この子キツいでしょ」
Oくん「いや、でも想像していたよりは普通でした。もっと金の亡者だと思ってました」
K「・・・・」
店をでて見上げると空には満月に近い丸い月がかかっている。家に帰ってニュースみて気がついたが、テンドルさんがスピーチしている最中、雨があがり、都内では二重の虹がかかったという。
虹も満月も吉兆。
最近、「もうチベットはダメだろう」みたいなことを言う輩がやたら増えてきた。
でも大丈夫。
こうして月も虹も空にある。
1950年からずーっと「もうチベットは終わった」と言われてきた。チベットにどんなにカネがなかろうが、政治力がなかろうが、未来がみえなかろうが、チベット問題は忘れさられず半世紀続いてきたのである。
ある人がもう精神的・経済的にフリチベを続けられなくなっても、次の人が現れてこの運動は続いてきたのである。人々の良心がこの運動を脆弱ながらも美しくつないできたのである。
解決しない限り、問題は存在し続ける。
そこんとこ、よく考えてね、中国政府さん。
困ったことだが、そもそも大学の先生って教育者じゃないんだよね。大学の先生は理論上、教員免許もってなくたって、極端な話最終学歴小学校だってなれる職業(自分は違うけど)。つまり、大学の教員は研究者としてのトレーニングは受けてても、教育者としてのトレーニング受けていないのだ。だから、統治能力のある先生は生来そういうものをもってうまれたか、後天的に取得したかなのである。
何にせよ、もうこうなったもんは仕方ない。死人・けが人・犯罪者がでないことだけ気を配ってのりきっていこう。
金曜日、ニューヨークに本部をおくフリー・チベット学生組織(SFT)の副代表テンジンドルジェ氏を授業にお招きする。
最初、2007年に彼がチョモランマのベースキャンプで行った抗議活動のDVDをみて、そのあと、彼がパワーポイントで中国が入ってくる前、チベットが独立した政府をもっていたことを示す歴史、1950年からはじまるチベット人の絶望的な抵抗の話をする。
そして、「中国政府はチベット人の提示する勇気と真実が怖いから、歴史を真実をねじまげようとして、チベットは昔から中国の一部であった、というストーリーを捏造している」とし、それに対してチベットが自立した政府組織をもっていたことを示す過去の品々(チベット政府発行のパスポート、切手、貨幣、1938年のNational Geographicの世界の国旗にチベット国旗がのっている図etc.)などを示した。
「日本ではデモに参加してもデモが終わった何時間後には家に帰ることができる。チベット本土ではデモに参加するということは、死を覚悟すること、あるいは、残りの人生を刑務所の中で過ごすことを意味する。」
「日本やアメリカは中国に対してチベット問題について強く発言できない。それはたとえばアメリカはネイティブ・アメリカンの土地をイギリスからの植民者が奪ってつくった国である。そこで中国はアメリカに、「もしチベット問題を云々いうなら、白人もアメリカから出て行け」と言われる。
また、日本は中国をかつて植民地にしかけた経緯があるので、中国政府を批判しづらい。しかし、私はこういいたい。過去に私は間違いを犯しました。だから、あなたも同じ過ちを犯してはならない、こういうふうにいえば相手の心に響かないでしょうか」
そして最期に
「わたしたちは事実に基づいて、非暴力によって文化と宗教を護る戦いをしてきました。もし私たちの戦いが勝利して、非暴力によってチベットに自由が実現したら、人類の歴史は変わります。力のあるものがムリを通すような時代が終わり、人類の文明は一歩前身するのです」
パチパチパチ
Kくん通訳ありがとう。センセは本当に英語苦手なんだよ(笑)。
で、そのあと●城庵でソバを食べる。テンドルさんは、「中国は経済力を武器にアジアやアフリカやあらゆる地域に、自分の言うとおりに動くように圧力をかけている。わたしたちがギリシアで平和的な抗議活動したら逮捕された。民主国家ですら中国のいいなりになっている。彼らは帝国化の道を歩んでいる。誰かがとめなければ」という。
その通り。平和と倫理の体現者を弾圧し続けても、中国の国家イメージはいっこうに改善しませんよ。もちろんアメリカや日本が過去の過ちを認めて、同じ過ちを犯さないように相手に進言するのはいいことだが、それだけではたりん。まず、中国の被害者意識をあおりたてるだけの教育を何とかするように、国際社会ははたらきかけにゃいかん。
隣国で行われている、被害者意識をあおり、加害者をにくませる感情的な歴史教育について、某教授は「ある程度は仕方ないんじゃないか」みたいなことをおっしゃていた。しかし私はこう思う。敵を憎むことによって特定の集団の結束をはかることは、何かの契機にその特定の集団が仮想敵に対して戦争をおこす火種をつくることである。戦争の火種をつくるような教育がまともといえるだろうか。
特定の他者に対する憎しみを拡大再生産するような教育がまともな教育といえるだろうか。
ゼミ生M「センセー、そういえば胡●涛きたの丁度去年の今頃じゃなかったでしたっけ」
私「そうねー、明日で丁度一周忌だねー。一年たつの早いねー」
Kと日本SFTのO君はチベットサポートのためのビジネス案を語り合っている。
私「あ、この前話したベンチャー社長はこのKくんよ。この子キツいでしょ」
Oくん「いや、でも想像していたよりは普通でした。もっと金の亡者だと思ってました」
K「・・・・」
店をでて見上げると空には満月に近い丸い月がかかっている。家に帰ってニュースみて気がついたが、テンドルさんがスピーチしている最中、雨があがり、都内では二重の虹がかかったという。
虹も満月も吉兆。
最近、「もうチベットはダメだろう」みたいなことを言う輩がやたら増えてきた。
でも大丈夫。
こうして月も虹も空にある。
1950年からずーっと「もうチベットは終わった」と言われてきた。チベットにどんなにカネがなかろうが、政治力がなかろうが、未来がみえなかろうが、チベット問題は忘れさられず半世紀続いてきたのである。
ある人がもう精神的・経済的にフリチベを続けられなくなっても、次の人が現れてこの運動は続いてきたのである。人々の良心がこの運動を脆弱ながらも美しくつないできたのである。
解決しない限り、問題は存在し続ける。
そこんとこ、よく考えてね、中国政府さん。
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