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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2021/05/09(日)   CATEGORY: 未分類
チベット里親支援レポート
リアルで行われるチベット・イベントには、ぶっつけ的な要素が満載で、主催者が会場に集まってから司会者とか段取り決めるみたいなおおらかさがあるのだが、果たしてオンラインではどうであろうかと思ったら、オンライン・チベフェスはとりあえず時間通りに始まった。ほっとするのもつかの間、いきなりハウリングしまくっていて(同じ室内でパソコンを二台以上つけていると音が肉声と別のパソコンからでた音声をひろい生じる現象)ワロタ。しかし二日目午後くらいからは、スタッフがんばったのか状況は改善していた。

 今回は四日午後に流されたチベットの教育機関から日本の里親さんへのビデオレターをレポートする。録画がここにおいてあるようなのでチベットのマンダラや瞑想についての講義などはこちらでご覧いただきたい。

 子供たちのビデオ・メッセージはここ一ヶ月以内に録画されたもので、コロナで学校がオンラインになっていることもあり、大々的なことはできなかったとのこと。それでも「教育が受けられて嬉しい」という子供たちの言葉はなんか感動的だった。そいえばこのコロナ禍でチャイルドラインには、普段なら子供たちが「学校にいくのがつらい」とかいう電話が多いのに、今年は「学校にいけなくてつらい」という訴えが多かったとのこと。人は社会的な生き物なんだなあとそのニュースを聞いて思った

 話をもどそう。ビデオレターを送ってきたのは以下の四種類の学校であった。

(1) 難民社会の教育省が直営校するカリンポン、シッキム、シムラなどの四校。
(2) 難民社会でもっとも古い歴史をもつダラムサラのチベット子供村(TCV)。
(3) チベット・ホーム・ファンデーション(Tibet Home Foundation)が運営するムズリーの学校。
(4) マンジュシュリ孤児院基金(Manjushri Orpharn Fund)が運営するタワン(アルナーチャル・プラデーシュ州)のマンジュシュリ学校。

(1) 教育省直営校
 カリンポン校の子 「[里親支援の御陰で]家族が学費と生活費のために苦労することがなくなりました。一生懸命勉強していますが、これからもっとがんばります。」
 シムラ校の女の子。「将来チベットの伝統医学を学び医師になりたいと思っています」
 シムラ校の男の子。「ラダック出身のテンジンリクジンです。中学三年です。時間がある時は本を読んだりサッカーをするのが好きです。ここが学校の講堂です(ダライラマの写真が掲げられている)。六時に起床して六時半から七時まで、午後は五時から五時半までここでみなで読経します。[図書館にきて]日曜日はここでみなでテレビで映画やニュースをみています(背後には本土チベットの地図が掲げられている)。
[シムラ校]みなで声を揃えて「仏性会※のみなさんありがとうございまーす」。

※仏性会とはダライラマ法王が1989年にノーベル平和賞をとる前からずっと法王と交流し難民社会を支援をしている仏教勉強会。
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(2)「チベット子供村」 (TCV)
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 TCV理事長「TCVハチベット本土からの子供や貧困家庭の子、そして孤児たちの世話をする、学校というより教育と福祉を行う慈善団体です。1959年にチベットは国を失い1960年代多くの人が法王について亡命しました。そのような状況下でTCVはまず[親を失った子を保護する]保育園として始まりました。法王は何よりも教育を重視し、ここTCVはダライラマの構想を実践する場所となっています。

 現在は難民社会でもっとも大きな教育施設になりました。TCV の支部は北はインドのラダックから南はバイラクッペまであり、現在約8000人の子供が教育を受けています。ダラムサラには1200人の子供が勉強しており、教師と寮母さんなどのスタッフは200人います。38名の子供が日本からの支援を受けています。これまで72000人以上の子供たちがチベットの伝統文化と現代教育を受けて卒業しました。TCVの理念は「まず、自分より他人を思いなさい」(Other before Slef)です。
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 私たちが考える「良い教育」とは家庭環境や宗教やカーストや人種に拘わらず、子供たちに思いやりもたせ、皆一つの家族であるという感覚を育むことです。これは法王のお考えでもありチベット文化の本質でもあります。子供たちが次世代の世界のお手本になるように育てるように努力しています。


