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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2007/11/25(日)   CATEGORY: 未分類
徳川な連休パート2
今日はゼミ生つれて川越で秋の遠足。
 
 川越駅前で集合するが、わたしが15分遅刻、ゼミ長Aジくんは30分ちこく、Y子は三時間遅刻、Mちゃんは六時間遅刻、ドタキャン二人以上というゲーム性の高い出だしである。

 六時間遅刻のMが日記に「ぐだくだなゼミ」と書いていたが、彼にそれをいう資格はない。

 去年は比叡山、今年の夏は日光、そして昨日は寛永寺、今日は川越喜多院、そう、わたしは天海のたてた寺をたどっているのである。全行程つきあっているのはゼミ長のAジくんだけだけど。

 江戸城の大奥の庭をもしたという喜多院の庭園は折しも紅葉の季節。
 とても美しい。
 現在の喜多院の建物は江戸城の建物を三棟うつしたもので、それもただの建物ではなく三代将軍家光誕生の間、春日局化粧の間などである。

 乾隆帝の生まれた屋敷は、乾隆帝の即位とともに雍和宮というチベット寺にコンバートされた。

 聖王の生まれた家は、聖なる場所だから、普通の人の住みかになってしまってはいけないのだ。

 例によって寛永寺(東叡山)灯籠が庭や玄関にごろごろしている。
 そりゃそうだ。現在の寛永寺のお堂はここ喜多院の本地堂を移築しもたのだから、両寺の関係は当然ふかい。ごろごろしてても当然か。

 喜多院内部には、家光所用の食器や、葵の御紋(徳川家の紋)と菊の御紋(皇室の紋)がくみであしらわれている公武合体長持などが、展示されている。

 Yくん「先生 "長持"って何に使うんですか」
 私「ジャパネット高田で宣伝しているプラケースと同じだよ。衣服や小物の整理につかうの」
 Yくん「わかりやすい説明、ありがとうございました」

 しかし、Yくんたちはまだついてくるだけいい。S木くんと、K子ちゃんと、Y子ちゃんは「拝観料がもったいないと」外でまっている。飲み代とかケータイ代には比較的出費をおしまない学生も、拝観料、入館料、など知的な投資にはしぶい顔。

 そのあと、家康の遺骸が四日間とどまった場所にたてられた、仙波東照宮にいく。階段は50段。石段の前には早稲田の二代目総長高田早苗の碑文がある。この東照宮が史跡指定された時の文部大臣だったかららしい。

 私「ほら、昔の早稲田の総長だよ~」
 K子ちゃん「早苗って、総長は女性だったんですね
 私「違うわ!」
toki.jpg


 それから、バスにのって時の鐘のところでおり、蔵作り資料館にいく。100円の入館料に学割を聞くのも驚いた。ホントーに教養への出資はおしいんだな。
 ところが、この話をしたらとある先生より、

 「イシハマ先生、飲み代でない、入館料とかは、領収書とってきたらゼミ費でおとせますよ」とおそわる。

 ごめん、みんな。

 定食やで昼ご飯をたべる。着席したところで、決して向学心にあふれているとはいえない学生のために用意していた(ウソ、たまたま手元にあった)、教育まんが「天海さま」をよませる。
tenkaisama.jpg
 「天海って空海じゃなかったんですね」(オイオイ)
 「何か、これひらがなと漢字の割合がおかしいよ」と妙なもりあがりをみせる。

 さすが教育まんが。わたくしの百万大言よりも効果絶大。

 食後、蔵作りの町並みをあるく。試食コーナーがあるたびに群がるため、他人のふりをするのが大変である。川越銘菓「いも恋」をかうが、「今日中が賞味期限です」といわれる。
 たぶん賞味期限うんぬんを気にしだしたのは、ここ数ヶ月だろう。

 それから、関東十八檀林蓮馨寺にいく。ここでは天海が34才の時、存応上人とディベートした地だ。寺紋は葵のごもん。ふすまにも葵づくし。

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昨日から今日、葵のごもんを1000はみてる。
 さあ、それから二駅もどって、上福岡駅でおりて、

 スーパー銭湯は小江戸はつかりにいき、温泉ざんまい。

 ざっばーんの湯、つぼゆ、漢方サウナ、ガンバン浴などをめぐる。

 そのあと、「つかれたから早く帰ろう」「年寄りを大切にしろ」「狭い部屋でタバコすうな」と訴える大先生の言葉をみなでそろって無視して、Eジくんがあさ渋滞でバイクをすてた地、朝霞台で途中下車して宴会(言うまでもなくAジ君は下戸)。

 気がつけば、私の意見よりも、ゼミ長の意見が尊重されている。
 
 何かおかしい、このゼミ。
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DATE: 2007/11/25(日)   CATEGORY: 未分類
徳川な連休パート1
 連休初日は徳川ゆかりの寺をめぐった後、国立博物館で開催されている徳川展をみにいった。これはじつはすごい因縁なのである。

