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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2008/07/14(月)   CATEGORY: 未分類
ゼミ旅行で善光寺へ
七月十一日

 今年の夏のゼミ旅行はもちろん長野。長野は夏は涼しいし、世界中に令名を轟かせたかの国宝善光寺様に是非いかねば。

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 宿は長野よりちょっと南の屋代の由緒ある武水別神社のま横。宿からほど近い里山は、世阿弥や芭蕉も題材にした、名勝姥捨て山である。お昼ご飯のあと、この神社の鳥居を背にひたすら山を登る。じつはこの姥捨て山、棚田の保存地域としても有名で、この棚田をみおろす姨捨の駅からの風景は日本の三大車窓に数えられている。学生は地理の授業で棚田を勉強しているので、国文+民俗学+地理の勉強になる。

 しかし、例によって暑い。梅雨も明けていないのに棚田には入道雲がかかっている。

 全員脱水症状になって棚田の頂上につくが、そこには千曲市の管理棟があるばかりで、水分はない。そこで、水分を求めて芭蕉が「おもかげや姨ひとりなく月の友」を詠んだ天台宗長楽寺に向かう。この寺の境内には芭蕉の後を慕う数々の文人の句碑であふれかえっている。

 この寺の裏手にある姨捨会館(閉店)の前に自販機発見。渇えた我々は全員でこの自販機を襲い、水分を買いまくる。じつはこの自販機北京オリンピックの公式スポンサーコカ・コーラ社だったので本当は使いたくなかったが、この状況下ではいた仕方ない。エコを考えた場合、やはりハイキングに出る前には水筒を準備すべきであった。

 「暑い」→「自販機(orコンビニ)を探す」という、この腐った精神構造自体が、地球温暖化を促進するのだ。

 と自己批判しつつ山を降る。途中、阿弥陀仏の48請願にかけた48枚田があり、そこに田所観音という棚田の中にうもれる絵になる観音様を見つける。

 山をおりてくると武水別神社の大鳥居がまっすぐ前に見える。これおそらく、民俗学的にいうと、里山(姥捨て山)にいる祖先の霊が春になって田の神になって戻ってくるのを受け入れたり、送り出したりするたるの鳥居だ。社伝をみると、やはりこの神社はかつては五穀豊穣を祈り、千曲川の水をまつったりしていたという。

 死の世界から生の世界への帰還である。宿に帰って、温泉入って夜ご飯に食堂にいって驚く。私の席だけがお誕生席で、学生が両側にならぶという、アフリカの独裁国家の食卓のような席並びになってる。私はその晩、たまたま迷彩柄のTシャツを着ていたので、シャレにならん。
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 食事がおわるとおきまりの飲み。、ゲームや話を楽しみたい人、寝部屋、タバコをすう人たちの「アヘン窟」と別れる。アヘン窟は夜も深まるうちに、Aちゃんがママとなってクラブのような様相を呈してきたため、その部屋はママ自身により「クラブそこそこ」と命名される(何やってんだか)。

七月十二日

 本日は松代大本営(先の大戦末期、軍部は大本営を松代に移そうとまじめに考えて、朝鮮半島の人とかを動員してメチャクチャに働かせて作った防空壕。防空壕で戦わなきゃいけない時点ですでに負けているのに、なぜとっとと降伏しなかったのか、日本も昔はキてたんだね)にいくグループと、茶臼山動物園・恐竜公園に行くグループに別れて行動。

わたしはもちろん、動物園組(笑)。

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この動物園、かの有名な旭山動物公園にならって、行動展示(その動物の習性にあわせた環境をつくって、その姿を見せることによって動物も生き生きするし、それをみるお客さんも楽しくなって倍増。)をやっている。だから、高い台にのぼってキリンにエサをあげたり、レッサーパンダとツーショット写真をとったり、オオコノハズクを手にとめたりできるのだ!

 関東のとある水族館では、イワシの群を展示する際、イワシを補食するイカを一緒に水槽に入れている。イワシはイカにやられまいとして、必死に逃げるから銀色の群は美しい旋回を我々にみせてくれ、もちろんイカに食べられることによってイワシには犠牲はでるが、生き残ったイワシはイカがいなかった時よりも寿命が延びたという。緊張感が彼らの生命力を高めたのだ。

 小猿とか、小熊とかは本当に幸せそうに遊んでいてほほえましかったが、ゾウとシロオリックスは明らかに精神を病んでいた。やはり、狭い動物園では「本来の環境に近づけ」るといっても限界があるんだな。それに、夜行性のオオコノハズクをまっぴるま外にだしてさわらせるのはかわいそう、さわらせるのなら昼行性の鳥類にした方がいいと思う。次に恐竜公園で童心に返って遊ぶ。帰ってから写真をみたらとても大学生の旅行にはみえない。小学生のそれ。