そして子供たちのビデオレター「枕詞がダライラマ法王とジェツンペマかあさんのおかげ勉強ができます。日本の●×さんから支援を受けています。小学校から高校一年まで。学費・政活費だけでなくお土産も戴きました。心から感謝しています。」となっていたのが印象的。本当にダライラマが始められた施設なのだなあ。

(3)ムズリーのTibet Home Foundation(CST)では日本人が35名の子供たちの里親になっているとのこと。子供達が富士山の絵とかかいているのが日本によせていて健気。

(4)タワンのマンジュシリ校
 さて今回四種類の学校のうち、タワンが一番外国人が入りにくい場所である。国境紛争地帯であるため、外国人の入境が長く制限されていたからだ。ここではKIKUのみなさんの支援により57名の子供がサポートされている。
 小学校低学年の子が集まってThank you ボードを掲げている(日本の旗もみえる)。真ん中にトゥプテン・プンツォク師が読経してるのがチベットらしくていい。
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師「みなさまの幸せと長寿を祈ります。KIKUのすべてのメンバー。龍村和子ファミリーのみなさん、タシデレ(こんにちわ)。トゥチィチェ(ありがとう)、[日本語で]ありがとうございます。

アマルグルン院長「「なくなられた久保隆さんのご家族に深くお悔やみ申し上げます。久保さんは私たち家族の一員でした。彼は私たちの心、そして祈りの中に存在し続けています。」


最後にアリヤ代表がしめのことば 
アリヤ代表「以上のチベット人の学校は教育省(Department of Education)に管轄されています。チベット政府にとってチベット問題の次に重要なのが子供の教育です。伝統と近代教育を子供たちに伝え、ちゃんとした人間ができるようにしています。モットーはOther before Self(自分より他人を大切に)。come to learn go to serve (学べ、そして社会に貢献しろ)です。この理想に基づいてインドばかりかブータン、ネパールにまで全部で85校以上が運営されています。経済的に困窮している家族の子供には世界各国から里親支援をしていただいています。

 もし里親に興味のある方は事務所に連絡ください(サイトはここ)。子供を紹介します。その子供に高校生になるまでスポンサーができます。可能な限りでいいです。子供たちからの手紙とかカードをもらうことができます。TCVの運動会に参加するなどして自分の里子に会うこともできます。

 実はわたしもドイツの里親の支援で学校をでました。私が高校生になるまで支援してくれました。私が大学をでて[難民政府に就職し]ドイツに仕事で行くことになった時、その里親に連絡したら、高齢になっていましたが、会うことができてお互い嬉しかったです。人間は相通じあうことはとても大事です。

 2008年のチベット蜂起以前にはチベット本土からきた子供たちがインドのチベット学校で学んだ後、残る人もいれば本土に帰る子もありました。しかし、2008年からは中国政府が国境の警戒を厳しくしたので本土からくる子供はまったくなくなりました。

 しかし本土ではチベット文化を教える機会はどんどん減少しているので、本土のチベット人はチベット語もチベット文化も勉強できずアイデンティティを守ることができなくなっています。しかし、インドのチベット人はみなさんの御陰さまでチベット文化をまもることができています。

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DATE: 2021/05/01(土)   CATEGORY: 未分類
チベットフェスティバル (オンライン)
雨が降ったりやんだりの不安定な天気が続いているが、大気には新緑の香りが充満している。外にでたくなる季節ではあるが、コロナで宣言が出ているためデパートも飲食店も閉まりっぱなし。閉門蟄居が推奨されている。スーパーでは旅にでた気になる物産展が開催されているため、本ブログもエア旅行の紹介を。まず、エアブータンを楽しんでいただくため、ブータン料理に挑戦。いや私でなく院生Wくんがだけど(爆笑)。

