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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2006/06/30(金)   CATEGORY: 未分類
コップの中の嵐の夜に
早大・総長選かいひょー速報

 白井 先生  955票
 渡辺 先生  853票

とまあ、白井先生続投と、こういう結果になりました。

一刻も早く事態が沈静化して、静かな教育・研究環境がカムバックすることを願ってやみません。



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DATE: 2006/06/28(水)   CATEGORY: 未分類
都の西北激震。14号館は大丈夫か!!
 早大の内ゲバ(笑)はもう朝日新聞で大々的に扱われてますね。この異様な扱われ方の大きさは、メディアに早大卒が多いことから来るのでしょう。

 みなみな危機感を感じているのでしょう。母校の。

 現在早大では、総長選と研究費不正受給問題という、権力と金という人を狂わせる二大要因がからむ事件が進行中である。

その結果、金や権力を無視することのできない人はこの問題に巻き込まれ、正気を失っている。

 今回の問題点は、理系の(←ここ強調)研究者が巨額すぎる研究費をもらったので、余った金額を着服していたいうことにある。この場合、大学のなすべきことは、真実を明らかにし、このような不正が二度とおきない恒久的なてだてをとることである。一方の文科省も無駄なお金をはらいすぎないための監査システムをつくること、この二点である。

何も難しいことのない、簡単なことである。

 ところが、おかしくなっている人たちの関心はもっぱら「誰が責任をとるか、もとい、誰に取らせるか」(誰と誰が責任をなすくりつけあっているかは、ご想像ください)で、なぜこんなことが争点になるかといえば、「誰が責任をとるか」で総長選の潮目がかわるから。

これでは、すべったりころんだりの本末転倒である。みっともない。

 実はこの間、三月まで同じ学科にいたセンセが不慮の事故で急逝された。ついこの前までピンビンしていて、みんなと語り合い、笑い合っていた中である。普通の感覚では「ショック」「いたましい」となるところである。

ところが、ところが、所沢。この問題でおかしくなっている職場では、同僚の死に関する話題は軽くスルーされ、選挙の話題にすぐさまスイッチ・バック。

アウシュヴィッツとかの修羅場にいると、人は生死などどうでもいい、無感動な境地になるというが、今の職場はまさにしゅらしゅしゅしゅ~の修羅場なのであろうか。

一人、修羅場を超越するワタクシは、ちゃんとセンセのお通夜に行こうと思う。そいえば去年もまだ六十代の学科のセンセが急逝されて、一年を待たずしてまた喪服である。二十人ちょっとの学科で、この葬式回数はちょっと多くないか。

お祓いでもしにいこうかな。
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DATE: 2006/06/26(月)   CATEGORY: 未分類
平成の御代に連座制のあらら。
 みなさん、ご存じの通り、早稲田の理工学部のセンセが研究費の不正受給を受けたとかで、お縄になりそうです。そいで、今日「早稲田の科研費全体の支払い凍結」が文科省によって決定されました。↓ニュースの抜粋です。

この問題で小坂憲次文科相は厳正な措置を講じるよう指示。文科省は同日、早大が具体的な再発防止策を示すまで、本年度の科学技術振興調整費計約13億円の支払いを凍結することを決め、同大に通知した。文科省が振興調整費の支払いを凍結するのは初めて。
          (共同通信) - 6月26日18時32分更新

 これが何を意味するかと思うと、文学部とか教育学部とか何の関係もない他の学部の先生たちまで、研究費を凍結されてしまうということ。早稲田くらいマンモスになると、学部が違えばそれは「他大学」くらいの感覚である。

 それなのに他学部の先生にまで影響が及ぶのである。しかも、ウン億円のお金を研究費として必要とする理科系とは異なり、文系の先生の研究費の申請額なんてウン十万円単位である。しかも、文系の研究はお金にならないので、大学か国がだしてくれなきゃー誰もだしてくれないだよ。

