トンドゥプ・ワンチェン氏収監中の10年について証言

トンドゥプ・ワンチェン(Don grub dbang chen)氏が来日して十年間の中国での収監生活について証言します。
北京オリンピック前に本土チベット人の生の声をあつめたドキュメンタリーをとったことを理由に投獄され、十年後にアメリカに亡命した方です。このドキュメンタリー『恐怖を乗り越えて」はかつて当ブログでその内容を紹介させていただいています(詳しくはここ)。
政府の悪口をいっても間違った情報をながしても逮捕されない日本にいては、事実を「記録」しただけで投獄されることは、想像もつかないことと思います(フィルムは逮捕前に別の人によって国外にでた)。これがお隣の国の現実です。
アムネスティーインターナショナルなどにより、各地で証言会が行われます。プログラムの詳細や会費の有無は受け入れ先によって異なると思われますので、お問い合わせください。

◉トンドゥプさんの講演スケジュール◉
●東京
日時: 5月26日(金)19:00〜(18:30オープン)
場所:【明治大学グローバルホール】千代田区神田駿河台2-1明治大学駿河台キャンパス「グローバルフロント」内
主催:「チベット映画上映&トーク」実行委員会 family_of_tibetan_asylees@ googlegroups.com
共催:明治大学現代中国研究所、アムネスティ・インターナショナル日本 中国チーム
●東京
日時:5月27日(土)14:00〜(13:30オープン)※家族4人(ラモツォと娘2人も参加)でトーク
場所:【ふれあい貸し会議室】新宿区新宿4-2-21 相模ビル7階
参加費:1000円
事前申し込み不要
主催:「チベット映画上映&トーク」実行委員会
family_of_tibetan_asylees@ googlegroups.com
共催:アムネスティ・インターナショナル日本 中国チーム
●名古屋
日時: 5月28日(日)14:00〜(13:30オープン)
場所:【名古屋YWCA 2階ホール】 名古屋市中区新栄町2-3
主催:アムネスティ・インターナショナル日本 名古屋グループ
共催:明治大学現代中国研究所、アムネスティ・ インターナショナル日本 中国チーム
問合先:TEL.090-3657-8392(津田)
●福岡
「伝えたい 知って欲しい ただそれだけ」
日時:6月 3日(土)14:00〜(13:30オープン)
場所:【福岡市市民福祉プラザ 5階視聴覚室】福岡市中央区荒戸3-3-39
主催: チベットを知る会
参加費 1,000 円(大学生以下無料)
問合せ先 info@AboutTibet.net
ドキュメンタリー映画「Leaving Fear Behind」
ワンチェンさんの講演
●大阪
6月 4日(日)13:00〜(12:30オープン)
場所:【金光教大阪センター】大阪市中央区久太郎町1-4-13
主催:スーパーサンガ
サイト: https://supersamgha.jp/info/1901/
平和祈念法要
映画上映『ラモツォの亡命ノート』
特別講演『チベット亡命者 空白の10年を語る』
●広島
6月 8日(木)19:00〜
場所:【合人社ウェンディひと・まちプラザ マルチメディアスタジオ】 広島市中区袋町6-36
主催:アムネスティ・インターナショナル日本 ひろしまグループ
問合先:090-3177-7336(野間)
●高知
日時:6月10日(土)14:00〜(13:30オープン)
場所:【高知市立自由民権記念館ホール】高知市桟橋通4-14-3
主催: བོད་(ぷー)ふぇす実行委員
問合先:090-2824-2118
●鎌倉
日時:6月11日(日) 16:45〜(16:30オープン)
場所:きらら鎌倉(鎌倉生涯学習センター)第6集会室 鎌倉市小町1-10-5
主催:アムネスティ・インターナショナル日本 鎌倉グループ
問合先:amnesty.kamakura@gmail.com
協力:ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
新刊の紹介とチベット・フェスティバルのお知らせ
研究書も一般書もいままでいろいろだしてきたが、今回は通史であり、かつまた中公新書であることから感動もひとしおです。歴史家にとって研究対象の通史を書くのは夢である(失敗すれば悪夢だが)。また、 学生時代から中公新書を愛読し、「いつかはここから自分の本がだせたらなあ」が現実になったことも嬉しい。運を使い果たして明日死ぬかもしれん。
クロード・ルヴァンソンが「チベット人の生き方は、チベット問題に携わった者に、目に見えない印章で永遠の刻印を残す」(文庫クセジュ『チベット』p.124)と奇しくもいったように、チベットは私にとって研究対象以上の生き方を変える力をもつものであった。愛と知恵を育むチベットの精神文化は人類の未来にとってなくてはならない。本書がチベットの消滅を防ぐための防波堤のテトラポッドの一つになれればこんな嬉しいことはない。
本書後半の記述はブログ主の最新の研究が反映しており、唯一無二です。チベットに興味のある方も、これから興味をもたれる方もどうかお手にとってご覧ください。
●チベットフェスティバル 2023 講演のお知らせ
2023年5月3日(水)- 4日(木)にかけて築地本願寺で行われるチベット・フェスティバルの開会式で『チベットと出会った本願寺僧たち 青木文教・多田等観をはじめとして』という演題で講演します。ご興味のある方どうぞ。↓クリックすると拡大します

