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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2022/01/30(日)   CATEGORY: 未分類
寺本婉雅の黒歴史パート2
さて、正月休みに傑作なことが分かったのですが、肩折ってしばらくブログが書けなかったので、今書きます。

 主人公は1905年に日本人として三番目にラサに到達した寺本婉雅(てらもとえんが) という僧。以前このブログで寺本が北京公使矢野龍渓の肩書きを自分で偽造していたことを明らかにしたが(ここで過去記事みられます)、今回も彼の黒歴史について。

IMG_8892.jpg

1905年にラサ潜入に成功した寺本は、参謀本部に目をかけられるようになり、1906年に、福島安正の命令で東北チベットのクンブムに滞在するダライラマ13世に直接工作をかけにいく。

 参謀本部はダライラマ13世を日本に来させて近代化を目の当たりにさせることによって、ロシアの支援を求めていたダライラマ13世を親日に変えてしまおう、というチキチキ接待大作戦を考えていた。その実行役が寺本だったのである。

 1906 年11月22日、寺本はクンブム大僧院に滞在するダライラマ13世との謁見に成功する。その後、寺本は日本への報告書や書簡に、ダライラマ13世との面会は十数回に及び,日々親交が深まっていると自信満々にかいて送ってきたが、ダライラマ13世が日本に観光にこなかったのは歴史的事実。やっとのことでダライラマ13世ではなく、高僧ツァワ・ティトゥルが日本にきたのは1911年5月のことであった。

 チベットの要人を日本に招くことがなぜこんなに遅延したのか。その上1911年には青木文教・多田等観などがツァワ・ティトゥルの接待にあたり、当初この計画を遂行していた寺本が消えたのはなぜなのか。これらの理由についてはいままではっきりとした説明はつけられていなかった。

 正月休みに寺本の旅日記をまじめに読んでいて、あることに気づいた。11月22日の寺本の初めてのダライラマ13世との謁見をした後 (寺本はおそらくはダライラマ13世が日本人と認識してあった最初の人である)、寺本の日記は翌年二月まで無音になるのである。

謁見直前の寺本は、希望に満ちあふれていた。10月26日の日記には「達頼喇嘛に謁見して、日本仏教の盛大なるを説き、日本帝国、強大なる威光を達頼の頭上に蒙らしめんと欲するなり。」とこんな感じで日本の威光にチベットやダライラマ13世がひれ伏すことを疑っていない。日記には日本仏教が主導する東西仏教の提携という夢にうざいばかりの情熱が溢れていて、うっぷという感じである。寺本がとくにいっちゃった国士様であったわけでなく、日露戦争に勝利した当時の日本人は大体こんな感じであった。日本がアジアを指導するんだ、という信念に燃えていたのである。

 なのに、肝腎の謁見のあと日記は中断。翌年再開するものの、その内容は時局の話やダライラマ13世の側近に対する不満などが目立ち、かつての勢いはなくなっている。

 そこで改めて寺本とダライラマの個別の会見について記した記事を洗うと、クンブムにおいてダライラマと初対面したこの1906年の11月22日の謁見と、クンブムから一時帰国する際に告別のために行われた1907年11月24日の謁見の二回しかないことに気づく。これは到着の謁見と告別の謁見であって普通のプロトコールである。

1907年11月20日の寺本の大隈重信宛書簡では「達頼と小生との交通は日を逐ふて誼厚を加へ候昨冬達頼此地に来錫致候時より自から謁見十数囬に及ひ」とあるが、十数回も面談していたなら饒舌で自信家の寺本のこと、いちいちそれを誇らしげに記録し、ダライラマ13世がいかに日本の勢威に恐れ入ったかを書くはずである。それがない。あるのは、たった二回の簡単な記事のみ。