文系の先生の怒りが目に浮かぶ。

 今回の件を見ていてつくづく思うのだが、なんで理系の研究にはあんなにお金かかるんだろうね。ガンだってここ数十年「撲滅するする」いうて、ぜんぜんできていないし、代替エネルギーの開発だってぱっとしないのに、あの巨額の研究費はどこに消えていくのだ。庶民ならずとも私でもおかしーわーと思いますよ。

 そして、四年に一回の総長選の決選投票が今週の金曜日にあることが様々な憶測を呼ぶ。

 片方の候補者は理工学部の出、片方は教育学部の出。今回の事件は理工以外のすべての先生の怒りをかうだろうので、理工の候補者に不利に働くだろう。

 とはいっても、私は平常心である。なぜなら、私の科研費(基盤研究C 個人が申請する一番少額のやつ)は去年・一昨年の二年間で完結しており、何の影響もこうむらないからだ。影響を受けるのは今年から受給を受ける先生たちである(たとえば、知り合いのM先生とか 笑)。しかも、わたくしは公明正大に研究にしかお金をつかってないので、探られて痛い腹などどこにもないのだ。マジで。はーっはっはっ(バカ笑い)。

 その上、総長選についてもただの浮動票なので、動揺する理由もどこにもないのだ。金も権力ももたない人間はいつも心は平静よ。

はーっはっはっはっ(大爆笑)
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DATE: 2006/06/24(土)   CATEGORY: 未分類
明治の探検家たちのちょっとアレな話
昨日は授業のあと、昔からの知り合いが山本周五郎賞をとったことを祝うパーティにでようかと思ったのだが、授業を三コマやったあと、学生のために書類をかき、図書館にいったらものすご~く疲れたので、会場までいったものの、受付にメッセージと拙著だけ残して失礼する。

そして、今朝は道教の研究者土屋昌明先生にお呼ばれして、専修大学神田校舎で出張講義。一限の講義なので、朝のとっぱちに家をでる。

センセのホームページ「土屋研究室」はここ↓
http://www.t3.rim.or.jp/~gorge/tsuchiya.html

本日のお題は「明治のチベット・イメージ」

 19世紀末から20世紀初頭にかけて、イギリスとロシアは中央アジアをチェス盤にみたて、アジアの国々を駒のようにやりとりしてそれぞれの勢力圏におさめる、俗にグレートゲームと呼ばれる領土争奪戦を演じていた。チベットは南下するロシアと北上するイギリスのちょうど中間点にあり、両者の烈しいアプローチをうけたため、チベットの最高権力者ダライラマは植民地化の危険を回避すべく、鎖国政策をしいていた。しかし、禁断の都であるが故に、かえって、チベットの都ラサの神秘性はいやまし、ラサを攻略しようとする人はひきもきらなかった。明治以後、西洋に追いつけ追い越せの日本人たちのチベット観と対チベット行動が、このような西欧のチベット観と密接にリンクしたことは不思議ではない。

 ラサをめざす人々の目的はだいたい以下の五つに集約できる。

 (0) 地理上の空白地帯に始めて到達するという探検家の功名心。
 (1) 地理・動植物相・資源・言語・文化・宗教などの学術調査。
 (2) 自国の工業製品を売る市場としての可能性調査。
 (3) 列強の中央アジア進出の緩衝地帯として、その内部事情をさぐる政治的・軍事的必要性。
 (4) チベットの高度な精神文明に触れるため(神智学のシャンバラ伝説などに幻惑されて、あるいは、仏典の原典を求めて)、あるいは逆にキリスト教を布教するため、などの宗教的な動機。

 この五つの目的は密接に絡み合っているため、厳密に言えば切り分けることはできない。これらの目的は4以外はすべて、列強が弱小国を植民地化する際に、前段階として行う一連の行動でもある。

日本人としては、能海寛、河口慧海、寺本婉雅、成田安輝の四人はほぼ同時期にラサに向かい、このうち三人までが1900-1902年までのあいだにラサ到達に成功した。
このうち、成田安輝が外務省から派遣された内偵目的の入国であったほかは、みな仏典を求めてチベット入りしたことはよく知られている。

