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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2007/04/28(土)   CATEGORY: 未分類
怒れる文殊様ヤマンタカ
 某住友銀行(名前いっとるやん)で時間外手数料が無料になるサービスに入っているのに、ATMで「時間外手数料がかかりますがいいですか? 確認ボタンを押してください」てな表示がでた。

 おかしいと思って、翌日住友銀行に電話を入れた。

すると電話センターの住友1(女)が担当の人住友2(女)とやら電話を回した。住友2に事情を説明すると「調べてみます」といって電話を切られた。

 その後住友銀行からまたまた別の女性の声で電話がかかってきて、この女性をかりに住友3としよう。

住友3「あの電話を受けたものがお客様がお金をおろした時間を聞いていなかったようですが」

わたし「午後八時半くらい、どこそこのATMです」

住友3「あの造った時に、小冊子をわたされませんでしたか」

わたし「何を造った時ですか? 目的語が不明ですよ。ワンズプラス(時間外手数料無料サービスのある商品名)にはいった時だったら、確かに何か渡されたでしょうけど」

住友3「その冊子に~の時間帯には時間外手数料がかかると明記してあるハズがですが」

 どうも私が時間外手数料の存在を理解していないがゆえに文句をいっているのだと思っているらしい。

わたし「ワンズプラスは時間外手数料無料サービスしているはずですよ。(怒)」

住友3「すみません。少々お待ちください」(またか)

住友4(男)「すみません、お電話かわりました。○×です(おお初めて名乗るヤツがでてきた)。」

そこでいままでの経緯を話し、ついでにこれまで電話にでたもの対応の悪さとたらい回しのひどさも指摘する。
 住友4はわたしのセリフの一言ごとに抑揚のない声で「大変に失礼しました。」と合いの手をいれるので、クレーマー扱いされているような気がしてはなはだ不快。
あげく「調べてみます」(またか×∞)

 しばらくしてこの同じ住友4から電話がかかる。声の調子がころっとかわっている。

「お客様がワンズプラスに入っていることは確認できまして、ワンズプラスの時間外手数料無料サービスが続いているのもおっしゃる通りです(つまりこちらの話す内容を疑っていたわけかい)。どうも機械の表示の問題のようで、同様のお問い合わせがお客様から相次いでいるようで、こちらからもカイゼンを申し入れています。」

わたし「で、聞くけど、あの『時間外手数料がかかってもいいですか』の表示がでた時、「はい」を押しても手数料はとられないのね」

住友4「はい。でももし引かれているようなことがあっても、手数料お返しします」(頼りない!)
 
話変わって。

今年もギュメ寺の元管長ロプサンガワン師が来日されるとの報せが大阪からある。

 今回はヤマーンタカ(=ヴァジュラバイラヴァ=金剛怖畏)の灌頂だそう。

 ヤマーンタカは文殊菩薩の忿怒形で、ダライラマの属する宗派ではグヒヤサマージャ(秘密集会)、チャクラサンヴァラ(勝楽)、と並んで三大密教経典に数えられている。

 グヒヤサマージャは方便(男性原理)に重きをおいた教えで、
 チャクラサンヴァラは慈悲(女性原理)に重きをおいた教えで、
 ヴァジュラバイラヴァ(ヤマーンタカ)はこの両方のメリットを兼ね備えたものと考えられている。

 じつはこのヤマーンタカの灌頂は前から受けてみたいと思っていた。なぜかというと、私の研究対象がヤマーンタカと浅からぬ因縁があるのである。

オタモード、スイッチ、オン!!