これは何を意味するのか。

ここでこの前に寺本の偽造に気づいた時と同じアンテナが反応する。寺本はクンブム滞在中、この二回の形式的な謁見以外ダライラマ13世と直接会えていなかったのではないか。寺本の尊大な態度はダライラマ13世側近の不興を買い、寺本の提言は直接上申すらされていなかったのではないのか。しかしそれを参謀本部に伝えるわけにいかないから、ダライラマ13世は行きたがっているが、〜の理由で今は行かれない、という話にしてすりかえていたのではないか。と。

 では十数回のダライラマ13世との面談とは何を指すのか。寺本が何度も訪問し、留学生問題を話し合った相手、東本願寺法主の書簡を寺本にかわってダライラマに奉呈し、また、ダライラマから本願寺法主への返信を寺本に受け渡した人物は、ダライラマの側近の一人であるドゥルワ=ケンポである。つまり、寺本の主張する十数回のダライラマとの謁見とは、この側近ドゥルワを仲立ちにしたやりとりを指している可能性が高い。

寺本がダライラマとともに北京に滞在していた時期に外務省に提出した「北京駐錫達頼喇嘛随從官ト其策謀者」(1908年10月25日付) と題する報告書によると、「列国使臣に交渉せる堪布(ダライラマ13世の側近の尊称・ケンポ)」という項目の筆頭に、ドゥルワの名前を挙げ以下のようにそのプロフィールを記している。

一、謝堪布(一名ドゥルワ堪布、蒙古喀喇泌旗下の人)  (中略)
ドゥルワ堪布一名謝堪布は清朝黨にして総て喀喇泌王の下命に依て動くものなるも・・・(以下略)、


 注目すべきは、ドゥルワが内モンゴルのハラチン(喀喇泌)出身であり、ハラチン王即ちクンサンノルブの命令に従っていたという部分である。これでなぜドゥルワが日本人寺本のために動いたのかという謎がとける。ハラチンの郡王クンサンノルブは1903年に日本に視察に訪れ、日本から教習を受け入れ、又、留学生を日本に送り込んだぶっちゃけて言えば親日のモンゴル人である。

 ラサの僧院は内外モンゴルや遠くはブリヤートからの修行僧を受け入れており、彼等は僧院の地域寮を通じて故郷の人脈とも連絡がつながっている。ハラチン出身のダライラマ13世の側近がハラチン王からの情報を下に日本人寺本をダライラマ13世に取り次いだ可能性は極めて高い。

 話が細かくなるので省略するが、ダライラマ13世は参謀本部の福島安正宛の書簡も、東本願寺法主宛書簡もすべて臣下に宛てる形式でだしており、寺本が期待したような、日本の勢威に恐れ入って、日本に学ばせて戴こうなんて雰囲気はみじんもない。

 ダライラマ13世はチベット仏教が世界的に高い評価を受けていることを知っているので日本仏教に恐れいるはずもないし、そもそも物質文明の発展に重きを置かないチベット僧に、日本視察をさせても大した効果は見込めなかったであろう。
 
 それでも、ドゥルワが1907年の5月から寺本をダライラマ13世につなぎ始めたのは、英露協商の締結などによりダライラマ13世の選択肢が狭まってきたことから、日本への支援要請も考慮されるようになったというだけであろう。

 ご想像のとおり、日本はダライラマ13世が希望したような支援はおこなわなかったため、ドゥルワはダライラマ13世の側近の協議の場から外されることになる。先ほどのドゥルワに関する報告は以下の言葉で結ばれている。

然れども今や彼は秘密の相談には毫も預かるの権なし。只達頼の命令を奉る而巳。

参謀本部がダライラマ13世に直接工作をかけた理由は、ダライラマ13世との関係を構築することによって、清やイギリスのために謀ること、また、モンゴルにロシアが南下する時の生け籬をつくることであった。しかし、ダライラマ13世が日本と接触した理由はチベットの主権を清朝から取り戻すための支援をえることにある。日本に操られ清やイギリスのためになるような行動をとろうなんてみじんも思っていないわけである。