演題:『チベットと出会った本願寺僧たち 青木文教・多田等観をはじめとして』
日時:5月3日 10:30 〜12:00 ※チベット・ハウス代表の開会の挨拶の後です。
場所:築地本願寺 〒104-8435 東京都中央区築地3-15-1
問い合わせ先:E-mail:tibethouse.jp@tibet.net TEL:03-5988-3576
ポタラ・カレッジのソナム先生、クンチョク先生の仏教講座、チベットの地で比丘となったテンジン・ケンツェさんの講演もあります。他にも物販、軽食などの出店もあり、ライブもあります。
詳しくはこのサイトでご覧ください。
「ダライラマ事件」に対する学者の声明文
4月11日から数日間、世界のニュースに「ダライラマ性的不品行?」的なニュースがかけめぐった。チベット学者のメーリスでも中国をフィールドとする学者から「これは許せない」とかいう投稿があるなど、怒濤の非難報道の中では少しでもダライ・ラマを擁護すると「信者」と切り捨てられ、一顧だにされない雰囲気となった。
知り合いのチベット・サポーターは「観音菩薩ダライラマですらぶった叩かれるんだな、[本物の児童虐待を続けてきた]ジャー×ー●川はニュースで叩かれないんだから、彼は観音菩薩の上をいくな」といった笑えないジョークをいう始末。こういう雰囲気だったので法王事務所もそうそうに世間に不快感を与えたことに対して謝罪を行った。
今回ここまで報道が沸騰した理由としては、ダライラマがこれまで幼児虐待者の対極にある聖者として名高かったこと、かつ、長年にわたりカトリック教会が信徒の少年に性的虐待を行った神父をかばってきたことに対する批判、ならびに、直近はカルマ・カギュ派の総帥ゲルワカルマパが台湾人の比丘尼に子供を産ませるなどのスキャンダルがあったことなどさまざまな伏線があったことから、あの映像が「ダライ・ラマもお前もか」という報道津波を呼び起こしたものと思われる。
これに対して、4月23日に世界のチベット学者たちが、声明をだした。その内容は、問題の動画のノーカット版や、その後の子供の母親のインタビュー、ダライ・ラマのキャラクター、などなどに基づき、今回の件は、性的虐待例ではないと断言し、マスコミはまずこの印象操作をねらった動画を大量にながす前に、事実確認を行い、ビデオを編集し拡散した投稿元の調査を優先すべきと提言したものである。彼等は国際チベット学会の運営を行っている中心メンバーである。
以下に和訳をあげる(原文は→ココ)。 [ ]内はブログ主による解説文です。
●「ダライ・ラマ事件」についてのチベット学者の声明文
2023 年 4 月 21 日
チベットからの亡命者、第 14 世ダライ・ラマ、 テンジン・ギャツォとインドの少年との公の場でのやり取りに関して、最近のマスメディアの報道に、私たちチベット学の研究者は失望を表明します。報道の中には、ダライ・ラマが性的不品行を行ったかのように印象づける編集された映像が含まれています。皮肉にもこれらは#metoo運動のハッシュタグを悪用しています。
しかし、少年自身と母親になにがおきたかについて、編集される前のビデオをみると、性的不品行の事件がおきたようには見えませんでした。知識をほとんどもたないことについて、非難がましいレッテル貼りをして拡散する前に、[出来事の]文脈を注意深く考察することを、私たちは報道関係者に強く求めます。
よく知られていることですが、現ダライ・ラマは、地位や年齢、性別を問わず、出会った人に親愛の情をこめて身体的な接触をともなうおふざけをします。デズモンド・ツツ司教を友情とユーモアをこめてハグし、顎の下をくすぐったりしているのは有名です。付け加えますと、幅広いチベットの専門家、同僚、友人から、チベット社会のお年寄りが、ダライラマが行ったことも含めて、様ざまに認知された形で子供と交流することはまれなことではないといっております。これは性的虐待事件ではありません。

実際、最近、チベットのラマ僧が性的虐待を行ったという非常に心配で痛ましい案件がありますが*(直近ではカルマ・カギュのトップであるゲルワカルマパが台湾人の女性僧に訴えられている。)、これは他の世界の宗教界でも繰り返し、何十年にもわたって起きていることです。私たちは、そのような虐待を受けた子どもたちやその他の人たちのために正義をもとめ、癒しを行う重要な活動は断固として支持しております。
しかし、ダライ・ラマの今回の事件は性的虐待の事例ではなく、そう主張することはすべての人にとって有害です。とりわけ、そうすることは、宗教的その他の文脈において組織的に行われてきた虐待に対して、勇気を持って自らの体験を語り、光を当ててきた性的虐待のサバイバーの声を弱めることになるからです*(カトリックの司祭等による幼児の性的虐待を指していると思われる)。
ダライ・ラマは、何十年にもわたる苦難と闘争の中で、彼の民と民族のために献身的な指導者であり続けていました。ダライ・ラマは、仏教の慈悲を体現した教師であり、世界平和の提唱者であり、ノーベル平和賞を受賞しています。もちろん、[聖人として認められている]誰であれ、不適切な行動や常軌を逸した行動をとることはあり得ます。
しかし、今回の件では、この事象のおきた文脈[公衆の面前で自らハグしてほしいといった男の子をあやした]、ダライ・ラマのキャラ[陽気なハグが通常運転の人]、僧侶として戒律を堅持してきたこと、そして現に存在しているチベット文化の諸側面を知れば、その可能性は極めて低いと我々はみています。
むしろ私たちは、意図的に編集された動画とその拡散は、老齢のダライ・ラマの権威に対する悪意ある攻撃であると理解しています。実際、これは世界中のチベット人とヒマラヤの住人のコミュニティ全体に対する攻撃であり、チベット仏教の国際的な名声に対する攻撃でもあるのです。
私たちは、内外のチベット人コミュニティの側にたちます。彼等は今、ダライ・ラマ制を落とそうとする、手の込んだかつ戦略的な努力を目にしたことで、尊厳と自制心をもちつつも、怒りと悲しみをもってデモを行っています[チベット人コミニュティで今回の報道に抗議するデモが広範囲でおきていることを指す]。
彼らとともに、私たちは世界のニュース・ネットワークに対し以下のことを求めます。即断し、偏見に屈し、淫らな物語を受け入れる前に、慎重であること、そして、このような敏感な問題についてはまず情報源を慎重に調査することを、最優先にするよう求めます。
以下署名者たち
Geoffrey Barstow – Associate Professor, School of History, Philosophy, and Religion, Oregon State University
Daniel Berounsky – Associate Professor, Institute of Asian Studies, Charles University (Univerzita Karlova)
Benjamin Bogin – Associate Professor of Asian Studies, Skidmore College Katia Buffetrille – École pratique des hautes études, Paris
Jose I. Cabezon – Dalai Lama Professor of Tibetan Buddhism and Cultural Studies, University of California Santa Barbara
Cathy Cantwell – Associate Faculty Member, Faculty of Asian and Middle Eastern Studies, University of Oxford
Hildegard Diemberger – Research Director, Mongolia and Inner Asia Studies Unit, University of Cambridge
Jacob Dalton – Khyentse Foundation Distinguished University Professor in Tibetan Buddhism, University of California Berkeley
James Duncan Gentry – Assistant Professor, Department of Religious Studies, Stanford University
David Germano – Professor of Tibetan Buddhist Studies, University of Virginia
Janet Gyatso – Hershey Professor of Buddhist Studies and Associate Dean for Faculty and Academic Affairs, The Divinity School, Harvard University
Catherine Hartmann – Assistant Professor of Religious Studies, University of Wyoming Hanna Havnevik – Faculty of Humanities, University of Oslo
Lama Jabb – Lecturer in Tibetan, Oxford University
Sarah Jacoby – Associate Professor, Northwestern University
Matthew Kapstein – Directeur d’études, émérite, Ecole Pratique des Hautes Etudes Samten Karmay – Director of Research emeritus, Centre national de la recherche scientifique
Donald Lopez – Arthur E. Link Distinguished University Professor of Buddhist and Tibetan Studies, Department of Asian Languages and Cultures, University of Michigan
Robert Mayer – University of Oxford
Carole McGranahan – Professor of Anthropology and Chair of the Department of Anthropology, University of Colorado
Anna Morcom – Mohindar Brar Sambhi Chair of Indian Music, Herb Alpert School of Music
Giacomella Orofino – Professor of Tibetan Studies and President of the Centre for Buddhist Studies, Department of Asian, African and Mediterranean Studies, University of Naples
Françoise Pommaret – Director of Research Emeritus, Centre de recherche sur les civilisations de l’Asie orientale
Andrew Quintman – Associate Professor, Religion Department, Wesleyan University
Charles Ramble – Research Professor (Directeur d’études) in Tibetan History and Philology, Ecole Pratique des Hautes Etudes, Paris Sciences et Lettres University
Françoise Robin – Professor of Tibetan Language and Literature, Institut national des langues et civilisations orientales
Ulrike Roesler – Professor of Tibetan and Himalayan Studies, The Oriental Institute, Oxford University
Peter Schwieger – Principal Investigator, Institute of Oriental and Asian Studies, Bonn University
Heather Stoddard – Professor Emerita, Institut national des langues et civilisations orientales; Wolfson College & Oriental Institute, University of Oxford
Dominic D. Z. Sur – Associate Professor in Religious Studies, Department of History, Utah State University
Andrew Taylor – Assistant Professor, Religious Studies, The College of Saint Scholastica
Tsering Topgyal – Department of Political Science and International Studies, University of Birmingham
Gray Tuttle – Leila Hadley Luce Professor of Modern Tibetan Studies, Columbia University
Nicole Willock – Associate Professor of Asian Religions, Old Dominion University
Emily Yeh – Professor, Department of Geography, University of Colorado Boulder
Author Tsering Passang (Tsamtruk)
Posted on April 22, 2023
知り合いのチベット・サポーターは「観音菩薩ダライラマですらぶった叩かれるんだな、[本物の児童虐待を続けてきた]ジャー×ー●川はニュースで叩かれないんだから、彼は観音菩薩の上をいくな」といった笑えないジョークをいう始末。こういう雰囲気だったので法王事務所もそうそうに世間に不快感を与えたことに対して謝罪を行った。
今回ここまで報道が沸騰した理由としては、ダライラマがこれまで幼児虐待者の対極にある聖者として名高かったこと、かつ、長年にわたりカトリック教会が信徒の少年に性的虐待を行った神父をかばってきたことに対する批判、ならびに、直近はカルマ・カギュ派の総帥ゲルワカルマパが台湾人の比丘尼に子供を産ませるなどのスキャンダルがあったことなどさまざまな伏線があったことから、あの映像が「ダライ・ラマもお前もか」という報道津波を呼び起こしたものと思われる。
これに対して、4月23日に世界のチベット学者たちが、声明をだした。その内容は、問題の動画のノーカット版や、その後の子供の母親のインタビュー、ダライ・ラマのキャラクター、などなどに基づき、今回の件は、性的虐待例ではないと断言し、マスコミはまずこの印象操作をねらった動画を大量にながす前に、事実確認を行い、ビデオを編集し拡散した投稿元の調査を優先すべきと提言したものである。彼等は国際チベット学会の運営を行っている中心メンバーである。
以下に和訳をあげる(原文は→ココ)。 [ ]内はブログ主による解説文です。
●「ダライ・ラマ事件」についてのチベット学者の声明文
2023 年 4 月 21 日
チベットからの亡命者、第 14 世ダライ・ラマ、 テンジン・ギャツォとインドの少年との公の場でのやり取りに関して、最近のマスメディアの報道に、私たちチベット学の研究者は失望を表明します。報道の中には、ダライ・ラマが性的不品行を行ったかのように印象づける編集された映像が含まれています。皮肉にもこれらは#metoo運動のハッシュタグを悪用しています。
しかし、少年自身と母親になにがおきたかについて、編集される前のビデオをみると、性的不品行の事件がおきたようには見えませんでした。知識をほとんどもたないことについて、非難がましいレッテル貼りをして拡散する前に、[出来事の]文脈を注意深く考察することを、私たちは報道関係者に強く求めます。
よく知られていることですが、現ダライ・ラマは、地位や年齢、性別を問わず、出会った人に親愛の情をこめて身体的な接触をともなうおふざけをします。デズモンド・ツツ司教を友情とユーモアをこめてハグし、顎の下をくすぐったりしているのは有名です。付け加えますと、幅広いチベットの専門家、同僚、友人から、チベット社会のお年寄りが、ダライラマが行ったことも含めて、様ざまに認知された形で子供と交流することはまれなことではないといっております。これは性的虐待事件ではありません。