 なぜなら、国立博物館は徳川にゆかりの地。

徳川家康が江戸を都に定めた時、天台宗の高僧、天海大僧正は江戸の鬼門をまもるため、上野の山に寛永寺をたてた。

 そう、国立博物館も大噴水も、動物園も、上野の森美術館も、東京都立博物館も国立科学博物館も、上野中学校も、み~んな、かつては、広大な寛永寺の寺域だったのである。
 もちろん江戸最大の寺で、上野のあたりはいろいろな遊楽があることから、一日たのしめるというので、ヒグラシの里、日暮里ときたもんだ。

 寛永寺は将軍吉宗、綱吉などの歴代将軍の半分が眠り、つまりは歴代将軍が文字通り体をはって江戸を侵入してくる魔よりまもっている土地である。

 しかし、この江戸最大の寺も、明治元年の上野戦争により、明治政府軍に焼かれ、烏有にきした。
 上野の山の中心部は新政府に没収され、寛永寺関連の遺構は、上野公園をぐるりと取り囲む形で、かろうじて残っている。

 連休初日、有志数名とともに、この寛永寺の残骸をたどる。
 上野駅をおりると、まず天海の遺髪をおさめた塔にお参りする。天海の体は日光山にあるので、遺髪がかわって東叡山寛永寺を守っている。

 ところが、この遺髪塔のすぐ近くに、あの西郷どんの銅像がある。

 かつて徳川のイメージのみちあふれていた上野は、戦災によってその中心部を失い、西郷どんによって完全にそのイメージが消された。

 今や、上野の顔は徳川ではなく西郷どんである。

 これについては、天海の遺髪塔のそばにあえて西郷どんをすえることによって、天海の呪力を封じる意味があったという。

 次に、京都の清水寺をうつした清水観音を参拝する。
 東郷平八郎の手になる千手観音という扁額がまぶしいが、すべてのいきとしいけるものの命を救うという観音様の名を、軍神がどういう気持ちで書いたのか、その心境をききたいものである。

 そして、琵琶湖のコピーである不忍池におりる。
 寛永寺は比叡山のコピーなので、琵琶湖も、琵琶湖の竹生島にまつられる弁財天もきっちりと、中島に勧請されている。そこから、家康様を神とまつる東照宮にいく。

 この東照宮は五重の塔ともに寛永寺の面影を残す唯一の建造物である。初期の東照宮らしく、天海の紋である三宅輪法がいたるところにみられる。

 次に、寛永寺にいく。 あれ、寛永寺焼けたんじゃないの? と疑問をもつ方は正しい。
 今の寛永寺は昔の残映のようなもの。
 国立博物館の平成館の裏手に昔の繁栄からはほど遠い規模(30名規模)でちまっと鎮座している。しかし、この建物は川越の喜多院から移動してきたもので、当初のものではない。
 ついでにいえばこの寺、まったくやる気がない。何も公開してなくて、ホームページすらない。

あ、こめん、墓の宣伝はしている。

 かつて、将軍家の霊廟だった土地を一般用に分譲しているのである。分譲する際、そこにあった多数の灯籠は全国に散逸し、「東叡山」(寛永寺の山号)の銘はいった多数の将軍霊前奉納灯籠が日本中にちった。

諸行無常である。

 ついでにいうと、この散逸には西武の堤康次郎が手を貸している。先々代の寛永寺の住職が堤さんと懇意だったのだ。

 増上寺についで、堤さんと西武はここでも将軍家の遺産にしっかりくらいついたね。

 徳川家霊廟は公開されていないが、きわきわまで一般の墓地が分譲されているため、そばによって中をのぞき、宝塔を目にすることはできる。このあたりで日が沈んできて、カラスがかあかあないて、ものがなし~い雰囲気になる。

 徳川の御代は遠くなりにけり。
 そのあと両大師(慈恵大師・慈眼大師)をまつる寺を訪れるも、すでにしまっていた。このやる気のなさがまさに天台宗っぽい。

 それから国立博物館の大徳川展にいく。いい加減夕方なので空いているハズ。

 突然ですが、人生には三つの坂がある。

上り坂、下り坂、まさか
 
 まさか。いい加減夕方であるにもかかわらず、入場制限をしていて会場に入るのが一時間二十分まちだという。国立博物館に入るのに、一時間以上待たせる国、どこにあるんじゃ。

 仕方ないので、喫茶店でお茶飲んで時間をつぶして、再びトライ。

今度は三十分待ち。

経済の破綻した国じゃあるまいし、なんでこんな寒空で行列つくらにゃならんのだ。平成館の前の広いスペースはじつは、この人員整理のためのものであったことに気づく。

 素晴らしきかな、日本の文化行政。
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