シェフ院生Wくんはブータンの食材を見事に代表的な料理エダマツィ(唐辛子のチーズフォンデュ)とパクシャパ(豚バラ唐辛子煮込み)に作り上げてくれた。探してみたら両方ともクックパッドにレシピがおちていて、いまや食材さえあればどんな国の料理でも自宅でつくれるんやなあと感無量。彼の腕がよかったため辛いながらもご飯がすすんだ。食材をくださったTさん、作ってくれたWくん、ありがとうございました。

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次はエアチベットのご紹介。ゴールデンウィーク恒例のチベット文化の啓蒙イベントチベフェスが今年はオンラインで開かれます。閲覧のみなら、Tibet House Japanのフェイスブックから live配信でみられるとのこと(サイトはここ)個人的にはボールドにした五月三日の午後のチベット・ハウス職員によるチベット料理のプレゼンと四日の午後のチベットの教育機関からのビデオメッセージに興味がある。歌と踊りは流しっぱなしにしておこうと思っている。

5月2日(日)
午前11時~午後12時30分 チベットハウス代表アリヤから、開会のご挨拶と、チベットの歌と音楽
午後2時 ~午後3時30分 チベットの歌と音楽

5月3日(月)
午前11時~午後12時30分 「砂曼荼羅、その目的と意味」 クンチョク・シタル師
午後2時 ~午後3時30分 チベット料理クッキング バター茶・パク(麦焦がし)・テントゥック(麺)
プレゼンター:ジグメとロブサン(チベットハウス・ジャパン職員)

5月4日(火)
午前11時~午後12時30分 「入門:仏教瞑想と修行」 ゲシェー・テンジン・ウセル師
午後2時 ~午後3時30分 ビデオメッセージ 「チベット現地教育機関と子供達から、サポーターの皆様へ」

5月5日(水)

午前11時~午後12時30分 「チベットの宗教文化」 チベットハウス・ジャパン代表 TGアリヤ
午後2時 ~午後3時30分 チベットの歌と音楽/終わりのことば


見るだけでなくBlueJeansで参加したいという方は(会員優先)、以下の情報を申込先メールアドレスまで送信すれば追ってミーティングIDとパスワードが送られてくるとのこと。

1.参加イベント(下記「 スケジュール」参照)
2.メールアドレス
3.参加者名
申込先メールアドレス:tibethouse.jp@tibet.net






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DATE: 2021/04/18(日)   CATEGORY: 未分類
ブータンとイスラムを都内で堪能
16日午後、日米共同声明の中で、52年ぶりに台湾海峡の平和と安定の重要性が言及され、さらに香港と新疆ウイグル自治区の人権問題への懸念をも表明された。この声明は日米中関係の歴史的な転換点といえる。
現在の習近平指導部の力による現状変更は国際社会からの孤立を招いており、これはかつての日本のたどった道を彷彿とさせる。歴史の国中国であれば、このままいけばどんな結末となるかわかりそうなものだが、今のところはわかっていないよう。
 
 さて、本題です。ブータン留学から帰った学生Tさんからブータン料理の食材を戴いたので、ブータン料理の作り方を知りたくなった。レシピはクックパッドとかに転がっていないので、日本で唯一ブータン料理を提供する店である代々木上原のガテモタブン向かった。孤独のグルメでも紹介された代表的なブータン料理店である。お供は院生Wくん。私は料理に対する情熱がナッシングなので、料理がとくいな院生Wくんを巻き込んで作って貰おうという腹黒い作戦である。
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 余談であるがガテモタブンってチベット語の綴りが思い浮かばないと思ったらただのブータンと多分をかけあわせた親父ダジャレらしい。

 さてここで一口マメ知識。ブータンはチベット文化圏であるが、政治的にはチベットと微妙な関係にある。ダライラマ5世が1642年にチベットに政教一致のダライラマ政権をつくりあげたほぼ同時期にドゥクパ・カギュ派がブータンに政権を確立した。両者は宗派が異なることもあり17世紀には衝突を重ね、ダライラマ政権とは距離をとった存在であった。そうこうするうちに1951年、人民解放軍がチベットを蹂躙した。

