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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2015/04/15(水)   CATEGORY: 未分類
観音の千本の手
今回の法王法話は観音菩薩の灌頂であった。これはチベット仏教の歴史と伝統の文脈からみると、非常に深い意味を持つ。ちょっとチベット史をかじった方はご存じかと思うが、チベット人の認識ではチベットの歴史は観音によって作られ、導かれてきたものなのである。10世紀以後のチベット語の史書によると、チベットの起源は以下のように説かれている。
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 太古の昔、観音菩薩はチベットの地を救おうと阿弥陀仏の御前において誓いをたてた。
 観音「すべてのチベットの命あるものを涅槃に導くまでは、私は個人の幸せを求めません。もし私が個人の幸せを求めるようなことがあったら、この顔は十に割れ、体は千に砕けますように」。こうして観音菩薩はマルポリの岡の上に出現され、チベットの命あるものをせっせと救い始めた。
 ある時、お疲れになった観音様は、心を安らがせる瞑想にはいられた。この時の観音のお姿はカサルパニ観音(心を休めている観音様という意味)と言われる。

 しばらくして瞑想からでた観音様は「ずいぶん多くを救ったから、もう半分くらいに減っているだろう」と再び岡の上からチベットを見渡すと、まだまだ多くの命あるものが苦しんでいた。

 そこで観音菩薩は一瞬『自分だけでも涅槃にはいってしまおうか』という気持ちを起こしてしまった。その途端、いにしえの誓いによって観音の顔は十に砕け、体は千に散った。それをみた阿弥陀仏は、観音の砕けた顔を十の顔になおし、自分の頭を頭頂につけ十一面とし、砕けた千の破片を千の手にして、前よりももっと多くの命あるものを救えるようにしたのである。十一面千手観音の起こりである。


 この説話により、チベットは観音菩薩の守護する地とされ、開国の王ソンツェンガンポ王をはじめとする歴代の高僧や王たちはその多くが観音の化身と崇められ、観音真言のオンマニペメフンが全土に鳴り響いてきたのである。17世紀にダライラマ政権が発足した時にダライラマ五世がマルポリの岡の上にポタラ宮殿(ポタラとは観音の浄土補陀洛のこと。)をたてたのも、自らを観音の化身としてのことであった。

 現ダライラマ14世もむろんチベット人から観音菩薩の化身と崇拝されている。ここでピンとくる人もいるだろう。今回の灌頂は数ある観音の中から、カサルパニ観音千手観音というチベットの歴史と深く関わった観音様が選ばれているのだ。

 灌頂は本尊と一体となった導師が、弟子にその本尊の力を授け、修行をはじめることを許可する儀礼である。従って、どれだけ導師が本尊とシンクロするか、弟子が導師とシンクロできるかが、儀式から受ける加持の力の大小に関わってくる。今回の場合、歴史的に観音菩薩の化身と崇められてきたダライラマ14世が、歴史的に法王の前世とつながりの深い千手観音とカサルパニ観音の灌頂を授けるのだから、どれだけ加持があるかもう分からん。だってシンクロするまでもなく本尊と導師が一体なんだから(笑)。

 ちなみに信心深いチベット人のAちゃんは、あまりにもありがたいということで、断食までしていた。

 今回法王がとりあげた四つのテクストも、うち二つは観音と関連している。まず第一テクストの『般若心経』これは観音菩薩が弟子のシャーリプトラとの問答の中で空を解説するものである。これもまた、観音つながり。また第四テクストの『三つの心髄』は、観音さまを本尊とするヨーガの実習法である。

 さらに、法王さまは今回口にされた、千手観音からみのジョークも秀逸であった。ジョークの文脈をより正しく理解するために、シチュエーションについて説明したい。

  法王来日の直前、法王サイトの日本語版の運営がはじまった。法王サイトは法王の過去の業績、日々の動向、予定について告知するサイトで、その情報量は膨大である。日本語版があれば多くの人に法王の活躍がしれるのだが、日本事務所の日本語サイトの運営すら人手不足と聞いていたので、当分英語版サイトから情報をひろうしかないかと思っていた。なので、今回突然日本語版が登場した時にはに驚いた。
 そこで、事情をしってそうなMさんにお伺いしたところ、以下のようなメールを下さった。

