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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2006/12/31(日)   CATEGORY: 未分類
女性を粗末にした超人の末路、ってまだ死んでない
今年11月、ダライラマ猊下を日本にお呼びした某くんと電話で話す。

某くん「ダライラマ猊下の招請とか自分でやるもんじゃないですね。誰かかお呼びしたのを遠くから見るからいいんだということがしみじみ分かりました。もう大変でした。これほど大変とは思わなかった」

わたし「だから百万遍いったじゃない。そもそもアナタこういうことやるのにまったく向いてない性格だし。でもアンタ全然私のいうこと聞かないんだもん。これからは回りの人を大事にするんだよ。」

某くん「今はもう静かにしていますよ。へへへへ」

わたし「ところで約束のダライラマ猊下のサイン入り色紙、早くおくってね。仏青の仏壇に奉納するんだから。くるまでストーキング・メール送り続けるからね。」

某くん「わかりましたよ。送りますよ。ところで祖母がなくなったんです」

わたし「じゃあ忌中か。ごめん、年賀状だしてしまったよ」

某くん「で、ボク住所変わったのは知ってましたか」

わたし「知らん。じゃあ、年賀状つかないからいいか」

というわけで、今年も終わる。

大掃除もまったくせず、おせち料理もできあいのものですませて、かわりに、年越しにしたくない仕事をバリバリやっているつもりだが

 いつのまにか、ツタヤからDVDかりてきて「スーパーマンリターンズ」とかみちゃうのですすまない。しかも長いんだこれ。

 わたしスーパーマンってあまり好きでない。

 あれだけの力をもっていたら、9.11とかイラク戦争とか起きないようにしたりとか、北の将軍様をどうにかするとかできそうなのに、いつもアメリカ人の個人、とくに自分の恋人ばかり助けてるし、

 あまりにもスーパーな力をもっているから、人間が彼に依存して無能になっていてくし、全身タイツだし、容貌がいかにもアメリカ人の優等生って顔でなんか共感もてないし(宇宙人だけど)。

 ところが、今回のスーパーマンはわたくしの↑このような疑問に見事にこたえてくれるものだった。

 まず、9.11の時WTOで4000人だっけが死んだ時も、インド洋大津波で20万人も死んだ時も、イラクで米兵が何千にも死んだ時も、スーパーマンがこなかったのは、彼この五年間地球にいなかったの。かれ「自分探し」の旅に出ていたから(爆笑)
 で、アメリカ人しか救わないという疑問については帰ってきてからのスーパーマンは世界中の人々を救ってくれている。

 失敗国家の国民が先進国に依存するように、人類がスーパーマンに依存して自分で努力しなくなるという問題については、

 スーパーマンに●×逃げされて五歳の息子を一人で育てねばならなかった恋人のロイス・レインが、「スーパーマンが世界になぜ必要でないか」という文章でピュリッツァー賞をとったりしていることで、答えられている。

 げに女は恐ろしい。

 世の男性諸君! くれぐれも女性を粗末に扱ってはいけない。粗末に扱うと、たとえスーパーマンであっても、今回のように半殺しの目にあってしまうのだ。

 そういう含蓄あるお話だった(チガウて)。

 どうでもいいけどWBって、どうしてああテーマソングがあほっぽくて、脚本が甘いんだろ。文句言っているわりにはよく見るけど。
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DATE: 2006/12/27(水)   CATEGORY: 未分類
仏青のトホホな一年を総括
 今日の新聞に、犬とイノシシのツーショットの写真がのっていた。

 今年の干支の犬が、来年の干支のイノシシに役のバトンタッチをするというセレモニーのニュースである。

 無理矢理向き合わされた白い犬とウリ坊(イノシシの子供)はとても迷惑そな顔をしていたが、わたしは別の意味でうらやましかった。

 犬とイノシシの間ですら、役のバトンタッチがなされているというのに、仏青の幹事長の座は、人間同士の間だというのに、バトンタッチがなされていなかったのだ。

 わたしは今年の前半時点で、仏青の幹事長はまじめなねもっちに交代したものと思っていた。ところが、いまだ幹事長の座は、あの仕事全然しない前幹事長のままであったのだ・・・。

 前幹事長とはまったく連絡がとれないため、何の事務処理もすすまず、あたらしくはいった部員は今にいたるまで部室に入れない状態が続いている。新入会員が増えないはずだ。

 つまり、仏青の今の状況は、外資を導入しようといくらがんばっても、インフラの整備がなっていないので、外資が入ってこない失敗国家のようなものである。


 前幹事長は幹事長になりたくなかったらしいので、一概に彼を責めるわけにもいかない。しかし、その幹事長を解任してあげるという最低限の事務にすら協力しないのだ。それをすることで回りにどれだけ迷惑をかけるのか、そういうことすら気が回らない男なわけで、普通に考えても、人となりにかなり問題がある。