 Tさんによると、ブータンの人はチベット人をもちろん嫌いではないけど、チベットが中国に滅ぼされた時は、「あー、やっぱりね」と微妙な反応をしたそうな。それは歴代ダライラマ政権が中国皇帝やモンゴル王公の帰依をうけることで繁栄する一方、彼等の干渉をまねいたことに対する「やっばりね」である。

 ちなみにブータンは中国とインドという二大大国に囲まれており、力でおしてくる中国は大嫌いで、主にインドに依存している。が、だからといってインドを全面的に好きではないという、大国にはさまれた国にありがちな立ち位置である。

 Tさんにうかがったブータンの食生活はモモ以外はあまりチベットとにていない。チベットは高地で寒冷なので米はとれないが、ブータンでは全国民の需要をまかなう米が国内でとれるとのこと。代表的なブータン料理、エマダツィは米と唐辛子とチーズを一皿にもりあわせたものでそれを毎日戴くのだそうな。これがチベットだと大麦を粉末にひいてそこにバター茶をかけるツァンパってことになるから、主食レベルで随分違う。
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 お店ではエマダツィのランチをたのむ。美味しいまずい以前の問題で辛くて完食できない。チーズフォンデュで唐辛子を食べているといえばわかるだろうか。孤独のグルメでは主人公が料理を食べ続けるうちに唐辛子が調味料から野菜へとパラダイムシフトした、といっていたが、辛くて完食できずそのシフトが起きない。

 Tさんによるとヤクのしぼりたてのミルクからつくられたチーズで食べるとエマダツィはすっごい美味しいそうだが、日本にはヤクおらんし、唐辛子もブータンの唐辛子は日本のものとは異なるのでそのあたりが原因か。

 とにもかくにもブータン料理の偵察を終えて、当初は家に帰ってチベット語のオンライン授業をやるところだったのだが、行きの電車で東京ジャーミー(イスラムーのお寺)が近くにあることがわかったので前から是非是非いってみたかったのでMくんに授業時間をずらしてくれと頼んでジャーミーに向かう。
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 Wくん「モスクって異教徒とか女性ははいれないんじゃないですか」 

 私「このモスクは在日トルコ人が経営していて、トルコはイスラム圏でも世俗化が進んでいるので大丈夫。とくに日本だと『中で何やっているかわからない』という評判がたつとイスラム教徒全体があやしい目でみられるから礼拝時間以外は人をいれてるの。海外のモスクじゃこうはいかないから絶対行かないと」
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 礼拝堂にはいるには女性は貸しスカーフで髪を包むことになっている。さらにコロナでマスクをしていたのであとで自分の写真みたら中東のイスラム女性みたいな風貌になった。Wくんはびびって入ろうとしない。私は気にせず礼拝堂に入ると、正面にメッカのカーバ神殿の方角を示すキブラがあり、その右側にイマームの説教台。カリグラフィーに囲まれもちろん偶像がいっこもない空間はうっとりするほど美しいトルコのモスク。

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館内にはハラール食品をうるスーパー、そして食堂もある。この食堂は異教徒でも入れるが、現在ラマダーンなので人がまばら。コーヒーとチャイを頼むが、イスラーム教徒ならラマダン中は本当は水をのんでもいけないので申し訳ない。モスクの入り口にはイスラームの基本知識やムハンマドの生涯と教えを記した無料の啓蒙本が一杯おいてあり、とりあえず一セットいただく。東京ジャーミーの案内パンフは礼拝堂の中のクルーアンを引用したアラビア語のカリグラフィーをすべて解説してくれていてとても便利。
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 トルコの文化を紹介するイベントも定期的に開かれているようなので、イスラム圏について知りたい方、トルコが好きな方、また、代々木上原でたまたま下車した方、ブータン料理に東京ジャーミーなど多角的に楽しめますので是非どうぞ。
 
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DATE: 2021/04/06(火)   CATEGORY: 未分類
GWに読みたいチベット本
 ここ半年、チベット関連の書籍を多数寄贈戴いたものの、個人的な疾風怒濤で御礼もご紹介も遅れに遅れ、私の心の中には不義理の嵐が吹き荒れていた。このままではまずい・・と思いつつも新学期が始まってしまった。こうなったらここでやるしかない。とにかくコロナで身動きできないGWはチベットの本を読みましょう。

