愛新覚羅の遺産
著名なフランスのデザイナー、故イブ・サンローラン氏とそのビジネス・パートナーであるピエール・バージ氏が二人で築いたコレクションを、ピエール氏が競売にかけて放出することとした。
そしたら、そのコレクションの中には1880年に円明園から略奪されたもの(ブロンズ製のウサギとネズミの頭の形をした噴水口)がまじってていて、それを知った中国のナショナリストたちが、略奪品だからかえせー、と大騒ぎ。ああっというまに弁護士団が結成され、フランスの法廷に差し止め裁判を起こしたが、見事に却下された。
そりゃそーだわ。文化財保護ってとっても難しくて、たとえば円明園がかりに英仏軍に焼き討ちにあわなくとも、文化大革命の時に紅衛兵が「ブルジョワ文化打倒」とかいって壊してたかもしれず、イラクで暴動が起きた時も、国立博物館はおそわれたし、北朝鮮の博物館の所蔵品も中国に闇ルートで売られてキム総書記親子の全集本のため良質の紙を購入する資金にあてられているそうだし、外国人が奪わなくとも、自国の文化をないがしろにする自国民によってぶっ壊される可能性だってあるわけだ。
東京だって、廃仏毀釈に、上野戦争に、関東大震災に、東京大空襲とろくでもない歴史の中で文化財はどかどか失われている。それにね、中国人さん。このブロンズ像、そもそもの持ち主は満洲皇帝ですからね。ちゃんと愛新覚羅家にお返しするんですか。
てなわけで、フランスの裁判所が棄却したのは当然なわけです。
しかし、この騒ぎがいっそうすごくなっちゃったのが、このピエール・バージ氏がなかなかイカシたことをおっしゃったから。フランス語からではなく英語からの訳ですが、おおざっぱにはしょった日本のメディアの報道よりは詳しいとおもうので、以下訳文。
以下、ロイターから
わたしはこれを正当な対価をはらって手に入れていますし、カンペキに法律によって護られています。ですから、中国人たちの言うことはちょっとおかしいですね。
でも、中国人たちにこのブロンズ像をすぐにでも返す準備がありますよ。
"I acquired them and I am completely protected by the law, so what the
Chinese are saying is a bit ridiculous," he told Reuters Television on
Friday. "But I am prepared to offer this bronze head to the Chinese
straight away."
彼らが人権を守ることを宣言し、チベット人に自由を返し、チベット領にダライラマが帰ることを受け入れさえすればね。
"All they have to do is to declare they are going to apply human rights,
give the Tibetans back their freedom and agree to accept the Dalai Lama
on their territory," he said.
もし中国人がそうするなら、私は自分からこれらの二つの中国製のブロンズ像もって〔もともとあった〕北京の夏の離宮に戻しにいきますよ。
If they do that, I would be very happy to go myself and bring these two
Chinese heads to put them in the Summer Palace in Beijing."
これは明らかに恐喝ですが、私は受け入れますよ。
"It's obviously blackmail but I accept that,"
ぶはははははは。
そしたら中国人、怒り狂って、「競売を行ったクリスティーズの大株主はチベット独立派」だの、「国境なき記者団に資金援助している」だの相変わらず、どんどんへんな方向に話をそらして、レッテルをはっては大騒ぎ。
ダライラマ法王もおっしゃっているように、「こいつは味方、こいつは敵」とレっテルをはる思考こそが、いわゆる無明(仏教で人間の最悪の悪徳とされるもの)。敵・味方なんかは状況や時間の推移によっていくらでも変わるものなのに、そんなものにとらわれるのは、エゴエゴな思考をしているから。
そもそも、国境なき記者団にはフランス政府だって資金援助してますよ。ようは良識あるお金持ちが社会貢献の一環でやっていること。それをとりあげて、なにがチベット独立支持派だっつーの。良識ある人は真実とか真理に基づいて動いているだけ。こういう人たちはかりに真理が自分にとって自分の国にとって短期的には不都合であっても、真理の側にたつ覚悟ができている。長期的には国や人を生かすことを知っているからである。
レッテルをはってしか世の中をみられない人は、自分では気がついていないけど、自分、自分の宗教、自分の国とかエゴの延長線上でしか物事をみられない人。彼らはエゴに基づいて思考するので、ヘタするとチベット占領問題のように真実や真理をまげても自分は正しいと主張してしまうこともあり、それを許してくれる人はいない。そのような自己本位な国益の追求はひいては亡国の道である。
この場合だと、騒いでいる漢人は、自分の手持ちのレッテル、すなわち、チベット独立支持派とそれ以外の人という二枚でしか世界をみていない。それ以外の思考方法、自分たちのやっていることが本当に正しいことなのか、というような問いは彼らの中には存在しえない。だって、二枚しかもってないもん、レッテル。そういえば、この人たち、五十年前は、世界を親ソ連・反ソ連できってわあわあ騒いでいたっけ。
一つ言えることは、良識ある人を心底うんざりさせる人・集団には未来はないということ。しかも、彼らを破滅させるのは自分自身であるということ。どこぞの国営テレビの火災の原因が警官が止めるのも聞かずに自分たちであげた花火であったように。
レッテルをはる思考を行うことが、いかにダメかについては『ダライ・ラマの仏教入門』をみてね!
そしたら、そのコレクションの中には1880年に円明園から略奪されたもの(ブロンズ製のウサギとネズミの頭の形をした噴水口)がまじってていて、それを知った中国のナショナリストたちが、略奪品だからかえせー、と大騒ぎ。ああっというまに弁護士団が結成され、フランスの法廷に差し止め裁判を起こしたが、見事に却下された。
そりゃそーだわ。文化財保護ってとっても難しくて、たとえば円明園がかりに英仏軍に焼き討ちにあわなくとも、文化大革命の時に紅衛兵が「ブルジョワ文化打倒」とかいって壊してたかもしれず、イラクで暴動が起きた時も、国立博物館はおそわれたし、北朝鮮の博物館の所蔵品も中国に闇ルートで売られてキム総書記親子の全集本のため良質の紙を購入する資金にあてられているそうだし、外国人が奪わなくとも、自国の文化をないがしろにする自国民によってぶっ壊される可能性だってあるわけだ。
東京だって、廃仏毀釈に、上野戦争に、関東大震災に、東京大空襲とろくでもない歴史の中で文化財はどかどか失われている。それにね、中国人さん。このブロンズ像、そもそもの持ち主は満洲皇帝ですからね。ちゃんと愛新覚羅家にお返しするんですか。
てなわけで、フランスの裁判所が棄却したのは当然なわけです。
しかし、この騒ぎがいっそうすごくなっちゃったのが、このピエール・バージ氏がなかなかイカシたことをおっしゃったから。フランス語からではなく英語からの訳ですが、おおざっぱにはしょった日本のメディアの報道よりは詳しいとおもうので、以下訳文。
以下、ロイターから
わたしはこれを正当な対価をはらって手に入れていますし、カンペキに法律によって護られています。ですから、中国人たちの言うことはちょっとおかしいですね。
でも、中国人たちにこのブロンズ像をすぐにでも返す準備がありますよ。
"I acquired them and I am completely protected by the law, so what the
Chinese are saying is a bit ridiculous," he told Reuters Television on
Friday. "But I am prepared to offer this bronze head to the Chinese
straight away."
彼らが人権を守ることを宣言し、チベット人に自由を返し、チベット領にダライラマが帰ることを受け入れさえすればね。
"All they have to do is to declare they are going to apply human rights,
give the Tibetans back their freedom and agree to accept the Dalai Lama
on their territory," he said.
もし中国人がそうするなら、私は自分からこれらの二つの中国製のブロンズ像もって〔もともとあった〕北京の夏の離宮に戻しにいきますよ。
If they do that, I would be very happy to go myself and bring these two
Chinese heads to put them in the Summer Palace in Beijing."
これは明らかに恐喝ですが、私は受け入れますよ。
"It's obviously blackmail but I accept that,"
ぶはははははは。
そしたら中国人、怒り狂って、「競売を行ったクリスティーズの大株主はチベット独立派」だの、「国境なき記者団に資金援助している」だの相変わらず、どんどんへんな方向に話をそらして、レッテルをはっては大騒ぎ。
ダライラマ法王もおっしゃっているように、「こいつは味方、こいつは敵」とレっテルをはる思考こそが、いわゆる無明(仏教で人間の最悪の悪徳とされるもの)。敵・味方なんかは状況や時間の推移によっていくらでも変わるものなのに、そんなものにとらわれるのは、エゴエゴな思考をしているから。
そもそも、国境なき記者団にはフランス政府だって資金援助してますよ。ようは良識あるお金持ちが社会貢献の一環でやっていること。それをとりあげて、なにがチベット独立支持派だっつーの。良識ある人は真実とか真理に基づいて動いているだけ。こういう人たちはかりに真理が自分にとって自分の国にとって短期的には不都合であっても、真理の側にたつ覚悟ができている。長期的には国や人を生かすことを知っているからである。
レッテルをはってしか世の中をみられない人は、自分では気がついていないけど、自分、自分の宗教、自分の国とかエゴの延長線上でしか物事をみられない人。彼らはエゴに基づいて思考するので、ヘタするとチベット占領問題のように真実や真理をまげても自分は正しいと主張してしまうこともあり、それを許してくれる人はいない。そのような自己本位な国益の追求はひいては亡国の道である。
この場合だと、騒いでいる漢人は、自分の手持ちのレッテル、すなわち、チベット独立支持派とそれ以外の人という二枚でしか世界をみていない。それ以外の思考方法、自分たちのやっていることが本当に正しいことなのか、というような問いは彼らの中には存在しえない。だって、二枚しかもってないもん、レッテル。そういえば、この人たち、五十年前は、世界を親ソ連・反ソ連できってわあわあ騒いでいたっけ。
一つ言えることは、良識ある人を心底うんざりさせる人・集団には未来はないということ。しかも、彼らを破滅させるのは自分自身であるということ。どこぞの国営テレビの火災の原因が警官が止めるのも聞かずに自分たちであげた花火であったように。
レッテルをはる思考を行うことが、いかにダメかについては『ダライ・ラマの仏教入門』をみてね!