 この三人の動機が宗教的であったからといって、純粋であったと早合点してはいけない。明治初期、仏教と政治は極めて密接な関係にあった。

 明治初年、廃仏毀釈で壊滅的な打撃をこうむった仏教界はそれをまきかえすべく必死であった。当時、西欧においては仏教思想ブームとも言うべきものがおきており、哲学者・芸術家・文学者など様々な分野の人々がこぞって釈尊の生涯やその教えを賛嘆していた。さらに、西欧の学会では、原典に基づく仏教の研究が進んでいた。

 日本仏教界はこれに目をつけ、まず当時の国粋主義に迎合し「キリスト教は西洋を母国とし、植民地政策の機関と化している」「そのうえ非論理的」。「それにひきかえ仏教は、論理的であり、かつ日本固有の精神の母体である」と、仏教ナショナリズムともいうべき論理を展開した(早大仏青もその一環で誕生する)。

そして、日本が仏教国である、と国際的にみなされるために、当時西欧で行われていたような原典に基づく仏典の研究を行う必要が生じた。というわけで、原典の直訳であるチベット仏典の入手、すなわちチベット行の必要性が説かれたのである。

 河口慧海の『チベット旅行記』(講談社教養文庫)は現在でも多くの愛読者をもつ著名な探検記である。確かに面白いものであるが、慧海が、出会うチベット人のほとんどを野蛮、不潔、堕落と酷評し、見下す件が多いことに違和感を覚える。このような記述からも、慧海には、仏教者として仏教国チベットに巡礼に行くというような敬虔な気持ちよりは、チベットから持ち帰った仏典を日本で研究して、アジアの盟主たらんとする気持ちの方が強かったことがわかる。

 つまり、日本人のチベット入りの目的も、つきつめれば、当時の帝国主義ヨーロッパ人とほぼ同じ、自国の名誉や利益のためになされたもので、ちょっと仏教精神というにはアレじゃないの?というものであったことがわかる。

てな話をペラペラしたあと、質問を受け付けたところ、とある学生さんから

「ヨーロッパや日本は、チベットやインドの精神文明を崇拝して、尊んでいたのに、なぜインドやチベットにひどいことができたのですか?」と聞かれた。

なので、「人は自然はいいものだといい、それを守りたいと思っても、自分の快適な生活を捨てられないから、自然を破壊して人間の便宜に供していく。それと同じで、当時のイギリスに生を受けて大学をでた日には、その当時の風潮をおかしいと思っていても、官僚になって大英帝国の植民地統治を支えたり、商人になって植民地で荒稼ぎしたり、御貴族様だったら、物見遊山に「蛮地」に探検したりすると、それらが結果として植民地統治をさらに促進していくのだよ。おとろしいね。」と答える。

人の歴史とは愚かなものよ。
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DATE: 2006/06/21(水)   CATEGORY: 未分類
仏を描いて生き方を振り返ろう!
むしむしするので、薄着をすると、はっくし。
霧雨がまとわりついて、すぐに体がしめって、へくし。
むしむし、むれむれ、じとじと、じめじめ
わが誕生月の六月って過ごしにくい。

イライラしていても仕方ないので、前向きに考えてみる。
まず、六月の誕生花がアジサイ、誕生石が真珠、星占いでは双子座、守護天使は智の天使ラファエロ、とゆうのは、なかなかいいラインナップだと思う。

 まず、アジサイ。

 この花はとにかく長持ちする。剪定しなければドライフラワーになって、年を越す(笑)。「すぐ枯れる花=早くふける」イメージなので、花持ちがいいというのは「往生際悪く、なかなか老けない」ことにつながり、力強くてよろしい。

 また、誕生石の真珠も純真・純白と清いイメージがあり、まあ美しくて気に入っている。

 そして、双子座と守護天使ラファエロはいずれも知性を表す。ついでにいえば、自分の生まれ年は仏教では虚空蔵菩薩が守護することになっている。この菩薩も智を象徴する菩薩である(空海は青年期、この虚空蔵法を体得したことによって天才となったと言われている)。