 最初にご紹介する二冊はいずれもチベット人の著者によるもので、1950年にはじまる中国共産党の東チベット侵攻の歴史の体験や見聞を下敷きにした小説で、物語としても面白く仕上がっている。また日本人の手になる後二冊は、前者は仏教、後者はチベットの歴史と社会について専門書と一般書をつないでくれる平易な解説書なので、概説以上のことを知りたい方、これから専門的に学びたい方は是非お手にとってご覧ください。

では、アムロ、いきまーす!
 

『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』(ツェワン・イシェ・ペンバ(1932-2011) 著 星泉訳 書肆侃侃房)
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 著者のペンバ氏はチベット人として初めて西洋医学を学び、英語で自伝と小説を書いた方。小説の舞台は1925年、東チベットの秘境ニャロン、主人公はこの地に宣教に入ったアメリカ人の宣教師夫妻である。彼等はニャロンの地な一定程度受け入れられるが、1950年、中国共産党の侵攻が始まるに及びすべてが終わる。タイトルの『白い鶴よ翼を貸しておくれ』は中国に護送途上青海でなくなったダライラマ6世の辞世の句からとったもの。

『ナクツァン あるチベット人少年の真実の物語 』(ナクツァン・ヌロ著 棚瀬慈郎訳 集広舎)
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 著者の自伝的小説。1950年代の中国共産党によるアムド(東北チベット)における弾圧の体験が反映しており、チベット現代史の研究にとっても価値ある証言である。

『構築された仏教思想 ツォンカパ』(松本峰哲著 佼成出版社)
松本哲峰

 著者は種智院大学の先生でカーラチャクラ・タントラを専門とされている方。チベット仏教最大宗派ゲルク派の開祖ツォンカパの生涯、その代表作である『ラムリム』すなわち、『悟りの道にいたるための修行階梯』についての詳しい解説書。

『チベットの歴史と社会』上巻〔歴史篇・宗教篇〕下巻〔社会篇・言語篇〕(岩尾一史・池田巧編 臨川書店)

 主編のお二人の先生は京都大学系であり、彼等の提供した場に集う"脂ののった"若手から中堅のチベット研究者が、それぞれの得意分野からチベットの様々な側面を自由に執筆した"集合体"が本書である。
岩尾本

 80年代まではチベット学の研究者は減る一方で、チベット学会の大会では発表者を探すのが大変だった。その頃私は「このままではチベットはマジで忘れ去られる。チベット学が消えてしまえば、チベットの輝かしい歴史(17世紀のダライラマの権威は宣教師をして東洋のローマ法王と言わしめていた程)と世界に誇る仏教哲学(モンゴル・満洲など帝国のトップを必ず魅了するレベルの高さ)は世界から忘却されてしまう、と不安に駆られていたが、その後、チベットを研究する学者は世界的に増加し、このように日本においても若手から中堅の学者がたくさん出現し杞憂に終わった。

 今度はこの若手・中堅が次の世代を育てチベットの精神文化が忘れ去られることのないように次代につないでいってもらいたい。
 

 
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DATE: 2021/03/23(火)   CATEGORY: 未分類
中陰(仮住まい)の日々
 三月四日に立て直した自宅に戻り、トラック四台分のゴミ引っ越し荷物の荷ほどきが、いつ果てるともなく続いている。

 捨てる決心がつかずに仮住まいにもって行ったものを、また新しい自宅にもって戻り、まだ捨てる決心がつかないため、引っ越しとはゴミが右往左往することなのだと思う。

 一区切りついたので、仮住まい中の心理変化について忘れない内に記録しておきたい。生まれた時から同じ家に住み続けていた自分にとって、自宅が更地になり、新しい自宅にもどるまでは本当に心許なく、仏教でいう「中陰」すなわち、肉体が死んだ後、意識が次の体に入るまでの過渡期のような気分であった。以下三期(阿倍仲麻呂期、住めば都期、遷宮期)にわけてお話ししたい。