チベットは軍と警察ばかり
三月十日はチベット人がダライラマを護るために中国軍に対して蜂起した記念日であり、例年、世界の主要都市でフリー・チベットデモが行われている。
今年はダライラマ14世がインドに亡命してから50周年目にあたることもあり、中国政府はチベット人居住域で何らかの抗議行動が起きることを疑い、あらゆる街に警察と軍隊をはりつけている。
屋根の上にはバイオリン引きならぬスナイパーがいて、お寺の門前には小僧ならぬ警察官を常駐するご立派な管理事務所がたち、「まあ僧侶や巡礼が参拝しているわ」と思ったらそれは密告屋で、彼らはせっせとお寺の周りを回って監視を続けていらっしゃるとのこと。
その上、外国人は観光客も含めて三月三十日まで全面的にチベットに入境禁止である。そういえば、妻を殴る夫とか、子供を虐待する親は、警察や児童相談所の人が家庭内に入るのを極端に嫌いますよね。自分がしていることがまずいという自覚はあるから隠そうとするわけで、だったら最初からやるな、と言いたいです。
でもね、中国政府さん、こういうことをやるとあなたの銃の力の及ばない地域にいる人々、未来のすべての人々に指弾されることを忘れないでくださいね。日本人も半世紀以上前の悪行をひ孫の代になった今も言われてますから。
丸腰のチベット人を圧倒的多数の軍隊の銃口で制圧することによって、中国政府はまたまともな人々をドンビキさせ、まともな国家になる道を自ら閉さいでしまったのである。
銃口でおどしながら僧侶に愛国教育を強制して「ダライラマ」を否定させても、彼らが「祖国中国を愛する」ようになるわけはない。ていうか、逆効果でしょ。
そもそも、愛国教育って教育じゃないでしょ。教育というものは、怒りや欲望などの本能をコントロールして、普遍的な道徳的価値(他者の価値を尊重すること)にそって動ける人間をつくることである。自国にとって都合のいいことはすべて善で、何か不都合が生じたらそれはすべて他人(欧米・日本・チベット人)のせいなどという、まったくスジの通らないものの考え方を国民に教え込むっつーのは、教育というよりゃ、愚民化政策である。
今の中国が国として体をなし、国際的に評価されたいのなら、チベットを銃で脅すよりも、共産党の幹部がチベットの高僧の前にひざまずいて灌頂の一つも受けることである。ついでに、カソリック教会にいって洗礼うけて、イスラームのモスクいってコーランよんで、民主化勢力のリーダーを義士として表彰したら、世界中のカソリックとイスラーム教徒、知識人からも見直されるよ。
共産党の書記としての姿は漢人の共産党員の前でだけやってればいいこと。チベット人だって共産主義で救われると思う人からその教えを奪う気はないですよ。だから、共産党員もそれ以外の価値で幸せになれる人を否定すべきではない。
清朝の皇帝がなぜあれほど多くの民族に影響を与えることができたかと言えば、対する民族ごとにその民族の文化の文脈にあう姿に自らを変えて接したからである。
漢人官僚に対しては中華皇帝として、チベット人とモンゴル人に対してはチベット仏教の大施主、転輪聖王として、接したが故に尊敬されたのである。
清朝最盛期の皇帝、乾隆帝は、チベット文の大蔵経をモンゴル語や満洲語に飜訳し、チベットの高僧を多数供養し、グルカなどの外国の侵略者がチベットを脅かした際、軍を派遣してダライラマ政権を外敵から護った。この場合も、ダライラマ政権からの要請を確認してからチベットへ派兵をし、軍糧は内地から移送するか現地で買い上げるなどし、事態が収束した後には迅速に撤兵するなど、国益にもとづく侵略と受け取られないように配慮した。
ダライラマ政権を尊重し、チベット仏教界に対するこのような貢献を見て、モンゴル人もチベット人は乾隆帝を文殊菩薩と称えたのである。
軍事力や経済力で尊敬を集めていたのではない。彼らの文化の文脈の中で聖人として称えられていたのである。
現在、ダライラマが軍事力も経済力も国すらなくとも、〔中国をのぞく〕世界の指導者たちから愛され、支持を受けているのは、彼に他者を尊重する大人のモラルがあるからである。ダライラマは、自らは仏教徒でありながら、他のすべての宗教とその信徒を尊重し、科学を信奉し、そして抑圧者である中国人に対してすら配慮をみせるという大人な姿勢を示してきた。かつての清朝皇帝のように。
ダライラマはね、伊勢神宮に正式参拝する際にはちゃんと作法をまもったし、アメリカ行った時には、星条旗にも手を合わすんだよ。人々を幸せにできるものに対してはちゃんと敬意を表している。だから彼はみなから愛される。
仏舎利展でも述べたように、じつは漢人にも仏教徒はやまほどおり、彼らは日本人よりはるかに信心深い。本土の漢人の中にも東チベットの僧院にいるチベット人高僧のファンは結構いる。だから、チベットの僧院に布教と修業の自由があれば、漢人のチベット仏教信者はどんどんふえ、その信者は共産主義からはえられない精神の安寧を得られるだろう。漢人が経典するときにお金だしてくれたり、法要の施主になってくれたりするようになったら、チベット人も漢人をもっと好きになるだろう。
欧米人はみなチベット僧を好きになった。漢人だけが中国政府のアホみたいな教育のためにチベット仏教(以下、カソリックにイスラームに民族自治に民主主義 と永遠に続く)を理解する道を閉ざされているのだ。
コミニュケーション能力という意味では彼らが否定した清朝皇帝以下。
問題はつねに自らの内部にあるのに、それを全部他者のせいにしているうちには、状況は改善しないどころか、悪化していく。しかし、彼らは永遠にその問題の原因が自分にあると認知できない。なぜなら、自分のみを是とし、他者を否とする愛国教育を自国民に施しているからである。
あるカウンセラーの方に伺ったが、中国人留学生が精神を病んで相談に来ることがあるそうだが、彼らは一様に日本社会での生きづらさを訴える。しかし、四年目くらいになると「中国政府の言うこともおかしいですよね」と気がつくそうである。つまり、洗脳は四年たたないととけず、四年未満で帰国する学生は日本を嫌うだけ嫌って帰っていく・・・・。
げに恐ろしきは愛国教育。
今年はダライラマ14世がインドに亡命してから50周年目にあたることもあり、中国政府はチベット人居住域で何らかの抗議行動が起きることを疑い、あらゆる街に警察と軍隊をはりつけている。
屋根の上にはバイオリン引きならぬスナイパーがいて、お寺の門前には小僧ならぬ警察官を常駐するご立派な管理事務所がたち、「まあ僧侶や巡礼が参拝しているわ」と思ったらそれは密告屋で、彼らはせっせとお寺の周りを回って監視を続けていらっしゃるとのこと。
その上、外国人は観光客も含めて三月三十日まで全面的にチベットに入境禁止である。そういえば、妻を殴る夫とか、子供を虐待する親は、警察や児童相談所の人が家庭内に入るのを極端に嫌いますよね。自分がしていることがまずいという自覚はあるから隠そうとするわけで、だったら最初からやるな、と言いたいです。
でもね、中国政府さん、こういうことをやるとあなたの銃の力の及ばない地域にいる人々、未来のすべての人々に指弾されることを忘れないでくださいね。日本人も半世紀以上前の悪行をひ孫の代になった今も言われてますから。
丸腰のチベット人を圧倒的多数の軍隊の銃口で制圧することによって、中国政府はまたまともな人々をドンビキさせ、まともな国家になる道を自ら閉さいでしまったのである。
銃口でおどしながら僧侶に愛国教育を強制して「ダライラマ」を否定させても、彼らが「祖国中国を愛する」ようになるわけはない。ていうか、逆効果でしょ。
そもそも、愛国教育って教育じゃないでしょ。教育というものは、怒りや欲望などの本能をコントロールして、普遍的な道徳的価値(他者の価値を尊重すること)にそって動ける人間をつくることである。自国にとって都合のいいことはすべて善で、何か不都合が生じたらそれはすべて他人(欧米・日本・チベット人)のせいなどという、まったくスジの通らないものの考え方を国民に教え込むっつーのは、教育というよりゃ、愚民化政策である。
今の中国が国として体をなし、国際的に評価されたいのなら、チベットを銃で脅すよりも、共産党の幹部がチベットの高僧の前にひざまずいて灌頂の一つも受けることである。ついでに、カソリック教会にいって洗礼うけて、イスラームのモスクいってコーランよんで、民主化勢力のリーダーを義士として表彰したら、世界中のカソリックとイスラーム教徒、知識人からも見直されるよ。
共産党の書記としての姿は漢人の共産党員の前でだけやってればいいこと。チベット人だって共産主義で救われると思う人からその教えを奪う気はないですよ。だから、共産党員もそれ以外の価値で幸せになれる人を否定すべきではない。
清朝の皇帝がなぜあれほど多くの民族に影響を与えることができたかと言えば、対する民族ごとにその民族の文化の文脈にあう姿に自らを変えて接したからである。
漢人官僚に対しては中華皇帝として、チベット人とモンゴル人に対してはチベット仏教の大施主、転輪聖王として、接したが故に尊敬されたのである。
清朝最盛期の皇帝、乾隆帝は、チベット文の大蔵経をモンゴル語や満洲語に飜訳し、チベットの高僧を多数供養し、グルカなどの外国の侵略者がチベットを脅かした際、軍を派遣してダライラマ政権を外敵から護った。この場合も、ダライラマ政権からの要請を確認してからチベットへ派兵をし、軍糧は内地から移送するか現地で買い上げるなどし、事態が収束した後には迅速に撤兵するなど、国益にもとづく侵略と受け取られないように配慮した。
ダライラマ政権を尊重し、チベット仏教界に対するこのような貢献を見て、モンゴル人もチベット人は乾隆帝を文殊菩薩と称えたのである。
軍事力や経済力で尊敬を集めていたのではない。彼らの文化の文脈の中で聖人として称えられていたのである。
現在、ダライラマが軍事力も経済力も国すらなくとも、〔中国をのぞく〕世界の指導者たちから愛され、支持を受けているのは、彼に他者を尊重する大人のモラルがあるからである。ダライラマは、自らは仏教徒でありながら、他のすべての宗教とその信徒を尊重し、科学を信奉し、そして抑圧者である中国人に対してすら配慮をみせるという大人な姿勢を示してきた。かつての清朝皇帝のように。
ダライラマはね、伊勢神宮に正式参拝する際にはちゃんと作法をまもったし、アメリカ行った時には、星条旗にも手を合わすんだよ。人々を幸せにできるものに対してはちゃんと敬意を表している。だから彼はみなから愛される。
仏舎利展でも述べたように、じつは漢人にも仏教徒はやまほどおり、彼らは日本人よりはるかに信心深い。本土の漢人の中にも東チベットの僧院にいるチベット人高僧のファンは結構いる。だから、チベットの僧院に布教と修業の自由があれば、漢人のチベット仏教信者はどんどんふえ、その信者は共産主義からはえられない精神の安寧を得られるだろう。漢人が経典するときにお金だしてくれたり、法要の施主になってくれたりするようになったら、チベット人も漢人をもっと好きになるだろう。
欧米人はみなチベット僧を好きになった。漢人だけが中国政府のアホみたいな教育のためにチベット仏教(以下、カソリックにイスラームに民族自治に民主主義 と永遠に続く)を理解する道を閉ざされているのだ。
コミニュケーション能力という意味では彼らが否定した清朝皇帝以下。
問題はつねに自らの内部にあるのに、それを全部他者のせいにしているうちには、状況は改善しないどころか、悪化していく。しかし、彼らは永遠にその問題の原因が自分にあると認知できない。なぜなら、自分のみを是とし、他者を否とする愛国教育を自国民に施しているからである。
あるカウンセラーの方に伺ったが、中国人留学生が精神を病んで相談に来ることがあるそうだが、彼らは一様に日本社会での生きづらさを訴える。しかし、四年目くらいになると「中国政府の言うこともおかしいですよね」と気がつくそうである。つまり、洗脳は四年たたないととけず、四年未満で帰国する学生は日本を嫌うだけ嫌って帰っていく・・・・。
げに恐ろしきは愛国教育。
猊下の自伝まんが発売決定!
