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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2009/04/27(月)   CATEGORY: 未分類
善光寺ご開帳とチベット
 土日は善光寺さまへ。長野聖火リレーから一年、パンチェンラマ(拉致)の誕生日、ならびにチベット民衆蜂起から五十年の記念の年なので、それを記念するイベントに参加するため。

 土曜日、五時半に長野駅につくと、東京より十度は寒い。観光時間が過ぎているためバスがなかなかこず、骨まで冷える。善光寺さまにつき、前立ご本尊さまとつながっている回向柱にタッチ(これをすると極楽往生間違いなし!)。

 そして、キャンドルイベントの会場に向かう。イベントではまず智山派の僧侶方による声明が行われ、「チベットの風邪ならぬ風」の代表が、この1年になくなったチベットの方達の御名前をよみあげるなか、みなで焼香のかわりにキャンドルを捧げていく。1年前に聖火リレーの抗議活動に参加した人によると、去年もやはりとても寒く「気温まで再現することはないのに」とおっしゃっていた(笑)。

 翌日、六時半くらいに宿坊をでて、7年に一度のご開帳というご本尊を拝観させていただき、忠霊殿にまつられているダライラマ猊下ご下賜の釈迦牟尼仏に手を合わせ、宝物殿で特別展を拝見する。まだ七時前だというのに境内にはたくさんの人々があふれ、回向柱にタッチしたり、本堂で称名を唱えたり、横溢する篤信ムードはチベットみたーい。

  十時半から、大本願でお話をさせていただく。今度は建物の中なので寒さや雨を気にすることはない。時は7年に一度のご開帳にして聖火リレー一年目、場所は聖地善光寺にして日本版フリー・チベットの発祥の地、聴衆は根性のすわった僧侶の方々+フリー・チベット、歴史的な時、所・聴衆がすべてが申し分なく揃っているものの、ただ説者が自分な点だけが画竜点睛を欠く(笑)。

 お話は「月影」をテーマとする。仏教では月は仏、月影は菩薩のたとえに用いられる。それは時空を超えた仏の境地は、この地上の様々な人の心の中にある慈悲として顕現し、それによって遊び戯れるように人々を苦しみから救う様が、月が地上のすべての水たまりになんなくその姿を現すことに似ていることによる。

 善光寺さまは浄土宗と天台宗の共同管理寺院である。で、浄土宗の開祖法然上人は「月影の至らぬ里はないけれど、ながむる人のこころにぞある」という有名な一句を詠んでいるため、浄土宗の僧侶の方々は、阿弥陀さま(仏の境地)はわれわれの心の中にある慈悲として顕現することをよくご存じでおられる。なので、これをダライ・ラマ法王がよく自らをただの月影、すなわち、自らを「永遠の利他の修行者」と位置づけていることにからめて、「みなさんの去年のご英断は、ダライ・ラマ法王の生きたかと同じく、美しい菩薩道」と語る。

 で、質問タイム。

 質問者A「ダライラマの銅像をたてて、そこをチベット問題を考える人たちが定期的に集まれる場所にしたい」
 私「銅像みたいなものをたててそれを拝んでもダライラマはお喜びにならないでしょう。それより私たちがダライラマのようにふるまうことをお喜びになるでしょう」と答える。

 質問者B「今現在チベット本土ではチベット人の子供が中国人の教育をうけたり、女性が断種されたりしています。悠長なことを言ってられないのではないか」みたいな意見(明らかに質問でないな 笑)

 私「スリランカもインドももっと長い間植民地統治を受け、あのインド独立の父ガンディーですら若い頃はロンドンに留学してイギリス紳士になろうとしていた。ガンディーは欧米の人々がインド文化のすばらしさをたたえるのをみて、自文化の価値に気づいて「裸足のガンジー」になったんだ。スリランカも今は仏教国だけど植民地統治の間は、宗主国により僧伽は徹底的に破壊され否定された。両国ともに独立した後は、自らの文化と言語を大事にしている。時がくれば結局はいいものが残る。
 だから、重要なことは、人格者を生み出すチベット文化の心髄である僧院生活を維持すること。子供を救いたいという気持ちは万国共通なのでチベットの子供を支援する組織は結構充実しているけど、大人の集まりである僧院には世間の支援の手はうすい。じつは本当に援助を必要としているのは、あの僧院の生活なのだ」という。

 質問者A「ダライラマ十三世が武装していたら百万人チベット人は死ななかったのではないか」
 わたし「かりに武装していたとしても、無尽蔵の人口がある国が本気になったら多少の武装ではあの長い国境地帯を少ない人口で防ぐことは難しいだろう。中国の人が他者を尊敬する気持ちを持つようになること以外、中国の侵略をふせぐ手立てはない」という。
 じつはあの時はそこまで思いつかなかったんだけど、チベットって周辺の諸国にチベット仏教を布教して彼らを信徒にすることによって国を繁栄させまもってきた。ある意味、教育をすることによって、国を防衛していたわけ。去年、十一月三日にダライ・ラマ法王歓迎レセプションにおいて、ダライ・ラマが「自国の軍備にかけるお金を、貧しい国の教育を支援することに使えば世界の平和は創出される」とおっしゃると列席者みなが拍手したっけ。
 ダライ・ラマがいかに気高く、高く振る舞おうとも、中国はこの半世紀変わらなかった。
理想論ではあるが、それ以外に解決法がないのも事実。

 そのほかにも、「私がなぜチベットを学んでいるのか(笑)」「河口慧海はなぜ晩年還俗したのか」「聖火リレー辞退を主導した四人のお坊さんたちのご先祖がじつはチベットに関係していたの詳細」みたいな質問もでたが、これらは私も正確なところを知らないので割愛。

 そのあと、本堂の内内陣(ご本尊によりよりのVIP席)で、この1年でなくなられたチベット人・漢族の追悼法要。そのあと、ネパールのチベット人コミニュティより、感謝の言葉、並びに、寄せ書きされたチベット国旗が善光寺の総長猊下に献呈された。

 観光したような、巡礼したような、フリチベしたようなこゆい二日間であった。
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