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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2008/07/29(火)   CATEGORY: 未分類
ガワン先生、出雲に行く。
 二十八日、ロサン・ガワン先生が出雲の峯寺で灌頂を行われるというので、出雲へ飛ぶ(Co2ゴメン)。
 空港にお迎えにきてくださったのは、ガワン先生の日本人弟子のAさん。

私「出雲大社をネットで調べたら、出雲大社教ってでてきたんですけど、出雲の神様はやっぱりアマテラス系神社本庁に属すのがいやで別団体つくってるんですかね」
Aさん「さあそれは知りませんが、出雲の宮司さんは千家っていって、大国主命の子孫(あとでご指摘をうけたけど、千家はアメノホヒの子孫。アメノホヒはアマテラスの子供で出雲につかわされたんだけど、大国主に心酔してつかえた神)がつとめてますよ」

私「ええええ、大国主の子孫(だからアメノホヒの子孫。しかしその時の会話を忠実に再現するためママのにしときます)がまだ続いているんですか! 天皇家より古い家系じゃないですか」
Aさん「ええ、何かすごい系図をもってますよ。で、天皇家に政治はまかせて、出雲で神様をまつってらっしゃるんです。十一月には日本の神様がみな出雲に集まっていなくなるからる神無月っていいますが、出雲ではこの月は神有月っていって、神様をお迎えする神事をやります。嫁さんの知り合いに聞いたんですが、その神事の際、海に竜巻がたって何かが上陸してくる気配が本当にしたそうですよ」

 さすが、神話の里、出雲。神話が現役。古代の開国神話がそのままダライラマ14世に体現されているチベットと激似。

私「出雲サイコー! 私は根っからマイノリティ好きなんですよ!だってマジョリティって、ただ数の力でそこにあるだけだから、、結構いいかげんだったり不純だったりするけど、マイノリティでも残っているものは、絶対残ってきた理由、何等かの意義みたいなものがあるんですよね」

 峯寺につく。峯寺は役行者が開いたという奈良時代からの古刹である。役行者のお父上はこのあたりの出なので、「みなし」ではなく、マジで役行者様ゆかりの寺である。真言宗御室派で松江藩主の祈願所としても栄え、大峰修験の開山式の鍵を預かる修験の寺でもある。

 峯寺は弥山の中腹にたつが、この山は出雲風土記にでてくる伊我山で、このあたりの地名の三刀屋(御門屋)とは大国主の屋敷の所在地であったことを示している。

 濃い神話の里、出雲。そこに、またまた濃いチベットの高僧ガワン先生がお出ましになる。聴衆は信仰深い善男善女ばかり。いい空間になることは必定。

 まず、峯寺のご住職により、今回の蜂起で亡くなられたチベット人の方々の追悼法要が営まれる。

 そして、五時から九時までダーキニーの灌頂が行われた。鳥の声と蝉時雨の喧噪は日没とともに静まり、やがて、あたりは真っ暗となった。本堂はまるで宇宙空間に浮かんでいるよう。ときたま、チョウやアブが入り込んでくる以外、静かな山の寺の法要である。先生はダーキニー尊(仏の智慧を象徴)を自らの中に生起して、その力を我々に授けてくださる。ダーキニー尊のイメージを鮮明に描ければ描けるほど、祝福を授かるとされている。

 灌頂が終わると、借りていた土地をその土地の神様にお返しする。そして法要で用いた供物を様々な妖魔に下げ渡して、灌頂を邪魔しなかった褒美とする。

 灌頂の夜、ガワン先生の闘病生活を支えてきたAさんからお話を伺う。ガワン先生は密教者なのでなかなか神秘的なエピソードが多く味わい深い。

 先生は1959年にダライラマが亡命された年、ガンデン大僧院(ゲルク派の大本山)チャンツェ学堂の僧で23才、ダライラマ法王とほぼ同世代であった。中国軍の侵攻を受けて、チベット暦二月十四日に逃亡生活に入り、中国軍を避けながら道に迷いつつ、インドに向かった。