 『華厳経』に基づくと、この世界の東北方には文殊菩薩が法を説く清涼山という山がある。

 この清涼山はかなり昔から、アジアの民により、中国の山西省にある五台山と同一視されてきた。

 この五台山は日本仏教の様々な宗派のゆりかごの地であり、天台宗の円仁や成尋なども巡礼に訪れている

 でもって、17世紀に満洲人が中国を征服した。満洲人は敬虔な仏教徒であったため、中国を手にするといちはやく五台山を聖地として保護し、寺を建立し、三代目皇帝順治帝は死んだのではなく、子供に位をゆずって出家して五台山に入ったという伝説があるくらい大事にした。

 康煕帝も乾隆帝も折に触れ、この山に登頂しては文殊パワーを充電しにいった。それなので、清朝皇帝はモンゴル人・チベット人からは文殊菩薩皇帝(マンジュシュリハーン)と呼ばれていた。

そう、彼らの民族名「満洲」は「文殊」からきているという説すらあるのである。

 で、ヤマーンタカである。

 ヤマーンタカは文殊の忿怒形なので、清朝は護国のポイントにこの仏を祀った。
 

 清朝最大のライバル、西方の遊牧民ジュンガルと闘う時も、北海の瓊夏島の頂上にヤマーンタカの仏像を建立して戦勝を祈願した。

 そして、勝った。

 ヤマーンタカ最強。

 というわけで、清朝のチベット仏教がここのところの研究テーマである白雪姫はヤマーンタカの灌頂を受けて、そのお力にシンクロすることによって、ヤマーンタカ関連のいろいろな情報や資料をひきよせてみよう、というわけなのである。

 研究の前に灌頂を受けるとは、オタクもきわまったね!
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DATE: 2007/04/25(水)   CATEGORY: 未分類
『清実録』に「甲康」とされた「家康」
ある春の日であった。『清実録』をまったりと流し読みする白雪姫の目に、一つの人名がとまった。

「甲康」

満洲人の名前にしては何かヘン。その記事を身を入れて読んでみると、「日本国大君」「日光山甲康霊廟」とあるではないか。

大君(tycoon)とは言わずと知れた徳川将軍の国際呼称。
さらに、「日光山に霊廟」をもつ将軍様といえば、家康である。

では、この甲康は家康か

甲と家は中国語の発音ではイントネーションが異なる以外音は同じjiaだからな。

にしても、徳川家の重要な「家」文字が、かに道楽みたいになっちゃって・・・。

おいたわしい。

そいでもって、この記事の内容をいい加減にまとめるとこんなとこ。

時は崇徳八年三月甲午(西暦では1643年)。

朝鮮国政府から清朝に以下の報告があった。

「去年の二月対馬の倭人(日本人の蔑称)が朝鮮に使者を送ってきた。
 その使者いはく、『日本国の大君(三代将軍家光)が40になっても子供に恵まれないので困ってたが、去年やっとお世継ぎが生まれて「若君」と名付けて(はい、笑うとこですよ)、国中大喜びだって。
 それともう一つ。
 大君が日光山の甲康廟の後ろに祠を新造した。貴国もここ(日光)に祭器とか送ってみてはどう。』
そういわれたので、われわれ朝鮮はいろいろ検討して祭物送りました。」(学者としてかなり恥ずかしい訳)

 
 東アジア世界では隣国の王の葬式に祭器を送るというのはよくやっていたことだが、崇徳八年といえば、清朝の満洲人が北京を占領する前年である。

 かに道楽みたいな名前で満洲人の歴史書に名前を記された、家康とドハデな日光東照宮。東アジアのロマンである。

 そこで、『慈眼大師全集』を見ると、家康の年忌法要の際には、ちゃんと朝鮮使の座がある。

 おそらくは朝鮮から送られた祭物も日光山のいづこかに所蔵されていることであろう。

 今度日光いった時、聞いてみよう。
 で、どっちに行けばいいのかな。東照宮と輪王寺。
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DATE: 2007/04/22(日)   CATEGORY: 未分類
白雪姫の間抜けな新学期

「ごろうちゃんの仏教講座」天海大僧正と江戸をアップしました。見てね(ここクリック!) 


 春まっさかり。春モード全開のごろうちゃん(オカメインコ♂)は、根拠のない自信にみちあふれ、餓鬼道(猫)を襲い、わたくしの頭上に仁王立ちして、自分がいかにエライかについて、考えをめぐらしている。

 頼もしい限り。私の老後も安泰だね(なわけないだろ)。
 
 四月は事務処理が多く、しかしそっちの方面に疎いわたしはいろんなところで不義理をしてしまう。

 ダンナ「あなた、メールは最初の三行しか読まないもんね」

 私「なーんか、最後まで読み通す気力がでないんだよねー。重要なことは最初の三行に書いてくれないと困るよ」(困るのは回りだ!)