●阿倍仲麻呂期

9月2日 

 仮住まいに引っ越す。仮住まいは駅から遠く、風呂場にナメクジがでるほど古く,押し入れに白塗りの子がでてきそうな昭和物件。はじめは「何か」がいるような気がして怖くて仕方がなかった。

 その上、アコギな不動産業者は、ペットが傷つけないように襖と障子をはずして住めと言うので、夏は暑く冬は八寒地獄でつらいのなんの。その上配電が悪く鳥の部屋と猫の部屋の両方のエアコンをつけるとブレーカーがおちる。一階と二階のリビングを同じブレーカーにまとめるってどんな仕様よ。さらに、リビングの電気が壊れ、ガスが漏れ2回も業者が修理に入った。

 こんな貸し家であったたため、引っ越し当初は自宅が恋しく、引っ越しの疲労もあり、めまい・頭痛・急激な視力低下など体調絶不調。遠回りして自宅近くのスーパーで買い物をすると、今はない自宅に戻りたくなりメンタルも絶不調。引っ越しの日がくしくも満月であったため、満月をみるたびに、「あと何回満月がくれば自宅に戻れる」と指折り数え、気分は唐の長安で月をみて故郷を懐かしんだ阿倍仲麻呂

 生まれ育った家が解体されるのは見るにたえないので、引っ越した後は、自宅方面に足を向けることを意識的に避けていたが、一度夜中に用があって自宅近くまでいった時、遠目に家があったはずの場所に闇の空間が拡がっているのを見てしまい、何ともいえない暗い気持ちになった。

10月3日
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 しかし、自宅がなくなった現実を直視せねばならない日がやってきた。地鎮祭である。この日、工事関係者ならびに施工主が集まってお祓いをうけ、工事の安全を祈願する(私はあらゆる験を担ぐ)。庭の一角を残して更地になったわが家を見るのはとてもつらかった。庭にいた蛙やヤモリの行く末を考えると胸が痛い。本当はボロ屋で死にたかった。

 丁度この時期、愛鳥(オカメインコのごろう様) の一族である合気道道場の二階で自由にいきる58羽のオカメインコたちも、道場主がなくなって里子にだされ離散したため、私も愛鳥もともに難民である。帰る家がなくなるというのは本当に心許ない。メンタル中陰である。

10月20日
 この日、あらかた仕上がった自宅の基礎に、地鎮祭で授かった人形(ひとがた)と興福寺の鎮め物の中にもある魔除けの水晶玉を、浄水で清めて基礎の四方に埋めた。

 折角チベットを研究しているので、チベットでは新しい家を建てるときどんなものを基礎に埋めるのかを清風学園の平岡先生に伺う。先生「チューロ・リンポチェに聞いてみます」と勢いよく請け合われた。

 暫くして電話があり「リンポチェが砂マンダラの砂がいいというので、ガワン先生がギュメ大僧院の座主をつとめていらした時御作りになった、グヒヤサマージャの砂マンダラの砂をほんとうに数粒ですがおわけします。この砂は亡くなられた方の額につけると良い転生をするというお加持のあるものです」とのこと。
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 なので新居の基礎には水晶玉と砂マンダラの砂が埋まっている。

●住めば都期
 
 12月7日 

棟上げ式。朝十時から工事関係者が揃いふみで骨組みができた自宅の内覧をする。更地になった時に極限まで不安定になったわが精神は、家の形がともかくもできたことにより、この日を境に安定し始めた。何事もなければ同じ間取りで同じ庭がみえるこの家に来年三月には入れる。転生先の肉体がきまったような安心感(笑)。
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 また、この頃、不思議なもので、仮住まいになじんできた。おそらく、愛鳥と愛猫、チベットのご本尊群が入ったことにより、呪われた昭和家屋は「私の家」になってきたのだ。