 しかし、中国軍が道を封鎖しているので、森の中に隠れていた。そんなある日ガワン先生の夢に、船にのった渡し守が現れて、「わたしはもう来ないぞ、これが最後の便だ」と言われた。その夢を師匠に話すと、師匠はその夢はたぶん「今は中国軍が道にいないということだ、これが最後のチャンスかも」と森からでて道にでると中国軍がいなかったという。

 それから彼らは雪の中をさまよった。一歩踏み間違うと谷底におちてしまうような白い地獄の中で、師匠はオオカミの足跡をみつけて、その足跡をたどって道に出たという。また、もうブータンのタワン地区にあともう一歩、というところまできた時、やはり道に迷っていると、ヤクをつれた女の人が現れて、師匠はその女の人に声をかけたけど、まったく振り返らずにどんどん歩いていくので、そのあとをついていくと、道まで出たところで忽然と消えてしまったという。ブータンに逃げこんだ時、逃亡生活に入って七ヶ月経っていたという。
 
 私「その女の人、ラモ(護法女尊の名)の化身でしょ」
 一同笑。
 Aさん「ですよね。ガワン先生そのころ若かったからお腹がすいてね、こんなにつらいんだったら中国軍に投降しようとおもったこともあったんですって。そしたら師匠が般若経の予言に『仏教はまず、南に伝わり、次に北から北に伝わり、最後にインドを通って世界にひろがる』という予言がある。お前は若いんだから未来がある。インドへ行け、と行われたんでインドに逃げたそうです」

 それから、ここ二年のガワン先生の闘病生活の不思議について聞く。じつはガワン先生はお医者さんの見立てによると、去年の後半くらいには亡くなっているはずであった。しかし、彼から法を聞きたいというAさんの執念とAさんにグヒヤサマージャの注釈を完全に伝えなければならないという先生の仏教者としての使命感とが様々な奇跡をうんで2008年の7月現在も先生はこうして日本の人々に仏教を、中観帰謬論証派の空理解とかを説いておられるのだ。

 すごいな。

 Aさん「でね、生徒さんの親御さんからビタミンCの点滴療法をすすめられてね、でもね、それがすごい高いので迷っていたらね、突然シンガポールのガワン先生のお弟子さんが来られましてね、お布施してくださったんです」
 私「そのシンガポール人、毘沙門天の化身でしょう」
 一同笑。

 Aさん「でね、去年の法王のお誕生日の時、ホテルオークラの喫茶室にいたら、Bさんから電話がかかって、今アーケードにいるからこれないか、っていうので、アーケードにいったんですけど、Bさんこないんですわ。で、会が始まるまで一時間半、ここでたっているのもなあ、と思ってベンチを探して座ったらそこにいたのが、それからお世話になったk医師ですわ。」

 あとで、bさんになんでアーケードこなかったんですか、と聞いたら、あのときBさんは喫茶室におり、何でかしらないか、アーケードにいると嘘をついてしまったんだという。一緒にいたおねえさんがそう証言したのだから、確かだという。しかし、そのニセ情報の結果、AさんはK医師と知り合うことができた。

 私「Bさん、きっとガワン先生の護法尊にのっとられてたんだよ」 一同笑。
 Aさん「夜中に緊急入院したこともあったんですけど、その日たまたま主治医が当直に入っていて助かったとか、そんなことばかりですわ。何かに助けられているような。」

 で、その晩、峯寺の番犬、ポチは狂ったように吠えまくった。

 Aさん「昨日の晩、ポチが吠えてたでしょう? 朝みたらお供物なくなってるんですよ。灌頂のお供物を妖魔が取りに来たのかと思って怖かったです。」

 私「タヌキか、キツネか、ハクビシンで決まり。」
 Aさんの奥さん「お皿までなくなっているから人が捨てにいったんですよ」
 副住職「ああ、ポチはね毎晩、午前一時から二時までぴったり一時間なくんですよ」
 一同爆笑。

 その朝、ガワン先生を囲んで峯寺ファミリーとともに朝食を戴く。すると突然の雷鳴ともに驟雨がふり、山の寺は雲の中に入った。ガワン先生は雷鳴は吉兆だという。わたしも縁側でこの雨をみて気持ちのいい通り雨だと思った。

 嵐の神スサノオ(大国主の父)がチベットの高僧の光臨を喜ばれている(のか?)。
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