中川昭一さんがメロメロ会見の責任をとって辞任。
風邪薬だけでああはならない。どうみてもアルコール入り。
精神の病の多くは、傍から見てると「もうダメだろ」状態でも、罹患している当人は意外と気づいていないもの。
精神の病たるゆえんである。
だから、中川さんも「酒はたしなむ程度」とか「自分は酒に飲まれない」とか言い張ってるうちに、どんどん悪化して世界に恥をさらしてしまったんだね。
アルコール依存症の人を救うのは「どん底体験による気づき」のみ。
酒ほしさに万引きして捕まったりとか、仕事首になったり、リコンされたり、友達に去られたりして客観的にどうにもならん状況をつきつけられてはじめて自らの問題に気づいて、酒をやめようという気になる。
今回のG7会見はまさに中川さんにとってのどん底体験。世界中に配信されたあのおのが姿をみれば、いくら何でも今の自分の状態を思い知ったであろう。
そう考えてみると、どん底も悪いことではない。彼はアル中から抜けだす大きな契機を手にしたのだから。それと引き替えに、日本の評判をおとしまくり、お友達のアソー総理を道連れにし、多くの日本国民をがっかりさせたけどね。
そういえばその昔スコットランドのセント・アンドリュース大学でヒュー・リチャードソンの生誕100年を記念して学会が行われた際、自分は風邪をひいていて、時差ぼけで、エコノミー症候群でゲロゲロの状態であった。ついてすぐ睡眠薬のんで体を休めたかったが、薬は飲まなかった。
理由は簡単。次の日発表なのに睡眠薬や風邪薬の影響が残っていたら、たたでさえできない英語がもっと悲惨になるから。で結果はと言えば・・・・少なくとも日本国民には迷惑かけなかった(笑)。
ちなみに、この時の発表は本になってます。
いや実際時差はつらい。風邪もつらい。でもそれだけではあーはならない。
さて朗報です。アメリカで発売されたダライラマ猊下の自伝まんがが、日本でも発売が決定しました。
マガジンハウスさんから3月25日にでます。
なぜそんなことを知っているかというと、その解説を自分が書くからです。とりあえず、猊下のおちゃめな人格者ぶりをポップでキャッチイな文章で書く予定。
ざっとゲラを見たところでは『チベット我が祖国』(中公文庫)『ダライ・ラマ自伝』(文春文庫)に忠実に基づいて、絵柄はマーチン・スコセッシ監督のハリウッド映画『クンドゥン』(1997)を参考にして仕上げたカンジ。
絵を書いてくださっているのは、これまで数々の教育漫画を書いてきた、さいわい徹さん。調べてみたら『青木文教』という作品も過去に出されている模様。
クンドゥンはいまやレアものとなって手に入りづらいし、まんがになれば活字は読まないけどマンガは読むという層にも猊下の人生を届けることができるのでタイヘンに意義があると思います。
そういえば、中川さんの「盟友」のアソー総理も漢字は読めないけど、マンガは読むので有名な人。これは最初は親しみやすいキャラということで若い人を中心に好感度が高かったが、基本的な教養部分に問題があることが明らかになるにつれ、「マンガなんか読んでいるから」みたいな否定的な反応にかわってきた。
これについては、宮崎監督が去年十一月二十日に日本外国特派員協会にて行ったスピーチでコメントしていたので、以下に紹介。その部分だけでなく、何となく印象にのこった質疑応答を抜粋してみました。全文を読みたい方はジブリのファン雑誌『熱風』の一月号を見るべし(ちなみに自分が書いたDVD死者の書の解説がこの号にのってますので、ついでに見てね)。
----AFP通信のスズキと申します。先ほど政府の話が出ましたけれども、麻生首相ですがアニメ漫画好きだということを大々的に公言なさってますけれども、これについてどうお考えになるかコメントを。
宮崎監督 恥ずかしいことだと思います(笑)。それはこっそりやればいいことです。
----お話の中で子供達をナショナリズムから解放しなければならないとおっしゃいましたが、それはどのような方向でお考えなんでしょうか? ・・(後略)
宮崎監督 世界の問題は〔自分の側ではなく〕他の民族にあるという考え方がナショナリズムの根幹にあるんだと思います。ですから少なくとも自分たちの映画では、その悪人をやっつければ世界は平和になるというような映画はつくりません。つまりあらゆる問題は自分の内面や、自分の属する社会や家族の中にあるんだというくことをいつも踏まえて、映画をつくらなければいけないと思っています。(後略)
--------ブルームバーグ・ニュースのスチュワート・ベイクスです。・・・あなたの作品の多くは環境のテーマを強く取り上げているように思います。またそれに平行して、・・・悲観的なものの方が多いように思います。日本における環境保護についてどうお考えですか? 楽観的で前向きですか それとも悲観的ですか?
宮崎監督 ものすごく悲観的ですね。・・・私が一番なりたくないのは日本の総理です。ほんとうのことを聞きたくない国民にほんとうのことを言えないわけですから、こんにやりがいのない仕事はないと思うんですね。ですから、とことんひどくなるまで学ばないだろうと思います。
この最後の質疑応答を見てて、わたしは去年の四月に卒業したOくんの言葉を思い出した。
「僕が教員になりたいのは、教員は生涯きれい事をいい続けることができるから」
それを聞いてたらAジくんが
「ジャーナリストもきれい事いえるよ」といったっけ。
そう、アニメーターなどのクリエーターもキレイごとを言い続けられる仕事だよね。
で、この後宮崎監督、「紅の豚」がクロアチアを舞台にしているのは、一度もいったことがないけど、とても美しい場所だったからだそうで、しかし、制作の最中にユーゴスラビアの内戦がはじまってクロアチアのドブロブニクが砲撃されたので、映画も重い内容をもつことになったという。
ユーゴの内戦はヨーロッパの裏庭でおきたことなので、BBCなどは連日報道されていたけど、日本では遠い国の出来事としてあまり真剣にとりあげられなかった。ほとんどの日本人は記憶にも残っていないだろう。
でも、「紅の豚」を見た日本人はあの作品を通じてユーゴの内戦に接していたわけだ。
やっぱ、アニメとか漫画とかは大衆の懐に直接とびこむ強さがあるかも。
宮崎作品で育った子供たちの多くは、祖父母の世代よりは環境意識高くなるだろうし、それこそ短絡的なナショナリズムに走ることもないだろう。
いつかチベットとか猊下とか『失われた地平線』とかをフイーチャリングしたアニメーションつくられないかなー。精神文明を大事にし非暴力をモットーとするチベットと、数の力でものをいわせて同化政策をすすめる物質文明重視の中国人。この手の対決はアニメ向きだと思うけどなー。
風邪薬だけでああはならない。どうみてもアルコール入り。
精神の病の多くは、傍から見てると「もうダメだろ」状態でも、罹患している当人は意外と気づいていないもの。
精神の病たるゆえんである。
だから、中川さんも「酒はたしなむ程度」とか「自分は酒に飲まれない」とか言い張ってるうちに、どんどん悪化して世界に恥をさらしてしまったんだね。
アルコール依存症の人を救うのは「どん底体験による気づき」のみ。
酒ほしさに万引きして捕まったりとか、仕事首になったり、リコンされたり、友達に去られたりして客観的にどうにもならん状況をつきつけられてはじめて自らの問題に気づいて、酒をやめようという気になる。
今回のG7会見はまさに中川さんにとってのどん底体験。世界中に配信されたあのおのが姿をみれば、いくら何でも今の自分の状態を思い知ったであろう。
そう考えてみると、どん底も悪いことではない。彼はアル中から抜けだす大きな契機を手にしたのだから。それと引き替えに、日本の評判をおとしまくり、お友達のアソー総理を道連れにし、多くの日本国民をがっかりさせたけどね。
そういえばその昔スコットランドのセント・アンドリュース大学でヒュー・リチャードソンの生誕100年を記念して学会が行われた際、自分は風邪をひいていて、時差ぼけで、エコノミー症候群でゲロゲロの状態であった。ついてすぐ睡眠薬のんで体を休めたかったが、薬は飲まなかった。
理由は簡単。次の日発表なのに睡眠薬や風邪薬の影響が残っていたら、たたでさえできない英語がもっと悲惨になるから。で結果はと言えば・・・・少なくとも日本国民には迷惑かけなかった(笑)。
ちなみに、この時の発表は本になってます。
いや実際時差はつらい。風邪もつらい。でもそれだけではあーはならない。
さて朗報です。アメリカで発売されたダライラマ猊下の自伝まんがが、日本でも発売が決定しました。
マガジンハウスさんから3月25日にでます。
なぜそんなことを知っているかというと、その解説を自分が書くからです。とりあえず、猊下のおちゃめな人格者ぶりをポップでキャッチイな文章で書く予定。
ざっとゲラを見たところでは『チベット我が祖国』(中公文庫)『ダライ・ラマ自伝』(文春文庫)に忠実に基づいて、絵柄はマーチン・スコセッシ監督のハリウッド映画『クンドゥン』(1997)を参考にして仕上げたカンジ。
絵を書いてくださっているのは、これまで数々の教育漫画を書いてきた、さいわい徹さん。調べてみたら『青木文教』という作品も過去に出されている模様。
クンドゥンはいまやレアものとなって手に入りづらいし、まんがになれば活字は読まないけどマンガは読むという層にも猊下の人生を届けることができるのでタイヘンに意義があると思います。
そういえば、中川さんの「盟友」のアソー総理も漢字は読めないけど、マンガは読むので有名な人。これは最初は親しみやすいキャラということで若い人を中心に好感度が高かったが、基本的な教養部分に問題があることが明らかになるにつれ、「マンガなんか読んでいるから」みたいな否定的な反応にかわってきた。
これについては、宮崎監督が去年十一月二十日に日本外国特派員協会にて行ったスピーチでコメントしていたので、以下に紹介。その部分だけでなく、何となく印象にのこった質疑応答を抜粋してみました。全文を読みたい方はジブリのファン雑誌『熱風』の一月号を見るべし(ちなみに自分が書いたDVD死者の書の解説がこの号にのってますので、ついでに見てね)。
----AFP通信のスズキと申します。先ほど政府の話が出ましたけれども、麻生首相ですがアニメ漫画好きだということを大々的に公言なさってますけれども、これについてどうお考えになるかコメントを。
宮崎監督 恥ずかしいことだと思います(笑)。それはこっそりやればいいことです。
----お話の中で子供達をナショナリズムから解放しなければならないとおっしゃいましたが、それはどのような方向でお考えなんでしょうか? ・・(後略)
宮崎監督 世界の問題は〔自分の側ではなく〕他の民族にあるという考え方がナショナリズムの根幹にあるんだと思います。ですから少なくとも自分たちの映画では、その悪人をやっつければ世界は平和になるというような映画はつくりません。つまりあらゆる問題は自分の内面や、自分の属する社会や家族の中にあるんだというくことをいつも踏まえて、映画をつくらなければいけないと思っています。(後略)
--------ブルームバーグ・ニュースのスチュワート・ベイクスです。・・・あなたの作品の多くは環境のテーマを強く取り上げているように思います。またそれに平行して、・・・悲観的なものの方が多いように思います。日本における環境保護についてどうお考えですか? 楽観的で前向きですか それとも悲観的ですか?