実際、最近、チベットのラマ僧が性的虐待を行ったという非常に心配で痛ましい案件がありますが*(直近ではカルマ・カギュのトップであるゲルワカルマパが台湾人の女性僧に訴えられている。)、これは他の世界の宗教界でも繰り返し、何十年にもわたって起きていることです。私たちは、そのような虐待を受けた子どもたちやその他の人たちのために正義をもとめ、癒しを行う重要な活動は断固として支持しております。
しかし、ダライ・ラマの今回の事件は性的虐待の事例ではなく、そう主張することはすべての人にとって有害です。とりわけ、そうすることは、宗教的その他の文脈において組織的に行われてきた虐待に対して、勇気を持って自らの体験を語り、光を当ててきた性的虐待のサバイバーの声を弱めることになるからです*(カトリックの司祭等による幼児の性的虐待を指していると思われる)。
ダライ・ラマは、何十年にもわたる苦難と闘争の中で、彼の民と民族のために献身的な指導者であり続けていました。ダライ・ラマは、仏教の慈悲を体現した教師であり、世界平和の提唱者であり、ノーベル平和賞を受賞しています。もちろん、[聖人として認められている]誰であれ、不適切な行動や常軌を逸した行動をとることはあり得ます。
しかし、今回の件では、この事象のおきた文脈[公衆の面前で自らハグしてほしいといった男の子をあやした]、ダライ・ラマのキャラ[陽気なハグが通常運転の人]、僧侶として戒律を堅持してきたこと、そして現に存在しているチベット文化の諸側面を知れば、その可能性は極めて低いと我々はみています。
むしろ私たちは、意図的に編集された動画とその拡散は、老齢のダライ・ラマの権威に対する悪意ある攻撃であると理解しています。実際、これは世界中のチベット人とヒマラヤの住人のコミュニティ全体に対する攻撃であり、チベット仏教の国際的な名声に対する攻撃でもあるのです。
私たちは、内外のチベット人コミュニティの側にたちます。彼等は今、ダライ・ラマ制を落とそうとする、手の込んだかつ戦略的な努力を目にしたことで、尊厳と自制心をもちつつも、怒りと悲しみをもってデモを行っています[チベット人コミニュティで今回の報道に抗議するデモが広範囲でおきていることを指す]。
彼らとともに、私たちは世界のニュース・ネットワークに対し以下のことを求めます。即断し、偏見に屈し、淫らな物語を受け入れる前に、慎重であること、そして、このような敏感な問題についてはまず情報源を慎重に調査することを、最優先にするよう求めます。
以下署名者たち
Geoffrey Barstow – Associate Professor, School of History, Philosophy, and Religion, Oregon State University
Daniel Berounsky – Associate Professor, Institute of Asian Studies, Charles University (Univerzita Karlova)
Benjamin Bogin – Associate Professor of Asian Studies, Skidmore College Katia Buffetrille – École pratique des hautes études, Paris
Jose I. Cabezon – Dalai Lama Professor of Tibetan Buddhism and Cultural Studies, University of California Santa Barbara
Cathy Cantwell – Associate Faculty Member, Faculty of Asian and Middle Eastern Studies, University of Oxford
Hildegard Diemberger – Research Director, Mongolia and Inner Asia Studies Unit, University of Cambridge
Jacob Dalton – Khyentse Foundation Distinguished University Professor in Tibetan Buddhism, University of California Berkeley
James Duncan Gentry – Assistant Professor, Department of Religious Studies, Stanford University
David Germano – Professor of Tibetan Buddhist Studies, University of Virginia
Janet Gyatso – Hershey Professor of Buddhist Studies and Associate Dean for Faculty and Academic Affairs, The Divinity School, Harvard University
Catherine Hartmann – Assistant Professor of Religious Studies, University of Wyoming Hanna Havnevik – Faculty of Humanities, University of Oslo
Lama Jabb – Lecturer in Tibetan, Oxford University
Sarah Jacoby – Associate Professor, Northwestern University
Matthew Kapstein – Directeur d’études, émérite, Ecole Pratique des Hautes Etudes Samten Karmay – Director of Research emeritus, Centre national de la recherche scientifique
Donald Lopez – Arthur E. Link Distinguished University Professor of Buddhist and Tibetan Studies, Department of Asian Languages and Cultures, University of Michigan
Robert Mayer – University of Oxford
Carole McGranahan – Professor of Anthropology and Chair of the Department of Anthropology, University of Colorado
Anna Morcom – Mohindar Brar Sambhi Chair of Indian Music, Herb Alpert School of Music
Giacomella Orofino – Professor of Tibetan Studies and President of the Centre for Buddhist Studies, Department of Asian, African and Mediterranean Studies, University of Naples
Françoise Pommaret – Director of Research Emeritus, Centre de recherche sur les civilisations de l’Asie orientale
Andrew Quintman – Associate Professor, Religion Department, Wesleyan University
Charles Ramble – Research Professor (Directeur d’études) in Tibetan History and Philology, Ecole Pratique des Hautes Etudes, Paris Sciences et Lettres University
Françoise Robin – Professor of Tibetan Language and Literature, Institut national des langues et civilisations orientales
Ulrike Roesler – Professor of Tibetan and Himalayan Studies, The Oriental Institute, Oxford University
Peter Schwieger – Principal Investigator, Institute of Oriental and Asian Studies, Bonn University
Heather Stoddard – Professor Emerita, Institut national des langues et civilisations orientales; Wolfson College & Oriental Institute, University of Oxford
Dominic D. Z. Sur – Associate Professor in Religious Studies, Department of History, Utah State University
Andrew Taylor – Assistant Professor, Religious Studies, The College of Saint Scholastica
Tsering Topgyal – Department of Political Science and International Studies, University of Birmingham
Gray Tuttle – Leila Hadley Luce Professor of Modern Tibetan Studies, Columbia University
Nicole Willock – Associate Professor of Asian Religions, Old Dominion University
Emily Yeh – Professor, Department of Geography, University of Colorado Boulder
Author Tsering Passang (Tsamtruk)
Posted on April 22, 2023
チベット暦新年に特報が!
3月7日(チベット暦1月15日) 伝統のジャータカ講義
今年のチベット暦元旦(ロサル)は西暦の2月21日にあたった。チベットではこの日から15日後の満月の日にむけて満ちていく月に歩調を合わせるように、ノンストップでお正月の行事でもりあがりまくる。今年のロサルの満月の日は3月7日で、この日は伝統にのっとってダライラマがお釈迦様の前世のエピソード(Jataka Mala) から一つを選んで説法する。今年は第11話の釈尊がかつて神々の王シャクラであった時の話をとりあげた。