 学生A「センセ、就活であまり授業にでられないんですが、証明書だした方がいいでしょうか」

 私「今渡されてもゼッタイなくす。来年の一月、成績をつける時にまとめてだして」

 学生B「先生、先週休んだ分、レジュメくれませんか」

 私「余りがあるから来週持ってくるけど。絶対忘れるから、授業の前日にメールしてね。」

 四年学生C「この授業は就活のあいま、和みにきているんですよ。ここは現実とか社会とかとホントーに真逆な世界ですよね」

 などの気の抜けた会話がわたしのまわりに漂う。
 しかし、いかに怠惰な本性とはいえ、今年はためこんでいたいろいろな出版計画を完遂させねばならない年である。ちんたらしてられない。

 がんばれ、自分。

 土曜日は東急カルチャースクールで行う講座の初日。いつも講座にきてくださる常連の方とのおしゃべり。

 なんとなーく仲良くなっていくのはやっぱり自分と年の近い女性の方たち。社会性のない私とは異なり、みなさん、バリバリ仕事をし、子供をリッパにそだて、書道塾をきりまわす傍らお姑さんの世話もしたりといった、ステキな方達である。

 しかも、手作りのマーマレードをもってきて下さったり、ご自分で焼いた焼き物を持ってきてくださったりとか、女性らしい気配りをしてくださるので恐縮してしまう。
 
 来月は明き教室がないとかで次の講座は六月だが、次にお会いできるのが今から、楽しみ。あ、でも、誕生日が過ぎるから、年一歳くってしまう・・・。
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DATE: 2007/04/18(水)   CATEGORY: 未分類
選挙ポスターの煩悩オーラ
さわやかな季節に醜い政治運動(統一地方選ともいう)をやらんでほしい。

 うちの近所にはうつくしー水路があり、そこでは花桃が盛りを迎えているが、その花桃の前に候補者のポスターをはる巨大な板カンバンがどーんとたち、花桃が隠れてしまった。

 このカンバンがただならぬ煩悩オーラを放っている。

 すべてのポスターが、目立とう目立とう、いい人に見せよう、というコンセプトで造られていることから、おしなべて、不自然かつ偽善的な笑みをうかべ、名前は赤白紅白で巨大に印刷されている。

 これが何十となく連なっているのだから、このうえなくうっとうしい。

 少し名字が難しかったり、画数がおおい人とかは、名前をひらがな書きにしている。こういう候補者って、有権者は「メンドーだから画数の少ない人に投票しよう」とか思っていると思っているんだろうか。そう考えるべきだよな。

 破綻した夕張市の市長選には外部から何人もの立候補者がきて、そのうちの一人は「就活の一環として市長を目指す」とかいっているのを聞くと、政治家になる目的を「飯を食うことだ」といばってっいっちゃいかんよ。

 貧すれば鈍する。こんなのが市長になりたがるなんて、夕張も大変だと思う。

 もてたいモテタイと思う男や女が、その浅ましさにドン引きされて、結果としてもてないように、大音声のスピーカー街宣やっている候補者とか、あまりにもあさましい作り笑いしているポスターの候補者とかにも入れる気がしない。

 指導者の条件とは、私欲をおさえ公につくし、理想につっぱしりすぎることなく、さりとて薄汚い現実にまみれることなく、バランスよい判断ができること。

 でも、もうポスターみているだけで、この人たちのうちの何人かが、

「税金をつかって身内だけがもうかるしくみは、ある意味共産主義国家ですよなあ」みたいなこと言うこえが聞こえてきたり、

 彼らが視察旅行と称してエジプトにピラミッド観光とかにいって、そいでもってそれを非難されたら、「古代エジプトの智慧にならって福祉政策を考えてきました」とかいい加減ないいわけいいそーな気がしてくるから不思議だ(偏見)。