 気がつけば仮住まいの二階の西向きの窓は見晴らしがよく、朝焼け夕焼けの富士山をみることができ、夜になるとコスギのビル群の夜景が美しい。また目の前には公園があり、秋は紅葉が美しく、初春は梅の香りが楽しめた。晴れた日、人がいないのをみはからって、昼ご飯をお盆にのせて公園で食べたら気持ちよかった。
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 また、近くに大学のキャンパスや風致地区となっている公園があるため、散歩や買い物が楽しい。ナメクジがでたり、下水が臭ったり、あちこち故障したりと、とさまざまな障害に直面しつつも、朝美しい富士山をみると「まっいっか」と全てがどうでもよくなった。

 仮住まいの目の前には江戸時代からの聖地を結ぶ古い道があり、裏手に地域で唯一残った幕末の郷倉があり、徒歩数分のところに鎮守の神社もある。家から道をみると江戸時代の巡礼が歩いているのがみえるようで歴史の学徒として嬉しいロケーションであった。
 
 12月21日 
 冬至の日の夜 約400年ぶりに超接近した木星と土星が二階の窓からきれいにみえた。空が開けている家はそれだけで精神衛生にいい(写真は冬至の日に近辺でとった写真のプレビュー。朝は富士山がきれいにみえ夜は金星と土星がきれいだった)。
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2021年1月1日
 年明けとともに鎮守さまに初詣。コロナを理由に毎年のお振る舞いの甘酒はなしとのことで、神主さんにお祓いをしていただき、福箸を授かる。しかし、今年初めてなので例年との差がわからず結構満足する。この鎮守様、仮住まいから駅前に買い物にいく途中にあり、富士山が見える絶景ポイントであり、中陰の間、アホほど通った。

 一月から二月にかけて、自宅は内装工事が入り、やがて足場がはずれ、配線工事が入り、完成に近づいていった。

 2月13日(土)
 23時08分頃、福島県沖を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生した。仮住まいは武蔵野の斜面にたっているので(だから見晴らしがいい)、この地震でものすごい揺れてびびった。新築自宅は地震・火災・大風・豪雨に強い造りとのことなので、ひっこせばこの不安はなくなるはず。

●新居へ遷宮

 2月27日
 関係者が集まって、自宅の仕上がり具合の確認が行われた。引き渡しは書類の都合で三月四日となるが、事実上はこの日が竣工日。奇しくも引っ越しの日より六回目の満月の日、さらにチベット暦正月15日の吉日であった。

 3月4日
 新居の鍵の引き渡しと同時に引っ越しを行った。造園業者に70万円とられたキンモクセイの移植はこの前日に搬入されていた。全体に外構にはいろいろ問題があった。引っ越し当日、キレイなものを先にいれるのが縁起がいいというので、まずは我が家のご神体、お鳥様とターラー尊を院生W くんに車だしてもらっておうつしする。

それからトラック四台で家具や本のはいったダンボール箱を運ぶ。業界では学者の引っ越しは本が多いので大変と言われているらしいが、運ぶ人はまだいい。この箱をあけて本棚にうつす私はもっと大変である。

 3月6日
 仮住まいを明け渡す手続きを行う。何もかも運び出された家はまた前と同じ気味の悪い空き家に戻った。これは私がこの家を自宅とみなさなくなったことによるものなのか、カラッポであることがそうみさせているのか、どちらかと言えば後者ではないかと思う。

 二年前淡路島にリトリートをたてたYさんは、こうおっしゃる。

私はリトリートを建てたあとも、仕事で東京や大阪に滞在することが多くて、リトリートに本当に腰を落ち着けたのは建って一年後だったんです。そうして落ち着いたある朝、なんか吉祥な感じがするので、庭にでてみると、私がこの土地を買う前からあった涸れ井戸に水が湧いていたんですよ。

 彼女曰く家でも精神でもカラッポのままだとよくないものがはいってくるのだという。

 そうか。何もない家はただの器であり、そこに誰かが住んで、愛するものを守り、良い仕事をしていくうちにその場がよいもの=自分の家になっていくのか。うちには涸れ井戸はないが、この器としての家を良い感情で満たし、論文や仕事が泉のようにわいてくる場にしていかなければならない。

 
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