 ダライ・ラマcom日本語版の経緯について、私の理解の範囲のみで申し訳ありませんが、お知らせいたします。
立ち上げの背景ですが、先ずはじめに、法王さまからマリア〔・リンチェン〕さんに直接、ダライ・ラマcomの日本語版開設のご指示があり、その後、昨年6月にダラムサラにて、法王庁、日本代表部事務所、マリアさんとのミーティングが行われまして、ダライ・ラマcom日本語版プロジェクトが正式に決定しました。
それを受けて、アリアさんを統括責任者として、翻訳作業を行うプロジェクトチームも
発足するはこびとなりました。その後、マリアさんとコアメンバーを中心に、翻訳スケジュールの調整や、翻訳ルールの申し合わせ、また語彙表なども整えられて、6月末から翻訳作業がはじまりました。まず、立ち上げに必要な多くの翻訳データーについて、コアメンバーを含めた20数名でそれぞれに割り当てられた分の翻訳や編集を進めてゆきました。
翻訳記事にかんしてはホームページ全体の記事を翻訳するのではなく、法王庁からの指示のある記事を優先的に翻訳してゆきますというようなお知らせが、当初の連絡事項の中にあったと記憶しています。
 日本語以外に新しく立ち上げる言語には韓国語、ベトナム語、スペイン語があり、現在準備進行中だそうです。日本人の仕事が早いので真っ先に仕上がったそうですよ。


 と、多くのメンバーが去年から関わって着々と進められてきたプロジェクトであることが分かった。英文和訳ボランティアの皆様、本当にお疲れ様でした(というかサイトの維持が続くわけですよね)。今回法王が来日された直後、このボランティアの方々約20人が法王との謁見の機会をもった。ジョークがでたのはその席である。

 法王「チベット人は私のことをみな観音だと思って亡命してくる。しかし、私の手は千本もなくて二本しかない。残る998本の手はみなさんたちだ。その手にはマニキュアがついていたり、指輪がはまっていたりするんだよ。はっはっはっ。
 チベット人は〔観音の法身である〕阿弥陀仏をアメリカのオバマ大統領だと思っている。どっちもオパメだし(チベット語で阿弥陀はオパメと発音)、西方の仏だからな。はっはっはっ。


 このジョークはいろいろな意味で気が利いている。あなたたち一人一人の慈悲が千手観音の一つ一つの手である、とまわりの人に華をもたせているし、言葉の使い方も絶妙である。

 さて、最後のエピソードは私事となってしまう。でもおもしろいので聞いて頂ければと思う。法王がこのジョークをおっしゃる前日、MMBAの野村くんから「法王は観音菩薩の許可灌頂を、本格的な「灌頂」にしたいと希望されているので、千手観音の仏画を貸してくれないか」と電話があった。

 私「観音様っていっても、いろいろな種類があるけど、本当に千手観音でいいの? 明日は雨だからあまり仏画を外にだしたくない。確定するまでもっていきたくない」と言うと、

 野村くん「法王が見て決めることですから〔ここで使用するかしないかの確約はできない〕

 というわけで、そのジョークのでた当日、わたしは千手観音の仏画を法王のホテルまでもっていった(厳密に言えばダンナがかついでいった)。法王のインスピレーションですべてがひっくりかえるチベット世界。法王が「観音はやめてターラー菩薩にする」なんて突然言い出しても驚かない。だから、この時点でウチの仏画がデビューできるとは思っていなかった。

 それから一週間たった13日の灌頂当日、壇上にはウチの千手観音様が祀られていた。それを見て、私はなんとなく「チベットの歴史を研究してよろしい」との正式な許可を某所から頂戴したような、そんな厳粛な気持ちになった。

 この仏画はじつは酒飲みのチベット人の絵師に十数年前に頼んで描いてもらったものである。何を描いていただくかという時に、私が迷わず千手観音にしたのは、十一面千手観音がチベット守護尊であり、チベットの歴史を導くスピリッツだからである。 さらに、この仏画はゴマン学堂元座主ゲシェラに開眼していただいた。