 しかし、一番の問題はこのような状態になっても、それを放置して手をこまねいているといところにある。状況があまりに深刻だとかえって人はその状況を直視したがらないものだが、今の仏青はまさにそんなカンジ。

 学生サークルとはいえそれを運営するためには、そこそこのペーパーワークが必要であり、それをこなさないと、今回のように新入会員が部室にはいれなくなったり、部室をとりあげられたり、新入会員募集活動ができなかったりといろいろな不都合がおきる。

 書類仕事の渋滞は、廃部へまっしぐらにつきすすむ一本道なのだ。

 一年前、仏青を応援しようとおもった時には、「進むべき道をみなで考えてつくっていき、わたしは人を集めればいい」と単純に思っていたが、今は、そんな単純な問題でないことが身にしみてわかってきた。

 「廃部」という二文字が妙に現実味をおびてくる年の瀬であった。
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DATE: 2006/12/26(火)   CATEGORY: 未分類
土砂降りの中、貴重書の宝庫へ
 月曜と火曜日は、1637年に盛京(瀋陽)に建てられたチベット寺(實勝寺)の碑文の拓本をみに東洋文庫にでかける。

 ここには、目当てとする碑文の拓本が二セット所蔵されており、一枚は紙がぼろぼろでインクもかすれかすれ、しかしてもう一枚は比較的紙もあつくてインクもこい。「じゃあ後者のみみればいいじゃん」という人はあまい。

 ボロいということは古いということで、前者の方が明らかに前にとられた拓本で、後者で読めなくなっている文字が前者では判読できたりする。なので、結局、両方を見くらべることになる。

 碑文は満洲語・モンゴル語・チベット語・漢文の四体合壁で、一つの単語の一部がかすれてよめなくても他言語でそこに対応する単語をみれば、そこにあてはまるべき単語を復元することが可能となる。パズルのような、面白いが、かったるい作業である。
 
 この作業が終わると、1914年に出版された北京・熱河のチベット寺の拓本集にとりかかる。この本非常に希少で特に一巻はここにしか入っていないのだ。

 東洋文庫、実はこのような貴重書のコレクションで世界的に有名なのである。しかし、昨今経営不振で常勤の研究員は一人もおらず、山のごとくある貴重書は他の本と同じ部屋でホコリをかぶってほりだされている(ちなみに同じクラスの本が、私大の図書館とかにあったら、音頭湿度が管理された貴重書室で宝物のように扱われている)。

 東洋文庫が所蔵しているものが、壺とか絵画とかだったら「寄附でもしようかな~」という酔狂な金持ちもでてこないとも限らないが、何しろここのウリは英語とかロシア語の18世紀の研究所や、ペルシア語・アラビア語・満洲語・モンゴル語の書籍類なので、金持ちの心まったく動かず。

 でも、史料ってある意味、ツボよりも、絵画よりも、仏像よりも貴重なんだけどね!

 とにかく、金持ちは金の使い方をわかっとらん。

 去年のいまごろ、ホリエモンが拘置所生活がまっているとも知らずに暮れの番組の中でのたまっていたセリフを覚えているだろうか。
 「宇宙旅行にいく」とか「総理大臣になる」とかのたまっていたのである。

 わたしはその時思った。

 この男、ちょっとでも公共の福利に供するとか、芸術や文化を支援するとかいう発想がないのかと。

 労せずして手に入れた薄汚いあぶく銭なんだから、せめて使う時くらいは綺麗なことにつかってみろっつの(これがホントのマネーロンダリング)。
 
 彼がもう少しまともなことに金を使っていたとしたら、彼が拘置所に入ったあとも、メタボリック男とか、とっちゃんぼーやとか、恥知らずとか、内臓脂肪とか、カバとか言わないでやったのに。

  彼は「金で買えないものはない」と豪語していたが、実は彼が拘置所に入る前と後の行いで失った「人物評価」とは「金で買えないもの」の最たるものだ。

 才能も美徳も行動力もチャンスも、みな金で買えるものではない。

 かりに金の力で、社長とか弁護士とか医者とか教授とかの肩書きを手に入れたとしても、その名(肩書き)にふさわしい実(内容)がないと蔑まれるだけ。

 いくら自分はえらいと思っても、誰もそうは思ってくれないのである。

 世の中の人は往々にして「名を手にれてよし」とするが、実のともなわない名ほどみっともないものはない。
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DATE: 2006/12/22(金)   CATEGORY: 未分類
クリスマスうんちく大全
 昨日はゼミのクリスマス会。
 ゼミ生から「先生24日のご予定は」と聞かれて最初なんのことか分からず。
 しかしよく考えてみれば、「誰と過ごすか?」と聞いていたのだ。