  前にニュースでみたけど、和歌山県かどこかで、議員年金を減額する決議が通ったら、「だったら、減額されないうちに退職しちゃえー」と任期を一ヶ月くりあげて退職する議員が七人もでたという。

 それをまわりから指摘されると、「年金満額もらうための退職です」とリッパに認めた上で、「一ヶ月早く退職して余分にもらえる退職金は一年につき20万円。最後の月の給料は60万円なので、三年以上生きないと得しないわけです。私は80才、三年以内に死ぬかも知れないんだからいいんじゃないですか。でも損か得かっていったら、今になって考えると損したねえ。」

このインタヴューをとっている小娘キャスターもどこからつっこんでいいのか絶句しとった。

この人の判断基準は、人としてとかモラルとしての善悪ではなく、「損か得か」らしい。

しかし、最後の一言みると、さすがにこの議員、私欲に走った姿を全国にさらして自分の名前を落としたことに気づいたらしく、20万とひきかえに失ったものにやっと思い至っている。

 しかし、あんた80にもなって、こんな簡単なこと、云われるまで気づかなかいんかい。とテレビにむかって一人つっこみを入れる。

 こんな人か゜四期も政治家になれるんだから、地方政治ってすごい。

 地方の時代とか、ローカリズムってこういうオジサンたちを再教育してからやった方がいいんじゃないかな。
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DATE: 2007/04/15(日)   CATEGORY: 未分類
ぶっせん(仏専)
 京都の居酒屋「和知」のご主人から、インフルエンザ見舞い(たぶん)に、『ぶっせん』(三宅乱丈作 大田出版)『とりぱん』(とりのなんこ 講談社)というマンガを頂戴した(ちなみに、これ以外にもお店手製のサバの薫製に、「空間」があったからと薫製にあうワインまで頂戴。ひたすら恐縮&ありがとうございました)。

 で、『ぶっせん』。

 これはもうおかしくておかしくて、涙流してバカ笑いしながら読んでいたら、ダンナは私がまるでインフルエンザの副作用でおかしくなったかといわんばかりに気味悪い目でみる。

 そりゃー少しばかりキてるかもしれないが、おかしいのは私の頭ではなく、このマンガ。

 物語の舞台は、臨済宗の貧乏寺、仏物専寺。歴史と伝統はあるが金はない。山の麓の金腹腹寺は真言宗なので現世利益でお金は潤沢、政治力もある。

 この食べるにことかいた貧乏寺の雲信は、仏教の専門学校(ぶっせん)を開いて授業料を集めてなんとかしのごうとする。生徒として集まってきたのは大学おちたりして行き場のない八人の若者たち。
 
 この八人がお約束で揃いも揃って○カばかりで、しかし○かさ加減も全員それぞれ特徴があって笑えるのだ。校歌は般若心経、視聴覚室は座禅堂、庫裡は職員室、女人禁制は男子校、校則は不殺生・・・。誰がみてもとただの修行生活を無理矢理学校生活と思いこまされ、生徒たちはここで二年の月日を過ごす。

  しかし、そうやって雲信がいかに苦労しようとも、集めた授業料は老師や居候の山伏(なぜ禅寺に山伏がいるのか永遠の謎)丸慶などに、キャバクラなどで消費され、生徒にだす食事にも事欠くように。

 結果、町の人から「ぶっせんの生徒がゴミをあさって困る。早くでていけ」とかカラスなみの扱いを受けることになる(笑)。

 この八人の中でももっとも○ホなのは、金持ち寺金腹腹寺から送り込まれたスパイの正助。たらこ唇に大きな目がチャームポイントで、とにかく超ド級の○カ。スパイ活動どころか、ぶっせんの生活になじんで、金持ち寺に帰ればごはんが食べられるのに、碁石をなめて空腹をしのいでいる。

 金腹腹寺の阿闍梨の四人の娘たちとぶっせんの生徒たちの恋模様あり、貧乏寺の和尚の一番弟子雲信と金持ち寺の一番弟子貞奉のいがみあいつつも時折みせるほろっとくるような友情あり、決して品がいいとは言えないが、ええ話が満載である。