つまり、両者の思惑は常にすれちがっていたため、ダライラマ13世の日本観光は実現しないし、寺本も評価されなかったわけである。久々に面白い資料批判ができたので昨日これを一部にふくめた論文を提出した。詳しいことを知りたい方はそれをご覧あれ。

 
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● えんがちょ
あで | URL | 2022/01/30(日) 19:30 [EDIT]
鉄の棒やスタンガンで 米ホロコースト博物館報告書が示す 外交ボイコット問題
中国のウイグル族への人権弾圧をジェノサイドと呼び、抗議する人々。(写真:ロイター/アフロ)
 北京冬季五輪開幕まで2ヶ月を切る中、アメリカやカナダ、イギリスなどの国々が、中国の人権侵害を理由に、政府関係者を開会式などに派遣しない「外交ボイコット」に踏み切った。中でも、これらの国々が問題視しているのが、中国政府がウイグル族に対して行ってきた人権弾圧である。

 イギリスでは、12月9日、独立民衆法廷「ウイグル法廷」が、中国政府がウイグル族に避妊や不妊手術を強制してウイグル族の人口を減らし、ウイグル族の文化を抹消しようとしているという報告を基に、中国政府の行為はジェノサイドであると認定した。

 アメリカでも、11月、ホロコースト博物館が、様々な証拠を基に、中国政府がウイグル族に対し、強制的な不妊手術、性的暴力、奴隷化、強制移転などの犯罪を行ったと信じるにたる合理的な根拠があるとする報告書“‘To Make Us Slowly Disappear’: The Chinese Government’s Assault on the Uyghurs”(我々をじわじわと消す:ウイグル族に対する中国政府の暴行)を発表、「中国政府がウイグル族に対し、ジェノサイドを犯している可能性があることを非常に懸念している」と訴えている。
● ほろこすと
あで | URL | 2022/01/30(日) 19:36 [EDIT]
日章旗のもとでユダヤ人はいかに生き延びたか
ユダヤ人から見た日本のユダヤ政策
メロン・メッツィーニ 著/水内龍太 訳
https://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=101103
人種差別をしなかった日本はユダヤ人4万人を救った!
近代の日本人とユダヤ人との関係を詳細に記載。
同盟国ナチスの要求に反して、第二次大戦中に杉原千畝や樋口季一郎は4万人のユダヤ人を救出した。その行動や言説に関する記録・資料をユダヤ人研究者が繙き、日本の対ユダヤ人政策の実態を明らかにする。
● ダライ・ラマ法王、チベット亡命政権、チベットの文化・伝統、国際情勢や外交に関連する国内外のニュースや情報を集め、お届けします。 Compiling today's top stories related to Tibet.
Tibetan News Japan @TibetanNewsJP | URL | 2022/01/31(月) 06:31 [EDIT]
中国政府は #チベット カム地方ドラクゴ(現在は四川省に編入)で約30メートルの仏像を解体。また、僧院周囲に建てられた45本のマニ車を破壊し、#タルチョ を焼き払った。1973年に大地震に見舞われたこの地域のチベット人が、寄付金を出し合い祈りを込めて建立した仏像だった
● エンガチョ
マサムネ | URL | 2022/02/07(月) 19:58 [EDIT]
松川るい =自民党=
@Matsukawa_Rui
2月5日
中ロ首脳が対欧米で結束。新秩序創造を狙う利害が一致。印も直前ボイコットと北京オリンピックはいろいろ政治的。但し開幕式は素晴らしかった。メッセージが明確で洗練され技術力も見せた。さすがチャン・イーモウ監督。やはり一人に任せないとダメなのだ。
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/25657
@WEDGE_Infinity
● スキー板でウイグル支持? トルコ選手に独立派称賛―北京五輪〔五輪〕 2022年02月08日
マサムネ | URL | 2022/02/08(火) 09:24 [EDIT]
北京ロイター時事】北京冬季五輪のスキー・ジャンプ競技で、トルコのファティヒアルダ・イプチオール選手が用いたスキー板のデザインをめぐり、ウイグル族支持者から歓迎の声が上がっている。

