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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2006/03/18(土)   CATEGORY: 未分類
青年會の歴史が秘密のベールをぬぐ
私は昨日行われたという仏青会議の結果を聞くために、部室を訪れた。

ドアを開けると、ほとけどじょうくんが一人ぽつんと座っていた。

彼いはく、実働メンバーはやはり三人くらいで、その二人は新歓に非常に前向きとのことであり、まあ、いい結果であるとする。

新入生の入会にあたって想定されるトラブルについて、その対処法を伝授する。

新歓ポスターのカラー印刷がうまくいかないというので、印刷を引き受けることとする。そんなことくらいはおやすいご用ですよ。

新歓のバンフレットには果たして宣伝になるのか否かは謎であるものの、私の推薦文を入れることとする。
その際私が、
「早大二代目総長小野梓との関係とかをもっと前面に出しては?」と提案すると、

ほとけどじょう君いはく
「じつはこの小野梓との関係は仏青のOBは盛んに口にするんですけど、裏がとれていないんですよね。口伝の段階で新歓に使うわけには」というので、

じゃあ、この機会だから、小野梓先生の伝記を調べてみよう、ということになり、ほとけどじょうくんは中央図書館にむかった。

わたくしは大学史史料センターに電話を入れると、担当者は仏教教友會がだした、小野梓のパンフレットをみつけてくれ、「小野梓先生は仏教に造詣が深かったのは確かです。しかし、なにしろ120年前でまだ早稲田は専門学校時代ですよね。今のサークルにあたるようなものがあったかどうか」とのこと。とりあえず、ほとけどじょうくんら仏青メンバーが調査に伺うかもしれない旨を伝えておく。

 その日のうちにほとけどじょうくんは小野梓の伝記をかりだし、仏青の前身が早稲田教友會らしいことをつきとめてくれた。

 この話をダンナにしたら、ダンナがしばらくして「あなた、これ面白いんじゃない」と早稲田の公式ホームぺージから以下の記事を見つけてきた。


早稲田大学の生みの親である大隈重信と小野梓を本尊に見たて、この二人を取り囲んで、草創期の学宛の基礎を築いた功労者である高田早苗、天野為之、市島謙吉、坪内逍遙の四人を「早稲田の四尊」と呼んでいます。

 事実、私たちは大隈銅像の傍らに立って周りを見渡したとき、この配置が実際に形づくられているのを見ることができます。

 大隈銅像のすぐ脇に高田の坐像があり、その背後に建つ7号館に小野講堂があって、そこに小野の胸像が中央を向いて建っています。そしてこの広場を西側から見守っているのが、天野の提唱で開設され、彼が初代科長となった商学部の建物があり、南側に市島がその充実と発展に力を尽くした旧図書館が、北側奥に坪内博士記念博物館が配置されています。

 つまり早稲田大学は、そのキャンパスの構成から研究・教育の理念に至るまで、今日もなお二人の本尊と四人の脇侍像を中核として構成されているといっていいのです。

(http://www.waseda.jp/jp/okuma/people1/people102.html)

なんと、大隈重信公と小野梓公は一心同体でかつ仏様であったのだ。

そいで、高田早苗等四人の脇士までいるのだ。そして建学の精神には仏教が重要な役割を果たしていたのだ。

にしても、なんじゃこの文章わ。

 早稲田大学を卒業し、そこで教員をやっているとはいえ早稲田精神なるものは一度も自覚したことはなかった。

しかし、仏教の二文字がでることによって、俄然愛校心がわいてきたのは、なぜであろうか。

仏青やはりこのサークルは消滅させてはいかん。
おしゃかさんの名にかけて、そして、早稲田大学の名にかけて、
ぐわんばれ仏青!負けるな仏青!

(私もちょっといかれてきました)
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