 この場合「誰」とは恋人とかを意味しているのだろう、って既婚者に聞いても意味ないだろーが。

 そもそもクリスマスを男女がくっつく日なんて解釈しているのは日本だけ。
 
 クリスマスはもともとケルト人の「冬至のお祭り」である。

 キリスト教会がケルト人に布教しようとした時期、ケルトの冬至のお祭りを尊重して、しかして、キリスト教もしってもらうために、光がもどってくる冬至を、この世に光りをもたらしたキリストの誕生とを

「似たようなもんだ、合体させちゃえー」と一緒にしたのが始まり(キリストのお誕生日は聖書にかいていない)。
 
  クリスマスの本場西洋では、クリスマスは離れていた家族が年に一回集まり、家族の絆を再確認し、さらに一年で一番信心深くなる日でもある。

 1914年の第一次世界大戦中、西部戦線でにらみあうイギリスとドイツの間で、自然発生的に休戦が発生したのもクリスマスの朝だった。

 きっかけとなったのは、ドイツ軍の塹壕からきこえてきた「きよしこの夜」。ドイツ語わかんないんで英語から訳すとこんなとこ。

Silent Night  Holy Night
静かな夜   聖なる夜

All is calm All is bright
すべては静かであり すべては輝いている

Round yon virgin mother and Child.
聖母とその御子のまわりで。

Holy Infant so tender and mild,
聖なる御子は安らかに

Sleep in heavenly peace,
天上の安らぎの中で眠っている


彼らは宗派は違うとはいえ同じキリスト教徒。やがて、イギリス(スコットランド兵)の塹壕内兵士がこれに応じて歌いだし、いつのまにか両軍は武器を持たずに塹壕の外にでて、無人地帯(No man's land)に歩みでて合流し、古くからの友人のようにうちとけはじめた。

 彼らは機関銃の音にも空爆の爆音にも何より殺し合いにうんざりしていたのだ。

 昨日まで殺しあっていた相手の前に、丸腰で握手をしにくのは、ものすごく勇気のいることである。相手にほんの少しでも猜疑心があったら、また自分にほんの少しの自己保身の心が残っていたならば、できることではない。

 人間は悪い方へはいくらでも簡単にころがることができる。

 昔ある子供が金属バットではじめて親を殴り殺した時、人々は衝撃を受け、マスコミは何ヶ月にもわたってこの事件を報道した。今まで子供が親を殺すなんていなかったからだ。ところが、それから親殺しは加速級数的にふえていき、今ではニュースにもなりゃしない。
 自分も含めて社会の多くが、親殺しを日常と感じるようになり、誰も衝撃を受けなくなったのだ。悪になれることは簡単。人を憎んだり、疑ったりすることに努力はいらない。
 
 しかし、いいことはめったにおこらないし、伝わらない。いいことは努力しないとできないのだ。

 だから、このクリスマスに自然に発生した感動的な休戦の地には、碑文がのこっていてる。そこに刻まれた言葉は、

Lest We Forget(忘れないように)


およよよよ(感涙)。

そして、この「クリスマスの奇跡」は何度も音楽や映画の題材にされ、有名どころではポールマッカートニーがPipes of Peace(1983?)という曲をつくり、『戦場のキックオフ』(2001?)『戦場のアリア』(2005)もこれをテーマにしている。

 てなわけで、私にとってのクリスマスは「西洋人が年に一回だけまともに戻る日」なのだが、なにごともカタチだけまねる日本人は、ケルト人起源のツリーをかざり、キリストが生まれたことを称える賛美歌をバックグラウンドに異性をくどくという実に意味不明の行動をとっているのだ。

 仏教が精神がぬけおちて、ハコモノと庭とカタチしか残っていないのと軌を一にしているな。

 昨日、学生たちからいただいたクリスマスプレゼント。
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 まずSNさんからはダライラマ・ペンダントヘッド、
 プレゼント交換でもらったRちゃんのクッキー
 W君からはがちゃがちゃでとった2ちゃんのキャラ、
 Tくんがバイと先の在庫といってもってきた「乾燥マンゴー」。

 最後の二つはなんかよくわかんないけど、みんな、ありがとう。

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DATE: 2006/12/19(火)   CATEGORY: 未分類
法輪寺住職の空襲体験
火曜日、会議が比較的短くすんだので、「早稲田のお寺」取材をするために、文学部の目と鼻の先にある法輪寺に足を運ぶ。