 わたくしの生まれ月(年)に、かくも、東西の思想が智慧の恵みをたまわってくれていることは、ありがたいことである。少々自分の頭がたりなくとも、天使様や菩薩様が補ってくださるのである。

突然ですが、今月の末、チベットの仏画の塗り絵がでます。今日、編集者のもとに見本がとどきました。
癒しの塗り絵


書店に大人の塗り絵コーナーがあることからわかるように、人生に疲れた大人はみな、ぬりえに走っております。これまで、花、鳥、浮世絵、名画などさまざまな塗り絵シリーズがでましたが、私が監修するぬりえといえば、当然、チベットの仏・菩薩・マンダラの塗り絵。

 題して「癒しの塗り絵」(笑)。

冒頭についている解説は、私の手になるものですが、簡単な仏教入門になっております。ただ塗るだけでなく、その仏様が何を意味しているのか、仏教とは何なのかが、おてがるに分かるという趣向である。

 チベットの仏画・マンダラはカラフルなので、塗り絵向き。最初に十五枚のカラーの完成品があり、続いて白描の同じ絵が続きます。完成品の方はそのまま飾ることもできるし、自分で色を塗って完成させた仏画は自分だけのオリジナル仏画として楽しむことができます。

 梅雨で家の中にとじこもっているアナタ、カラフルな仏を描いて、梅雨のじめじめをふきとばしましょう!

 この本の編集者M嬢は、かつて私の授業を聞いてくれた社会人学生さんであり、その後、『ダライラマの仏教入門』『ダライラマの密教入門』を一緒に出したこともある、ふる~いおつきあいの戦友です。

 腰の重い私をダラムサラにつれていき、現ダライラマ猊下に会わせてくれたのも、彼女でした。なので、できるだけ販売に協力しているわけです。

 値段は千円きるやすさ(800? 900? 忘れた 笑)。
今、雨のとじこめられて、ウツウツとしているそこのアナタ! マイ仏画を完成させて、癒されませんか?


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DATE: 2006/06/17(土)   CATEGORY: 未分類
アメリカ映画は強迫観念と自警意識が二大テーマ
雨水をふくんでやわらかくなった土からは、面白いほど雑草がぬける。で、昨日大雨がふったので、午後一に庭の雑草を抜く。手入れの悪い我が家の庭には、ドクダミをはじめとしてわけのわからん植物がみちあふれている。

たぶん外来植物と思われるなんか巨大な葉っぱの雑草は、ひねた大根のような根が三十センチくらい地下茎をなしていた。その根がきれずにぬけるのだから、いかに土壌がズブズブかわかる。

この大雨も地球温暖化の一環だろーなー。

このまま、アメリカが温暖化防止条約を批准せず、二酸化炭素輩出しまくれば、地球環境の未来は真っ暗どすな。

午後、ジョディ・フォスターの「フライトプラン」とシャーリーズ・セロンの「スタンド・アップ」をDVDで見る。

前者の感想。ジョディ老けましたな。"上空一万二千メートルの密室で六歳の娘が消える、娘がいたというのは、母親の妄想なのか、本当に誘拐なのか"、って、例によってアメリカンな強迫観念と自警意識まるだしの、こてこてアメリカン映画。
これで一時間半ひっぱるのは、ちょっとまあチンプ。

ジョディは、機長にも、乗客にもすべてに見放された四面楚歌の中、妄想女扱いされつつ、一人体を張って犯人と戦い、最後は飛行機ごとぶっとばして、娘をとり戻す。アメリカ映画の主人公はどうしてこう、みなタンクローリーで塀を突き破るような戦い方しかしないんだろうね。少しは頭つかえよ。

頭つかわないまでも、ジョディが最初ヒステリー起こさず、落ち着いていれば、そして機長と交渉して、機内の一つ一つの場所を確認していけば、事を荒立てることなく、事件は解決したんじゃないの。ヒステリーおこして大騒ぎするから、機長も乗客を不安にさせないために、拘束するしかなかった。