 夜は花火の後、のみ。「クラブそこそこ」は、本日は「カラオケ・スナックAやか」に変身(笑)。

七月十三日

 本日はいよいよ善光寺へ。まず、ご本尊のまわりを本堂下のまっくらやみを手探りですすみながらコルラする、戒壇めぐりに入る。この途中、極楽の錠前をさぐりあてることができると、死後、極楽にいけるので、わたしは学生の究極の幸せな将来(笑)を考えたことになる

 そのあと門前で信州そばをたべて、本堂で若麻績敬史ご住職と待ち合わせ。今年四月、長野で北京オリンピックの聖火リレーが行われた際、善光寺が出発地点とされていた。しかし、若麻績ご住職を代表とする複数の僧侶たちが、「仏教の聖地である善光寺が同じ仏教徒であるチベット人を弾圧している中国の国威発揚を行う聖火リレーの出発地点に利用されるのは、おかしい」と至極真っ当な主張を行い反対運動を起こした。結果、善光寺はこの出発地点の返上を行った。

 この英断は先進各国に喝采を持って迎えられ、Zenkojiの名前は横文字で国際的に知られるようになった。

 わたしはかねがね善光寺様のこの英断はどのような背景からなされたのか興味があったので、ご住職のお話を伺おうと今回コンタクトをとらせていただいたのである。

 ご住職は学生を前に、我が身を犠牲にして人の幸せのためにつくす仏教者としての本分を、マザーテレサや宮本賢治やアウシュビッツの神父さんの例などをあげて説明し、「聖火リレーの出発地点を返上すれば、大変なことになることはわかっていたが、これで黙っていたら日本仏教の危機だと思った」と当時の心境を語ってくださった。

 この日関東はお彼岸の入りであった。東日本随一の大きさを誇る善光寺の荘厳な本堂には、各地から集まってきた多くの人でごった返していた。ご住職は彼らの方をごらんになると、こうおっしゃられた。

「善光寺は檀家がないんです。ずうっと昔から、阿弥陀様やご先祖様を思う彼らのような市井の人々の一人一人の信仰に支えられてきました。お参りする方の宗派もえらびません。すべての人にこのお寺は開かれています。昔は徒歩でここまできて、このお堂に何日かこもって阿弥陀様のヴィジョンを得ようとしました。そのとき、父親のことを毎日思っている人には父親の姿や声が見えたり聞こえりしました。阿弥陀様の前では普段から強く思うことがヴィジョンとなって現れるんです。わたしは十四年に一度当番で大きな法事を主宰するのですが、何年か前のその時、阿弥陀様のお慈悲を強く体感したことがありました」

 その時、わたしはあの英断がなぜなされたのかその一端がわかったような気がした。あの英断は一朝にしてなったのではない。

 日本のほとんどの寺が檀家の葬儀や法事を行うことで生計をたてるうちに、仏教者としての本来のあり方を忘れつつある中、ここ善光寺という場には、一人一人の信仰によって支えられている仏教が中世よりずっと生きつづけている。そしてそれが彼らが仏教者としてスジを通す力を生み出したのだ。

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阿弥陀様の慈悲が善光寺さんの行動を通じて世の中を照らしたのである。

 そのあと、資料館にいき、善光寺のご本尊である三国伝来(この三国、おもしろいことにインド・朝鮮・日本で中国は入らないという 笑)の一光三尊の阿弥陀様のお話などを伺う。記念撮影の後、ご住職より「悲・コンパッション チベットからの風」という小冊子と、二十五日と二十六日に善光寺さんでおこなわれるチベットイベント(←詳細はここクリック)ちらしを頂戴する。

 善光寺さんはすべての宗派の人を受け入れ、その人々によって支えられてきたお寺である。だから、、一般信徒をしめだし、警官にガチガチにまもられなければ開催できないような、しかも、特定の民族の国威発揚の象徴であるような、しかも、その特定の民族が仏教徒を弾圧しちゃったりしているような聖火リレーの出発地点になること自体がそもそもミスマッチだったのだ。 

 オリンピックは予定どおり開かれるだろうし、某国はそれを成功と喧伝するだろう。しかし、実質的かつ倫理的にいえば、このオリンピックは大失敗である。

 今年のオリンピックが客観的にどう定義されるかはいずれ歴史が教えてくれるだろう。

 仏教2500年の底力を感じた長野の旅であった。
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