 本堂はしまっているし、寺の説明をする立て札もない。仕方ないので、本堂のとなりの庫裡の扉をたたく。すると住職の奥様がでてこられて、

 わたし「あのー、わたくし早稲田大学の教育学部で教鞭を執っている●×と申します。仏教系のサークルの顧問をしておりまして(仏教青年会の名前は恥ずかしくていえない)、今早稲田のお寺についての取材をしております。お寺の縁起をしるしたものがありましたら、分けていただけないでしょうか。あの、決してアヤシイサークルではないんですよ。政治もカルトも一切やってませんし」

 と我ながら悲しい自己紹介をする。

 このお寺去年がちょうど開山400年で、それを記念して去年だされた小冊子『万年山法輪寺』を千円で分けていただく。将軍家綱ゆかりの古刹である。

 都会の寺は毎日お墓参りに檀家さんが尋ねてくるので、奥さまは大変。ほとんど外出することがないので、いろいろなことについては住職に聞いてくださいとのこと。

 そのうちに、住職が帰宅される。なんでも歌舞伎町で「硫黄島からの手紙」をみたあとずっと徒歩で歩いて帰ってきたのだそう。
 実は住職、血糖値がちと高いとのことで、できるかぎり徒歩散策を心がけているのだそう。ウチのダンナも血糖値が高く心配している旨をいうと、

 住職「ほう、いくつですか」
 わたし「正常と異常のはざまを揺れ動いています」
 住職「そんなの●尿のうちにも入らないですね。」と軽く一蹴される。
 わたし「食事療法とかしていらっしゃるんですか」
 住職「いや、してません。でも酒はやめました
 わたし「それはようございましたねえ、おほほほほほ」(わかる人にだけ受けてください)

 で、ご住職からこのお寺の歴史にまつわるお話や新宿区の日蓮宗の寺院についての数々のディープ情報を一時間以上も伺う。

 しかし、何より印象に残ったのは、住職の空襲体験であった。
 「硫黄島からの手紙」をJUSTみたばかりなので、その当時の記憶がよみがえりまくったのであろう。

 江戸時代からの本堂が終戦の年の五月二十九日の空襲でもえあがった日の話、進駐軍の戦車が穴八幡の前をしずしずと行進してきた話などをなまなましく再現してくれる。
 
 空襲当時、現住職のお父上が住職をしておられ、まず焼夷弾は台所におちたのだそう。父上は本堂から祖師さんの木像と過去帳をもって(他の寺宝はみな焼けた)逃げ、お墓の間に祖師さんの像をおいて上にトタン一枚かけたのだそう。そのあと煙に巻かれて倒れたのを当時中学生だった現住職のお兄さんが助けにいって命拾いしたのだそう。

 本堂はやけ、お墓も火の海だったのに、祖師像は無傷だった。当時八歳だった現住職はそれがとても不思議だったそうである。そのときの空襲で境内にあった巨木23本はすべてやかれ、残りは薪にして生活のたしにしたそうである。

 ちなみに、すぐ近くにあるインド大使館・アバコブライダルホールの教会、国立病院などは、ターゲットからはずされていて無傷で、寺や大学はきっちり燃やされたそうな。ははは。

 あなおそろし米帝。

 とダンナに話したら、「初対面のお寺にあがりこんでここまで情報とってくるあなたの方がおそろしい」と言われた。
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DATE: 2006/12/18(月)   CATEGORY: 未分類
初詣お寺ハシゴ計画
渋滞する論文はとりあえず放擲してはるか昔(去年だっけかな?)にしあげておくべきであった、とある仕事にとりかかる。年を越したら、二年前の仕事になってしまうんでね。

 しかし、あまりに長く放置していたので、「ここからやるんだったよね」というところからはじめたら、後から見たらダブっていた。

 「私の二日分の労働時間を返してくれ。」といっても、誰がもっているんだろう、私の労働時間。

 仕事をまじめにしようとするときにはまず、髪の毛をまとめ、さらに頭バンドをする。頭皮に適度な刺激を加えて脳を活性化させるためである。

 さあ、やるぞーやるぞーやるぞー。

 (数時間後)

 あきた。

 この怠け癖と集中力の欠如がなければもう少しどうにかなっていたと思う。

 そこで、逃避に仏青関係の調べ物をする。

 お正月とくれば、はい、なんでしょう?