宮崎監督 ものすごく悲観的ですね。・・・私が一番なりたくないのは日本の総理です。ほんとうのことを聞きたくない国民にほんとうのことを言えないわけですから、こんにやりがいのない仕事はないと思うんですね。ですから、とことんひどくなるまで学ばないだろうと思います。
この最後の質疑応答を見てて、わたしは去年の四月に卒業したOくんの言葉を思い出した。
「僕が教員になりたいのは、教員は生涯きれい事をいい続けることができるから」
それを聞いてたらAジくんが
「ジャーナリストもきれい事いえるよ」といったっけ。
そう、アニメーターなどのクリエーターもキレイごとを言い続けられる仕事だよね。
で、この後宮崎監督、「紅の豚」がクロアチアを舞台にしているのは、一度もいったことがないけど、とても美しい場所だったからだそうで、しかし、制作の最中にユーゴスラビアの内戦がはじまってクロアチアのドブロブニクが砲撃されたので、映画も重い内容をもつことになったという。
ユーゴの内戦はヨーロッパの裏庭でおきたことなので、BBCなどは連日報道されていたけど、日本では遠い国の出来事としてあまり真剣にとりあげられなかった。ほとんどの日本人は記憶にも残っていないだろう。
でも、「紅の豚」を見た日本人はあの作品を通じてユーゴの内戦に接していたわけだ。
やっぱ、アニメとか漫画とかは大衆の懐に直接とびこむ強さがあるかも。
宮崎作品で育った子供たちの多くは、祖父母の世代よりは環境意識高くなるだろうし、それこそ短絡的なナショナリズムに走ることもないだろう。
いつかチベットとか猊下とか『失われた地平線』とかをフイーチャリングしたアニメーションつくられないかなー。精神文明を大事にし非暴力をモットーとするチベットと、数の力でものをいわせて同化政策をすすめる物質文明重視の中国人。この手の対決はアニメ向きだと思うけどなー。
『なぜダライ・ラマは重要なのか』
12日大学帰りに仏舎利展に顔をだす。最終日である。
初日にはまだ届いてなかったパンフレットが届いているかなー、と思ったら、ない。なんとFPMTの随行員が最初からもってきていなかったという。で、がっかりしていたら、FPMTの主催者のOさんがご自分がお持ちのパンフレットをわけてくださるとのこと。
ありがとうございます。
で、会場みてみてびっくり。初日とずいぶんフンイキが変わっている。瞑想するスペースができていて、会場にまったりしている人がたくさんいる。華僑の人の間で流通するフリーペーパーに記事がでたことで、中国系の人の来場者が増えている(彼ら同士の会話や、あとはファッションとか髪型とかフンイキで分かる)。
私は見ていなかったのだが、この中国系の人たち、会場にスタンバってるチベットのお坊さん(トゥプテン・チャンチュプ師)の加持をうけてトランスに入ったり、釈尊の舎利の前で無言で滂沱の涙を流していたそう。
チベットのお寺にはもともと台湾人のお布施が多いと聞いていたけど、たしかにこの中国系の仏教徒、一般的な日本人よりはるかに信心深いわい。
最近は経済発展にともなって中国本土のお金持ちとかもやっと仏教を理解するゆとりができてきて、チベットのお寺に寄付する人がいるらしいが、こういうのを見てると、ダライラマ法王の「漢人とチベット人の共存は可能だし、望ましい」とおっしゃている意味もわかるような気がする。
さて、ダライラマとハタチの頃以来のおつきあいをしているロバート・サーマン教授が去年だした本、『なぜ ダライ・ラマは重要なのか』(講談社)を読んだ。
原文を見直さずに「おおそうだ」と思った点をザッパにまとめると(記憶で書いてます 笑)
・猊下の話はマンネリ化しない、変わらない真理をつねに新しい知見とともに語っている。
・ダライラマ法王にあった世界の指導者たちはみな彼を好きになった。変わらなかったのは毛沢東と周恩来だけ、
・ダライ・ラマ法王には、(1) 人として、(2) 宗教者として、(3) チベット難民のスポークスマンという相互に関連する三つの立場を使い分けて活動している。最初の二つは何度も生まれ変わっても続けるが、三番目の役割だけはチベットが自由になった瞬間に終わる。
・仏教は宗教であり、心理学であり、科学である。
・チベットは本来独立していて、今もなお独立している。漢人に同化させるのはムリ。それをしようと思ったら、漢人はチベットという刑務所の看守にならなきゃいけない。刑務所が隣にあってしかも看守をやるのなんていやでしょ。漢人さん。
・そもそもあの極端に標高の高い高地に漢人が住むのはムリ。補助金だしたりしてムリに漢人を入植させるのはあきらめて、生物学的に高地に順応しているチベット人に統治をまかせなさい。
で、この本の後半部分には、ダライ・ラマ法王が加害者の利益も考えることにならい、チベットが自由になることで、いかに中国の利益になるか、という点で、中国が中華連邦になるまでのステップを語っている。
アジア地域にEUのような共同体を、とかいう世迷い言をいいだす後半はともかく、前半は非常に参考になった。
本書は西洋人を読者として想定しているので仏教的な概念をできるだうすめて、ダライラマ法王の多面性を語っている。しかし、日本人に法王を伝える場合は、やはり菩薩としての法王を切り口にする方が伝わりやすいし、また、ダライ・ラマ法王の自己認識にも近づくような気がした。
サーマン教授はそれこそ出会ったハタチの頃から法王の側におり、アメリカにおける猊下の活動を数十年にわたってサポートしてきた。普通そのくらい近くにいると、アラが見えたり幻滅したりすることもありそうだが、サーマンはダライラマに対してまったくそのようなこともなく、
猊下が年齢とともにおどろくべき成長をとげることを目撃し、今のダライラマを、人類の文明をよい方に導く救世主、予言者として賞賛をおしまない。
ガワン先生と平岡先生の関係もそうだけど、長くおそばにいる人たちが、みじんも不信の心をもったり、幻滅したりせず、日々尊敬の念を強くしていくというのは、やはり、チベットの高僧はタダモノではない。
初日にはまだ届いてなかったパンフレットが届いているかなー、と思ったら、ない。なんとFPMTの随行員が最初からもってきていなかったという。で、がっかりしていたら、FPMTの主催者のOさんがご自分がお持ちのパンフレットをわけてくださるとのこと。
ありがとうございます。
で、会場みてみてびっくり。初日とずいぶんフンイキが変わっている。瞑想するスペースができていて、会場にまったりしている人がたくさんいる。華僑の人の間で流通するフリーペーパーに記事がでたことで、中国系の人の来場者が増えている(彼ら同士の会話や、あとはファッションとか髪型とかフンイキで分かる)。
私は見ていなかったのだが、この中国系の人たち、会場にスタンバってるチベットのお坊さん(トゥプテン・チャンチュプ師)の加持をうけてトランスに入ったり、釈尊の舎利の前で無言で滂沱の涙を流していたそう。
チベットのお寺にはもともと台湾人のお布施が多いと聞いていたけど、たしかにこの中国系の仏教徒、一般的な日本人よりはるかに信心深いわい。
最近は経済発展にともなって中国本土のお金持ちとかもやっと仏教を理解するゆとりができてきて、チベットのお寺に寄付する人がいるらしいが、こういうのを見てると、ダライラマ法王の「漢人とチベット人の共存は可能だし、望ましい」とおっしゃている意味もわかるような気がする。
さて、ダライラマとハタチの頃以来のおつきあいをしているロバート・サーマン教授が去年だした本、『なぜ ダライ・ラマは重要なのか』(講談社)を読んだ。
原文を見直さずに「おおそうだ」と思った点をザッパにまとめると(記憶で書いてます 笑)
・猊下の話はマンネリ化しない、変わらない真理をつねに新しい知見とともに語っている。
・ダライラマ法王にあった世界の指導者たちはみな彼を好きになった。変わらなかったのは毛沢東と周恩来だけ、
・ダライ・ラマ法王には、(1) 人として、(2) 宗教者として、(3) チベット難民のスポークスマンという相互に関連する三つの立場を使い分けて活動している。最初の二つは何度も生まれ変わっても続けるが、三番目の役割だけはチベットが自由になった瞬間に終わる。
・仏教は宗教であり、心理学であり、科学である。
・チベットは本来独立していて、今もなお独立している。漢人に同化させるのはムリ。それをしようと思ったら、漢人はチベットという刑務所の看守にならなきゃいけない。刑務所が隣にあってしかも看守をやるのなんていやでしょ。漢人さん。
・そもそもあの極端に標高の高い高地に漢人が住むのはムリ。補助金だしたりしてムリに漢人を入植させるのはあきらめて、生物学的に高地に順応しているチベット人に統治をまかせなさい。
で、この本の後半部分には、ダライ・ラマ法王が加害者の利益も考えることにならい、チベットが自由になることで、いかに中国の利益になるか、という点で、中国が中華連邦になるまでのステップを語っている。
アジア地域にEUのような共同体を、とかいう世迷い言をいいだす後半はともかく、前半は非常に参考になった。
本書は西洋人を読者として想定しているので仏教的な概念をできるだうすめて、ダライラマ法王の多面性を語っている。しかし、日本人に法王を伝える場合は、やはり菩薩としての法王を切り口にする方が伝わりやすいし、また、ダライ・ラマ法王の自己認識にも近づくような気がした。
