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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2006/03/30(木)   CATEGORY: 未分類
「ワセネコ」お飾り会長の苦悩
 「早稲田地域猫の会」のお飾り会長をつとめるわたくしは(そんなことまでしてたんかい)、猫の去勢問題については、政治的配慮から(笑)つとめて言及を避けてきた。

 しかし、ついにその重い口を開く時がきたようである。餓鬼道(雄猫)がのっぴきならない状況にあるからである。

 じつはこれまで我が家においては、自分たちの判断で猫の去勢をしたことはない。前代に18才で天寿をまっとうしたるり(メス猫)は、もともと他家が去勢したものが、いつのまにかうちにいついたので、去勢問題で頭を悩ます必要はなかった。

 三年前、餓鬼道を我が家で世話しだした時も、あたりに雌猫がいないこともあって、去勢は考えなかった。

ところが、今年のサカリはひどい。そのうえ、ある日を境に餓鬼道の耳がだんだんただれてきて、くしゃみをしだした。病院につれていくと、先生は「これはアレルギー症状であり、副腎皮質ホルモンの注射をしましょう」というので、してもらうと、餓鬼道は血を吐くような悲鳴をあげてオシッ×をち●り、家に帰ったら怒って二十四時間帰ってこなかった。

 そして、その日から彼は午前零時に一瞬家にはいってごはんをたべるのみで、一日中外にでずっぱりになった。サカリがついたらしい。ムリに家にとじこめようとすると、カーテンをよじのぼってまで出口を探すため、とてもとめられるような雰囲気でなはい。


 治療ができないので、アレルギーは日に日にひどくなる。そして翌日を境に帰ってこなくなった。二人で近所を名前を呼びながら探し(こんな恥ずかしい名前にしたおかげで、自分たちが恥をかく)、猫道はつねにあけはなし、ごはん置き場にはいつも好物のごはんをだして、帰りをまった。

毎日毎日、カーテンが揺れるたびに、帰ってきたかなと思い、夜になっても、猫の声が聞こえたような気がするといっては、飛び出して懐中電灯をつけて家のまわりを探し回った。

餓鬼道は白い猫なので白いものがちらりとでも動くとそれがスノードロップの花であっても気が散るので、仕事になりゃーしない。

待ち続けて三日目ともなると、二人の不安も頂点にたっした。

私が「きっとサカリがついて遠くまでいってるんだよ。この生あたたかい気候が終わったらもどってくるよ」というと

ダンナ「あなた大事なことを忘れている。あの大食漢がごはんを食べずにこんなに何日もいられると思う?」と後ろ向きなことをいう。

腹が立つので、FBIの人質解放プログラムにのっとって、暗いイメージのする言葉を禁止する法律を制定する。

そして三日目、二人の外出中にごはんだけなくなっていた。

心底安堵した私は「よかった生きていたんだ」というと
ダンナ「別の猫だって可能性はないかな」。

法律にのっとって処罰。

そして、翌日、餓鬼道は久しぶりにその姿をみせた。なぜか大して痩せていないものの、アレルギーはひどくなっており、鼻水と涙をたらしている。

しかも、ろくすっぽ食事もしないうちにまた家をでてしまった。

 ダンナ「餓鬼道を去勢しよう。去勢すればサカリがおちて、家におちつくようになるし、アレルギーの治療もできるよ」という。

 私も餓鬼道が楽になるのは大賛成であるが、人間の価値観で一個の生物からその生きる原動力の一つを奪うことは果たしていいことなのか迷った。

 "母親が受験生の息子に「●×ちゃん、性欲は受験勉強の邪魔になるから、去勢しましょうね。」といって去勢したら、その学生はどんな気持ちになるか" と私がいうと(これは笑い事ではなく、昔、中国の高級官吏登用試験科挙に受かるため去勢した男がいたらしい。)、

 ダンナ「人間と猫を一緒にするのはおかしい。このまま他の猫と喧嘩ばかりして、しかも病気の治療もしなかったら、すぐに死んじゃうよ。餓鬼道は自分でこの状態からぬけだせる能力がないんだから、人間の意志で判断するしかないんだ。だいたい、餓鬼道がこんなバカなことをしているのだって、本猫の意志というよりは、本能という名の煩悩がやっていることだろう?」という。

まあそれも一理ある。

去勢した学生が、東大にストレートで入って、いいとこに就職して、九十まで豊かな人生をおくったら、本人もまわりも幸せだろうし、一方、去勢をしなかった学生が、ガールフレンドを妊娠させて、育てられないから里子にだして、受験にも失敗し、就職もできず、はてはホームレスになって四十代でしんだとしたら、そりゃー不幸な人生だ(どこから思いつくんだこのストーリー)。

煩悩という名の物語だ。

しかし、何かがひっかかる。

誰かの人生を赤の他人が左右することについての、本能的な違和感である。

確かに餓鬼道はこのままだと短命に終わるだろう。それはわれわれにとっても悲しいことだし、餓鬼道にとっても不幸なことだ。しかし、本当にいいのだろうか。

尊厳死も同じことだ。ダンナのように「これが幸せなんだ」と思える人はいいが、私のように、人は神の立場にたってはいけない、という人はいるだろう。

前者の立場の問題点は、どこかに判断する人間の主観がまじるため、相手のため、と口ではいいつつも、そこには自分のエゴを反映させる危険性がつねにあるということ。

後者の立場の問題点は、命を左右するという責任は回避できるものの、自分の状態を自分で改善できない生き物はそのまま苦しみ続けるということである。

カソリックがバースコントロールをかたくなに拒み続けているため、途上国のカソリック人口が増えつづけ、教育や医療がいきとどかず、信者の大半が貧困な状態にあるのなんかはその典型的な例である。

あちらたてれば、こちらはたたず、

ちなみに、親不孝な餓鬼道は今日も帰ってこないため、この議論は棚上げされている。
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