 「ご開帳」ですね。

 現在の日本のお寺は大半が家族経営のため、寺が無人になることが多く、盗難や火災の危険を避けるため、普段は本堂をしめている。よもや本堂にあがれようとも、本尊は厨子の奥深くにしまわれており、まず目にすることはできない。

 しかし、お正月ともなれば、どの寺もさすがに厨子の扉をあけてくれるのである。本尊ご対面のチャンスなのである。

 また、普段は人気のない境内にお寺の関係者が大体一人か二人はいる。だから、お寺の人に話を伺おうと思ったら、正月三が日に行くのが合理的なのだ。

で、どのお寺を回ろうかと検討した結果、もと、徳川の祈願所だった寺や神社の別当寺にしてみようかなと思う。

 徳川の御代の終焉とともにはじまる仏教冬の時代。神仏分離令により寺はぶちこわされ、徳川ゆかりの寺はとくに明治政府からいじめられ、廃寺となったり、移転の憂き目にあった。

 そのような由緒はあるけど、衰退を極めたもと祈願所のお寺から情報を拾おうという算段である。

 浄光寺などは、本堂も再建でしょぼいの二乗だが、寺宝は結構もっているのでお正月には何かみせてくれるかも(本尊薬師如来は平成22年まで秘仏だけど・・・)。

 また、高田馬場にある諏訪神社の別当寺の玄国寺。これも正月なら誰かがいるから取材しやすそう。

 取材テーマは "過去の栄光" "将軍様のお寺"

 (ちなみに文化財クラスのご開帳が好きな方は、目黒の大円寺の生身のお釈迦様や伊勢原の日向薬師が正月三が日開扉しているのでおすすめ。)
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DATE: 2006/12/16(土)   CATEGORY: 未分類
坊主好きなら袈裟まで好きよ
 木曜日は仏青の今年最後の例会である。部員の中でもきっての仏教オタク、もとい仏教通の破顔君による「お袈裟の話」を聞く。
 
 お袈裟とは言わずと知れた「お坊さんの衣」のこと。仏教を学んでいる人をその他の人から区別する"印"であり、破顔くんによると「カンバン」みたいなモノという。

 袈裟という言葉はkasayaというサンスクリット語にそのまま音が同じ漢字をあてただけなので、漢字の字面をいくらにらんでも何もでてこない。kasayaはじゃあどういう意味かといえば「濁」「壊色」など、ようは「誰もが美しいと感じる原色・純色ではない、地味でまざった(きちゃない)色」という意味。

 仏教の目標は醜いエゴを克服すること。

 そのためには可愛い自分をいっそう可愛くおもってしまうような美しい髪や自分をステキにみせちゃうような綺麗な服を着てはいけない。だって、異性はよってくるわ、自我は肥大しまくるわでエゴの克服どころではないから。

 だから、お坊さんは髪の毛をおろして、できるだけ地味な色(壊色)した飾りのない、金銭的にも価値のないボロ布つぎあわせた服、すなわち袈裟をきる。

 「え、じゃあ偉い人のお葬式の時とかにやってくる偉いお坊さんが着てる金襴緞子のうつくしーい袈裟(一千万円也)は袈裟じゃないじゃない。」

という疑問をもったアナタ。アナタは正しい。

 破顔君が『道元禅師のお袈裟』や『方服格正』をもとに語ってくれた話は、そのあと飲酒によってかなりな部分が飛んだものの、覚えている範囲内で再現するとこんなとこ。

 曹洞宗には「"今ここにある袈裟"でいいじゃん」派と「律に書いてある通りにつくったお袈裟にしようよ」派の間でいろいろな争いがあった。そしてその争いの結果、どっち派としても不徹底な現行の袈裟へと落ち着いた。

 そのような現行の袈裟に満足できないオタクな彼は、律の規則にかなった(如法)お袈裟をつくるためにサークルにかよって、五条袈裟、七条袈裟(三衣のうちの二つ)を手縫いでし上げた。

 彼の手にする、縫い目も白くあざやかな手縫いの袈裟は、静かな迫力がみなぎっていた。

 さらに、彼の話は袈裟の下に着るもの(衣体)まで及ぶ。

 袈裟の下には、上に褊衫(へんざん)、下にスカートのような裙子(くん)をはく、後にはこれが合体して直接つづられた直綴(じきとつ)という衣も現れる。

破顔くん「チベットのお坊さんが着ているのは、この上下がつながった形式でしょう?」

わたし「お坊さんの袈裟の下がどうなっているかなんて知るわけないでしょう。てか知っていたらまずいでしょう。もちろん僧衣ってパルコルで売っているけど、俗人が僧衣を手にするのってバチあたりそうで何か怖いよ」

破顔くん「大乗仏教では俗人でも袈裟をつけますよ。聖徳太子の孝養像って袈裟まとっているじゃないですか。俗人じゃないけど、パドマサンバヴァも袈裟はおっていますよね」

わたし「言われてみればそうだね。パドマサンバヴァ(8世紀にチベットに密教を伝えたインドの行者)はわっかのついた袈裟をつけていた。聖徳太子と微妙に時代も近いし、あの時代は居士やフルセットの戒律を実行していな密教行者でも、袈裟をまとうのはアリだったのかな」

