飛鳥・平安ミステリーツァー
夏である。ゼミ合宿である。
今年の学生諸君は、非常によくできた子ばかりで、お宿の予約などは全部自分たちでやってくれた。ありがたいことである(普段は見るに見かねて私がやる)。
Hくんが「ありきたりの寺まわりは修学旅行でやった。なんかこうミステリーな場所をまわりたい」というので、日本最古のミステリー法隆寺と、京都では都の鬼門封じ比叡山をメインときめる(いいのか、それで)。
初日、JR法隆寺駅から法隆寺までの徒歩二十分は、酷暑の中の死のロードであった。アルバニア難民のようになりつつ法隆寺に到着。
日本に仏教を導入し古代国家を成立させた聖徳太子様の事績はむろんのこと、巷間に根強くさやかれる「法隆寺は聖徳太子一族の怨念を鎮めるための封じの寺である」伝説なども紹介する。
近鉄奈良駅にもどると、もう7時。それでも負けずに猿沢の池からライトアップされた興福寺をまわり、奈良公園の鹿とたわむれる。興福寺は藤原氏の氏寺で、平城京の鬼門であり、都全体をみおろす高台にある。ちなみに、例の法隆寺鎮めの寺伝説によれば、聖徳太子の一族を滅ぼしたのは藤原一族ということになっている。法隆寺に藤原不比等の妻の遺品が多いこと、聖徳太子一家が滅びた年に藤原鎌足が歴史に登場していることなどが、彼らの根拠となっている。
ま、こういうことは文書資料によって記されるような性質の問題ではないから、資料にないからといって否定もできないかわりに、客観的に証明できることもない。だから永遠のミステリーなのである。
へとへとになって京都にもどり、夕飯をたべてから酒盛り。最近の学生はまあいろんな種類のお酒を飲むこと。いろとりどりの酒瓶が熱帯のジャングルのように林立している。しかし、「ハタチすぎたら飲酒は合法だったよね」といいわけしつつ、ゲロと器物損壊だけはくれぐれもしないよう言い置いて寝る。
とはいってみたものの眠れない。どこぞの大学の学生さんの笑い声がきになったり(オノレのゼミ生じゃ)、エアコンが寒すぎたり暑すぎたりとで。輾転反側しながらあいまに読書する。
翌日、ロビーにいくと、スポーツ新聞が早実の甲子園進出を告げている(そういえば昨日早実出身のゼミ生が法隆寺でたところで試合結果を聞いて喜んでいた)。それから、今晩の宿に荷物をうつして比叡山ツアーに出発。
全員がマイペースであることから、食事、チェックアウト、移動、買い物、などにすべてに異様に時間がかかる。あらかじめ決めた予定にそって動くことはそうそうに放棄し、行き当たりばったりで、いくことに決定(新城風)。
そしたら当然、のりはぐれちゃいけない直通バスにのりはぐれ、バスと電車とケーブルカーとロープーウェイとシャトルバスを乗り継いで比叡山に行くことに。
叡山電鉄の中で「比叡山の猿は最近凶暴化しているそうだから気をつけてね」と本日の最重要事項を伝達する。
ケーブルカーは三十分に一本しかない。電鉄からケーブルの駅までのわずか五分をまったりと歩いていたら、接続しているはずの便にのりはぐれた。そこで、どうせあと三十分あるからと川遊びに。
男の子たちはみな靴を脱いで川にはいっていく。こうしてみるとまだまだみな子供である。TA君が、現地の小学生と同じ目線で戯れ、向こう岸から石をなげてきてはしゃぐ姿をみるとふと「比叡山の猿は意外とかわいいかも」と思う。
「きたかいがあった」と喜ぶみなの顔をみると、私の歴史話をきくときよりも遙かに楽しそうなので、わざわざ京都くんだりまでこずとも、チチブで川につかっていても十分ゼミ懇親になったのではないかとふとおもう(30分後のケーブルに乗れなかったことは言うまでもない)。
今年は、比叡山に戒壇(僧侶の資格を与える儀式を行う場)ができて1200年の節目の年(国立博物館で天台の美術展をやったのもその流れ)。 比叡山の戒壇院(信長の焼き討ちにあったので再建)の前で日本仏教の思想や歴史についてミニ講義。
深山幽谷の趣のある比叡山はみなにうけ、パッカーのW君は「外人にも誇れる日本の観光地をやっとみつけました」と言ってくれた。わたしとしては千日回峯行のベースキャンプ無動寺谷にもいきたかったが、行き当たりばったりがたたってその時間なし。文殊楼の前で記念撮影をして、山を下りる。
返りのバスは比叡山を九十九折しながら山をくだるため、Rちゃんがバスによってしまうものの大事にいたらず。市内におりてより、清明神社・一乗戻り橋・神泉苑とまわり、平安京の怪奇現象についてかたる。
Sくんが「神泉苑って湯豆腐やの名前じゃないんですか。もう、腹すきましたよ」というので、京都駅にもどり、夕飯をいただく。そして酒盛り。
ゼミ旅行最期の夜もふける。幹事をねぎらい、さかもりの記念撮影も一通りおえ、ねにつく。
今日の反省点は、TA君が川遊びでぬれたトランクスをそのあとずっとタオルだといいはりつつ、手にもっていたこと(ということは彼はノーパンか)。
まあなんだかんだいってみないい子ばかりだ。彼らがこの旅行を通じてどのくらい歴史に興味をもってくれたかどうかはナゾだが、少なくとも互いの懇親は深まったことだろう。
これから卒業するまで、いやした後もみんな仲良くね。
