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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2008/10/15(水)   CATEGORY: 未分類
大師堂の奇跡
 
「雪の国の法王ダライラマを知る」
*期日 2008年10月19日16:30-18:00 いよいよ今週
*場所 奈良県代官山スタジオ 地図←クリック
*お問い合せ先 Feel TIBET実行委員会 →クリック


 護国寺さまで、半年近く行われていた毎晩のキャンドルナイト(後半はキャンドル抜き読経)が先週金曜日10日をもって、とりあえず修了した。

 そもそもの発端は、今年三月チベット蜂起があった時、六本木デモに参加した在日チベット人の若者たちが「お寺にお参りしたい」といい、去年ダライラマ法王が訪れた護国寺さんでお経を上げた。

 そしたら、なかなかいいカンジだったので、今回の蜂起でなくなったチベットと中国の方々の供養のために、キャンドルもってなんとなく人々が集うようになった。
 そのうち、護国寺の有志の方が大師堂を開けてくださるようになり、毎晩7時から八時半までの間に定例の集まりがもたれるようになった。
 そこでは、自然発生的に集まった若者たちによって、読経が行われるようになった。

 某大運動会の開会式の日のキャンドルナイト、ダライラマ法王の呼びかけた世界断食などのイベントの時には150人以上の人が集まり、平日でも常時入れ替わり立ち替わり若い方たちが、二十人前後集まってお経を読んでいた。

 それもチベット語で(笑)。

 観音真言オンマニペメフンや、パドマサンバヴァの真言、ダライラマの真実の祷りなど、チベット語の発音でお経をあげていたのだ。それも毎晩。

 最終日には、二百人の方たちが集まって、名残を惜しんだそうである。

 毎晩出勤していた護国寺側の関係者の方に、「さぞや大変でしたでしょう」とメールをお送りしたら、そのお返事がきた。

 私信なので要約すると「とてもいい集いだった。参加者が利他の精神を少しずつ浸透させていき、チベット仏教と日本仏教の線引きをしない自由な感覚の若い仏教徒が増えた。」「まだありますが、こんな恵みを頂いてしまっていいのでしょうか? 」

 うーん、これはすごい。大師堂はどうもすごい場となっていたようである。

 日本仏教の経典すら読んだことのない若い人たちが、チベット語の経典よんで、しかも、仏教が理想とする利他の精神について考えるようになったのだ。

 このような現象がおきた背景には、もちろん護国寺様のご協力、集まってきた若者たちの心のまっすぐさ、プラス、やはりチベットをめぐる現状を通じて若者たちがはじめて仏教にふれた、などがからみあって出現したものであろう。

 仏教青年会にかかわって見てわかったけど(今はもうすごい状態)、日本仏教に興味をってもらうのは本当に難しかった。せいぜいが「仏像は美しい」「禅のセンスは素晴らしい」までがせいいっぱい。仏教の思想とか、それにのっとって人格の陶冶をする、なんてことまでいいだしたら、ヘタすればカルト扱いされるのがオチ。

 ところが、これがチベット仏教のシステムに則ると人々はじつに自然に仏教に興味をもってくれる。

 たとえばこんなカンジ。
 六道輪廻図の各所を指しながら、仏教の輪廻と解脱のシステムをちゃっちゃっと説明しながら基本的な仏教の概念を覚えてもらう(所要時間三十分)。
 そして、仏教で一番大事なのは、自分ではなく他者の利益を考えること、覚りを目指す場合も、自分のためではなく、「他者のために覚りを目指す心」(菩提心)が一番たいせつよ、と説く。

 そして、「ダライラマ法王はこの菩提心をもって生きてきたので、中国に占領されて国を失って、その上今に至るまで中国政府から、人面獣心の悪魔、とか信じられない罵詈雑言をあびてきたけど、ずーっと、中国人を兄弟と呼び、共生を説き続けてきたんだよ」と言えば、たいていの人は感心して、黙っていてもダライラマ法王の自伝映画「クンドゥン」見てくれるし、『ダライ・ラマ自伝』もってラサにいき、ノルブリンカ宮で1959年のあの三月をしのんで涙ながしてくれる。

 で、人を幸せにするものは、金や名誉やモノではなく(もちろん最低限は必要だけど、とらわれちゃダメという意味)、人を愛する心であることを自ずと悟ることができ、結果、出来る範囲内で自分も人を思いやろうという方向に自然に向かってくれる。
  
 ダライラマという仏教思想を体現した生きた手本が、誰もが知っている激動の現代史を、垢にまみれずに生きぬいてきたことが、人々に感銘を与え、動かしていく。

 チベット仏教では末法を「仏の教えが名ばかりになる時代」と表現する。仏の教えはかろうじて経典の中とかに存在するものの、誰もそれを実践するものがいなくなった時代である。

 社会主義中国に占領されたチベットでは、僧団を維持していくことができなくなった時、チベットの僧侶たちは亡命の道を選んだ。

 ある意味、チベットは器としての「国」を護るためよりも、この実践者たちの集団(僧伽)を護るために、国を捨てたのだとも言える。


 一方、日本仏教界は明治元年の廃仏毀釈とともに衰退して現在はズンドコ状態であるが、かろうじて国はある(笑)。

 日本がハード(器)、チベットがソフト(人と教育システム)を提供しあえば、「仏教が名ばかりになる時代」の到来を、もう少し先延ばしできるかもしれない。

 大師堂でおきたことを見てそう思った。

 と思っていたら、こんなことに

チベット基礎講座(bTibet08)
日時:2008年10月18日(土)/11月15日(土)/12月20日(土) 
会場:大本山護国寺 東京メトロ有楽町線「護国寺」駅  1番出口すぐ
料金:入場無料
詳細→ここクリック

 チベットのお坊さんをお招きしての月イチ講座です。
 成功の鍵はチベットは通訳の練達度とみた。
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