サーマン教授はそれこそ出会ったハタチの頃から法王の側におり、アメリカにおける猊下の活動を数十年にわたってサポートしてきた。普通そのくらい近くにいると、アラが見えたり幻滅したりすることもありそうだが、サーマンはダライラマに対してまったくそのようなこともなく、
猊下が年齢とともにおどろくべき成長をとげることを目撃し、今のダライラマを、人類の文明をよい方に導く救世主、予言者として賞賛をおしまない。
ガワン先生と平岡先生の関係もそうだけど、長くおそばにいる人たちが、みじんも不信の心をもったり、幻滅したりせず、日々尊敬の念を強くしていくというのは、やはり、チベットの高僧はタダモノではない。
ガワン先生の最後
※ 珍しく間を置かずに更新するけど。仏舎利展の前エントリも見落とさないでね。
平岡先生がガワン先生の骨揚げにインドの再建ガンデン寺にいらして先日帰国された。お香典を届けてくれた方もいらしたので、御礼がてら平岡先生より伺った詳細をここにご報告したい。
1月29日 朝ガワン先生は目が回ってご病状はいよいよ悪くなった。すると、弟子六人を枕元に招集しこうおっしゃられた。
一つ、今まで瞑想してきたが、もう病が進んで瞑想をすることができなくなった。これ以上生かす努力はしなくていい。
二つ、リンポチェ(先生の身の回りのお世話をしている一番弟子。前世は大行者だったらしい)、医療の手当をしてくれた平岡さん、平岡さんの奥様、平岡さんのお父上などお世話になったみなに感謝をしたい。
三つ、自分の死後、遺骨を納入するために仏塔を造ったりする必要はない。お骨は海や山にまいてくれ。死を悼んで仏像を建立したりする必要もない。自分の部屋にはすでに弥勒像があるので、あれで十分である。また、自分の遺体に五仏冠や装束を着せることもない。それは世八法(体面を気にするなどの世俗的な心の動きを代表する八つの概念)である。本尊のヨーガは自分の心の中でするものであり、他人に冠をかぶせてもらったり装束をきせてもらったりしても意味はない。
※ここでガワン先生が却下したことはすべて高僧が亡くなる際に行われることである。
また、死後は7日ごとに『グヒヤサマージャ』 (秘密集会タントラ、無上ヨーガタントラの父タントラ。ガワン先生はこのグヒヤサマージャのプロだった)の「根本タントラ」を読んでくれ。
※49日間の中有において意識は一週間ごとに死ぬ。なので、七日おきに大きな法要を行うといい再生を得られると言われている。その際読む枕経をグヒヤサマージャにしろという意味。
四つ、自分が一番心残りなのは、兄である。みな私に少しでも弟子として学恩を感じ、自分を大切に思うのなら、自分と同様に兄を大切にしてくれ。
※ この話は今回はじめて知ったのだが、ガワン先生には七つ年上のお兄様がいらっしゃる。中国が侵攻してくる前、二人はいずれも大本山ガンデン寺の僧侶であった。このとき、兄上は「闘う」と寺をでてしまって、一方ガワン先生は亡命されて離ればなれになった。
そしてずっと行方不明だったので亡くなられたのかと思っていたところ、十二年後、ひょっこりインドの再建ガンデン寺に現れ兄弟は再会を果たした。しかし一年一緒に暮らしたもののお兄さんは、再び、ガンデンから去って別々に暮らしていた。ガワン先生がギュメの副館長になったとき、身の回りの世話をする人をつけることとなり、それなら気心の知れた身内がいい、ということで、お兄さんを呼び戻して、再び兄弟は一緒に住むこととなった。それから後、お兄さんは還俗はしたものの、ずっと独身のままガンデン寺にあってガワン先生のお食事や身の回りの世話を続け、今や御年80才に。お兄さんにとってガワン先生は自慢の弟。出家をしてもこうやって兄弟の情がつながっているのは感動である。
この兄弟の生き方一つみてもチベット人の激動の人生が忍ばれる。
で、ガワン先生が以上のことを告げ終わると、他の弟子たちがびびって何も言えない中、最年長の弟子が「死ぬなんて云わないでください。どうかこの世に留まって下さい」と頼み先生がそうはいかないというと、「来世容易にみつかるように私たちの前に現れてください(※お招きしやすいように、中国占領下のチベットではなく、それ以外の場所にお生まれくださいという意味)。」とお願いした。すると
ガワン先生「私は来世もまた人として生まれる確信がある。自分の生まれ変わりが、多くの人のためになると思えたら、自分を僧として育てなさい。」
He will be back!
この先生の言葉について平岡先生は一昨年、近鉄名古屋駅の貴賓室で、ダライラマ法王とガワン先生がお会いした時の会話を思い出したという。
ダライラマ法王は末期ガンの先生に対して「死に備えて『覚りへの道』(Bodhicaryavatara)を読んで心を整えなさい、来世もまた、私たちは弟子と師としてめぐりあうだろう。」とおっしゃったそうである。
歴史書に書いてある師弟の定型会話が、21世紀の近鉄名古屋駅貴賓室の中でもそのまま行われていることに、私はモーレツに感動した。恐るべしチベット仏教。
余談だが、それを聞いたガワン先生のお弟子さんのリンポチェが、「ダライラマ法王に来世もまた師弟関係になるなんて言ってもらえるなんて、なんてステキなんでしょう! 僕だったらうれしくて仕方ありません」といったら、
ガワン先生曰く「お前は健康に興味はないのか」といい、みな大爆笑したそう。
そして夜九時、ガワン先生はお弟子さんに「袈裟をかけてくれ」とおっしゃられた。世話をされているリンポチェが死装束だと思ってかけるのをいやがると、
「これは〔体面を気にした〕世八法じゃない。自分の生涯は釈尊の後に続く比丘(出家者)としての生涯だった。その誇りを持って死にたい」
そして、袈裟をかけて間もなくして前述したような形で静かにおなくなりになられた。インド時間で29日午後9時30分、日本時間の30日未明のことであった。
ご立派。
『グヒヤサマージャ・タントラ』の生起次第についてのツォンカパの註釈に「死ぬ時は〔恐怖でなく〕歓喜が生じますように」という一句があるけれど、まさにその通りの最後であった。
高僧がなくなると、トゥクダムが終わるまでは僧たちは寝ずの読経を続ける。
ガンデン寺の僧侶たちは話し合って、『グヒヤサマージャ』はトルマなどの準備が大変なので、準備が終わるまで『入中論』『現観荘厳論』を唱えることに決定。
※ガンデンは顕教の寺なので、僧侶たちはこの二つの経典に一番親しんでいる。理解が深い経典を唱える方がいいだろうということでこう決まったとな。
30日には 昼は一尊形ヤマーンタカの生起次第・究竟次第・自灌頂をやり、夜は『入中論』『現観荘厳論』を昼夜を徹して読経。
31日には遺言の通り『グヒヤサマージャ』と『ダーキニー』の法要を行い、
1日 インド時間6時日本時間の午前9時半にご遺体の鼻から血が流れるなどのトゥクダム(死の瞑想)終了の兆しが現れたので、その日のうちに荼毘に付されたという。
火葬の際にはガンデン寺の中庭に護摩壇をくんで涅槃のお姿のまま炉に入られた。火葬の導師はガンデン大僧院北頂学堂の前僧院長がつとめられた。この方はガワン先生の同級生にあたる方で、このように、法要の際の導師はいろいろな形でガワン先生とご縁のある方が代わる代わるつとめられたという。
5日、平岡先生はガンデンに到着して、夜は大法要が行われた。遺骨は分骨されて、平岡さんはもちろんのとことシンガポール、台湾などのお弟子さんも分けられたので、先生のご遺骨は世界中に散る。
ラサにももっていかれて散骨されるという。
最後になったが、ガワン先生の訃報がダライラマ法王に届けられたのは、30日は夜も遅かったので、翌朝九時の朝一番にダラムサラにいるツェンシャプ・リンポチェが報告にあがった。
すると法王
「もう知ってるよ」
何か、報告のつもりだったのが、話の内容があまりに説話チックなので、年代記書いているよな気分になってきた。
平岡先生がガワン先生の骨揚げにインドの再建ガンデン寺にいらして先日帰国された。お香典を届けてくれた方もいらしたので、御礼がてら平岡先生より伺った詳細をここにご報告したい。
1月29日 朝ガワン先生は目が回ってご病状はいよいよ悪くなった。すると、弟子六人を枕元に招集しこうおっしゃられた。
一つ、今まで瞑想してきたが、もう病が進んで瞑想をすることができなくなった。これ以上生かす努力はしなくていい。
二つ、リンポチェ(先生の身の回りのお世話をしている一番弟子。前世は大行者だったらしい)、医療の手当をしてくれた平岡さん、平岡さんの奥様、平岡さんのお父上などお世話になったみなに感謝をしたい。
三つ、自分の死後、遺骨を納入するために仏塔を造ったりする必要はない。お骨は海や山にまいてくれ。死を悼んで仏像を建立したりする必要もない。自分の部屋にはすでに弥勒像があるので、あれで十分である。また、自分の遺体に五仏冠や装束を着せることもない。それは世八法(体面を気にするなどの世俗的な心の動きを代表する八つの概念)である。本尊のヨーガは自分の心の中でするものであり、他人に冠をかぶせてもらったり装束をきせてもらったりしても意味はない。
※ここでガワン先生が却下したことはすべて高僧が亡くなる際に行われることである。
また、死後は7日ごとに『グヒヤサマージャ』 (秘密集会タントラ、無上ヨーガタントラの父タントラ。ガワン先生はこのグヒヤサマージャのプロだった)の「根本タントラ」を読んでくれ。
※49日間の中有において意識は一週間ごとに死ぬ。なので、七日おきに大きな法要を行うといい再生を得られると言われている。その際読む枕経をグヒヤサマージャにしろという意味。