話をややこしくしとるのは、ジョディのヒステリー。

後者「スタンドアップ」は、アメリカ初のセクハラ集団訴訟の実話を映画化したもの。とにかく、80年代のアメリカのブルーカラーの底抜けの下品さに、絶句。日本のセクハラオヤジなんて、ぜんぜん子供にみえてきますよ。あらゆる意味で豊富な人材をそろえてますね、アメリカは。

あれほどひどい国だから、人間は性悪ということで、いろんな法規も必要になってくる。もともと礼儀正しく、男女が互いを尊重しあうような社会なら、セクハラ禁止例も、裁判も何も必要ないわけだ。

 そう考えると、ラストに、女性たちが立ち上がっていく感動の「スタンド・アップ」も、ぜんぜん共感できんな。前提となる社会がひどすぎ。

 どーでもいーけど、たまたまショーン・ビーンが両方の作品にでていた。前者は機長、後者はヒロインの友達のダンナ役で、両方とも善人役。この人、昔からテロリストとか裏切り者とか、悪役しかやってなかったのに、年くったら、とたんに、にがみばしった善人役ばかりやりだしちゃってもう。

トミーリー・ジョーンズかっつの。

仕事しよ。
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DATE: 2006/06/14(水)   CATEGORY: 未分類
チベットの聖者の足跡をたどるツァー
 今日の午後はJTBで「チベット旅行はいいですよ~」講義。先週に引き続き二回目である。今度の『旅行人』にも原稿を出すことになっているし、なんか旅行業界の手先のようになってきている。
ツォンカパ仏塔

 そのうえ、今回九月の六日からスタディ・ツァーが計画されており、主催者はチベットに強い、風の旅行社。

 旅の内容はポタラ宮、トゥルナン寺といった基本的な観光地を押さえた上で、私の目下の興味の対象として、ツォンカパの聖跡めぐりも行う。

くわしい旅程はここへ! ここクリック!


 チベットを旅すると、いたるところに、頭に黄色の帽子をかぶった聖者が二人の弟子を脇士にした三尊セットの像を目にする。この三尊像はチベット仏教の最大宗派、ゲルク派の開祖ツォンカパとその二大弟子(ダルマリンチェンとケドゥプジェ)である。

 歴代ダライラマもむろんこの宗派に属し、現14世の哲学や思想はこのツォンカパに多くを負っていることはよく知られている。

 ツォンカパは1357年、東北チベットのツォンカの地に生まれた。彼の通称はこの生地にちなんだものである。18才の年に中央チベットに留学し、カダム派、ディグン派、サキャ派の僧院で学び、議論し、次第にその令名は高まった。

 彼は30才前後で、ウマパという一人の僧と運命的な出会いをする。ウマパは文殊の姿を見ることのできる特殊技能をもっており、ツォンカパはウマパを介して文殊に質問をすることにより、哲学上の難問が次々と解決していくことに驚いた。ツォンカパはウマパと一緒に、ラサのトゥルナン寺の屋上、ラサ近郊のガーワトンなどで勉学を繰り返し、やがて仏教の様々な思想を一つに体系化する思想を完成した。

 ここまでくると、ナミの人ならその思想をもって世の中にうってでるところだが、そこは偉大なるツォンカパ。彼はあえて隠棲し、瞑想修行によって思想内容を身につけるという道に選んだのである。36才の年、ツォンカパは聖山オデグンゲルの麓にある、聖地ウルカに移り住み、そこで自らの獲得した思想を体験にまで昇華させていく。

 40才頃より、ツォンカパは俗世界に戻り、弟子や信者たちを前に法を説きはじめる。その包括的な思想により、次第に弟子、信徒、施主の巨大な集団が形成されていき、 50代に、ラサの古刹トゥルナン寺を復興して大祈願会(ムンラム)を行った。この祭りは、現在に至るまで連綿と続いており、チベット仏教の最大の年中行事と化している。

 晩年、ツォンカパはラサ近郊のドクポ山の頂上に隠棲所ガンデン僧院をたて、そこで生涯を終えた。キチュ河からつづら折れの山をのぼっていくと、山頂近くのやまひだの中に突如として巨大な寺院群があらわれる。このガンデン寺にはツォンカパの遺骸(一度壊されて破片を集めて再建)を納入した銀の仏塔がまつられている。

