fc2ブログ
白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2008/12/14(日)   CATEGORY: 未分類
『零八憲章』
  12月11日、授業の準備をしながら11時のBSニュースを見たら、ヘッドラインのトップに、中国の知識人が体制を批判する文書を発表、という内容が眼にとびこむ。

 テレビを食い入るようにみる。この文書は三権分立、民主体制の確立を求めており、社会的影響力のある人たちが実名で公然と体制を批判したことにより、いろいろな反応が予想されることを伝えている。

 テレビ画面に流れる、インターネット画面の文書からキーワードになりそうな文字を読み取る。

 で、さっそくチャイニーズライター(中国語ソフト)をたちあげて、よみとったキーワード「零八憲章」「司法公正」を簡体字でうちこんで、検索、ぽちっとな。

 でてきましたよ。(PDFを作ってここに置きました。)

とある奇特な方の和訳はココ。和訳は自分でもう一回原文と照らし合わせて見直そうかと思ったけど、面倒臭いのでこの奇特な方のサイトのものを使わせていただきました。

いい加減でスイマセン。

08憲章

一、まえがき

 今年は中国立憲百年、「世界人権宣言」公布60周年、「民主の壁」誕生30周年であり、また中国政府が「市民的及び政治的権利に関する国際規約」に署名して10周年である。長い間の人権災害と困難かつ曲折に満ちた闘いの歴史の後に、目覚めた中国国民は、自由・平等・人権が人類共同の普遍的価値であり、民主・共和・憲政が現代政治の基本的制度枠組みであることを日増しにはっきりと認識しつつある。

 こうした普遍的価値と基本的政治制度枠組みを取り除いた「現代化」は、人の権利をはく奪し、人間性を腐らせ、人の尊厳を踏みにじる災難である。21世紀の中国がどこに向かうのか。この種の権威主義的統治下の「現代化」か? それとも普遍的価値を認め、主流文明に溶け込み、民主政体を樹立するのか? それは避けることのできない選択である。(中略)

 1949年に建国した「新中国」は、名義上は「人民共和国」だが、実際は「党の天下」であった。政権党はすべての政治・経済・社会資源を独占し、反右派闘争、大躍進、文革、六四、民間宗教および人権擁護活動弾圧など一連の人権災害を引き起こし、数千万人の命を奪い、国民と国家は甚だしい代価を支払わされた。

 20世紀後期の「改革開放」で、中国は毛沢東時代の普遍的貧困と絶対的全体主義から抜け出し、民間の富と民衆の生活水準は大幅に向上し、個人の経済的自由と社会的権利は部分的に回復し、市民社会が育ち始め、民間の人権と政治的自由への要求は日増しに高まっている。統治者も市場化と私有化の経済改革を進めると同時に、人権の拒絶から徐々に人権を認める方向に変わっている。

 中国政府は、1997年、1998年にそれぞれ二つの重要な国際人権規約に署名し、全国人民代表大会は2004年の憲法改正で「人権の尊重と保障」を憲法に書き込んだ。今年はまた「国家人権行動計画」を制定し、実行することを約束した。

 しかし、こうした政治的進歩はいままでのところほとんど紙の上にとどまっている。法律があっても法治がなく、憲法があっても憲政がなく、依然として誰もが知っている政治的現実がある。統治集団は引き続き権威主義的な統治を維持し、政治改革を拒絶している。そのため官僚は腐敗し、法治は実現せず、人権は色あせ、道徳は滅び、社会は二極分化し、経済は奇形的発展をし、自然環境と人文環境は二重に破壊され、国民の自由・財産・幸福追求の権利は制度的保障を得られず、各種の社会矛盾が蓄積し続け、不満は高まり続けている。とりわけ官民対立の激化と、騒乱事件の激増はまさに破滅的な制御不能に向かっており、現行体制の時代遅れは直ちに改めざるをえない状態に立ち至っている。



ときて、これに続いて「基本的な理念」「具体的な主張」が述べられる。ここに書かれている中国の腐敗した現実は、周知の通りすべて事実である。なので、彼らがその状況を改善するべく三権分立や民主体制の確立を要求することもじつに論理にかなっている。

 で、チベットと関係する項目としては

12、宗教の自由:宗教の自由と信仰の自由を保障する。政教分離を実施し、宗教活動が政府の干渉を受けないようにする。国民の宗教的自由を制限する行政法規・行政規則・地方法規を審査し撤廃する。行政が立法により宗教活動を管理することを禁止する。宗教団体(宗教活動場所を含む)は登記されて初めて合法的地位を獲得するという事前許可制を撤廃し、これに代えていかなる審査も必要としない届出制とする。

