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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2007/11/21(水)   CATEGORY: 未分類
「いくつかある選択肢の一つ」
ここ数年、学生の口からよく聞く言葉がある。

それは、「いくつかある選択肢の一つ」

具体的な用例をいえば、

「僕にとって△△はいくつか興味があることのうちの一つ。今は××に興味がうつったので、もう△△はやらない。」

てなカンジ。

 就職先とか、勉強内容とか、資格試験とかに何を選ぶかというシチュエーションにおいてじつによく用いられる。

 彼らの言う「選択肢」とやらは、相互にまったく脈絡がなく、何をめざしているのかさっぱりわからない。さらに、この選択肢はじつに簡単に増減する。

 浅く広くいろいろなことに興味を持っているといえば、聞こえはいいが、何かをやりとげるための根気がないともいえる。


 そもそも、学生は人生経験浅いから、対象をみきる能力も、ものごとをやりとげる根気もいまだ備わってはいない。

 興味をもつ対象がやまのようにあるわりに、どこにも着地できないのは、対象に問題があるからではなく、当の本人に問題があるのである。

彼らは、ただひたすら、ネットなどから得られるきれぎれの情報やイメージをもとに、これも違う、あれも違う、といろいろなものを手にとっては、ごうまんにうち捨て、「自分にぴったりあったもの」探しをする。

 「自分」なんて、どこにもないのに。

 育てなければ、自分なんて永遠に何もないままなのに。

 ネットでひろうバッタ情報のつまった脳みそで、ありもしない自分にあったものを追い求めているのをみると、彼らの行く末が不安になる。

 バッタ情報の海におぼれ、転職をくりかえし、離婚・再婚をくかりえしはしないかと。

 人や仕事を天秤にかけるまえにやるべきことがあるだろう。
 まず、自分がどれほどのものなのかを見定めるべきなのだ。

 やり方は簡単。

 もし彼女がほしいんだったら、自分が理想の伴侶に求める条件を言う前に、自分がそのような女性に愛されるような条件があるかを考えることである。

 もしどこか素晴らしい就職先を考えているなら、あれこれ就職先にケチをつけるまえに、自分がその会社の社長だったとして、自分を取りたいとおもうかどうかを考えてみることである。

 こうしているうちに、自分は「いまだ何者でもないこと」に気づくだろう。そして、自分ができないことをできる人を、尊重することができるようになる。(いっとくけど、私を尊重しろとかぃう話ではないですからね)。
 
 私は自分が子育てをしたことがないから、子育てをした女性を尊敬するし、自分が不器用だから、細かいせんさいな仕事ができる職人を尊敬する。文系だから理系は無条件に尊敬するし、怒りっぽいから、温厚な人を尊敬する。
 そして、ささいなことで無意味に落ち込むから、いつでも明るいオカメインコを神だとおもう。

 世の中には自分のできないことをできる人がいる。自分の知らないことを知っている人がたくさんいる。

 これはまさに福音なのである。

 自分とはまさに他者との関わりの中で、他者に必要とされ、他者を必要とする中で育っていくものなのだ。

 どんな人からでも、物からでも、人は学ぶことができる。どれ一つとして、興味がなくなったから、といって否定したり、捨て去ったりできるものはない。

 あれこれいろんなものに手を出しては捨てを繰り返し、不毛な自分探しをするよりも、今目の前にいる縁を大切にして、他者を尊重し、その中で自分を丁寧に育てていくことがよほど幸せな人生が送れるはず。

 人生はメニューのリストを選んでつくるコース料理ではない。

 人や物や情報を商品のように傲慢に扱うものは、永遠にその対象から祝福を受けることはない。
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