 ツォンカパの死後、弟子たちはチベット全土にくまなくちり、彼の教えを広め、いつしかガンデン寺はチベット最大宗派の本山となったのである。

 今回の旅は、ツォンカパがウマパとともに神秘体験を得たラサ近郊の寺、そのあと瞑想修行に入ったウルカ、その遺骸の眠るガンデン寺など、ツォンカパの足跡をたどるところが特徴である。セラ寺の背後にある山の頂にある古の修行所もできればいってみたい。

 最低催行人数は8名。今まで二回ネパールと満洲の旅が流れており、今度も流れるかもしれない。いままで、旅行が流れた後は、せっかくとった出張願いがもったいないので、研究費でいく調査旅行(北京・アメリカ)にきりかえたところ、なぜかまいど大変に研究が進むという結果がでているため、今度はどうなるのか興味津々である(宣伝だか逆宣だかわからなくなってきたが)。
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DATE: 2006/06/11(日)   CATEGORY: 未分類
早稲田祭にエントリー
 現在、仏青は早稲田祭にエントリーするかいなか、するとしたら内容を何にするか、で話し合い中である。今週中に決めねばならない。

 一人五つまで案をだして、それをKJ法で話し合うという、企画会議を提案したものの、今のところ、それぞれ一つ提案がいいところのようである。

 最初、例会では、祭りということで「露店をだして飲食物を販売してお金をかせごう」という意見が多数をしめていた。しかし、120周年という節目の年にあたる早稲田祭に、日銭をかせぎにいく、というのも何か貧すれば鈍するというか、凋落の極みという気がするので、いまいち気が進まない。

 また、私がしゃしゃりでるのも学生サークルの性質上、いかがなものかとも思うが、亀の甲より年の功、一言アドヴァイスを。

 まあ、フツーに考えれば、この手の固めのサークルは展示か講演会か上映会を行い、そこで、120周年記念誌を無料配布するくらいがよいのでは。

 記念誌は、とにかく名簿に名前のある限りのOBに依頼状をだして、120周年への言葉を文章、あるいは、墨書でよせてもらう。それに現役の文章を足してして、発行。安い印刷所、紹介しますよ。

 講演会は演者にそこそこの知名度の人を呼べば、人は集まるが、他力本願で情けないので、まあ最後の手段においとく。

 上映会にするなら、「仏青120年史」とか、「仏教と現代」とか何かテーマをもった45分くらいの映像作品をつくって、それを借りた教室で流し続ける。

 展示にするなら、みながあるテーマのもとに、自分の作品をだしあい、全体としては統一したインターフェイスでプレゼンすることであろう。

 今まで学生会館などで行われる、陶芸サークルや書道サークルの展示を見てきて感じたことは、学生の作品は、技術はむろんおぼつかないが、斬新な発想とパワーはなかなかプロにひけをとらない。

 たとえば、書道の展覧会とかいうと、たぶん本人も内容をよめてない漢文をただひたすら美々しく墨書したものが続くうんざり系のものが多いが、学生の書展は、ジョン・レノンのイマジンの歌詞をその楽譜の上に墨書で書いたり、階段形式の立体の紙工作の上に上・横・ナナメからいずれの方向からよんでも意味をなす言葉が書かれていたりとか、工夫と発想の宝庫でなかなか面白い。学生はやはり発想で勝負である。

 このような展示を仏青でやるとするとどういうことができるか。

 たとえば、テーマを「聖地巡礼」に決めるとする。

 私だったら「天空の聖地」とかいって、チベットの聖地と巡礼する人々をフィーチャリングしたパワーポイントを創る。

 また、会員の二人は四国のお遍路さんを徒歩で行っているので、この二人には弘法大師信仰と八十八箇所を旅する人々をテーマに何か作品をだしてもらう。地図を使うもよし、自分のとった写真で構成するもよし、マネキンに古来からの巡礼ファッションきせてたたせるもよし、なかなか面白いと思う。