 どこからみても仏教とは縁遠いどたばた喜劇シモネタマンガであるが、95話の連載の間に三回くらいは、ものすごくいいことを(キャバクラ)老師がいう。
 
 たとえば、最後に、貧乏寺をつぶして道路ができることになり、必死で寺を護ろうとする雲信をしりめに、老師はさっさと寺の土地を売り飛ばす(笑)。

 怒り狂う雲信に対して、老師は、雲信の中にある寺の存続に執着する心、「自分が一番正しい」と知に働いていてばかりのおごりの心をカッパする。

 そう、いい加減なようでも、老師はちゃんと雲信の先生なのだ。

 結局、ぶっせんはなくなり、老師はタヒチに遊興に旅立ち、生徒はそれぞれの道にすすむ。

 ぶっせんには何の意味もなかったのであろうか。

 雲信が当初考えた、般若心経を覚えること、座禅を組むことをぶっせんの目標と考えれば、ぶっせんは無意味だったことになる。

 しかし、八人の生徒が貧乏寺の仲間とのふれあいの中から仲間を大切にすることを覚え、また、一人の教師(雲信)が自分の心がなにほどのものかを自覚することができた、ということを考えると、決して無意味であったとはいえないと思う。

 仏青(ぶっせい)とぶっせん、何か音が似ている。

 諸行無常は世のならい。仏青がつぶれるようなこともあるかもしれない。そして、その時は老師も云うように、それを受け入れることも大切なのかもしれない。

 でも、今ここに仏青がある間くらいは『ぶっせん』のように「みんななーかーよーくー」(by 正助)何かを学べる場であるといいなと、思う。

 えらく身につまされるお笑いマンガであった。(※仏青のメンバーは頭いい子ばかりです。)
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DATE: 2007/04/11(水)   CATEGORY: 未分類
しぶとく復活!
おかげさまで、覇気がない以外の点ではほぼ平常に復しました。

タミフル、マンセー。

病気の時には何かとても思考が暗くなり、ウツウツとしていたが、病気が治ると単純なもので思考もあかるーくなってきた。

笑ってようが泣いてようが時間は進むなら、笑っているにこしたことはない。

病気で寝ている間は頭をまったく使わず気が紛れることからおもにマンガを読んでいたが、少しよくなってきたら、落語を読んでいた(聞くじゃないのよ)。

笑いは体にとてもいい。十歳の頃から手元にあってぼろぼろの落語本は、今でも読めば笑えてじつにお手軽な健康法。

実は、この本、私が十歳の時にはじめてかった文庫本である。

はじめての文庫本が小説や哲学書でないところに栴檀は双葉より芳し、三つ子の魂百までを感じて欲しい。

興津要先生が校訂した講談社版で名著である。上下巻からはじまり、続、続々、続々続とまるでインフルエンサのようにゾクゾクで続いて、最後の大尾に至るまで全シリーズを買った。

なんで十歳の子供が落語本なんかを喜んで買うのかといえば母の影響だろうか。私がまだ小さかった頃、私の枕元で母は夏目漱石の『坊ちゃん』とか、中国の古典とかを読み聞かせてくれた。いつも笑いが絶えない枕元だった。

ちなみにウチのダンナが最初に買った大人の本は、なんだったかサルトルだかカントだか哲学書だとかいってたような。

いやだね、暗くて(まる子風)。

人生は所詮無意味なんだから思い悩んだらウツになるだけ。ウツになったら自分も苦しいし回りも見ているのが苦しいので百害あって一理なし。

落語でも読んで笑って暮らしていれば、少なくとも自分一人は幸せにできるし、幸せになったその一人はもう一人二人くらいは幸せにできるかもしれない。

刑務所をイモンでまわっている落語家がいたけど、彼のやっていることは本能的に正しい。と思う。

まあ、すべて人を幸せにできるのは神様仏様ダライラマ様くらいだとしても、フツーの人だって性格が少しでも明るければそれなりの幸せを人の分け与えることはできる。

笑う門には福来たる。

インフルになる数日前、わが家に巣をかけていたキジバト夫婦が烏に襲われて孵化間近の卵を全部食べられてしまった。追い払ったけど間に合わなかった。カラッポになった巣に片割れがもどってきて呆然としている姿がかわいそうでショックだった。