神々の王シャクラはそのあまりの威厳と名声がとどろいていたことから、阿修羅が嫉妬して戦争をしかけてきた。シャクラは黄金の戦車にのり、阿羅漢の姿で戦に臨んだ。いざ戦いがはじまると、両軍の間に矢が飛び交い阿鼻叫喚の巷となり、シャクラの軍は敗走を始めた。御者マーターリはシャクラの戦車を逆方向に回転させ退却をはじめると、戦車の前方にパンヤの木があり、シャクラがみると、その上にいまだ巣立ちをしていない雛を擁した鷲の巣があった。このまま進めば木は砕け散り雛は死んでしまう。
これに気づくやシャクラはマーターリに「パンヤの木の上に鷲の巣がある。まだ羽も生えそろわない雛がいる。そんな風にすすんだら戦車で巣が壊れてしまう。」
マーターリ「しかし阿修羅に追いつかれます」。
シャクラ「巣を避けて進めばよい」
マーターリ「ムリ」
するとシャクラは慈悲の心に突き動かされて、「では戦車を戻せ。私がこの哀れな生き物を殺害して恥辱のうちに生きるよりも、阿修羅の棍棒に打たれて死んだ方がましだ」といい、マーターリに戦車を引き返させた。
阿修羅たちはシャクラの英雄的な行動をみて恐れおののき、雨雲が風によって吹き消されるようちりぢりとなった。逃げようとしていた神々もシャクラに拝礼し戦場に戻って勝利が得られた。
かくして釈尊は遠い昔自らの命を危険にさらしても動物の命を守ったのである。
命をかけて鳥の雛をまもるなんて、ええ話や。
3月8日 チャクラサンヴァラ灌頂の席でジェブツンダンパ10世がお披露目
8日(チベット暦1月16日) から二日間かけてウランバートル(モンゴルの首都)のガンデン・テクチェン・チューリン僧院が施主となってダライラマによるチャクラサンヴァラ尊の灌頂授与が行われた。
この日が前行、翌9日が本行である。前行の冒頭、座についた法王は衝撃的な発言をされた。今日この席にジェブツンダンパ9世の転生者が参列しているというのである。続いて、チャクラ・サンヴァラ尊にはルーイーパ流、ガンター流、クリシュナチャーリン流と三つの流派があるが、今回のクリシュナチャーリン流はチベットではレアな法統であるが、歴代ジェブツンダンパが修行をしていた本尊であるとのことであった。施主がモンゴルのガンデン大僧院で、ジェブツンダンパの転生が参列しているということは、今回は彼のために企画された灌頂であったのだ。