6日、北京冬季五輪会場の張家口でスキー・ジャンプ競技に出場したトルコのファティヒアルダ・イプチオール選手(ロイター時事)

中国政府が新疆ウイグル自治区の安定を脅かしていると指摘するウイグル独立派が掲げる旗に酷似していたためだ。

ウイグル選手起用「目そらすため」 五輪聖火走者で中国批判―米国連大使〔五輪〕

 イプチオール選手は5日の競技で、独立派が用いる水色地に白い三日月と星が描かれた板を使用した。これを受け、交流サイト(SNS)上では「スキー競技で、中国の迫害に抗議した初めてのトルコ人選手だ」などと称賛の声が広がった。
 ところが、翌6日になるとイプチオール選手は、三日月や星のマークがない水色の板に変更した。トルコには民族的につながりのあるウイグル族約5万人が住むが、イプチオール選手の意図は不明。ロイター通信の質問には「答えたくない。私はスポーツ選手で、自分の仕事をするだけだ」と語った。
 国際オリンピック委員会(IOC)は、競技で政治的象徴を掲げることを禁じている。トルコのオリンピック委員会は、イプチオール選手のスキー板について「政治的な意思表示ではない。トルコ国旗にも白い三日月と星が描かれている」と説明した。
● 仏縁
マサムネ | URL | 2022/02/08(火) 19:15 [EDIT]
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所2月2日
元東京都知事石原慎太郎先生はチベットの強力な支援者の一人であり、チベットを不法占拠している中国を声高に非難してくださいました。先生のご逝去を悼み、世界中のチベット人一同、私たちはご遺族やご友人の皆様、支援者の方々へ祈りを捧げます。 ཨོཾ་མ་ཎི་པདྨེ་ཧཱུཾ།
● 台湾
マサムネ | URL | 2022/02/11(金) 11:12 [EDIT]
チベットを応援 台湾でサイクリングイベント
https://japan.focustaiwan.tw/society/202202090008
台北中央社)中国共産党から抑圧されるチベットの人々を応援するサイクリングイベントが9日、台北市内で開かれた。今月から3月にかけて台北、南部・高雄、中部・台中で計7回開催し、チベットだけでなく、同様に中国に抑圧されている香港や東トルキスタンにもエールを送る。

同イベントは人権NGO「チベット・台湾人権ネットワーク」(西蔵台湾人権連線)が主催。同団体の札西慈仁理事長が2011年から個人的に開始し、2015年以降は同団体の活動として、「チベット動乱」が発生した3月10日を前に毎年開かれている。サイクリングは、自由や人権を諦めないチベット人の意志を象徴しているという。今年でチベット動乱から63年を迎える。

この日、記者会見が台北の立法院(国会)群賢楼の外で行われ、野党・時代力量の邱顕智(きゅうけんち)立法委員(国会議員)や無所属の林昶佐(フレディ・リム)立法委員が応援に駆け付けた。

林氏は、台湾人がチベットや香港、ウイグル人にエールを送るのは、台湾が第一線で中国に直面しているからだと話し、より多くの人にサイクリングイベントに参加してもらいたいと願った。