四つ、自分が一番心残りなのは、兄である。みな私に少しでも弟子として学恩を感じ、自分を大切に思うのなら、自分と同様に兄を大切にしてくれ。
※ この話は今回はじめて知ったのだが、ガワン先生には七つ年上のお兄様がいらっしゃる。中国が侵攻してくる前、二人はいずれも大本山ガンデン寺の僧侶であった。このとき、兄上は「闘う」と寺をでてしまって、一方ガワン先生は亡命されて離ればなれになった。
そしてずっと行方不明だったので亡くなられたのかと思っていたところ、十二年後、ひょっこりインドの再建ガンデン寺に現れ兄弟は再会を果たした。しかし一年一緒に暮らしたもののお兄さんは、再び、ガンデンから去って別々に暮らしていた。ガワン先生がギュメの副館長になったとき、身の回りの世話をする人をつけることとなり、それなら気心の知れた身内がいい、ということで、お兄さんを呼び戻して、再び兄弟は一緒に住むこととなった。それから後、お兄さんは還俗はしたものの、ずっと独身のままガンデン寺にあってガワン先生のお食事や身の回りの世話を続け、今や御年80才に。お兄さんにとってガワン先生は自慢の弟。出家をしてもこうやって兄弟の情がつながっているのは感動である。
この兄弟の生き方一つみてもチベット人の激動の人生が忍ばれる。
で、ガワン先生が以上のことを告げ終わると、他の弟子たちがびびって何も言えない中、最年長の弟子が「死ぬなんて云わないでください。どうかこの世に留まって下さい」と頼み先生がそうはいかないというと、「来世容易にみつかるように私たちの前に現れてください(※お招きしやすいように、中国占領下のチベットではなく、それ以外の場所にお生まれくださいという意味)。」とお願いした。すると
ガワン先生「私は来世もまた人として生まれる確信がある。自分の生まれ変わりが、多くの人のためになると思えたら、自分を僧として育てなさい。」
He will be back!
この先生の言葉について平岡先生は一昨年、近鉄名古屋駅の貴賓室で、ダライラマ法王とガワン先生がお会いした時の会話を思い出したという。
ダライラマ法王は末期ガンの先生に対して「死に備えて『覚りへの道』(Bodhicaryavatara)を読んで心を整えなさい、来世もまた、私たちは弟子と師としてめぐりあうだろう。」とおっしゃったそうである。
歴史書に書いてある師弟の定型会話が、21世紀の近鉄名古屋駅貴賓室の中でもそのまま行われていることに、私はモーレツに感動した。恐るべしチベット仏教。
余談だが、それを聞いたガワン先生のお弟子さんのリンポチェが、「ダライラマ法王に来世もまた師弟関係になるなんて言ってもらえるなんて、なんてステキなんでしょう! 僕だったらうれしくて仕方ありません」といったら、
ガワン先生曰く「お前は健康に興味はないのか」といい、みな大爆笑したそう。
そして夜九時、ガワン先生はお弟子さんに「袈裟をかけてくれ」とおっしゃられた。世話をされているリンポチェが死装束だと思ってかけるのをいやがると、
「これは〔体面を気にした〕世八法じゃない。自分の生涯は釈尊の後に続く比丘(出家者)としての生涯だった。その誇りを持って死にたい」
そして、袈裟をかけて間もなくして前述したような形で静かにおなくなりになられた。インド時間で29日午後9時30分、日本時間の30日未明のことであった。
ご立派。
『グヒヤサマージャ・タントラ』の生起次第についてのツォンカパの註釈に「死ぬ時は〔恐怖でなく〕歓喜が生じますように」という一句があるけれど、まさにその通りの最後であった。
高僧がなくなると、トゥクダムが終わるまでは僧たちは寝ずの読経を続ける。
ガンデン寺の僧侶たちは話し合って、『グヒヤサマージャ』はトルマなどの準備が大変なので、準備が終わるまで『入中論』『現観荘厳論』を唱えることに決定。
※ガンデンは顕教の寺なので、僧侶たちはこの二つの経典に一番親しんでいる。理解が深い経典を唱える方がいいだろうということでこう決まったとな。
30日には 昼は一尊形ヤマーンタカの生起次第・究竟次第・自灌頂をやり、夜は『入中論』『現観荘厳論』を昼夜を徹して読経。
31日には遺言の通り『グヒヤサマージャ』と『ダーキニー』の法要を行い、
1日 インド時間6時日本時間の午前9時半にご遺体の鼻から血が流れるなどのトゥクダム(死の瞑想)終了の兆しが現れたので、その日のうちに荼毘に付されたという。
火葬の際にはガンデン寺の中庭に護摩壇をくんで涅槃のお姿のまま炉に入られた。火葬の導師はガンデン大僧院北頂学堂の前僧院長がつとめられた。この方はガワン先生の同級生にあたる方で、このように、法要の際の導師はいろいろな形でガワン先生とご縁のある方が代わる代わるつとめられたという。
5日、平岡先生はガンデンに到着して、夜は大法要が行われた。遺骨は分骨されて、平岡さんはもちろんのとことシンガポール、台湾などのお弟子さんも分けられたので、先生のご遺骨は世界中に散る。
ラサにももっていかれて散骨されるという。
最後になったが、ガワン先生の訃報がダライラマ法王に届けられたのは、30日は夜も遅かったので、翌朝九時の朝一番にダラムサラにいるツェンシャプ・リンポチェが報告にあがった。
すると法王
「もう知ってるよ」
何か、報告のつもりだったのが、話の内容があまりに説話チックなので、年代記書いているよな気分になってきた。
新宿で仏舎利展
後期試験の採点がやっと終わり、それを提出した足で、新宿文化センターで開催されている仏舎利展のオープニングをのぞきに行く。しかし、地下鉄駅(東新宿)から会場までの僅かな距離を道に迷う。遅刻であるが開場も遅れていたのでちょうど間に合う。
主宰者は大乗仏教保護財団(FPMT)。この組織は故トゥプテン・イェーシェー師のもとに集まった青い目のお弟子さんたちのネットワークである。このネットワークができるまでの話は、西洋におけるチベット仏教の伝播史を象徴する出来事で、詳しくはヴィッキー・マッケンジー著『奇跡の転生』を参照あれ。これを読んでから仏舎利みると感動もひとしおになります。
現在FPMTの看板ラマは、ソパ・リンポチェである。リンポチェのお手元に献上された聖者の遺骨を一堂に会してその功徳を戴こうというのが展覧会の趣旨である。
私はチベット仏教における舎利崇拝というのにとくに詳しいわけでないが、おおざっぱにいえばこんなとこ。
仏教国家チベットでは高僧はいわばスター。
名のある高僧が法話や法要を行うとなれば、各方面(かつてはチベット各地、今は全世界)から僧俗が集まり、その話に感銘を受け、祝福を受けようとする。日本ではお坊さんは在家の人とまったく同じ生活をしているから分からないだろうけど、ビルマやチベットのお坊さんはみな出家したら生涯を学問と修業に捧げるので、自ずと学識とか人格とかがまわりにもれでている。私のような傍若無人で頭の高い人間ですら、チベットやビルマやタイのお坊さんの前にでると、自然とひざまずいて合掌しようという気分になるから不思議。

で、高い境地に達した高僧がなくなって荼毘に付されると、その灰の中から舎利といわれる美しいつぶつぶが現れる(この他にも空中からわいてでたりとか出現の仕方は様々)。見た目は骨というよりはきれいな石という感じであり、形状はコメツブくらい、あるいはそれより小さく、でも時には真珠珠のような大きなものもでる。高僧をしたっていた人はその死後、この舎利を高僧の形見として拝むことになる。
チベット仏教は極めて理知的なので、夢や瞑想を通じて得られる神秘体験は個人の問題とされ、口外しないことがエチケットとされている。しかし、聖者の聖遺物に関してはその奇跡はかなりおおっぴらに喧伝されている。当の本人はもうなくなっていて受益できないから修行にさわることもないし、あとは純粋に信者の信仰の問題ということであろう。
といわけで、チベット仏教世界における舎利をめぐる言説は、わりと現世利益的で、舎利をさわったら(あるいは見ただけで)病気がなおったとかの話には事欠かない。 また、お舎利を浄い心でみんなで拝むと「増えたり」、浄い心に出会うと「光ったり」するとも云われている。この手のことは、たぶん河口慧海師などの旅行記にも結構書かれているのではと思う(チェックしてないけど)。
さて、舎利展のオープニングをレポートすると、ビルマ僧によるパーリ語の読経、続いてチベット人によるチベット語、アメリカ人による英語、日本人による漢語の般若心経が唱えられる。そのあと、主宰者挨拶があり、梅野泉さんによる詩の朗読、茶谷祐三子さんのインド舞踊の奉納があり、そのあと順に一般に公開。
FPMTの随行員カルメンさんが仏舎利の入ったをケースから取り出して捧げ持ったので何をするのかと目で追っていくと、三人のビルマのお坊様に一人ずつ献上した。そしたらお坊さんがお経を唱えだした。ありがたいので右膝をついて合掌して聞いていると、お経が終わり、どうも祝福してくれるらしい。そいでひざずりしながらお坊さんに近寄ると舎利で健康を祝福してくださった。気がつくと最初の祝福者になっている(遅刻してきたクセに 笑)。

で、次に37の舎利の内訳をみると、インドとチベットの古今南北の聖者がずらり。古くは過去仏と釈尊、中世になるとチベット仏教の開祖や有名な行者や学僧たち、最近の舎利になると、みな、人種も地域も越えて多くのお弟子さんに仏の教えを伝え、愛されてなくなった高僧たちで、彼らはみな現代チベット仏教史の紳士録(Who's who)中の人である。彼らの名前を英語綴りで検索すれば、激動の人生を知ることができます。
