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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2006/12/12(火)   CATEGORY: 未分類
師走で走らない「センセ」もいる
正月の高級食材が値上がりしたとかで騒いでいるが、正月にトロとか食べるな。

昔は質素な生活をしていたから、年に一回盆と正月に家族が集まって普段は手が出ないごちそうたべて家族の絆を確かめるという意味があった。

この飽食日本で忘年会で疲れ果てた肝臓に、おせち料理に大トロなんか食べたら、一億そう糖尿だわい。

正月はクリスマスと忘年会の暴飲暴食で疲れた胃腸を休めるため、みなで庭の雑草でもいれた雑炊でもすすれってんだ。

その方が地球のためにも健康のためにもいい。

え、なんで荒れているかって? 答えは簡単。

師走は「先生が走る」と書く。
しかし、少なくとも私の研究はデッドロックにのりあげ、走るどころか、盆暮れの東名のインターチェンジより渋滞しているのだ。

歴史研究というものは本来はとても面白いものである。
大量の史料をよみ、その史料が提供する情報を批判的に純化しつつ、ある時代に特定の歴史的事象を再構築する。

ほってほって遺跡を探し当てる考古学を、史料の上でやっていくと考えてみればわかりやすいかも。

というわけで、本来はとっても楽しいはずの歴史研究であるが、複数の信頼できる史料間で提供する情報が齟齬をきたす場合、ないしは史料の欠乏により肝腎の部分がわからない場合、一転してイライラの日々となるのである。

ま、限られた史料で歴史的事象を再構成する場合、研究者がよく落ちる危険なワナは、「とりあえず今ある情報同士が矛盾しないようなストーリー」を創ってしまうこと。

 でもまだこれはいい方で、一番いけないのは、そこまでいう根拠もないのに「予断に基づいたストーリーにそって情報を並べる」こと。

 これらを犯罪捜査でたとえると、勘によって容疑者逮捕して、容疑者を取り調べで絞り上げてえん罪つくっちゃう刑事だし、ネットの世界だったら陰謀史観かたるような人と同じレベルになる。

 それだけは避けたい。

 「ここまでは分かった。ここから先は新しい史料がないとわからない」歴史研究とは実はそのようなものが大半となる。

 だから、ある一つの歴史的事件が起きた場合、そこにたった一つの原因・理由のみを断定的にあげるような研究は要注意であり、「~の理由の一つ」「~と思われる」「~の視点に基づいた場合」「この史料の示す限りにおいて~である」などといった限定的な表現を用いる研究者の方が、往々にしてクレバーな場合が多い。

 今の私の場合、過去を再現するにたるほど史料がのこっていないため「ここまではわかりました」論文にするしかない。

 しかし、やはり何か「見落としているものがあるのではないか」もう少し「クリアな像が描けないか」などと思うと見切り発車ができない。
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