ダライラマによるジェブツンダンパ10世の転生者認定は、2016年に行われていたが、成長するまではどこの誰であるかは秘しておくという方針であり(詳しくはこのブログでも扱った)、モンゴル側もここ一ヶ月「ジェブツンダンパ10世の即位があるか」と聞かれると「まだ先のことだ」と否定し続けていた。
転生者を公表しない理由はパンチェンラマ11世がダライラマ14世に認定された瞬間に中国共産党に拉致されて消えた事件が影響しているであろう。パンチェンラマ11世ゲンドゥン・チュキニマはアムネスティ・インターナショナルが世界でもっとも幼い政治囚として認定し30年たった現在にいたるまで中国政府に対してその居所を明かすように国際社会が要求し続けている。
ジェブツンダンパ8世はかつてモンゴルが清朝・中華民国から独立した際の国王であった。その転生者がもつ影響力を中国が早いうち排除しようなんて思わないとも限らない。モンゴルは中国に経済的に依存しているが政治的には距離を置いており、上海機構にも加盟していない。だから、このジェブツンダンパの転生に対しても何をするか分からないので、とにかく成長するまでは人定はされない方が安全ではある。
かりに中国がジェブツンダンパの転生を何とも思っていなかったとしても、歴代のジェブツンダンパの何人かがそうであったように、子供のうちに悪いアソビを教えるタニマチが取り巻きとなって修行も学問もいまいちなお坊さんになってしまっては目も当てられない。そのためにはあと15年くらいは公式の場所にはださず俗世界から隔離しておいた方がいいと思う。
この件は3月12日に行われたモンゴル研究者の雑談会(笑)で話題になり、ボグド・ハーン政権(ジェブツンダンパ8世の政府)の研究者のT先生が、この転生者の子供は某国会議員の娘の子でアメリカとの二重国籍をもっており、モンゴルで二重国籍が認可されるようになったのはこの子が生まれた年なので、この子のための法案だったのではないかと教えてくれた。つまり、中国がこの子に軽々に手出しができないようにモンゴル政府はこの子にアメリカ国籍を持てるようにしたというのである。モンゴル政府も考えているな。今後の展開を注視すべし。
ちなみに、法王のクリシャナ・チャーリン流チャクラサンヴァラ尊の灌頂はこのサイトで日本語通訳つきでみられます。
3月10日 チベット蜂起記念日
この日は1959年にダライラマ14世をまもるためチベットの市民が自然発生的に蜂起した日。チベット蜂起記念日である。この日は世界中のチベット人と支援者たちが中国政府によるチベット支配の不当を訴える日である。日本では東京大空襲の日と重なり、さらに東日本大震災の前の日とあって、なかなか新聞で特集がくまれにくくなっている。
3月17日 『ダライラマ6世恋愛詩集』が岩波文庫から発売。

ダライラマ6世はタワン(現アルナチャール・プラデーシュ州)のニンマ派の家系の生まれであり、1697年に摂政サンゲギャムツォによってお披露目されるまで自分がダライラマの転生者であることを知らなかった。ニンマ派は戒律の護持に重きをおかないことから、1702年にお年頃の6世は戒律を返上し密教行者として振る舞い始めた。戒律を重視するゲルク派の高僧たちやモンゴル人施主たちはこの事態に戸惑い、最終的には1705年にモンゴルのラサン・ハンに廃位され、清朝に護送される途上青海でなくなった。戒律を守らないダライラマは物議をかもすので、以来歴代ダライラマは戒律をきちんと守る教育が幼いウチから施されるようになった。6世はチベット人に人気があり、中国政府もダライラマ6世を崇拝することを禁止していないが、それはこのダライラマが政治力のないダライラマだったからだろうな。
さあ、来月はいよいよ拙著『物語 チベットの歴史』がでます。乞うご期待!
今年のチベット暦元旦(ロサル)は西暦の2月21日にあたった。チベットではこの日から15日後の満月の日にむけて満ちていく月に歩調を合わせるように、ノンストップでお正月の行事でもりあがりまくる。今年のロサルの満月の日は3月7日で、この日は伝統にのっとってダライラマがお釈迦様の前世のエピソード(Jataka Mala) から一つを選んで説法する。今年は第11話の釈尊がかつて神々の王シャクラであった時の話をとりあげた。

神々の王シャクラはそのあまりの威厳と名声がとどろいていたことから、阿修羅が嫉妬して戦争をしかけてきた。シャクラは黄金の戦車にのり、阿羅漢の姿で戦に臨んだ。いざ戦いがはじまると、両軍の間に矢が飛び交い阿鼻叫喚の巷となり、シャクラの軍は敗走を始めた。御者マーターリはシャクラの戦車を逆方向に回転させ退却をはじめると、戦車の前方にパンヤの木があり、シャクラがみると、その上にいまだ巣立ちをしていない雛を擁した鷲の巣があった。このまま進めば木は砕け散り雛は死んでしまう。
これに気づくやシャクラはマーターリに「パンヤの木の上に鷲の巣がある。まだ羽も生えそろわない雛がいる。そんな風にすすんだら戦車で巣が壊れてしまう。」
マーターリ「しかし阿修羅に追いつかれます」。
シャクラ「巣を避けて進めばよい」
マーターリ「ムリ」
するとシャクラは慈悲の心に突き動かされて、「では戦車を戻せ。私がこの哀れな生き物を殺害して恥辱のうちに生きるよりも、阿修羅の棍棒に打たれて死んだ方がましだ」といい、マーターリに戦車を引き返させた。
阿修羅たちはシャクラの英雄的な行動をみて恐れおののき、雨雲が風によって吹き消されるようちりぢりとなった。逃げようとしていた神々もシャクラに拝礼し戦場に戻って勝利が得られた。
かくして釈尊は遠い昔自らの命を危険にさらしても動物の命を守ったのである。
命をかけて鳥の雛をまもるなんて、ええ話や。
3月8日 チャクラサンヴァラ灌頂の席でジェブツンダンパ10世がお披露目
8日(チベット暦1月16日) から二日間かけてウランバートル(モンゴルの首都)のガンデン・テクチェン・チューリン僧院が施主となってダライラマによるチャクラサンヴァラ尊の灌頂授与が行われた。
この日が前行、翌9日が本行である。前行の冒頭、座についた法王は衝撃的な発言をされた。今日この席にジェブツンダンパ9世の転生者が参列しているというのである。続いて、チャクラ・サンヴァラ尊にはルーイーパ流、ガンター流、クリシュナチャーリン流と三つの流派があるが、今回のクリシュナチャーリン流はチベットではレアな法統であるが、歴代ジェブツンダンパが修行をしていた本尊であるとのことであった。施主がモンゴルのガンデン大僧院で、ジェブツンダンパの転生が参列しているということは、今回は彼のために企画された灌頂であったのだ。

