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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2009/04/14(火)   CATEGORY: 未分類
今度失われるのは・・・
金曜日、自分が教壇にたった最初の年、授業を聞いていた元学生三人(全員女性で独身 笑)が遊びにきた。

 今もつきあいがあると言うことは・・・・この三人、当然フリチベが入ってます。

 この三人の集まりに某週刊誌のカメラマン(これまた早大卒)が加わって居酒屋に入った。
 聞けば、三人のうち一人Oさんがここのところ婚活に励んでいるので、残る二人が知り合いのこのカメラマン氏を紹介しようというわけ。

そのカメラマン私を見て「先生も一緒というのでどんな脂ぎったオッサンかと想像してたけど、女性なんですね」(甘いな)

 で、五人で居酒屋に入ると、カメラマン以外はフリチベなので当然チベットの話になる(オイオイ見合いは・・・)。

 カメラマン氏は最初はカメラマンらしく押しのつよい雰囲気を漂わしていたが、Fさんや私が怪気炎をあげだすと、徐々に静かとなり、じつは素はおとなしい青年であることが判明する。

 カメラマン「でもダライ・ラマ十四世がなくなったらチベットも大変ですねえ」

 私「法王がなくなるなんてそんな話、気安く口にするなあっ。」

 Tさん「そうよ。二歳か三歳ですぐに十五世がみつかるもん」

 私「で、その幼児『タイム』の表紙を飾るからみてなさい。」

 Fさん「チベットはね。高僧の教育システムがしっかりしてて外にださずにきっちり育てるの」

 私「で、成人するころには、立派にダライ・ラマになるのよ! チベット仏教の伝統をなめるなあっ」

 Tさん「あの、●×さん(カメラマンの名前)、この四人を前にしてチベットの話はやめた方がいいよ」

  お見合いだいなし。。

 で、同僚の先生がお亡くなりになったので、この二日間お通夜とお葬式に出かけた。故人はガンでなくなられたのだが、ご長男によると、故人は自分が死ぬとは最後まで思っていなかったらしく、その手帳には九月の予定まで書き込んであったとのこと(ちなみに自分今月の予定すら書き込んでません 刹那滅やな)。

 故人は病気一つしたことがなく、ご自分の母親ですら四年前にみとったというので、比較的若いうちに病んで死ぬというイメージをもてなかったか、あるいはうすうす死ぬかもと感づいていても考えたくないので、普段通りにしていたかであろう。

 現代人にとって死とは、それで何もかも終わり、後に何があるか分からない暗黒のターミナルである。名誉も地位もお金も愛する家族も、たとえ持っていたとしてもこの世においていかねばならない。人生の大半をそのようなものを得るために過ごした人であったとするならば、愛する家族、仕事などをおいていくことはつらくて仕方ないに違いない。

 一方、人生の価値を自分の延長線にあるものではなく、他者の幸せや人類や普遍といったものにおいて生き、かつ、死によって何もかもが暗黒に陥るのではなく、再生があると考えるチベット人の場合、死はもっと積極的な意味を持つようになっている。

 死はよりよい生に向けてのジャンプ台であり、少なくとも老いたり病んだりした体をすてて新たなる再生の道に歩みだすという積極的意味をもつ。人間は死すべきものだから、当然、死後の生を考えて慎んで生きるので、死を迎えてもばたぐるわないし、肉体的にも、長期間寝込んだりするチベット人は少ない(近代医学を受けられるようになった今でも)。

 ロバート・サーマン教授は『現代人のためのチベット死者の書』の中で、死後の意識が暗黒に飲まれることは「賛同者はたくさんいるが、証拠はほんのかけらほどもない。それでも繰り返し語られることで教条と化し、ますます強く信じられるようになってしまっている」とし、死後に何もない、と考えることには何の根拠もないことを述べ、もし再生などの死後の生の可能性があるのであれば、

 「人はよりよい明日を迎えるためにできる限りの準備をする。より充実した備えがあれば、幸せな眠りにつくことができる。同様に、より充実した備えがあれば、死の時を迎えても、よりゆったりとした心でいられるだろう。」と現代人に死に向けて備えよと説く。


 死は誰にでもやってくる。もし生きている間に、エゴをコントロールせずに生きれば、悪い再生を受けるし、自分よりも他人や環境を先に考え行動した人間は良い再生を受ける。しかし、どのように良い生を受けようとも、生きる・病む・老いる・死ぬという苦しみからは逃れようがないため、最終的にこの死と再生の永遠の環からの「解脱」を目標とするのだ。

 そして、エゴを消滅させた結果、この輪廻の世界を超越して、この輪廻からでることにこだわらず、他者のために、軽やかにこの世になんども戻ってくるのが、菩薩さま。そう、ダライ・ラマ法王はこの菩薩の化身なのですね。

 サーマン教授はこのような菩薩を「すべてはただ心の中にあるだけのものだ、という本質的な感覚を悟っている人なら、他人の利益のためには、疾走する貨物列車の前に立っても平然としていられるはずだ」つまり菩薩さまは死を恐れない。他者のためにあえて命を投げ出すことすらできる、のです。

 わあ、超えてる。

 最近よくダライラマ13世の遺言について考える。ダライラマ十三世はチベット人に対して「自分のためではなく、公のために生きることを説き、もしそうしなければ共産主義が国の内外から侵入して、チベットは失われ、チベット人は乞食のように世界をさまようようになる」という文書を残して、たった一ヶ月後、病の兆候をみせずになくなられた。チベットがこのダライ・ラマ十三世が死の直前に残した言葉の通りの道をたどったのはよく知られている。

 ダライ・ラマ13世は、来るべき、亡国の時、若く力強い青年でいるために死期を早めたのだとはよく言われていることだ。それもそのはず、14世現ダライ・ラマ法王は、15歳で中国の侵略を受け、24歳で国が失われた。この若さがあったからこそ、この半世紀の間、チベット人をまもり、チベット文化を維持できたのである。

 さすが菩薩。自分に向かって疾走してくる列車を前にしてもひるまず、ふたたびこのド外道な現代にもどってこられ、さらに軽々と生き抜いてこられました。

 で、今ダライ・ラマ十四世は世界にむけて、「自分の利益だけではなく、人類全体、いや、地球の生態系を考えて行動しなさい」と呼びかけている。ダライ・ラマ十三世はチベット人に語りかけて、その言葉をきかなかった結果、チベットは失われた。今、ダライ・ラマ十四世は人類全体に「禁欲、節制」を語りかけている。この言葉を我々が実行しなかったならば、今度失われるのは・・・地球だよ!。
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