参加者は雨の中、台北市街地を自転車で走り、途中にはカードを配布するなどして支持を呼び掛けた。

イベントは今月16日、23日、3月2日、9日に台北、3月6日に高雄、3月12日に台中で開かれる。

(郭建伸/編集:名切千絵)
● 沙羅双樹
マサムネ | URL | 2022/02/13(日) 19:10 [EDIT]
スーツ失格の高梨沙羅、検査方法の違いを指摘していた…代表監督「こんなことで選手をつぶしてはいけない」2/10(木)
 スキージャンプ混合団体でスーツの規定違反で失格となった女子の高梨沙羅(クラレ)が全日本スキー連盟(SAJ)の聞き取りに「検査方法がいつもと違う」趣旨の回答をしたことが分かった。SAJは国際連盟(FIS)に検査法のあり方についての意見書などを送付する方針。スキー日本代表の斉藤智治監督が10日、明らかにした。沙羅はスーツの太もも回りが規定より2センチ大きいとされた。斉藤監督によると、通常飛躍後はスパッツをはいたまま太ももを測定されるが、スパッツを脱がされたと沙羅が回答。腕も通常は体から約30センチ離した位置まで広げて検査を受けるが、万歳を求められた。検査方法が違うとしてやり直しを求めたが、受け入れられなかったと話しているという。
 検査方法を巡っては、2人の失格者が出たノルウェーのアンナオディネ・ストレムも「これまでの検査方法と違い、少し奇妙だった」と証言。同国代表のブラーテン監督も、ノルウェー紙の取材に対し、手を頭に乗せたままで行ったと語っている。一方、マテリアルコントロールの責任者、ポーランド人女性のボンチフスカ氏は「新しい測定の手順は行っていない」とするなど、食い違いが生じている。
 スーツ失格問題を巡っては、8日に沙羅が自身のインスタグラムで真っ黒な画面とともに「皆の人生を変えてしまった」などと謝罪。斉藤監督は「今後の検査をフェアにしていかないと。こんなことで1人の選手をつぶしてはいけない」とも強調した。今季は2~3月にW杯を残しており、沙羅は既に中国を離れて欧州へ移動している。
報知新聞社
湯浅卓
国際弁護士(ニューヨーク州弁護士/ワシントンD.C.弁護士)
記事で「斉藤監督によると、通常飛躍後はスパッツをはいたまま太ももを測定されるが、スパッツを脱がされたと沙羅が回答」はウソなはずが無い。一般論で違反測定のみならず違法ハラスメントに該当する、と分析できる。違法ハラスメントは、女性審判員が女性選手に行った、従来と異なる、スパッツ外しの場合も、成立し得る。違法ハラスメントは、審査員と選手の性別の違いを要件としない。一般論で違法セクハラの可能性も排除しない。審査員の強制で、従来と異なるスパッツ外しがなされた段階で、測定する以前に、審査員による違法ハラスメントは既遂になり得るのが一般論でそれを、審査ハラスメントと呼ぶか、審査ハラスメントおよびセクハラと呼ぶかは、どちらも、一般的にあり得る。つまり、審査ハラスメントの強制の下、従来と異なる測定も完遂されたとすれば、一般論だが、ハラスメントと違法審査の2つの違法行為が、ダブルで既遂となる確率が高い。
柄谷雅紀
スポーツ記者
選手と国際スキー連盟の言い分が、大きく食い違う事態になっています。
すでに試合は終わってしまっているので、結果が覆るとは考えにくいですが、今後のために検証することが大切です。
それは選手たちのため、そしてスキージャンプという競技の未来のためでもあります。
斉藤監督の「今後の検査をフェアにしていかないと。こんなことで1人の選手をつぶしてはいけない」という言葉が全てを表しています。
国際スキー連盟はしっかりとした調査、検証をした上で、きちんとそれを公表し、説明すべきでしょう。
そして、このようなことが起こらないようにするための改善策を各国のスキー連盟と話し合っていくべきです。
それが、この問題を未来へとつなげる唯一の方法です。