ダライラマによるジェブツンダンパ10世の転生者認定は、2016年に行われていたが、成長するまではどこの誰であるかは秘しておくという方針であり(詳しくはこのブログでも扱った)、モンゴル側もここ一ヶ月「ジェブツンダンパ10世の即位があるか」と聞かれると「まだ先のことだ」と否定し続けていた。
転生者を公表しない理由はパンチェンラマ11世がダライラマ14世に認定された瞬間に中国共産党に拉致されて消えた事件が影響しているであろう。パンチェンラマ11世ゲンドゥン・チュキニマはアムネスティ・インターナショナルが世界でもっとも幼い政治囚として認定し30年たった現在にいたるまで中国政府に対してその居所を明かすように国際社会が要求し続けている。
ジェブツンダンパ8世はかつてモンゴルが清朝・中華民国から独立した際の国王であった。その転生者がもつ影響力を中国が早いうち排除しようなんて思わないとも限らない。モンゴルは中国に経済的に依存しているが政治的には距離を置いており、上海機構にも加盟していない。だから、このジェブツンダンパの転生に対しても何をするか分からないので、とにかく成長するまでは人定はされない方が安全ではある。
かりに中国がジェブツンダンパの転生を何とも思っていなかったとしても、歴代のジェブツンダンパの何人かがそうであったように、子供のうちに悪いアソビを教えるタニマチが取り巻きとなって修行も学問もいまいちなお坊さんになってしまっては目も当てられない。そのためにはあと15年くらいは公式の場所にはださず俗世界から隔離しておいた方がいいと思う。
この件は3月12日に行われたモンゴル研究者の雑談会(笑)で話題になり、ボグド・ハーン政権(ジェブツンダンパ8世の政府)の研究者のT先生が、この転生者の子供は某国会議員の娘の子でアメリカとの二重国籍をもっており、モンゴルで二重国籍が認可されるようになったのはこの子が生まれた年なので、この子のための法案だったのではないかと教えてくれた。つまり、中国がこの子に軽々に手出しができないようにモンゴル政府はこの子にアメリカ国籍を持てるようにしたというのである。モンゴル政府も考えているな。今後の展開を注視すべし。
ちなみに、法王のクリシャナ・チャーリン流チャクラサンヴァラ尊の灌頂はこのサイトで日本語通訳つきでみられます。
3月10日 チベット蜂起記念日
この日は1959年にダライラマ14世をまもるためチベットの市民が自然発生的に蜂起した日。チベット蜂起記念日である。この日は世界中のチベット人と支援者たちが中国政府によるチベット支配の不当を訴える日である。日本では東京大空襲の日と重なり、さらに東日本大震災の前の日とあって、なかなか新聞で特集がくまれにくくなっている。
3月17日 『ダライラマ6世恋愛詩集』が岩波文庫から発売。

ダライラマ6世はタワン(現アルナチャール・プラデーシュ州)のニンマ派の家系の生まれであり、1697年に摂政サンゲギャムツォによってお披露目されるまで自分がダライラマの転生者であることを知らなかった。ニンマ派は戒律の護持に重きをおかないことから、1702年にお年頃の6世は戒律を返上し密教行者として振る舞い始めた。戒律を重視するゲルク派の高僧たちやモンゴル人施主たちはこの事態に戸惑い、最終的には1705年にモンゴルのラサン・ハンに廃位され、清朝に護送される途上青海でなくなった。戒律を守らないダライラマは物議をかもすので、以来歴代ダライラマは戒律をきちんと守る教育が幼いウチから施されるようになった。6世はチベット人に人気があり、中国政府もダライラマ6世を崇拝することを禁止していないが、それはこのダライラマが政治力のないダライラマだったからだろうな。
さあ、来月はいよいよ拙著『物語 チベットの歴史』がでます。乞うご期待!
拝まれる側が持つ力
2/26日の日曜日、高輪にある高野山東京別院で行われた平岡宏一先生の講演をききにいった。テーマは十善戒についてである。

まずは仏教はモチベーションの宗教であるというお話しからはじまった。同じ行動であっても、そこに人を苦しめようとか、ザマアミロとかいう動機をもってやっていなければ悪行にはならないとのこと。
一方、良い行いに見えても、人によく見られたいとか、お金もらいたいとか思ってやる行為は悪行になるという。
そして何が良いことで何が悪いことなのか、その基準を示すものとして戒律がある。
今回のテーマである十善戒とは十の悪行をやめることで、具体的には体で行う三つの悪業(殺生、盗み、邪なセックス)、言葉で行う四つの悪業(ウソ、二枚舌、汚い言葉、言葉を飾ること)、心で行う三つの悪業(むさぼり、怒り、無明*これは今風にいうと「認知のゆがみ」)の総計十の悪行をやめることである。
そしてこのような悪行を行ってしまった場合には、以下の四つが悪行を浄化してくれる。
(1) 懺悔
(2) 罪を清めるためにすがる対象の力
(3) 二度としないとの誓い
(4) 修行の力
そしてこの四つを説明する時に、チベットでもよく引用されるシャーンティデーヴァの『入菩薩行論』を用いて解説された。
シャーンティデーヴァ(寂天)は元王子であり、出家して仏教大学の最高峰ナーランダ大僧院に入門した。若い僧の目には彼はただのナマケモノにみえたので、「ブスク」と呼んで「施主の息子だから何も修行しなくとも僧院にいられる」と蔑んだ。ブスクとは「食べて、排泄して、寝ているだけ」という意味である。そして、彼を追い出すために布薩の日(戒律をちゃんとまもっているかを反省する月二回の日)に彼に法話をするようにもちかけた。まともな話ができないからメンツがつぶれて僧院から出て行くと思ってのことである。
シャーンティデーヴァは「では、今までにある話がいいか、今までにない話がいいか」と問うたので、若い僧たちは後者をリクエストすると、彼が説いたのがこの『入菩薩行論』である。ちなみに、シャーンティ・デーヴァのシャーンティとは鎮めるという意味であるが、それはこうやって彼が若い僧たちの傲慢を鎮めたからという。初めて知った。
『入菩薩行論』はダライラマ法王も好んで講演のテクストに用いる本であり、日本語にも何度も翻訳されている。
まず(1)の懺悔については本書「懺悔の章」の26,28-34, 37を引用して解説した。
死はいつ訪れるか分からない。死に際しては財産も親族もつれていけない、もっていけるのは自分が生前におかした善業と悪行だけである。そこでいままでおかした悪行を懺悔するのである。