このあとは今年最後ということでみなでお食事会。

「どことは言わないけど、ウチの言うことを信じなければ救われない、うちとこ一番っていう、よくいえば専心型、悪く言えば原理主義型の宗派は困ったもんだよねー。キリスト教じゃあるまいしねー」とあれ狂う(このせいでお袈裟の話がずいぶんとんだ)。

今年も地味に一年が終わる。来年も再来年もきっと地味なことだろう。最近はなんかこれでいいような気がしてきた。

だって「仏教」なんだもの。

 末筆になったが、破顔君の「不捨室雑録」は仏教マニア必見のインフォマティブなぶろぐです。みんな見てね。
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DATE: 2006/12/12(火)   CATEGORY: 未分類
師走で走らない「センセ」もいる
正月の高級食材が値上がりしたとかで騒いでいるが、正月にトロとか食べるな。

昔は質素な生活をしていたから、年に一回盆と正月に家族が集まって普段は手が出ないごちそうたべて家族の絆を確かめるという意味があった。

この飽食日本で忘年会で疲れ果てた肝臓に、おせち料理に大トロなんか食べたら、一億そう糖尿だわい。

正月はクリスマスと忘年会の暴飲暴食で疲れた胃腸を休めるため、みなで庭の雑草でもいれた雑炊でもすすれってんだ。

その方が地球のためにも健康のためにもいい。

え、なんで荒れているかって? 答えは簡単。

師走は「先生が走る」と書く。
しかし、少なくとも私の研究はデッドロックにのりあげ、走るどころか、盆暮れの東名のインターチェンジより渋滞しているのだ。

歴史研究というものは本来はとても面白いものである。
大量の史料をよみ、その史料が提供する情報を批判的に純化しつつ、ある時代に特定の歴史的事象を再構築する。

ほってほって遺跡を探し当てる考古学を、史料の上でやっていくと考えてみればわかりやすいかも。

というわけで、本来はとっても楽しいはずの歴史研究であるが、複数の信頼できる史料間で提供する情報が齟齬をきたす場合、ないしは史料の欠乏により肝腎の部分がわからない場合、一転してイライラの日々となるのである。

ま、限られた史料で歴史的事象を再構成する場合、研究者がよく落ちる危険なワナは、「とりあえず今ある情報同士が矛盾しないようなストーリー」を創ってしまうこと。

 でもまだこれはいい方で、一番いけないのは、そこまでいう根拠もないのに「予断に基づいたストーリーにそって情報を並べる」こと。

 これらを犯罪捜査でたとえると、勘によって容疑者逮捕して、容疑者を取り調べで絞り上げてえん罪つくっちゃう刑事だし、ネットの世界だったら陰謀史観かたるような人と同じレベルになる。

 それだけは避けたい。

 「ここまでは分かった。ここから先は新しい史料がないとわからない」歴史研究とは実はそのようなものが大半となる。

 だから、ある一つの歴史的事件が起きた場合、そこにたった一つの原因・理由のみを断定的にあげるような研究は要注意であり、「~の理由の一つ」「~と思われる」「~の視点に基づいた場合」「この史料の示す限りにおいて~である」などといった限定的な表現を用いる研究者の方が、往々にしてクレバーな場合が多い。

 今の私の場合、過去を再現するにたるほど史料がのこっていないため「ここまではわかりました」論文にするしかない。

 しかし、やはり何か「見落としているものがあるのではないか」もう少し「クリアな像が描けないか」などと思うと見切り発車ができない。
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DATE: 2006/12/09(土)   CATEGORY: 未分類
「カタチ」を極めて「心」を伝える日本仏教
木曜日は例によって仏青の例会にでる。
部長のねもっちはお腹ぴーぴーで欠席。
今日は日本仏教の十三宗派の関東地区の拠点寺院をそれぞれの担当について調べてくること、
新入生がサークルを選ぶ際に参考にする学内雑誌『マイル・ストーン』にだす、仏青の紹介記事の文面を書くことなどが議題に(なんとなく)あがっている。

机の上には『マイル・ストーン』の編集部にだす書類がのっている。なんか授業評価を書く欄まであり、その対価でサークルの紹介記事ものせてもらえる、という方式らしい。

教師の側からみるとこの『マイル』の授業評価、とても評判が悪い。単位をとりやすいか否か、あるいは、代返が聞くか否かとかいう低レベルな発想で書かれていて、かつ、内容評価についても、たまたまあった原稿をそのまま何年もコピーしつづけて使うといういい加減さなので、見るにたえない。