18、連邦共和:平等・公正の態度で地区の平和と発展を維持し、責任ある大国のイメージを作る。香港・マカオの自由制度を維持する。自由民主の前提のもとに、平等な協議と相互協力により海峡両岸の和解案を追求する。大きな知恵で各民族の共同の繁栄が可能な道と制度設計を探求し、立憲民主制の枠組みの下で中華連邦共和国を樹立する。


の二つである。とくに18番の連邦共和制はチベット人の自治を求める主張と合致している。

 そう、ダライラマもおっしゃるように「中国人は~だ、なんて一括してレッテルはってはいけない」のである。この303人のように自分の頭でものを考えることができる人はいるのである。

 何ヶ月か前、生徒のMくんが、某漢民族の女性とその息子さんと世間話をしていたら、彼らのチベット人に対する認識がわれわれと大して変わらないのに驚いたという。

 中国の愛国教育においては「チベット人がひどい生活をしていたから中国共産党が解放してやって、豊かにしてやった」みたいに教えられるんだけど、その女性と息子さんはそれを実際に聞いたmの文章をそのまま借りると

「何も漢民族とはまったく違う価値観を持つチベット人がそもそも物質的な豊かさを求めているとは限らない」

「もし20世紀後半に共産党が来ていなかったとしてもダライラマ政権や国民党政府など他の政権が物質面も人権面も改善していたと考えるのはグローバル化を考えても当然」という。

「漢民族の多くはチベットの場所も文化も生活も実際に知らないし知ろうともしない。なのにどうやってチベットが中国の一部だと主張することができるのか」とどこかで聞いたことあるセリフだ。


 どこって、どこぞの授業で?(笑)

で、彼らがなぜ愛国教育に洗脳されず、このしごくまともな見解を抱くにいたったかというと、文革の時に中央から下放されてきた知識人とのふれあいや実際のチベット人との会話を通してとのことである。

 知識人が田舎に送られていた時代、紅衛兵の子供たちであふれた都会よりも知識人のいる田舎の方がよりまともな「教育」を受けられたと言うわけ。

 どんなひどい体制の中にもこの親子のように、きちんと自分の頭でものを考える人はいる。今回の08憲章の署名人たちもそうである。

 表現の自由のない国で、体制を批判するということは、即、ムショ入り、悪くすると獄死を意味する。

 たとえば、とある中国の大学の先生が、授業で共産党の政策を批判したら、学生の一人が、党の批判をするな、と教師に反論したら、その教師は「君が自分の意見をいう自由があるように、私にも自分の意見をいう自由がある」といったら、この学生、党に密告してこの教授はクビになったそうである。本当のことをいった教師を学生がクビにする社会って、なんじゃこりゃ。

そんな国で、このような体制批判文書を出すのだから、この303人は根性座っているぜ。
朝鮮日報の記者によると、彼らはみなムショ入りの準備をしてこの発表に臨んだという(で、現在は拘留中か自宅軟禁中らしいでーす)。

  この人たちこそ、まさに真の愛国者である。

  中国共産党の愛国教育を受けた若者たちは、彼ら303人をこれから非国民呼ばわりし、これから彼らは公式にも非公式にもエライメにあうだろう。

 せめて自由世界にいる我々くらいはこの303人の名前をしかと記憶して、行く末を注視しなければ。彼らの名前が多くの人に知られれば知られるほど、彼らの命は安全になるのだから。

 で、この事件を日本の報道がどう扱っているのかをみると、まず10日に一報を流したのは、共同通信と時事通信(さすが中国に強うおすな)。で、毎日新聞、産経新聞、東京新聞とみな報道しているわな。

 タライラマ法王はさっそく声明をだして応援(ここクリック)。

 で、朝日新聞は黙殺。


 まあ、ダライラマ猊下が1989年にノーベル平和賞を受賞した時に「ノーベル平和賞を政治利用するな」みたいな社説書いた新聞ですから、彼らにとっては自然な反応かもしれません。でも、朝日って確か知識人の読む新聞と言われてませんでしたっけ。

 この08憲章はネットで転載を繰り返されてひろがっている。当局は徹底的な検閲を行って中国国内の掲示板から削除して対抗しているが、海外の中文掲示板にはどうどうと掲載され、かつ、署名人は増えているという。

 署名をした、勇気ある人々に心からの敬意を。
[ TB*1 | CO*11 ] page top
Copyright © 白雪姫と七人の小坊主達. all rights reserved. ページの先頭へ