次の(2) の「拝まれる側の力によって罪を雪ぐ」というエピは印象的だった。この場合正しいものを信じることが大切である。まちがったものをいくら真面目に信じて拝んでも罪が消えることはない。×ウム真理教で逮捕された×池直子は大阪の良い学校をでた真面目な子だったけど、彼女が信仰の対象としたものが誤っていたので、彼女自身は素直な良い子でもああなってしまった。
チベットで聞いた話でこういうのがある。お釈迦様の十大弟子の一人目犍連は地獄めぐりをしていた時に、異教徒の教祖が地獄におちて苦しんでいるのをみた。その教祖は目犍連にこう頼んで来た。「弟子が現世で私を拝めば拝むほど苦しくなるので、現世に戻ったら弟子たちにもう自分を拝まないように頼んでくれ」と。彼は間違った教えを説いたので、その教えを強く信じる人が増えれば増えるほどそれを説いた教祖の罪が重くなるので、教祖は地獄で苦しんでいたのである。
一方正しいもの、たとえば「仏の境地」(菩提)を信じて拝めば拝む側の能力が凡庸であっても罪がキレーにきえる。たとえば、法華経の方便品の後半にある「子供が砂場で遊びで仏塔をつくっても仏道を成就している」「両手ではなく片手で仏様に礼拝し、また、軽く頭をさげて仏様を供養しても仏道を成就している」「心の乱れた人が仏塔や仏堂に入り一度でも仏に帰依しますと唱えれば、それだけで仏道を成就している」というエピソードは、拝んだ人の力ではなく、拝まれる側の仏の境地(菩提)のもつ力の大切さを示している。
(3) の「二度とやりません」の誓いについては、同じく「懺悔の章」の65節を引用したあと、「二度としないと誓ってまたしてしまったらどうなるのか。それは経典にも何も書いていない、とにかく二度としないと誓うことが大切なのだ」とのことであった。
(4) そして「修行による罪の浄化」で、もっとも効くのは「菩提心をおこすこと」である(発菩提心)。菩提心とはすべての命あるものを安楽な境地に導くというモチベーションをもって仏の境地を目指すことである。自分の苦しみを救うためでなくすべての他者のために仏教を志すことがポイントである。
我々はうまれながらに業と煩悩からできた五取蘊でなりたっているので、悪をなす力はほっといても暴走していく。逆に善をなすことは闇夜に一瞬の稲光をてらすくらいのことしかできない(闇夜とは我々の煩悩まみれの心のこと)。
しかし、自分以外の他者のために仏教を志すという決心をし具体的な行をはじめた人は、広大な理想を掲げているので、寝ても覚めてもダラダラしている時でも善業が増えいく。よく考えるとオトクな話しである(菩提心の章の5,6,15-19, 21,22,30節) 。
成功するかしないか分からないプロジェクトだって人は邁進するのに、確実に安楽をもたらすことがわかっている菩提心をなぜ人はおこさないのか(同章 64節)。 先ほどの拝む対象ということからいえば、仏の境地とは間違いなく我々の罪を浄化してくれる力をもつのだ(156節)。
修行の話の中で自分的にもっとも印象に残ったのが「忍耐行」。心が行う三つの悪行のうちもっとも悪いのは怒りである。その怒りは今までに積んできた様々な善業貯金を一瞬で焼き払ってしまう。だからこの怒りの対抗策として忍耐行を行うのである。
歯医者にいって痛みを忍耐しても、歯医者には我々を苦しめようという気がないので大した忍耐行にはならない。一方、悪意をもった人が私たちに害をなした時、それを忍耐するのは難しい。しかしこれを忍耐をすると非常に大きな徳を積むことになる。だから、悪意をもった人の攻撃は喜ばねばならないのだ。ダライラマはこの理屈に基づいて自らに忍耐行をつませてくれる中国共産党に感謝しているんだよ。
そして最後に、ダライラマ法王が勧める「苦しい時にする祈願」が紹介された。
苦しい時には、「この苦しみは他者の苦しみを背負っていると考え、無数の他者の海のような苦しみをいつかは枯らしてしまうように」と祈願しなさい。
私(このブログの著者) も体調が悪い時には「この苦しみは他者の苦しみを背負って代わりに苦しんでいる」と思うことにしている。善業を積んでいると思うとけっこう気が紛れるからだ(何かチガウ)。なぜこんなめにあうのかと思っていても苦しいだけであるが、これで修行になると思えば気分も変わる。
平岡先生お疲れさまでした。ちなみに、会場でわたされた資料に平岡センセの次なる講演予定と弘法大師誕生1250年記念事業の紹介があったので、以下にあげときます。
●空海 とわのいのり(弘法大師誕生1250年記念事業)
空海のうまれた館あとにたつ善通寺さまが国宝などの寺宝を出開帳されます。
日時: 令和5年3月8日(水)〜12日(日) 9時〜17時
場所: ベルサール飯田橋ファースト(東京都文京区後楽2-6-1 住友不動産飯田橋ファーストタワーB1)
入場料: 2,500円 /(前売り)2,200円
●平岡宏一先生 講演「チベット密教における生と死」
日時: 2023年3月25日(土)14:10〜15:00 第一部 心から身体を整える
場所: 大本山智積院 宗務庁三階 大講堂
※平岡宏一先生の新刊『ゲルク派版 チベット死者の書 改訂新版』を会場でいち早くセミナー特別価格2,200円(税込み)でゲットできます。
詳細はこちら
●《平岡宏一先生 桐蔭 連続講座》続「運命を好転させる隠された教え」 チベット仏教入門
【開催日時】
①5月20日(土)10:00~11:30 菩提心の利益 忽ち善業が積める大乗仏教の醍醐味
②6月17日(土)10:00~11:30 罪の懺悔 悪業を浄化する方法
③7月29日(土)10:00~11:30 菩提心の受持 菩提心を受持する用意 無理せず徳を積む理由
④9月2日(土)10:00~11:30 不放逸 なぜ不放逸ではダメなのか 戒律の功徳
⑤10月21日(土)10:00~11:30 正知の守護 沈み込みと高ぶりの対処法
⑥11月11日(土)10:00~11:30 忍辱の話 仏教のアンガーマネジメント
⑦12月2日(土)10:00~11:30 精進の話 怠慢を克服する方法
⑧1月20日(土)10:00~11:30 禅定の話 幸せになるための隠された教え
⑨2月3日(土)10:00~11:30 空の話 空の意味と功徳
⑩3月9日(土)10:00~11:30 ゲルク派版『チベット死者の書』から学ぶ 死との向き合い方 密教とは何か
詳しくはこちらです

まずは仏教はモチベーションの宗教であるというお話しからはじまった。同じ行動であっても、そこに人を苦しめようとか、ザマアミロとかいう動機をもってやっていなければ悪行にはならないとのこと。
一方、良い行いに見えても、人によく見られたいとか、お金もらいたいとか思ってやる行為は悪行になるという。
そして何が良いことで何が悪いことなのか、その基準を示すものとして戒律がある。
今回のテーマである十善戒とは十の悪行をやめることで、具体的には体で行う三つの悪業(殺生、盗み、邪なセックス)、言葉で行う四つの悪業(ウソ、二枚舌、汚い言葉、言葉を飾ること)、心で行う三つの悪業(むさぼり、怒り、無明*これは今風にいうと「認知のゆがみ」)の総計十の悪行をやめることである。
そしてこのような悪行を行ってしまった場合には、以下の四つが悪行を浄化してくれる。
(1) 懺悔
(2) 罪を清めるためにすがる対象の力
(3) 二度としないとの誓い
(4) 修行の力
そしてこの四つを説明する時に、チベットでもよく引用されるシャーンティデーヴァの『入菩薩行論』を用いて解説された。
シャーンティデーヴァ(寂天)は元王子であり、出家して仏教大学の最高峰ナーランダ大僧院に入門した。若い僧の目には彼はただのナマケモノにみえたので、「ブスク」と呼んで「施主の息子だから何も修行しなくとも僧院にいられる」と蔑んだ。ブスクとは「食べて、排泄して、寝ているだけ」という意味である。そして、彼を追い出すために布薩の日(戒律をちゃんとまもっているかを反省する月二回の日)に彼に法話をするようにもちかけた。まともな話ができないからメンツがつぶれて僧院から出て行くと思ってのことである。
シャーンティデーヴァは「では、今までにある話がいいか、今までにない話がいいか」と問うたので、若い僧たちは後者をリクエストすると、彼が説いたのがこの『入菩薩行論』である。ちなみに、シャーンティ・デーヴァのシャーンティとは鎮めるという意味であるが、それはこうやって彼が若い僧たちの傲慢を鎮めたからという。初めて知った。
『入菩薩行論』はダライラマ法王も好んで講演のテクストに用いる本であり、日本語にも何度も翻訳されている。
まず(1)の懺悔については本書「懺悔の章」の26,28-34, 37を引用して解説した。
死はいつ訪れるか分からない。死に際しては財産も親族もつれていけない、もっていけるのは自分が生前におかした善業と悪行だけである。そこでいままでおかした悪行を懺悔するのである。

