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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2007/01/10(水)   CATEGORY: 未分類
徳川ゆかりの寺の紋章
太陰暦に近い暦で動いていた昔の日本やチベットは、十五日、すなわち満月までお正月を祝っていたが、太陽暦になった今、十五日までやる意味はなくなってしまった。


年々短くなる日本のお正月気分は四日くらいになると薄まり始め、十日の鏡開きの今日ともなるともう名実ともにお正月は終了。

 形ばかりの小さな鏡餅を飾っていたので、これを開こうと思うのだが、開けん。
「押すだけポン」という、餅が簡単にとびだすことをうたい文句にした商品なので選んだのだが、そもそも底のふたが強固にひっっいていて剥がれない・・・

 ジャム瓶とかのふたがはずれない時も思うのだが、今の私ができないなら、年とった人はもっとできないわけで、今全国のお年寄りがこの「押すだけポン」があかなく困っているかと思うと、鏡餅はやっぱどんなにひび割れようと、カビが生えようと、ナマの鏡餅を飾り、ジャムは手作りにして瓶につめずにタッパーにいれた方が正解だ。

 そういっているうちに底ふたがはがれたが、今度は押してもでないよ・・・・。

 このお正月は将軍様に関係する有名・無名の様々なお寺をめぐった。東京のお寺は徳川政権のもとで発展を謳歌したものの、徳川の世の終焉とともに、日本の文化大革命、明治元年の神仏分離令、ならびに、昭和二十年のアメリカの空爆(東京大空襲ともいう)で、ほとんどの寺が被害にあっておりひどい場合は廃寺となっている。

 文化大革命と空爆のどっちが彼らにとってきつかったかというと、やはり「徳川の代の終わり」の方がつらかったようである。

 そうだよねー、徳川がバックとなった寺檀制度にまもってもらっていたのが、突然徳川さんがいなくなっちゃったんだもんねー。空爆はだめ押しですな。

 さて、私がこれらのお寺を回って何をやっていたかという、瓦や賽銭箱や提灯やお墓においてある手桶にくっついている、そのお寺の寺紋を採取していたのだ。寺という建物が、文化大革命でやられようと、空爆でやけようとも、寺紋は変わらない場合が多い。

 それは寺のシンボルであり指紋でもあり、寺の歴史をつたえるインフォマティブな紋章なのである。

 たとえば徳川の祈願所やご膳所になっていた寺は葵の御紋がマークになっている。また、国家鎮護系の修法を行っていた天台系の寺は、金輪がシンボルにはいっている。そこに宮様が絡むと、仏教(金輪)+皇室(菊)=天台宗輪宝という寺紋が生まれてくる。

 この寺紋をもつ天台宗系の寺院はいろんな意味で面白い。

こうやって採取した寺紋写真を寺紋のところだけ切り取って並べるとグルーピングが楽になる、また、グーグルの画像検索でいってないお寺の寺紋が分かることもあり、つくづく便利な世の中である。


 あと、そのお寺の縁起のパンフレットも集めているのだが、どの寺もお守りとかお札とかはみえるところにあるのに、その寺の縁起を書いたパンフレットが表においてあったのは、上野の聖天さんだけ。鍵をかけた金庫から出してくる場合もあり、ひどい場合は、パンフレットつくってないところも多い。

 やる気ないんだろうな。

 もっと素材が集まったら、「将軍様の寺の寺紋」特集をやってみたい。 

そうそう、将軍様だけだと、「北の将軍様」がまっさきに頭にうかんでイメージ悪いので、「徳川将軍の寺」っていわなきゃね。
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