● エンがちょ
マサムネ | URL | 2022/02/17(木) 15:24 [EDIT]
在留カードにウイグル記載も 地方議員の会が要望書を決議2/14
在日ウイグル人支援に取り組む「ウイグルを応援する全国地方議員の会」が14日までに外国籍の中長期滞在者の身分を証明する「在留カード」の国籍・地域欄に中国の新疆ウイグル、チベット、内モンゴルの各自治区の記載を認めるよう入管難民法の政令改正を求める要望書を決議した。在日ウイグル人らは中国籍で出身地域が判別できない。自治区で迫害される在日ウイグル人らを対象に人道的措置を行う環境を整える狙い。(奥原慎平)
要望書は13日に地方議員の会会合で決議した。近く超党派有志による「日本ウイグル国会議員連盟」をはじめ、自民や公明、立憲民主など各党にも提出する。現行制度で在留カードに記載できる地域は台湾、ヨルダン川西岸地区、パレスチナ自治区ガザに限られる。
● 竹島
マサムネ | URL | 2022/02/20(日) 15:50 [EDIT]
竹島で受賞の日英博覧会メダル、地元で紛失
2022/2/19
竹島のアシカの皮製品などが受賞した日英博覧会の銀メダル(左)=平成4年7月(井上貴央・鳥取大名誉教授提供)
わが国固有の領土にもかかわらず、韓国による不法占拠が続いている竹島(島根県隠岐の島町)で、明治時代に同町民らが行っていたアシカ猟にまつわる貴重な資料の一部が所在不明になっていることが19日、関係者への取材で分かった。所有者の寄贈を受け、町施設の「隠岐自然館」(移転)に展示されていたが、10年以上前になくなっていることに気づいたという。
同町は紛失を公表しておらず、詳しい経緯も「確認できない」としている。アシカ猟に関する資料は、日本による竹島での漁猟が国内外で認知・評価されていたことを裏付けるとともに、竹島の領有権が世界的に認識されていたことを示す貴重なもので、保存活用のあり方が改めて問われている。

竹島では江戸時代の1600年代前半から、伯耆(ほうき)国(現在の鳥取県西部)の商人が幕府の渡海許可を得てアシカ猟を行い、明治時代には隠岐の島民が組織的な漁猟を実施。政府は事業安定化を求める島民の声を受け、明治38(1905)年1月、竹島を島根県に編入する閣議決定を行い、諸外国に領有権を明確に宣言した。地元には今も、竹島に関する資料を所蔵する人がおり、隠岐の島町や県などが調査、収集を進めている。

町によると、所在不明となっているのは1910年に英・ロンドンで開催された日英博覧会に、隠岐の「竹島漁猟合資会社」が出品したアシカの皮とかばんが獲得したとされる銀メダル。竹島での漁猟を目的に同社を設立した隠岐の水産家、中井養三郎氏の次女が昭和61年11月に寄贈したもので、同町の西郷港近くに平成7年7月に町が開設した「隠岐自然館」の目玉展示の一つだった。
隠岐自然館で展示されていたニホンアシカの皮と皮で作られた鞄=島根県隠岐の島町
メダルは博覧会に出品された皮やかばんなどとともに館内で展示されていた。町は22年3月8日時点で紛失していたとの記録を確認したが、発見者や当時の状況など、詳しい記録は見つかっていないとしている。

一方、その5年ほど前に研究者が同町を調査のため訪れた際、メダルはすでになかったとの指摘もある。関係者によると当時、同館に防犯カメラなどは設置されておらず、メダルの紛失を機に防犯機器の整備が進められたという。

同町は産経新聞の取材に対し、「今後は資料の保管を厳重にしたい」としている。
● 頼朝公
マサムネ | URL | 2022/02/22(火) 06:20 [EDIT]
鎌倉殿しのぶ慰霊祭 鶴嶺神社 島津家と頼朝の縁深く
ライター・知覧哲郎
2022年2月21日
鎌倉幕府を開いた源頼朝をしのぶ慰霊祭がこのほど島津家当主らをまつる鹿児島市の鶴嶺(つるがね)神社であった。島津家は初代忠久が南九州の統治を任されるなど頼朝と深い関係にあり、現当主で島津興業会長の修久さんらが境内に立つ頼朝ゆかりの石塔に手を合わせた。
頼朝は忠久を薩摩や大隅など3カ国の守護職に任じた。同神社によると、忠久は頼朝の庶子という伝承もある。江戸時代には25代重豪が頼朝の墓所を再興し、島津家が2001年まで神奈川県鎌倉市にある墓を管理した。石塔はこの墓を模し、頼朝没後800年の1999年に鎌倉市民有志の会から贈られた。以後、毎年のひと月遅れの命日に慰霊祭を開いている。