 母数となる情報が増えて少しはましな内容になることを祈りたい。

 というわけで、母数を増やすべく早速、私は自分の授業の評価を、ニセ学生となって自作自演で書きはじめる。代返・不可、とか(どんな教師や 笑)。

 そして「各宗派の関東地区の拠点寺院」について。
 なぜこれを調べようと思ったかというと「お寺参りしたい気分」になっても関東にすんでいると、京都や奈良はちょっと遠い。そこで、関東にあるお寺で、善さげなものを物色するために、とりあえず伝統的な大寺の関東地区の拠点寺院について調べてみようと思ったのである。

 みなで結果をなんとなく報告しあうと、うすうす予想していた通りの結果。

 奈良や京都や大阪に本山をもつ大寺はほとんどが関東地区に進出していない。

 ていうか、そもそも本山・末寺制度が形骸化しており、「関西にある本山が関東地区にある末寺を組織して関東で自宗派の教えを広める」とかいう発想が最初からない。

 まあ、そうだよな。今、日本のお寺は、三タイプに分かれている。

(1) まず、地域に密着して葬式・法事を行うことによって運営される、葬式仏教型の寺
(2) お寺の建築・寺が収蔵する仏教美術の優品・庭園などによって集客する、美術館型の寺
(3) 最近はやりの、寺の本堂を劇場や地域の人々の交流の場に提供したりして集客するNPO型の寺


 日本の寺の多くは葬式仏教型で九割はそれ。そして大本山クラスのいくつかの大寺が美術館型の寺となり、最近マスコミで紹介されてはやりのお寺ルネッサンスNPO型の寺はまだごく少数であろう。
 
 このどれもが仏教の本質から遠く三千光年ほど離れたものであることは言うまでもない。

破顔くん「でも、庭でも寺でも美術品でも何でもお客さんがくるきっかけになってくれれば」

 わたし「じゃあ、聞くけど、それをきっかけに集まってきた人に対して、寺は何か自分の宗派の教えでも何でもいい、伝える努力をしているの? せいぜい講演会か写経か座禅どまりがいいとこでしょ。僧侶が『古い寺や庭や仏像をみせて、その中で写経したり、座禅したりして人が安らかな気持ちになってくれれば』ってなとこでとまっているから日本仏教は衰退する一方なんだよ。
 チベット人はねえ(でた、チベット語り)。中国に寺も仏像もぶっ壊されて、経典をもやされて、国まで失って、何もかも失って着の身着のまま亡命したって、チベット仏教を世界中でここまで維持・発展させたんだよ。 日本仏教が庭と仏像と建築と葬式とNPO活動をとっぱらって、それでもなお存在できると思う?。」

 破顔くん「まあ、ムリでしょうね」

 わたし「チベット人は『伝えるもの』を持っていて、しかもその内容が普遍的だったから、世界中に感銘を与えることができたんだよ。でも、日本の僧侶の大半はちゃんと仏教の教育を受けていないし、実践も崩壊しているから、誰の共感も得られない。」

  少年H「でも、まじめにやっているお寺って何かカルトっぽいんですよね。それに、伝統的な宗派でも奈良や京都にだけいて庭や寺みせている寺はわりとまともだけど、関東に進出していてるところって何かこうアレだし。」

  破顔くん「禅には形に心が宿るという言葉もあるし、形を極めていけばいつか心も宿るのでは。」

 うーん、何か日本仏教を理解する糸口がみえてきたぞ(今頃かい)。

 チベット仏教は中身(教理・信仰)勝負だから、古さにも形にも何にもこだわらない。だから、チベットの仏教儀礼は日本の儀礼にくらべると、大ざっぱで見た目あまり美しくない。日本仏教の方が遙かに洗練された美しい動きをするのである(でも、儀式の精神を理解し実践することについてはチベット人の導師の方がはるかに深い。)。

 仏像・仏画一つとってみても、チベット人にとっては修行のよすがであるから、壁画や仏像の新旧は関係ない。たとえば文化大革命で破壊された寺の壁にたまたま古い壁画が残っていたとしても、チベット人はそれをぶっ壊して新しい壁をつくりなおす。チベットは現に、言葉と実践という直球で仏教を伝承しているから、カタチを使う必要がないからである。

 一方、日本仏教にとって、修行や教理の勉強はすでに過去のものとなってしまっている。そのため、仏像や仏画は本来の利用目的において用いられることはなく、美術品としてショーケースの中で大事に保存・鑑賞されている。