会場に英文のカタログがあり、和訳もコピーでそえられてありますので、この展覧会のコンセプトならびに舎利の来歴を知ることができます。
一言でいうとこの展覧会は、チベット仏教の歴史を、その歴史をにつくりあげてきた高僧の舎利によって追体験できる貴重な場と言える。
以下にそのリスト(ここで写真も見られます)
主宰者は大乗仏教保護財団(FPMT)。この組織は故トゥプテン・イェーシェー師のもとに集まった青い目のお弟子さんたちのネットワークである。このネットワークができるまでの話は、西洋におけるチベット仏教の伝播史を象徴する出来事で、詳しくはヴィッキー・マッケンジー著『奇跡の転生』を参照あれ。これを読んでから仏舎利みると感動もひとしおになります。
現在FPMTの看板ラマは、ソパ・リンポチェである。リンポチェのお手元に献上された聖者の遺骨を一堂に会してその功徳を戴こうというのが展覧会の趣旨である。
私はチベット仏教における舎利崇拝というのにとくに詳しいわけでないが、おおざっぱにいえばこんなとこ。
仏教国家チベットでは高僧はいわばスター。
名のある高僧が法話や法要を行うとなれば、各方面(かつてはチベット各地、今は全世界)から僧俗が集まり、その話に感銘を受け、祝福を受けようとする。日本ではお坊さんは在家の人とまったく同じ生活をしているから分からないだろうけど、ビルマやチベットのお坊さんはみな出家したら生涯を学問と修業に捧げるので、自ずと学識とか人格とかがまわりにもれでている。私のような傍若無人で頭の高い人間ですら、チベットやビルマやタイのお坊さんの前にでると、自然とひざまずいて合掌しようという気分になるから不思議。

で、高い境地に達した高僧がなくなって荼毘に付されると、その灰の中から舎利といわれる美しいつぶつぶが現れる(この他にも空中からわいてでたりとか出現の仕方は様々)。見た目は骨というよりはきれいな石という感じであり、形状はコメツブくらい、あるいはそれより小さく、でも時には真珠珠のような大きなものもでる。高僧をしたっていた人はその死後、この舎利を高僧の形見として拝むことになる。
チベット仏教は極めて理知的なので、夢や瞑想を通じて得られる神秘体験は個人の問題とされ、口外しないことがエチケットとされている。しかし、聖者の聖遺物に関してはその奇跡はかなりおおっぴらに喧伝されている。当の本人はもうなくなっていて受益できないから修行にさわることもないし、あとは純粋に信者の信仰の問題ということであろう。
といわけで、チベット仏教世界における舎利をめぐる言説は、わりと現世利益的で、舎利をさわったら(あるいは見ただけで)病気がなおったとかの話には事欠かない。 また、お舎利を浄い心でみんなで拝むと「増えたり」、浄い心に出会うと「光ったり」するとも云われている。この手のことは、たぶん河口慧海師などの旅行記にも結構書かれているのではと思う(チェックしてないけど)。
さて、舎利展のオープニングをレポートすると、ビルマ僧によるパーリ語の読経、続いてチベット人によるチベット語、アメリカ人による英語、日本人による漢語の般若心経が唱えられる。そのあと、主宰者挨拶があり、梅野泉さんによる詩の朗読、茶谷祐三子さんのインド舞踊の奉納があり、そのあと順に一般に公開。
FPMTの随行員カルメンさんが仏舎利の入ったをケースから取り出して捧げ持ったので何をするのかと目で追っていくと、三人のビルマのお坊様に一人ずつ献上した。そしたらお坊さんがお経を唱えだした。ありがたいので右膝をついて合掌して聞いていると、お経が終わり、どうも祝福してくれるらしい。そいでひざずりしながらお坊さんに近寄ると舎利で健康を祝福してくださった。気がつくと最初の祝福者になっている(遅刻してきたクセに 笑)。

で、次に37の舎利の内訳をみると、インドとチベットの古今南北の聖者がずらり。古くは過去仏と釈尊、中世になるとチベット仏教の開祖や有名な行者や学僧たち、最近の舎利になると、みな、人種も地域も越えて多くのお弟子さんに仏の教えを伝え、愛されてなくなった高僧たちで、彼らはみな現代チベット仏教史の紳士録(Who's who)中の人である。彼らの名前を英語綴りで検索すれば、激動の人生を知ることができます。
会場に英文のカタログがあり、和訳もコピーでそえられてありますので、この展覧会のコンセプトならびに舎利の来歴を知ることができます。
一言でいうとこの展覧会は、チベット仏教の歴史を、その歴史をにつくりあげてきた高僧の舎利によって追体験できる貴重な場と言える。
以下にそのリスト(ここで写真も見られます)
- 迦葉仏(お釈迦様の前の時代に覚りを開いて仏教をおこした仏)
- 釈尊
- シャーリプトラ、モッガラーナ、アーナンダ、コーダンニャ、ラーフラ、ツェパク菩薩、五百羅漢、(シャーリプトラ以下ここまで仏弟子)
- ナーガールジュナ(大乗仏教の中観の理論を確立した人。チベットでは密教のナーガールジュナと顕教のナーガールジュナは同一人物として崇拝されている)
- ヴァジュラパーニ(チベット名チャクドルワ、聖ツォンカパの密教の師)
- イェーシェーツォゲルの手紙(9世紀にチベットに密教を伝えたパドマサンバヴァの妃)
- アティシャ(11世紀にチベット仏教再興の契機をつくったインドの大学僧。アティシャの弟子ドムトンがおこしたカダム派はチベット仏教の全ての宗派の基礎となる)
- ロンチェンパ(ニンマ派の教義の基礎をうちたてた14世紀の大学僧)
- マルパ(カギュ派の祖師の一人)
- ミラレパ(マルパの弟子でその数奇な人生は本にもマンガにもなっている笑)
- 聖ツォンカパ(ダライラマの属する宗派ゲルク派の開祖)
- チェカワ(13世紀のカダム派の大学僧)
- エンサパ(16世紀のエンサ=カギュ派の大行者)
- チューゲル・リンパ(19世紀の埋蔵教説発掘者)
- リクジン・ティンレー(1641-1718、ダライラマ五世の弟子にしてニンマ派の大僧院ドルジェタクの貫首)
- パオンカ・リンポチェ(1878-1941、現ダライラマ法王の先生)
- カルマパ一世、カルマパ15世(1871-1922)、カルマパ16世(1924-1981)、1999年インドに亡命して一躍有名になったカルマパの前世
- ポカル・リンポチェ(1940-2004、カル・リンポチェの弟子でインドのミリクにカーラチャクラの修行センターをつくる)
- ジャムヤン・チューキ・ロドゥー(1893-1959、様々な宗派の伝統を学び宗派をこえた仏教を提唱したリメー運動の人)
- カル・リンポチェ(1905-1989 ニンマ派の大瞑想師)
- ドゥジョム・リンポチェ(1904-1987、亡命社会のニンマ派の統率者)
- ジクメ・プンツォク・リンポチェ(1933-2006、中国侵略後もチベットに留まり何千人もの出家戒を授けた)
- トゥプテン・イェーシェー(1935-1984、FPMTは彼によって創始された。)
- ゲシェ・イェーシェー・トゥプテン(1926-1999、イタリアのFPMTの座主)
- ゲシェ・ラマ・コンチョク(1927-2004、大行者。晩年は、ネパールのコパン寺で西洋人を指導)
- キルティ・ツェンシャプ・リンポチェ(1926-2006。キルティ僧院長にしてカーラチャクラの相承者。亡命後はダラムサラで隠遁修行)
- リブール・リンポチェ(1923-2006、リブール僧院長の転生。カリフォルニアで瞑想指導)
温家宝に靴
本日はBBCニュースより、コネタを少々
BBC ニュース
中国の首相がスピーチした時靴が投げられた
抗議者がケンブリッジ大学でのスピーチ中の温家宝に靴を投げ、「独裁者」と叫んだ。
靴は温家宝から一メーター離れたところに着地し、若い男性の抗議者はガードマンによって排除された。温家宝は三日間のイギリス滞在中の最終日にあたり、イギリスのゴードン・ブラウン首相と一連の通商条約を結んだ後のことであり、今回の件を「見下げ果てた」と形容。
温家宝の滞在中、人権とチベット問題で数々の抗議運動が行われている。
一連の抗議運動
日曜、温家宝に近づこうとして五人がロンドンで逮捕さる。
目撃者によると、温家宝は世界経済についてケンブリッジ大学で講演を行っているその最後近くに靴を投げられた。
通信協会によると、靴はホールの後方から投げられ、温家宝から「十分に距離を置いて」着地したそうである。
報告によると、抗議を行った者は、聴衆に向かって中国の首相と戦うように促し、
「大学はなぜこのような独裁者に節操を売るのか(prostitute itself ※イシハマ注。原語では「売春」を意味してます。)」
と叫んだ。
この台詞については同じ言葉を○稲田大学にも送りたいです(→参考此処クリック)。
「靴を投げる」という行為は、ついこの間、イランの記者が任期終了間際のブッシュ大統領に靴を投げてイランの英雄になったという故事にちなんだものと思われます(※イシハマ注 イスラム圏で靴を投げるのは最大の侮蔑行為)。
まあ、中国のトップが欧米を訪問すると、いつもトマトやらなにやらぶつけられていますから、今更何が飛んでこようと驚かないでしょう。彼らは最近欧米における宣伝活動にも力をいれてますが、行い自体がおかしいのに、人に周知させれば共感をえられると考えているのはどうかと思います。間違った行為を宣伝しても墓穴を掘るだけじゃないでしょうか。早くそこに気づいてもらいたいです。
さて、話変わって。
