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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2006/06/05(月)   CATEGORY: 未分類
就職と外国滞在は向学心のエネルゲン
ここんとこさぼっていた仏青の近況を一つ。

読者諸氏は信じられないだろうが、あのようなホスピタリティであるにもかかわらず、なぜか入会者がそこそこ入ってきてくれた。

当面はメーリングリストで情報を交換しつつ、「聖者の一言バトン」などをまわしたりしている。

また、このうち何人かは例会に顔を出してくれ、とりあえず、部室で仏教関係のDVDをみながら、さしせまった早稲田祭のエントリーをどうするか、120周年の記念事業をやるかやらないか、などの話あいをしているようだ。

なんかあまりにも普通のサークルになってきていて、この幸せがこわい。

新しく入ってきた方々を見ていてつくづく思うのが、社会人学生さんのありがたさである。とにかく彼らは熱心。

釈尊は、若いうちには享楽的な生活を送っていて、若さが終わりに近づいた29才の時、その空しさを覚り、出家を決断した。このエピソードが暗示しているように、仏教はそもそもある程度年齢がいってから方がそのよさが分かるのであろう。

それに、きまぐれでひっこみ思案のハタチ前後の学生さんに比して、社会人学生さんは、責任感があり積極的なので、非常につきあいやすい。

社会人学生は主体的に学科を選んで入学してきて、自分で稼いだお金で授業料をはらっているため、非常に向学心が強いのである。一日仕事をして疲れていても、授業にはきちんとでてくるのでこちらの頭が下がる。

一方、一般の学生の多くは「偏差値が高かったから」「就職に有利だったから」などの消極的な理由で学科を選び、授業料も親が払っているので、全体に向学心が低い。サークル活動や友達との遊び時間には精力を傾注するくせに、そのはんぶんの情熱も勉学へ回すことはない。ただダルイというだけで授業をさぼることもある。

今回仏青をつうじて、社会人学生の方とおあいして私が刺激になったくらいだから、一般の学生に対してもさぞかし垂範となっていることと思う。

そういえば、四年のゼミに帰国子女の男の子が一人もぐりこんできた。「内定もでたので、この一年は就職や資格と関係ない、自分の本当にやりたい勉強をやる」といって、私のナショナリズムの授業をとってくれたのだ。

彼によると、彼は文学部のサンスクリット語の授業にもでているが、サンスクリット語の上級クラスは、志望者がいなかったため、廃止されたそうだ。彼の通っている初級クラスですら、たった三人しか学生がいないという。

インドの古典語サンスクリット語といえば、インドのみならず、ヨーロッパの文芸、哲学、言語学の研究にも必須の教養である。この重要な古典語を学ぶ人が早稲田四万人の学生の中で、たった三人しかいないというのは、教育の荒廃の明らかな兆候だ。

そういえば、教育学部のラテン語クラスも何年か前に人数不足で廃止になっている。

かつて学生は、史料を原語で読解したり、哲学書を原書で読んだりといった困難にトライすることに学問する喜びを感じていた。
ところが、この古典語クラスの廃止が如実に示しているように、今の学生はとにかく「日本語でできること」「楽しくできること」「わかりやすいこと」にしか興味をもたない。

みながラクにながれていく中、文化の荒廃は静かにそして着実に進行していくのだ。

頭を使わない自覚が多少はあるのか、ときたは脳トレーニングとかでおかしなクイズをぴこぴこやってるが、あれはみっともないからよした方がいい。

仏青を見ていて感じるのは、大学教育を再生するには、社会人学生と本マモンの帰国子女(外国にいたけど日本人学校に通っていたてーのはナシ)の大量採用が鍵となることである。

彼らの向学心が荒廃した教育現場や沈滞するサークル活動に何かをもたらしてくれるような気がするのだ。しかし、他人任せはいかんな。教師の方でもがんばらんとな。
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