 あと、海外滞在経験のある会員の方もいらっしゃるので、この方にはニューヨークの禅道場とか、チベット仏教ブームとかをテーマに展示をしていただく。ニューズウィークの関連記事や、ご自分の体験、素材はいろいろにある思います。

 それで、特にまだ巡礼経験のない会員には、これから夏休みにかけて、体をはって、身近な聖地巡礼をして、それをリポートしてもらう。今、思いつくところでも、江戸七福神、関東三大薬師、江戸不動観音めぐりなどの巡り系や、富士山、大山、高尾山、古峯山修験などの聖山系もいい。あ、本山めぐり系もあるな。実家が地方の人には、帰郷した折、地元の有名どころをリポートするのでもいい。

 展示については、集めた御朱印を展示したり、自分の使ったガイドブックを参考書に置いたり、とにかく、人目をひくような斬新なアイディアでそれを発表してもらう。

というように、それぞれが自分のテーマに基づいて、聖地巡礼を行い、学生の得意とする奇抜な発想で、プレゼンをするのだ。

 一般の人に仏教の楽しさをアピールできて、自分たちも楽しめる。また、奇抜な発想を競い合いながら展示のやり方を決めていく中で、会員同士の親交も深められる。

 会場に来てくれた方には記念誌を配るので、120周年を祝った気にもなれる。まあ、こんな風にしてみてはいかがであろうか。

 参考までに。
 
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DATE: 2006/06/05(月)   CATEGORY: 未分類
就職と外国滞在は向学心のエネルゲン
ここんとこさぼっていた仏青の近況を一つ。

読者諸氏は信じられないだろうが、あのようなホスピタリティであるにもかかわらず、なぜか入会者がそこそこ入ってきてくれた。

当面はメーリングリストで情報を交換しつつ、「聖者の一言バトン」などをまわしたりしている。

また、このうち何人かは例会に顔を出してくれ、とりあえず、部室で仏教関係のDVDをみながら、さしせまった早稲田祭のエントリーをどうするか、120周年の記念事業をやるかやらないか、などの話あいをしているようだ。

なんかあまりにも普通のサークルになってきていて、この幸せがこわい。

新しく入ってきた方々を見ていてつくづく思うのが、社会人学生さんのありがたさである。とにかく彼らは熱心。

釈尊は、若いうちには享楽的な生活を送っていて、若さが終わりに近づいた29才の時、その空しさを覚り、出家を決断した。このエピソードが暗示しているように、仏教はそもそもある程度年齢がいってから方がそのよさが分かるのであろう。

それに、きまぐれでひっこみ思案のハタチ前後の学生さんに比して、社会人学生さんは、責任感があり積極的なので、非常につきあいやすい。

社会人学生は主体的に学科を選んで入学してきて、自分で稼いだお金で授業料をはらっているため、非常に向学心が強いのである。一日仕事をして疲れていても、授業にはきちんとでてくるのでこちらの頭が下がる。

一方、一般の学生の多くは「偏差値が高かったから」「就職に有利だったから」などの消極的な理由で学科を選び、授業料も親が払っているので、全体に向学心が低い。サークル活動や友達との遊び時間には精力を傾注するくせに、そのはんぶんの情熱も勉学へ回すことはない。ただダルイというだけで授業をさぼることもある。

今回仏青をつうじて、社会人学生の方とおあいして私が刺激になったくらいだから、一般の学生に対してもさぞかし垂範となっていることと思う。

そういえば、四年のゼミに帰国子女の男の子が一人もぐりこんできた。「内定もでたので、この一年は就職や資格と関係ない、自分の本当にやりたい勉強をやる」といって、私のナショナリズムの授業をとってくれたのだ。

彼によると、彼は文学部のサンスクリット語の授業にもでているが、サンスクリット語の上級クラスは、志望者がいなかったため、廃止されたそうだ。彼の通っている初級クラスですら、たった三人しか学生がいないという。

インドの古典語サンスクリット語といえば、インドのみならず、ヨーロッパの文芸、哲学、言語学の研究にも必須の教養である。この重要な古典語を学ぶ人が早稲田四万人の学生の中で、たった三人しかいないというのは、教育の荒廃の明らかな兆候だ。