 この仏画はこれまで私の手元で講演の際の教材になったり、本の口絵にもなった。それが今や、ダライラマ法王の儀式の本尊として全国デビューである。灌頂儀礼で使われた本尊には、理論上ダライラマ法王の加持力が宿るので、この仏画はもはやプライスレスである ! ちなみに、仏画は法王様のサインも入って戻ってきた(おそらくは野村くんの骨折りによる)。
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 事情をきいた平岡先生が随喜して以下のようにおっしゃられた。「去年法王さまが、『ガクリム』(密教の修行次第)を見たいとおっしゃったので、私のものをお貸ししたところ、サインと韻文をいれて返して下さいました。石濱先生、これは、またとないご縁ですよ。ターラーさんが導いてくださったんですよ
 
 この発言を理解するには、ターラー尊は観音菩薩の脇士であることを知らねばならない。ターラー尊は女性であり、観音菩薩がチベットの命あるものを救い続けて疲れ果てた時、流した涙から生まれた仏とされている。

 平岡先生は師であるギュメ元座主のガワン先生がなくなった直後、先生から授かった法を絶やすまいと、ご自分が受け継いだ諸法のうち、緑ターラー尊の生起法を私に伝授してくださった。以来私はせっせとターラー尊を生起している(その割には慈悲心が身につかないけど)。

  昨年、ゲルク派の密教の本山ギュメを訪問した時には、平岡先生から私のことを聞いていたギュメの執事の方が、美しいターラー尊の仏像を下賜してくださった。金銅仏は型は同じでも、最後に細部をきちんとしあげ、彩色をすることによって精粗が決まる。下賜されたターラー尊はギュメに来てから、「親指のない男」(ソルメ)というあだ名の僧によって金箔をはられ、お顔が描かれ、非常に美しいお姿にしあげられていた。どう考えても私には分不相応なので、お断りしようかと思ったが、お顔をみたらあまりにきれいなので、普通に欲しくなって戴くことにした。開眼はギュメの僧侶たちが行ってくださった。

  平岡先生が「ターラー尊が導かれた」とおっしゃる背景には、観音菩薩とターラー尊の関係性と、チベット密教の伝統がいきている本山において、その本山の僧侶たちによって開眼されたターラー尊は強力で、だからそれが今回のご縁をもたらしてくれた、というニュアンスが含まれていると思われる。

 いろいろな要因がからみあって今回のような灌頂が実現した。おきたことの意味をどう解釈するかはその人次第。折角のご縁を、偶然と考えて無感動に通り過ぎていくか、そこに意味を見いだして精進するかの二択を考えた場合、後者の方が御利益がありそうなので、私は意味を見いだしていきたいと思う。

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COMMENT

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あくび母 | URL | 2015/04/15(水) 16:59 [EDIT]
なんと素晴らしい。 心より随喜します。
● 管理人のみ閲覧できます
| | 2015/04/16(木) 09:24 [EDIT]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
● マルチレス
白雪姫 | URL | 2015/04/16(木) 10:03 [EDIT]
>あくび母さま
いつもご覧いただき、ありがとうございます。愛鳥の羽ツヤがあまりよくないので今日健康診断にいきましたが、便検査しただけで、あとは大丈夫だよ、と触診もありませんでした。早くツヤピカにもどってもらいたいです。

>HKさま
ご無沙汰しております。本当にいろいろなことがあるのですが、正しい判断をもって彼が進んでくれることを願っています。ご自愛くださいませ。

n | URL | 2015/04/21(火) 10:22 [EDIT]
チベットの女性ラマの歴史を読んでみたいです。歴史の本の完成応援してます。
数少ない高名な尼僧の活仏の存在が消えているのは何故なのかなといつも瞑想のテーマにしています。ホワイトターラが尼僧なのかな、チベットの歴史は面白いですね。

白雪姫 | URL | 2015/04/21(火) 10:34 [EDIT]
>nさん
三浦順子センセ訳の『智慧の女たち』は女性ラマたちの伝記ですよ。図書館で探してみてください。

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