そのあとくらーい気持ちになったのだが、しばらくしてあのキジバトの夫婦とおぼしき若いまだ小さな鳩の夫婦が餌付け場に姿を現した。そのあと、雄が雌にむかってプロポーズの歌を歌っていた。

 人間はショックでうちのめされているのに、当事者の自然はたくましかった。

 人間だったら臨月の妻が暴漢に襲われて妻は助かったが子供は流産とかいったら、その夫婦、怒り狂ってその暴漢をおいつめてリンチ殺だろう。

 キジバトの夫婦は烏に復讐せず、季節の恵みの中で新たな命を育むことを何も考えずに選択した。

 この場合、いろいろ考えて復讐に走る人間がえらくて、鳩がアホと言えるだろうか。わたしは鳩がエライと思う。幸せはなったもん勝ちなのである。

 あのキジバト夫婦も今度は注意してカラスに巣を知られないように気をつけるだろう。今度は彼らに可愛いヒナが誕生することだろう。
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DATE: 2007/04/08(日)   CATEGORY: 未分類
B型インフルでした(確定)。
というわけで、お医者さんで検査してインフル確定となりました。

 今日は御花祭りだというのに、近所のお寺にでかけていく体力すらない。仏青の応援にいくこともできない(みんなごめん)。

 投票はどうしよう。初めての棄権も考えたが、税金の使い道に口を出せないのもくやしいので這ってでもいく。

いまもつらいけど、かかった直後はつらかった。
なにせ、初日の記憶がほとんどない。

でもブログ見たらブログは書いていたのには笑った。ははは。

急性期に入る前に、辞書を引いていたのだが、何か捜している単語がみつからない。急性期を脱した後ひいてみたら簡単にみつかった。

急性期の最中おかゆをつくろうと思ったら、米袋が見つからない(米びつ使え!)。さんざん捜したが、結局目の前にあるのに見えていなかったことに気づく。

よくヒマラヤ登山とかで靴を履くのにも一時間かかる、という話があるがよくわかる。脳みそやられて、当たり前の動作が当たり前にできないのだ。

こりゃタミフルなんか飲まなくてもインフルエンザだけで十分異常行動はとれると厚生省のいうことにも納得。

インフルエンザって急にきてすぐ動けなくなるので、備えがないとたとえば、食事もつくれないからそのまま空腹のまま、薬もなしでのたうちまわるということになる。

わが家は高熱がでると漢方薬とかなんとかを組み合わせて速やかに熱をさげるテクニックが確立しているので、そんなにえぐいことにはならないが、せめて初日の食事くらいは誰かに造ってもらいたい(ダンナが不在の場合)。

 初日の対応次第で一週間寝込むか二日で立ち直るかの差がでてくるのだから(今回は初動で失敗)。

わたし「ホテルに転がり込んだら、ルームサービスでおかゆとかとれるし、医者も往診で呼んでもらえるかも。でも、みるからに高熱だしてへろへろな客がきたら、あなたがホテルマンだったらどーする」

ダンナ「そりゃー他のお客さんの迷惑になるので、そんな危ない客は満室だといって断るね。自宅で電話予約をいれてから行けば断れないよ」

わたし「そうだね。でも、昨日のあんな状態じゃタクシー会社やホテルの電話番号捜す間に倒れるから、普段からホテルとタクシー会社の電話番号目立つところにはっておこう。」

ホテルにとっては実に迷惑な防御策が始動したのであった。

昨日(土曜日)はずいぶんよくなって一日熱がでなかったので今日くらいはもうすっかり大丈夫かと思ったら、今朝からまたゾクゾクしだしてくたっとしてきた。

ちなみにわたくしのへーネツは36度なので、37度でくたっとする(根性なし)。
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DATE: 2007/04/04(水)   CATEGORY: 未分類
インフルエンザになった(たぶん)
うう、つらい。