 しかし、このショーケースの中にある寺や仏像や仏画の美しいカタチは、チベットの大ざっぱな壁画や仏画や仏像は発しない何かを我々に確かに発信している。かつては日本の名僧と言われる人の生きかた・立ち居振る舞いの中にもこの美しいカタチはあったのだろう。

 美しいカタチを通じて感じ取る美しい心、それが日本仏教の特徴なのかもしれない。

 だから、奈良や京都の寺がまったく布教をしないで、ただお庭や仏像や建造物としての寺の維持のみをはかっているのはある意味「あたり」なのかもしれない。

 だって日本仏教、言葉や実践によって伝えるものを失っているもんね。
 日本ってそういえばそういう国だったよね。

 少年Hくん「で、マイルの原稿はどうするんですか」
 破顔くん「あ、まかせるよ」
 少年Hくん「『仏教青年会』の会名このままだと入部希望者きませんよ」
 わたし「あ、じゃあ『仏ちゃん』でいこう。夏目漱石の名著『坊ちゃん』にかけて。カッコして仏教青年会ってちいさ~くいれとけば、編集部も何も言わないよ」
 破顔くん「仏ちゃんのあとには『。』もつけてね」
 わたし「モー娘。かい」

 こんな調子なので来年もどうなるやら。
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DATE: 2006/12/05(火)   CATEGORY: 未分類
海外テレビドラマうんちく大全
『プリズン・ブレイク』後半部がついにリリースした。さあ、マイケル祭りだ!と思ったのもつかの間、ツタヤにいってもみんな貸し出し中。なんものこっとらん。
賭けてもいい、これを借りてる人の多くは「ストーリーなんてどうでもいいわ、マイケル様命」の女性だろう。

これも『スーパー・ナチュラル』のジェンセン・アクレスに日和っていた罰か。

『スーパー・ナチュラル』は脚本はトホホだし、音楽もアレレだけど、主人公の兄弟がとにかく二人とも〔顔が〕いい男なのでついつい見てしまう。


『スーパー・ナチュラル』は母親を「なんか邪悪なもの」に焼き殺された兄弟が、父親ととともに魔をおう、イケメン・ゴーストバスターズ・ストーリーである。

 で、ファースト・シーズンを見た限りではネタはほとんどは『X-file』シリーズのパクリ(ちなみに家族構成と"親子二代で聖なるファミリービジネス"という着想は『処刑人』(2000)をモロパクッてます)。しかも、よくなってるならまだしも、ひねりがない分『X-file』より落ちる。

 『X-file』、わたしはあのドラマ、9シーズン全部みた。しかも全部DVDで買った。

 『24』シリーズが9.11後、テロに脅える人々の過剰防衛の精神を物語化したものだとすると、『X-file』は「千年に一度の世紀末が近づいて何かがはじまる」という神秘的な予感を映像化したものであった。

 いろいろな超常現象がテーマとして取り上げられるのだが、それぞれの現象については、その原因が科学的に説明がつくような、つかないような、宇宙人がやっているような、そうみせかけた政府の陰謀のような、でもって体験者の妄想かもしれないけど、そうともいえないような、という感じで、決定的な答えをださないところに、じつに味があった。

 この答えのでないテーマの扱い方は主人公のFBI捜査官の男女の仲にも及ぶ。

 男性捜査官のモルダーは、幼い頃の体験から超常現象を「ある」と信じて疑わないスタンスにある一方、女性捜査官のスカリーは科学ですべてが解釈できると考える合理主義者であるため、当然性格はあわず、男女で捜査しつつもその仲は曖昧なままで推移し、あるようでないようなラブシーンに、視聴者は次シーズでの二人の仲の進展を期待し、その結果、9シーズンまでひっぱられた。

 一方『スーパー・ナチュラル』はX-fileを本歌取りしているとはいえ、「幽霊・魔は現実にいる」と断定されていて、話のテーマは幽霊の弱点をいかにみきわめて破壊するかにおかれている。それはもうすがすがしいまでのアニメレベルの単純さ。そのうえ、二人の兄弟愛も兄弟の親父との親子愛も一点の曇りもない鉄壁さで、ファミリードラマとしても完結しまくり。

 まったくひねりのないドラマであるが、この二人のイケメン兄弟の顔がでてればもう筋はどーでもえー(わたしは801ではないが)。二人の容色が衰えるまで『スーパーナチュラル』は続けて欲しい。

 また、プリズン・ブレイクもウェント・ワースミラーが主人公だったら、どんなご都合主義でも許す。監獄何度もでもやぶっていいから、シリーズは続けて欲しい。

 ちなみに、『24』はも、いいです。

 テロと闘うブッシュ大統領もレームダック化していることですし、あのテロテロドラマもそろそろ終わっていい頃でないでしょうか。
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