 今年はNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放送で頼朝への関心も高い。慰霊祭に一般参加した同県厚木市の不動産業、会田渉さん(50)は「鎌倉市の墓には毎年墓参しているが、今年は大河ドラマ放映という特別の年なので来た」。島津興業の学芸員、岩川拓夫さんは「頼朝が始めた武家政治を、頼朝の子孫を名乗る島津家が(明治維新で)終わらせたという歴史の奥深さを感じます」と話した。

● Масницяを直訳するとバター祭り
マサムネ | URL | 2022/02/26(土) 14:45 [EDIT]
ウクライナには『Масниця(マースレニツァ)』という毎年2月頃~3月頃に開催される伝統的な正教のお祭りがあることをご存知ですか?
「春を迎え、冬を送る祭り」という意味があるそうで、「マースレニツァ」を直訳すると「バター祭り」となるそうです!
マースレニツァを境に、復活祭までの間、バターやチーズなどの乳製品が食べられなくなってしまうそうで、「バター週間」「パンケーキ週間」「チーズ週間」とも言われているんですって!
マースレニッツァは、масло(マースラ:バター)から来ているので、バター祭りとか、題名のパンケーキウィークなんて言われているのです。
今は祝日とかではないですが、ロシアロシアではこのマースレニッツァは盛大に祝われているようですネ!
マースレニッツァは四旬斎の始まりの前の一週間祝われます。
四旬斎が始まると肉、魚はもとより、乳製品や卵の消費も禁じられることから、マースレニッツアは卵や牛乳、チーズなどのデイリープロダクツが許される最後の週というので、その昔、丸い形と黄金色が太陽に似ているという事から、太陽を賞賛するものとして、許される豊かな食材で作られたБлиныブリヌイ(ロシア版クレープ、パンケーキ)を食べる週となっているようです!
このお祭りでの御馳走は「ブリヌイ」というクレープ!
食べてみた~~い!!!
丸い形をしたブリヌイは「太陽」を象徴しているそうです。
ブリヌイを食べるのも楽しみですが、お祭り期間中はバザーが行われたり、仮装パーティーがあったり、ゲームがあったり、とても賑やかで楽しいお祭りのようです♡
そして、お祭りの最終日には「マースレニツァ人形」を燃やすという大イベントが!
「マースレニツァ人形」とは寒い冬を象徴する人形で、細い白樺の幹、枝、麦わらなどで作られています。
おさげに結ばれた髪の毛は亜麻の繊維でできていて、プラトーク(頭巾)を被っています。
人形の手にはブリヌイ(クレープ)を作るための器がのっていて、望みを託した色とりどりのリボンがつけられます。
そのリボンは、お祭りの最終日にマースレニツァ人形と一緒に燃やしてしまうのですが、そうすることで望みが叶うと考えられているそうです!
で、マースレニッツァが終わると四旬斎です。海外のレストランで「Lent Menu」なんていうのが出てくることがありますよね。普通のベジメニューの事なのかと思っていましたが、微妙に意味が違ったのですね。



Lentとは四旬節(西方教会)・四旬斎(東方教会)と言う、復活祭(イースターたまご)を準備する禁食期間の事で、西方教会系の四旬節はイースターの46日前の水曜日から始まりますが、東方教会の四旬斎はパスハ(イースター)の約7週間前の月曜日から始まります。
● >マサムネさんありがとう
シラユキ | URL | 2022/02/27(日) 18:34 [EDIT]
台湾のサイクリングイベントはしりませんでした。ありがとうございます。北京オリンピックは今回日本の協賛企業は便乗CM一つも流さなかったそうです。中国のイメージは着実に悪化してます。オリンピックはもう国際平和に何も貢献していないので中止でいいのでは。

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