昼食のあと突然、寒気がはじまり、鼻水がで、節々が痛み始めた。

思えば、前に私が提唱した風邪の前駆症状、ここ数日全部でている。

http://shirayuki.blog51.fc2.com/blog-date-20070202.html

四日前、庭の梅の木に肥料をやっている最中に枝に3回頭をぶつけた。

二日前、市谷に行こうとして、目黒線に乗ろうとしたのに、なぜか東急線の駅ににいき、気がついたので戻って目黒線に乗ったつもりが三田線で、おかげで40分遅刻した。

そして、今朝、ごろうちゃんの例のお茶わんを(前回の風邪の際破損)、ちょっとだけど欠いてしまった。


たぶん、昨日修論クラスのながーい論文がほぼ仕上がったので気が抜けたんだな。

よく一戦で働いている方が忙しいと風邪をひかない、風邪をひくのはたるんでいる証拠というが、そういうワーコホリックな人は中高年のうちに脳か心臓をやられると思うので、次の仕事にすぐかかるような愚行には手を染めない。

うう、つらい。

ちなみに、これ同情して欲しいとかで書いているのではないのでお気遣いなく。

私の提唱した風邪の前駆症状に関する理論が今回有効であったことを言いたかっただけ。

ちなみに、ごろうちゃんには伝染さないようになるべく遠くにいてもらうので、ごろうちゃんファンの方ご心配なく。

寝ます。
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DATE: 2007/04/03(火)   CATEGORY: 未分類
返済はお早めに、新歓は気長に
仏青の新歓を入学式のある初日に見に行った。

キャンパス内はとにかくすごい人混みでゆっくり話を聞いてもらえるような状態ではない。

学生に聞いてみてもサークルどこにはいるか決めたのは、三日目か四日目以後で初日はそのような余裕はなかったとのこと。

それでも、規模の大きいサークルは人数にまかせて新入生を囲い込み、無理矢理登録させている。しかし、こちらは人数もなければ、おしつけがましいこともできない。おとなしい文学青年揃いで、あのような勧誘は無理。

 新入生はようは高校生で何も知らない状態だから、自分が何をやりたいかなんて決まっていない。だから強引に勧誘されたら、スーパーフリーだろうが、○理だろうが、ねずみ講だろうが何だってついていってしまう。

一方、歴史と伝統ある、学術サークルは彼らにとって素晴らしい体験の場なのに、構成員がみなおとなしい勧誘しかしないので新入生がこない。

中国古典研究会も死滅状態だというし。

 歴史はありそんなに悪いことしていないし、存在意義もそれなりにあるにもかかわらず、時流のとばっちりを受けて退潮しているすべての団体の気持ちがよくわかってきた。

定員割れ寸前の地方の歴史ある私立大学とか、日本共○党とか(ヨソの國の共産党はいろいろしてますが日本はそんなにしていないよね)。

 つくづく思うのが、社会人部員もOKにしてくれれば、一発で定員うまるということ。そもそも仏教思想を学びたいとか思うのは、思考が成熟した大人になってからのこと。ついこの間まで高校生をやっていた子たちに、興味をもてといっても難しい。

 しっかーし、このように「なぜ仏青が退潮するのか」という後ろ向きなテーマについてのみ、いくつもの理由が思い浮かぶのは、思考が内向きで、自意識過剰になり、非生産的きわまりない状態になっている証拠である。

ので、ノーミソを外向きに解放してみましょう。
そこで思いついたのが以下の四つ。

(1) ハンカチ王子か愛ちゃんに入部してもらう。

(2) 私が「早稲田大学仏教青年会」というお笑い小説を書き、話題造りをする。

(3) 個人情報保護法の網の目をぬって、学生の個人情報を集めまくり寺に関係する子弟をリストアップして集中的に勧誘する。

(4) 文学部と教育学部の一階の掲示板に五枚ずつ、毎週まじめにポスターをはり続け、気長に新入生の連絡が入るのを待つ。

(5) 私が大教室の授業で泣きを入れる(今年から文学部の授業がなくなったのがイタイ。個人的にはラクになったけど 笑)。

(1) から(3)はかなりハードルが高いな(つか無理?)。
やっぱ、(4)か(5)あたりに落ち着くか。

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