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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2009/05/05(火)   CATEGORY: 未分類
一筋の涙
子供の日を記念して愛鳥のページを更新しました(ここクリック!)!

五月一日から五日まで、新宿の常圓寺において、タシルンポ寺のお坊さんが来日して、チベット文化を紹介するフェスティバルを行っている(このあと長野の西方寺とサッポロにも行きます)。

 四日、その記念講演でパンチェンラマとタシルンポ寺についての講義をした。タシルンポ寺はダライラマ一世が創建し、ゲルク派四大寺院の一つに数えられる名刹である。代々、パンチェンラマが座主を勤めてきた。

 この連休、いろいろなところに飛んでチベット話をしたが、やっとラストである。常々思うのだが、中国を研究する人は歴史・政治・経済・文学・思想のそれぞれのジャンルに膨大な数がはりついていて、あまつさえ中国革命が青春だった世代が膨大な数ファン層を形成していて、なんだかんだいって中国政府に温かいエールを送っているのに、チベットを研究している人は数える程しかおらず、しかも、肩書き付きとなるとさらに少なくなり、数少ない研究者の一人である自分は、結果としてあらゆるジャンルについて対応せざるをえなくなる。

 ノーギャラとかローギャラとかはボランティアの方もみなそうだから言わないとして、何がつらいかって、自分の研究領域でないことまで必要上話をしなきゃならないこと。学者の良心がずきずき痛む。

 現在、大学院でチベットに関する何かを勉強中のアナタ! 学位とって就職して早いとこ、この偏りまくった学会状況を少しでもバランスがとれるようにしてください。発心のある所、チベットの神様が必ず助けてくれるでしょう(責任とれないけど)。

 講座ではパンチェンラマが清王朝からはじまって、中国と深い関係にあったこと、『カーラチャクラ』の伝統と深い関わりがあったことなどをのべ、ダライ・ラマ十四世と同世代のパンチェンラマ七世(十世という数え方もある)は、ダライラマとは対照的に亡命せずに中国に残留したものの、厳しい状況の中で、僧院の再建に励み、チベット人の生活をよくするための努力していたことなど、パンチェンラマについての基本的な情報をお伝えする。

 続いて、来日中のタシルンポの僧侶ロプサン・ドルジェ先生のお話。
 先生はかつてチベット本土のタシルンポ寺の僧侶であったのだが、1992年の時、16歳で亡命し、現在はインドにある再建タシルンポ寺に属している。

 ロプサン先生とはその日が初対面であった。楽屋でお会いした時、何かをあきらめたような無表情さが印象的で、チベットのお坊さんはユーモアにとんだおちゃめな方が多いので、日中常圓寺でお客さんの対応をして疲れているのかなと思った。

 先生はまずかつてのタシルンポ寺の景観について解説しだした。その壮観な大僧院が紅衛兵の襲撃をうけ、タシルンポ寺の座主をつとめていた歴代パンチェンラマの仏塔を暴いて遺体をまきちらし、狼藉の限りをはたらいたこと、そうして荒れたタシルンポを、先代のパンチェンラマ七世が復興し、また、七世がいかにチベット人の庶民の生活を気にかけ、遊牧民や農民の家をまわり、その生活状況を何とか改善しようと奮闘していたことを語った。
 
 で質問タイム。
 質問者Aが「行方不明のパンチェンラマ八世(十一世)の死亡説が流れているが、それについて何か知っているか」
 ロプサン先生「報道されている以上のことは自分も分からない。前に死亡説が流れた時、中国政府は打ち消した。しかし、今回中国は何も発表しない。」

 質問者A「亡命の時の様子を教えてください」
 ロプサン先生「1991年に分離主義者のレッテルを貼られ、毎日呼び出されて同じことを聞かれました。これでは将来がないと亡命を決意しました。僧侶だと分かると捕まるので、髪はのばして俗人の格好をしました。道案内には2000元を払い、冬場に二十七日間かけて国境をこえて難民受け入れ機関にたどりつきました。靴は破けて足の裏は傷だらけ。でも国境を離れるに従って開放感を覚えました。私は中国政府も中国人も非難する気も、嫌う気もないですが、どうしてわたしたちが生まれた国を離れなければならないのでしょうか。
 中国人はお前達には逃げる場所なんてない、逃げても必ず追いかけて捕まるぞ、と脅し続けて、私たちは世界中が中国の支配下であるかのように感じていました。」

 いつのまにか、彼の頬に一筋の涙が流れていた。

 無表情のまま、語り口も静かなまま、ただ涙だけが流れていた。チベットのお坊さんたちが亡命の時の過酷な体験を語る時は、普段はにこやかで物静かな人でもだんだんエキサイトして、声が大きくなるものだが、ロプサン先生はただ静かに静かに涙を流していた。

 会場をみまわすと、最前列の人たちはみな眼に煮汁がたまっており、壇上がよくみえないであろう後方の席の人たちもその雰囲気を察して凍り付いていた。
 
 すると、ロプサン先生は「みんなを惑わそうとして泣いたのではありません。ごめんなさい」といって僧衣で涙をぬぐった。

 もう何かやりきれなかった。
 タシルンポってじつはインドに再建されたチベット寺の中でも一二を争う貧乏寺。今回の来日だって、もちろん、大きくはチベット文化を他国の人にも知ってもらおうという交流事業であるけれども、もっとも限定された目的は僧院を続けるための支援を得るためである(一口豆知識: 金欠の寺ほど外周りが頻繁)。

 もう何かいろいろな意味でやりきれなかった。

不条理な話だが、自爆テロとかやる泥沼の民族問題はよくマスコミに露出し人々の関心も集まるのに、自分たちの文化を異国インドで必死に維持しながら、いつか中国が変わってくれるのをまつ穏健なフリー・チベット運動は地味すぎて、人々の耳目を集めない。

 チベット人が彼らの故郷で彼らの文化を維持できるような日が本当に早くきてほしい。はよ変わらんかい、中国。
 
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