今年の学生諸君は、非常によくできた子ばかりで、お宿の予約などは全部自分たちでやってくれた。ありがたいことである(普段は見るに見かねて私がやる)。
Hくんが「ありきたりの寺まわりは修学旅行でやった。なんかこうミステリーな場所をまわりたい」というので、日本最古のミステリー法隆寺と、京都では都の鬼門封じ比叡山をメインときめる(いいのか、それで)。
初日、JR法隆寺駅から法隆寺までの徒歩二十分は、酷暑の中の死のロードであった。アルバニア難民のようになりつつ法隆寺に到着。
日本に仏教を導入し古代国家を成立させた聖徳太子様の事績はむろんのこと、巷間に根強くさやかれる「法隆寺は聖徳太子一族の怨念を鎮めるための封じの寺である」伝説なども紹介する。
近鉄奈良駅にもどると、もう7時。それでも負けずに猿沢の池からライトアップされた興福寺をまわり、奈良公園の鹿とたわむれる。興福寺は藤原氏の氏寺で、平城京の鬼門であり、都全体をみおろす高台にある。ちなみに、例の法隆寺鎮めの寺伝説によれば、聖徳太子の一族を滅ぼしたのは藤原一族ということになっている。法隆寺に藤原不比等の妻の遺品が多いこと、聖徳太子一家が滅びた年に藤原鎌足が歴史に登場していることなどが、彼らの根拠となっている。
ま、こういうことは文書資料によって記されるような性質の問題ではないから、資料にないからといって否定もできないかわりに、客観的に証明できることもない。だから永遠のミステリーなのである。
へとへとになって京都にもどり、夕飯をたべてから酒盛り。最近の学生はまあいろんな種類のお酒を飲むこと。いろとりどりの酒瓶が熱帯のジャングルのように林立している。しかし、「ハタチすぎたら飲酒は合法だったよね」といいわけしつつ、ゲロと器物損壊だけはくれぐれもしないよう言い置いて寝る。
とはいってみたものの眠れない。どこぞの大学の学生さんの笑い声がきになったり(オノレのゼミ生じゃ)、エアコンが寒すぎたり暑すぎたりとで。輾転反側しながらあいまに読書する。
翌日、ロビーにいくと、スポーツ新聞が早実の甲子園進出を告げている(そういえば昨日早実出身のゼミ生が法隆寺でたところで試合結果を聞いて喜んでいた)。それから、今晩の宿に荷物をうつして比叡山ツアーに出発。
全員がマイペースであることから、食事、チェックアウト、移動、買い物、などにすべてに異様に時間がかかる。あらかじめ決めた予定にそって動くことはそうそうに放棄し、行き当たりばったりで、いくことに決定(新城風)。
そしたら当然、のりはぐれちゃいけない直通バスにのりはぐれ、バスと電車とケーブルカーとロープーウェイとシャトルバスを乗り継いで比叡山に行くことに。
叡山電鉄の中で「比叡山の猿は最近凶暴化しているそうだから気をつけてね」と本日の最重要事項を伝達する。
ケーブルカーは三十分に一本しかない。電鉄からケーブルの駅までのわずか五分をまったりと歩いていたら、接続しているはずの便にのりはぐれた。そこで、どうせあと三十分あるからと川遊びに。
男の子たちはみな靴を脱いで川にはいっていく。こうしてみるとまだまだみな子供である。TA君が、現地の小学生と同じ目線で戯れ、向こう岸から石をなげてきてはしゃぐ姿をみるとふと「比叡山の猿は意外とかわいいかも」と思う。
「きたかいがあった」と喜ぶみなの顔をみると、私の歴史話をきくときよりも遙かに楽しそうなので、わざわざ京都くんだりまでこずとも、チチブで川につかっていても十分ゼミ懇親になったのではないかとふとおもう(30分後のケーブルに乗れなかったことは言うまでもない)。
今年は、比叡山に戒壇(僧侶の資格を与える儀式を行う場)ができて1200年の節目の年(国立博物館で天台の美術展をやったのもその流れ)。 比叡山の戒壇院(信長の焼き討ちにあったので再建)の前で日本仏教の思想や歴史についてミニ講義。
深山幽谷の趣のある比叡山はみなにうけ、パッカーのW君は「外人にも誇れる日本の観光地をやっとみつけました」と言ってくれた。わたしとしては千日回峯行のベースキャンプ無動寺谷にもいきたかったが、行き当たりばったりがたたってその時間なし。文殊楼の前で記念撮影をして、山を下りる。
返りのバスは比叡山を九十九折しながら山をくだるため、Rちゃんがバスによってしまうものの大事にいたらず。市内におりてより、清明神社・一乗戻り橋・神泉苑とまわり、平安京の怪奇現象についてかたる。
Sくんが「神泉苑って湯豆腐やの名前じゃないんですか。もう、腹すきましたよ」というので、京都駅にもどり、夕飯をいただく。そして酒盛り。
ゼミ旅行最期の夜もふける。幹事をねぎらい、さかもりの記念撮影も一通りおえ、ねにつく。
今日の反省点は、TA君が川遊びでぬれたトランクスをそのあとずっとタオルだといいはりつつ、手にもっていたこと(ということは彼はノーパンか)。
まあなんだかんだいってみないい子ばかりだ。彼らがこの旅行を通じてどのくらい歴史に興味をもってくれたかどうかはナゾだが、少なくとも互いの懇親は深まったことだろう。
これから卒業するまで、いやした後もみんな仲良くね。
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