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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2006/12/16(土)   CATEGORY: 未分類
坊主好きなら袈裟まで好きよ
 木曜日は仏青の今年最後の例会である。部員の中でもきっての仏教オタク、もとい仏教通の破顔君による「お袈裟の話」を聞く。
 
 お袈裟とは言わずと知れた「お坊さんの衣」のこと。仏教を学んでいる人をその他の人から区別する"印"であり、破顔くんによると「カンバン」みたいなモノという。

 袈裟という言葉はkasayaというサンスクリット語にそのまま音が同じ漢字をあてただけなので、漢字の字面をいくらにらんでも何もでてこない。kasayaはじゃあどういう意味かといえば「濁」「壊色」など、ようは「誰もが美しいと感じる原色・純色ではない、地味でまざった(きちゃない)色」という意味。

 仏教の目標は醜いエゴを克服すること。

 そのためには可愛い自分をいっそう可愛くおもってしまうような美しい髪や自分をステキにみせちゃうような綺麗な服を着てはいけない。だって、異性はよってくるわ、自我は肥大しまくるわでエゴの克服どころではないから。

 だから、お坊さんは髪の毛をおろして、できるだけ地味な色(壊色)した飾りのない、金銭的にも価値のないボロ布つぎあわせた服、すなわち袈裟をきる。

 「え、じゃあ偉い人のお葬式の時とかにやってくる偉いお坊さんが着てる金襴緞子のうつくしーい袈裟(一千万円也)は袈裟じゃないじゃない。」

という疑問をもったアナタ。アナタは正しい。

 破顔君が『道元禅師のお袈裟』や『方服格正』をもとに語ってくれた話は、そのあと飲酒によってかなりな部分が飛んだものの、覚えている範囲内で再現するとこんなとこ。

 曹洞宗には「"今ここにある袈裟"でいいじゃん」派と「律に書いてある通りにつくったお袈裟にしようよ」派の間でいろいろな争いがあった。そしてその争いの結果、どっち派としても不徹底な現行の袈裟へと落ち着いた。

 そのような現行の袈裟に満足できないオタクな彼は、律の規則にかなった(如法)お袈裟をつくるためにサークルにかよって、五条袈裟、七条袈裟(三衣のうちの二つ)を手縫いでし上げた。

 彼の手にする、縫い目も白くあざやかな手縫いの袈裟は、静かな迫力がみなぎっていた。

 さらに、彼の話は袈裟の下に着るもの(衣体)まで及ぶ。

 袈裟の下には、上に褊衫(へんざん)、下にスカートのような裙子(くん)をはく、後にはこれが合体して直接つづられた直綴(じきとつ)という衣も現れる。

破顔くん「チベットのお坊さんが着ているのは、この上下がつながった形式でしょう?」

わたし「お坊さんの袈裟の下がどうなっているかなんて知るわけないでしょう。てか知っていたらまずいでしょう。もちろん僧衣ってパルコルで売っているけど、俗人が僧衣を手にするのってバチあたりそうで何か怖いよ」

破顔くん「大乗仏教では俗人でも袈裟をつけますよ。聖徳太子の孝養像って袈裟まとっているじゃないですか。俗人じゃないけど、パドマサンバヴァも袈裟はおっていますよね」

わたし「言われてみればそうだね。パドマサンバヴァ(8世紀にチベットに密教を伝えたインドの行者)はわっかのついた袈裟をつけていた。聖徳太子と微妙に時代も近いし、あの時代は居士やフルセットの戒律を実行していな密教行者でも、袈裟をまとうのはアリだったのかな」

このあとは今年最後ということでみなでお食事会。

「どことは言わないけど、ウチの言うことを信じなければ救われない、うちとこ一番っていう、よくいえば専心型、悪く言えば原理主義型の宗派は困ったもんだよねー。キリスト教じゃあるまいしねー」とあれ狂う(このせいでお袈裟の話がずいぶんとんだ)。

今年も地味に一年が終わる。来年も再来年もきっと地味なことだろう。最近はなんかこれでいいような気がしてきた。

だって「仏教」なんだもの。

 末筆になったが、破顔君の「不捨室雑録」は仏教マニア必見のインフォマティブなぶろぐです。みんな見てね。
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