去年九月にこのブログで、クロード・ルブランというフランス人(この方日本のサブカルをフランスへ紹介する人として有名らしい)の方が朝日新聞に掲載した記事をとりあげ、彼が、北京オリンピックに感動したあげく「これからは中国とロシアの時代だ!」みたいな内容の文章を書いていたのをご記憶でしょうか(→ここにリンクしときます)。
あの時は彼の文章の非論理性をテーマにしてブログを書いたのですが、さすがに非論理的なだけあって、今度は百八十度中国に批判的な記事が、昨日の朝日新聞にのってました。
これだから朝日の講読はやめられない(笑)。
余談ですが、かんぽの宿一括売却をめぐる問題でも、朝日新聞は当初、鳩山総務大臣を全面的に否認する社説をだしたのですが、ほんの十日後くらいに「日本郵政にも非がある」みたいな社説にかえているので、出入りのコメンテーターの言動の迷走くらいで驚いてはいけないのかもしれません。
話を元に戻すと、この日本サブカルの紹介者ルブランさんは、2日の朝日の朝刊でこうおっしゃってます。
中国の09年
09年は中国の共産主義体制にとって象徴的な年だ。政府は10月1日、建国60周年を華々しく祝う。しかし地方ではお祭りムードはほとんどなく、不満の高まりを感じる。
経済成長が約束され、工場がフル稼働していた間は国民は「受け入れ難いこと」でも受け入れる用意があった。いつかは自分たちも豊になり、満足のいく生活ができるようになるという希望をもっていた。蘭州-西安の列車で出会った若者は、「どんな条件でも、どんな仕事でもする。この国には大国となる力があると信じているからだ」と語った。政治に興味はないが、「政府を信用している。経済発展に必要な安定をもたらしてくれるだろう」とも付け加えた。08年のことだ。
ちょうどそのころ、チベット自治区で騒乱が起きた。当局は武力で弾圧し、国際的な抗議を押しのけた。中国政府は「なぜチベット人は蜂起したのか」を知らない国民に支持された。政府は広範な信頼を得ていた。
そのチベットは09年3月10日、中国の統治に抗議する住民の武装蜂起から50周年を迎える。これが原因でチベット仏教の最高指導者ダライラマ14世がインドに亡命した事件だ。08年の騒乱から一周年とも重なるこの時期、当局は警戒を強化し、市民を逮捕するだろう。弾圧が再び表舞台に現れる。
しかし、今回は雰囲気が変わるだろう。ほんの一年前に中国政府が得ていた信頼は、消え去ったからだ。カードゲームで手札を示すことさえしない政府に、子国民はもはや誇りを抱いていない。経済活性化に何十億元も投入する約束をしているが、成長は政府が何とかできるものではない。国民の不満が膨れあがる危険があり、社会問題がさらに増加するだろう。 とあり、続いて、89年の天安門事件、去年10月の08憲章の話が続く。つい四ヶ月前まで、様々な異論を封じてオリンピックを開催した北京の力を賞賛していたのに、たった四ヶ月でえらいかわりよう。
そんなわけでルブランさんがここで書いていることだって結局この数ヶ月どこかの誰かの意見をきいて剽窃しているだけで、根拠に乏しいことにはかわりありません。「経済成長がとまった時、中国の社会問題が噴出する」というのは広く云われていますが、中国が建国当初の二十年間に自業自得で味わった貧困と内乱に比べれば今の方がずっとマシということを考えると、一朝一夕であの国民が政府を批判するとも思えません。
でもまあおおざっぱに言えば、チベット問題に関しては、新聞もコメンテーターも迷走しながらも、着地すべきところに着地しつつあるといえ素直に喜びたいと思います。
人は、良識がかけらでもあれば、迷走しつつもいつか事実に近づくことができる。事実はプロパガンダよりも、勉強していないコメンテーターよりも強し。
BBC ニュース
中国の首相がスピーチした時靴が投げられた
抗議者がケンブリッジ大学でのスピーチ中の温家宝に靴を投げ、「独裁者」と叫んだ。
靴は温家宝から一メーター離れたところに着地し、若い男性の抗議者はガードマンによって排除された。温家宝は三日間のイギリス滞在中の最終日にあたり、イギリスのゴードン・ブラウン首相と一連の通商条約を結んだ後のことであり、今回の件を「見下げ果てた」と形容。
温家宝の滞在中、人権とチベット問題で数々の抗議運動が行われている。
一連の抗議運動
日曜、温家宝に近づこうとして五人がロンドンで逮捕さる。
目撃者によると、温家宝は世界経済についてケンブリッジ大学で講演を行っているその最後近くに靴を投げられた。
通信協会によると、靴はホールの後方から投げられ、温家宝から「十分に距離を置いて」着地したそうである。
報告によると、抗議を行った者は、聴衆に向かって中国の首相と戦うように促し、
「大学はなぜこのような独裁者に節操を売るのか(prostitute itself ※イシハマ注。原語では「売春」を意味してます。)」
と叫んだ。
この台詞については同じ言葉を○稲田大学にも送りたいです(→参考此処クリック)。
「靴を投げる」という行為は、ついこの間、イランの記者が任期終了間際のブッシュ大統領に靴を投げてイランの英雄になったという故事にちなんだものと思われます(※イシハマ注 イスラム圏で靴を投げるのは最大の侮蔑行為)。
まあ、中国のトップが欧米を訪問すると、いつもトマトやらなにやらぶつけられていますから、今更何が飛んでこようと驚かないでしょう。彼らは最近欧米における宣伝活動にも力をいれてますが、行い自体がおかしいのに、人に周知させれば共感をえられると考えているのはどうかと思います。間違った行為を宣伝しても墓穴を掘るだけじゃないでしょうか。早くそこに気づいてもらいたいです。
さて、話変わって。
去年九月にこのブログで、クロード・ルブランというフランス人(この方日本のサブカルをフランスへ紹介する人として有名らしい)の方が朝日新聞に掲載した記事をとりあげ、彼が、北京オリンピックに感動したあげく「これからは中国とロシアの時代だ!」みたいな内容の文章を書いていたのをご記憶でしょうか(→ここにリンクしときます)。
あの時は彼の文章の非論理性をテーマにしてブログを書いたのですが、さすがに非論理的なだけあって、今度は百八十度中国に批判的な記事が、昨日の朝日新聞にのってました。
これだから朝日の講読はやめられない(笑)。
余談ですが、かんぽの宿一括売却をめぐる問題でも、朝日新聞は当初、鳩山総務大臣を全面的に否認する社説をだしたのですが、ほんの十日後くらいに「日本郵政にも非がある」みたいな社説にかえているので、出入りのコメンテーターの言動の迷走くらいで驚いてはいけないのかもしれません。
話を元に戻すと、この日本サブカルの紹介者ルブランさんは、2日の朝日の朝刊でこうおっしゃってます。
中国の09年
09年は中国の共産主義体制にとって象徴的な年だ。政府は10月1日、建国60周年を華々しく祝う。しかし地方ではお祭りムードはほとんどなく、不満の高まりを感じる。
経済成長が約束され、工場がフル稼働していた間は国民は「受け入れ難いこと」でも受け入れる用意があった。いつかは自分たちも豊になり、満足のいく生活ができるようになるという希望をもっていた。蘭州-西安の列車で出会った若者は、「どんな条件でも、どんな仕事でもする。この国には大国となる力があると信じているからだ」と語った。政治に興味はないが、「政府を信用している。経済発展に必要な安定をもたらしてくれるだろう」とも付け加えた。08年のことだ。
ちょうどそのころ、チベット自治区で騒乱が起きた。当局は武力で弾圧し、国際的な抗議を押しのけた。中国政府は「なぜチベット人は蜂起したのか」を知らない国民に支持された。政府は広範な信頼を得ていた。
そのチベットは09年3月10日、中国の統治に抗議する住民の武装蜂起から50周年を迎える。これが原因でチベット仏教の最高指導者ダライラマ14世がインドに亡命した事件だ。08年の騒乱から一周年とも重なるこの時期、当局は警戒を強化し、市民を逮捕するだろう。弾圧が再び表舞台に現れる。
しかし、今回は雰囲気が変わるだろう。ほんの一年前に中国政府が得ていた信頼は、消え去ったからだ。カードゲームで手札を示すことさえしない政府に、子国民はもはや誇りを抱いていない。経済活性化に何十億元も投入する約束をしているが、成長は政府が何とかできるものではない。国民の不満が膨れあがる危険があり、社会問題がさらに増加するだろう。 とあり、続いて、89年の天安門事件、去年10月の08憲章の話が続く。つい四ヶ月前まで、様々な異論を封じてオリンピックを開催した北京の力を賞賛していたのに、たった四ヶ月でえらいかわりよう。
そんなわけでルブランさんがここで書いていることだって結局この数ヶ月どこかの誰かの意見をきいて剽窃しているだけで、根拠に乏しいことにはかわりありません。「経済成長がとまった時、中国の社会問題が噴出する」というのは広く云われていますが、中国が建国当初の二十年間に自業自得で味わった貧困と内乱に比べれば今の方がずっとマシということを考えると、一朝一夕であの国民が政府を批判するとも思えません。
でもまあおおざっぱに言えば、チベット問題に関しては、新聞もコメンテーターも迷走しながらも、着地すべきところに着地しつつあるといえ素直に喜びたいと思います。
人は、良識がかけらでもあれば、迷走しつつもいつか事実に近づくことができる。事実はプロパガンダよりも、勉強していないコメンテーターよりも強し。
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