そういえば、教育学部のラテン語クラスも何年か前に人数不足で廃止になっている。

かつて学生は、史料を原語で読解したり、哲学書を原書で読んだりといった困難にトライすることに学問する喜びを感じていた。
ところが、この古典語クラスの廃止が如実に示しているように、今の学生はとにかく「日本語でできること」「楽しくできること」「わかりやすいこと」にしか興味をもたない。

みながラクにながれていく中、文化の荒廃は静かにそして着実に進行していくのだ。

頭を使わない自覚が多少はあるのか、ときたは脳トレーニングとかでおかしなクイズをぴこぴこやってるが、あれはみっともないからよした方がいい。

仏青を見ていて感じるのは、大学教育を再生するには、社会人学生と本マモンの帰国子女(外国にいたけど日本人学校に通っていたてーのはナシ)の大量採用が鍵となることである。

彼らの向学心が荒廃した教育現場や沈滞するサークル活動に何かをもたらしてくれるような気がするのだ。しかし、他人任せはいかんな。教師の方でもがんばらんとな。
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DATE: 2006/06/02(金)   CATEGORY: 未分類
愛鳥かまちの「それから」
今朝、午前五時、かまちが「ぎゃっ」となく声で目が覚めた。
とびおきてのぞいてみると、おきぬけの大きなフンチがある。縫合したお尻が痛くて悲鳴をあげたのかと心配になる。

じつは、三~四日で抜糸と言われていたので、本当は木曜日の午前中くらいに抜糸してあげるのがいいのだが、

「抜糸直後は再び同じことになる可能性もあるので、一日そばてみていてあげられる日の午前中に抜糸するのでないと危ないからダメ」

と先生が言うので、必然的に抜糸は土曜日の午前中かと思っていた。

しかし、こうしてカマチが悲鳴をあげているということは、縫合したおしりが腫れているのかもしれない。そこで、急遽授業の準備をしこみ、九時になると、すぐにカマチを病院につれていく。

キャリーにうつす時にはこの前の時と違い、ものすごく抵抗され、通院中も、ゲゲゲゲゲゲと、ドスのきいたお怒りの声をあげ続ける。待合室にしつけのなっていない犬がわんわんほえていたが、カマチがゲゲゲゲゲと怒りなきすると、犬の方がびびっていた。

おそるおそる、今朝の状況を話すと、先生はカマチのおしりをみて

「この子、自主的に抜糸しています。もう傷が乾いていますから、一日以上はたってますね。何事もなくてラッキーでしたね。でも爆弾を抱えているようなものですから、とにかくこれからも注意して、無精卵を生ませないようにしてください」

ななななななーんと。抜糸のあと、もっとも不安定で、腸がでろーんとでそうになっていた時にわたくしは授業とかで家をどーんと空けてしまっていたのだ。知らないということは幸せなことである。

ともかく、これで最初の峠は越した。これからは日常的な気配りが重要となる。

小鳥は、病気にかかったり、怪我をしたりすると、それはもう簡単に落ちてしまう。大切に世話をすれば、セキセイなら十五年、オカメインコは二十五年以上は生きるのに、ちょっとした病気や怪我がその生をかんたんに奪っていく。

よくドラマとかで、憎まれ役のバアさんが「みんながこんなに冷たくするんなら、あたしゃ死んだ方がましだよ」とかいって、回りを困らせているが、ああいった御仁に限って、百まで生きるものである。一方、小鳥は、「あれ、今日はちょっと元気がないな~、でも、こっちみて笑っているから大丈夫かな~」(自然界はサバイバルなので結構病が重くなるまで、弱ったことを外にださない。こういう習性はとても困る)とか言っているうちに、ばったりと落ちてしまう。

そう、美しくかれんなもの程、もろいのである。

カマチはゲゲゲゲゲとか言うし、腸がはみでたりもするが、何事もない時はじつに美しい鳥である。なので、なおさら心配なのである。
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