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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2006/10/22(日)   CATEGORY: 未分類
国立博物館に「仏像」展を見に行く
本日は仏青のコアメンバーとともに国立博物館の「仏像」展をみにいった。
仏像


 チベットでお客さんを案内してお寺をめぐっていると、説明のさいついつい仏様を指さして、チベットの方に「イシハマさん、仏様を指さすのは失礼です。手のひらを上に向けて腕全体で謙虚に方向を示して」と注意されることがある。

確かにそうである。

道行く人が、突然あなたのことを指さして
「あの人は○×という名前です。今は△□の学生です」
なんていったら「ヒツレーなヤツだ」と腹が立つはず。「指さし」とは相手を自分の都合で一方的にモノ化する動作だからだ。
 だから、人々の祈りの対象となる仏に対して指さしなんてしていいわけない。では、なぜ仏様をうっかり指しまったりするのか。

 答えは簡単。

 日本の仏像の大半は、博物館や宝物館などの近代的な展示空間におかれている。この空間では、仏様は観察・鑑賞対象としてモノ化され、鑑賞の邪魔になる厨子・天蓋・光背ひどい場合は蓮華座もみなはぎとられる(実際おみたまを抜いてから展示しているし)。だから、ついつい美術品か何かのような気がして指さしてしまうのだ。

 しかし、人と仏様との出会いは本来これでいいはずはない。

 理想的には、山門をくぐり、緑なす参道に歩を運び、本堂のしきいをまたぎ、そしてはじめて正面に鎮座するの厨子ふかくにご本尊様を遙拝するのである。その際には、その寺の歴史や本尊まつわる奇跡の物語を知っておく方がのぞましい。

しかし、悲しいかな、政教分離の国立博物館では、そんなしゃれたことができようはずもない。なんてったって、今回の展示の統一テーマだって「一木作り」。思いっきり、形式である。

解説にしたってこの仏の材質はカヤだ、サクラだ、栴檀だ、と素材にこだわり、部屋の分類コンセプトも、ナタ彫り、などの形式によるものか、円空・もくじきなどの作者別で全体としては時代順。

こんな展示コンセプトでは仏様の分析・分類はできても、祈ったり、感動したりといった接し方などできようはずもない。

しかし、しょせんこっちも末法の徒なので、僧侶の卵の破顔氏からオタクな解説をききつつ「木喰仏って癒されるよね~、このお腹のでた仏様なんて、メタボリックな人が見たら、これでいいんだ、とか許されるような気がするんじゃない」とか不敬な会話を並べながら(もちろん私だ!)、結構楽しい。

 特別展観覧後は、法隆寺館にいき、本日まで展示のサンスクリット本の佛頂尊勝陀羅尼を見る。それからHくんの情報により、26日まで展示の本館の国宝室にある永観堂の山越え阿弥陀図を見る。

 そのあと、御徒町のルノアールで仏青の会議。ねもっちも破顔氏もH氏もほとけどじょう氏も、仏青史がなんとかまとまりそうということで、今後の予定も話してめでたくお開き。
楽しかった。
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