次の(2) の「拝まれる側の力によって罪を雪ぐ」というエピは印象的だった。この場合正しいものを信じることが大切である。まちがったものをいくら真面目に信じて拝んでも罪が消えることはない。×ウム真理教で逮捕された×池直子は大阪の良い学校をでた真面目な子だったけど、彼女が信仰の対象としたものが誤っていたので、彼女自身は素直な良い子でもああなってしまった。
チベットで聞いた話でこういうのがある。お釈迦様の十大弟子の一人目犍連は地獄めぐりをしていた時に、異教徒の教祖が地獄におちて苦しんでいるのをみた。その教祖は目犍連にこう頼んで来た。「弟子が現世で私を拝めば拝むほど苦しくなるので、現世に戻ったら弟子たちにもう自分を拝まないように頼んでくれ」と。彼は間違った教えを説いたので、その教えを強く信じる人が増えれば増えるほどそれを説いた教祖の罪が重くなるので、教祖は地獄で苦しんでいたのである。
一方正しいもの、たとえば「仏の境地」(菩提)を信じて拝めば拝む側の能力が凡庸であっても罪がキレーにきえる。たとえば、法華経の方便品の後半にある「子供が砂場で遊びで仏塔をつくっても仏道を成就している」「両手ではなく片手で仏様に礼拝し、また、軽く頭をさげて仏様を供養しても仏道を成就している」「心の乱れた人が仏塔や仏堂に入り一度でも仏に帰依しますと唱えれば、それだけで仏道を成就している」というエピソードは、拝んだ人の力ではなく、拝まれる側の仏の境地(菩提)のもつ力の大切さを示している。
(3) の「二度とやりません」の誓いについては、同じく「懺悔の章」の65節を引用したあと、「二度としないと誓ってまたしてしまったらどうなるのか。それは経典にも何も書いていない、とにかく二度としないと誓うことが大切なのだ」とのことであった。
(4) そして「修行による罪の浄化」で、もっとも効くのは「菩提心をおこすこと」である(発菩提心)。菩提心とはすべての命あるものを安楽な境地に導くというモチベーションをもって仏の境地を目指すことである。自分の苦しみを救うためでなくすべての他者のために仏教を志すことがポイントである。
我々はうまれながらに業と煩悩からできた五取蘊でなりたっているので、悪をなす力はほっといても暴走していく。逆に善をなすことは闇夜に一瞬の稲光をてらすくらいのことしかできない(闇夜とは我々の煩悩まみれの心のこと)。
しかし、自分以外の他者のために仏教を志すという決心をし具体的な行をはじめた人は、広大な理想を掲げているので、寝ても覚めてもダラダラしている時でも善業が増えいく。よく考えるとオトクな話しである(菩提心の章の5,6,15-19, 21,22,30節) 。
成功するかしないか分からないプロジェクトだって人は邁進するのに、確実に安楽をもたらすことがわかっている菩提心をなぜ人はおこさないのか(同章 64節)。 先ほどの拝む対象ということからいえば、仏の境地とは間違いなく我々の罪を浄化してくれる力をもつのだ(156節)。
修行の話の中で自分的にもっとも印象に残ったのが「忍耐行」。心が行う三つの悪行のうちもっとも悪いのは怒りである。その怒りは今までに積んできた様々な善業貯金を一瞬で焼き払ってしまう。だからこの怒りの対抗策として忍耐行を行うのである。
歯医者にいって痛みを忍耐しても、歯医者には我々を苦しめようという気がないので大した忍耐行にはならない。一方、悪意をもった人が私たちに害をなした時、それを忍耐するのは難しい。しかしこれを忍耐をすると非常に大きな徳を積むことになる。だから、悪意をもった人の攻撃は喜ばねばならないのだ。ダライラマはこの理屈に基づいて自らに忍耐行をつませてくれる中国共産党に感謝しているんだよ。
そして最後に、ダライラマ法王が勧める「苦しい時にする祈願」が紹介された。
苦しい時には、「この苦しみは他者の苦しみを背負っていると考え、無数の他者の海のような苦しみをいつかは枯らしてしまうように」と祈願しなさい。
私(このブログの著者) も体調が悪い時には「この苦しみは他者の苦しみを背負って代わりに苦しんでいる」と思うことにしている。善業を積んでいると思うとけっこう気が紛れるからだ(何かチガウ)。なぜこんなめにあうのかと思っていても苦しいだけであるが、これで修行になると思えば気分も変わる。
平岡先生お疲れさまでした。ちなみに、会場でわたされた資料に平岡センセの次なる講演予定と弘法大師誕生1250年記念事業の紹介があったので、以下にあげときます。
●空海 とわのいのり(弘法大師誕生1250年記念事業)
空海のうまれた館あとにたつ善通寺さまが国宝などの寺宝を出開帳されます。
日時: 令和5年3月8日(水)〜12日(日) 9時〜17時
場所: ベルサール飯田橋ファースト(東京都文京区後楽2-6-1 住友不動産飯田橋ファーストタワーB1)
入場料: 2,500円 /(前売り)2,200円
●平岡宏一先生 講演「チベット密教における生と死」
日時: 2023年3月25日(土)14:10〜15:00 第一部 心から身体を整える
場所: 大本山智積院 宗務庁三階 大講堂
※平岡宏一先生の新刊『ゲルク派版 チベット死者の書 改訂新版』を会場でいち早くセミナー特別価格2,200円(税込み)でゲットできます。
詳細はこちら
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【開催日時】
①5月20日(土)10:00~11:30 菩提心の利益 忽ち善業が積める大乗仏教の醍醐味
②6月17日(土)10:00~11:30 罪の懺悔 悪業を浄化する方法
③7月29日(土)10:00~11:30 菩提心の受持 菩提心を受持する用意 無理せず徳を積む理由
④9月2日(土)10:00~11:30 不放逸 なぜ不放逸ではダメなのか 戒律の功徳
⑤10月21日(土)10:00~11:30 正知の守護 沈み込みと高ぶりの対処法
⑥11月11日(土)10:00~11:30 忍辱の話 仏教のアンガーマネジメント
⑦12月2日(土)10:00~11:30 精進の話 怠慢を克服する方法
⑧1月20日(土)10:00~11:30 禅定の話 幸せになるための隠された教え
⑨2月3日(土)10:00~11:30 空の話 空の意味と功徳
⑩3月9日(土)10:00~11:30 ゲルク派版『チベット死者の書』から学ぶ 死との向き合い方 密教とは何か
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